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嘉巳くんと正午くん(一話完結)
タイムアップ。
俺はハァ、と大きな溜息をついて、それから周りを見回した。ショコラ、みりん、市之介、ロンバルト閣下、あんこ、フートン、こなつ。ごめんな、もう限界なんだ。一時間もすれば会長さんがおまえたちを引き取りに来る。――あと一匹、いや、一人を含めて。
「おい、嘉巳 も会長さんのとこに帰るんだろ、支度しろよ」
俺はソファでだらしなく寝そべっている嘉巳に言った。その堂々たる寝姿から「閣下」と呼ばれている大型犬のロンバルトよりも偉そうだ。
「やーだ、ここにいる」
ようやく半身を起こす嘉巳だけれど、駄々っ子のように言うばかりだ。
「だから、それは……」
俺は口籠もる。ここ数日、このやりとりを何回繰り返しただろう。
我が家は保護された犬や猫に里親が見つかるまでの期間だけ世話をする「預かりボランティア」――正しくはそれをやっていたのは俺の「親」だけれど、物心ついた頃から家には常に何匹もの犬猫がいて、それを当たり前として育ってきた。餌だって散歩だって寝床の掃除だって手伝った。だから親がいなくなったって、こいつらの世話ぐらいなんとかなると思ってたんだ。けど、甘かった。甘々過ぎた。
両親が譲渡会に向かう途中に交通事故に遭ったのは先月のこと。葬式やらなんやらは親戚が来てひとまず済ませた。高校も辞めずに済むらしい。事情が事情だからか、残りの学費は免除の上、奨学金も出る。二人分の保険金もそれなりに出るから生活費には困らない。心身健康だし、自分の身の回りのことは一通りできる。つまり男十八、親が死んだとて、俺ひとりのことならなんとでもなるのだ。――でも、この子たちは別。どうしたって俺だけの力ではどうにもならない。この一ヶ月で嫌というほど思い知らされた。
引き取り手が見つからないまま何年も経過している子も多い。せめてその子たちとは最期まで一緒にいてやりたいとは思うけれど、高校に通いながら散歩だ介護だ四六時中世話するのは非現実的で、無理したところで俺がぶっ倒れでもしたら、そのしわ寄せは当の動物たちに行く。
保護団体の会長さんに連絡して、預かりボランティアを辞めたいと伝えた。会長さんは家に来て両親の遺影に手を合わせ、今までありがとうね、と俺にまで頭を下げてくれた。そのときだ。喪服の会長さんの背後に、ひときわ目立つピンク髪が見えたのは。
「この子たちは私が責任持って引取先を探すし、なければうちで飼うわ。でも全員の行き先が決まるまでには少し時間がかかると思うの。その間正午 くん一人じゃ大変でしょう? だから、これ、私の甥っ子で嘉巳っていうんだけど、今ぶらぶらしていて暇だから置いていくわ。ワンコたちのお世話は慣れてるし、家事も叩き込んであるから、せいぜい使ってやって」
「は?」
戸惑う俺をよそに、会長さんは去って行き、ピンク髪だけが残った。
「よろしくぅ」
嘉巳は馴れ馴れしく手を差し出してきた。勢いに飲まれて握手に応じると嘉巳は嬉しそうに笑い、その口元には八重歯が覗いた。
派手なピンク髪と童顔のせいで同世代、もしくは年下に見えた嘉巳だったが、俺より四つも年上で、大学休学中ということだった。
「なんで休学?」
「病気」
「元気そうに見えるけど」
「叔母さんちに来てから、だいぶね」
「あ、メンタルのほう?」
嘉巳はびっくりしたように目を見開いた。
「意外とハッキリ聞くんだね」
「あー、俺も、なんか散々カウンセリングとか勧められて……親死んだのに、泣いたりしてなかったから」
「そんなにすぐに悲しくなんないよね」
「なのかな? 分かんねえ、そのうち悲しくなるのか、ずっとこのままなのか」
「まあね、そのときが来たらなるようになるんじゃない?」
「えっと、嘉巳……さんも、そういう事情で会長さんちにいるの?」
「嘉巳でいいよ。俺は誰も死んでないけど、まあちょっといろいろあってさ、自分がしんどくなっちゃって」
「でもよくなってきたんだ? やっぱり効果あるのかな、アニマルセラピー的な」
「……どうだろうな。元々は俺、動物は苦手なほうだったんだけど、叔母さんちじゃそんなことも言ってられなくて」
そこまで言うと嘉巳は俺の顔をじっと見た。
「何?」
「いやー、だとしたら、おまえもこいつらと一緒にいるほうがいいんじゃないのって」
嘉巳は足下にいたフートンを抱き上げ、頭を撫でた。フートンは好奇心旺盛で、人懐っこい。それでもなかなか引き取り手が見つからないのは排泄障害があるせいだろう。いつもおむつをつけている。
「……俺ひとりじゃ責任持てないし」
「まあ、そらそうよな。むしろ頑張ったよ、一ヶ月も一人で、葬式やって、こいつら世話して、学校行って」
「学校は――結構休んじゃったかな。あんこが急に食べたもの吐くようになって、夜中も気になって」
「寝不足になって、起きたらもう夕方で?」
「そうそう。あんこも、俺も、ぐだぐだでさ」
苦笑しながら言うと嘉巳は「だよなー」と言い、フートンを抱いたままソファにどっかと座った。その少しばかり図々しい仕草は、無理に明るく振る舞ってるようにも見えて、一瞬だけ視線が合った。
――フートン並に馴れ馴れしい奴だな。でも、嫌な感じはしない。
それが嘉巳の第一印象で、それから更に半月ほどが過ぎて、会長さんから近々引き取りに来るという連絡が来た。今日がその「引き取り日」。つまりは嘉巳との同居生活も今日で終わりというわけだ。この半月、俺が高校に通っている間に嘉巳は犬猫たちの世話をして、そればかりでなく俺の食事の支度に掃除や洗濯といったことまでしてくれていた。
「……もう今日で終わりなんだから。会長さんにこれ以上迷惑かけられないし」
「やーだって。帰らない」
「だから、なんで」
「正午が限界っぽいから。顔に出てる」
あっけらかんと、でもやけに真っ直ぐな声音だった。
胸の奥がドクリとする。
「別に俺、そんな顔してない」
「してるよ。てか、ずっとしてたよ。初日から」
「……元々こういう顔なんだよ」
「いや、それは〝普通に見られたい顔〟だろ?」
ぐうの音も出ない。見透かされている感覚が居心地悪い。その反面、どこかほっとしている自分もいる。
「……嘉巳、もしかして俺のこと見張ってた?」
「まあ、そんな感じ? 閣下たちのことも心配だったけど、叔母さんが正午のことが心配だからって。――もっと言うと俺の心配でもあったんだろうけどね」
「嘉巳の心配?」
「人間不信で、人と口きけなくなってたからね、俺。まっ、俺のことはどうでもいいよ。今は正午のことが大事。これからだって家事も、正午のことも、見るよ」
「……見なくていい」
「でも見る」
言い返せない俺。嘉巳は膝に乗ってきたフートンを撫でながら続けた。
「誰かのために働くっていうの久しぶりだったけど、結構悪くないんだよね。だからさ、ここにいるのは俺のためでもあったりして」
「……」
「なにそれって顔だな。正直俺もよく分かんないけど。でも」そこで嘉巳はいつになく真剣な眼差しで俺を見た。「正午がひとりで全部抱えて倒れたら嫌だもん。……いや、それだけじゃなくて、またひとりになるのが怖いんだよ。俺が」
心臓が喉まで競り上がったような感覚。
その一瞬だけ、室温が変わったみたいに感じた。
「……か、帰れって言ってんのに」
「帰らないって言ってんじゃん」
「頑固かよ」
「んー、正午の次くらいには頑固」
――なんなんだこいつ。本当に、なんなんだ。
視線をそらして、テーブルの上に並んだ犬猫用のおやつや薬や、片付けきれなかったタオル類なんかに目をやる。見慣れた光景だけれど、今日でこれも見納めになるのだろう。犬たちや猫たち。そして、両親と俺。我が家には、それだけの生活の気配がいつもあった。そこから両親の気配がなくなってしまったけれど、その代わりに嘉巳が来てくれた。だから耐えられた。
でももう、ショコラもみりんも市之介もロンバルト閣下もあんこもフートンもこなつもいなくなって――嘉巳までも今日で失うのか。
「……じゃあさ」自分でも驚くくらい、弱った声が出た。「嘉巳。今日だけは……いてくれよ」
言った途端、変な汗が出る。でも嘉巳はくすっと笑って、フートンの頭の上に顎を乗せた。
「今日と言わず、ずーっといるよ。言われなくてもね。正午が〝帰れ〟って言っても帰らないのに、〝いて〟って言われて帰るわけないじゃん」
軽い言い方なのに、胸の奥がじんわり熱くなる。
「……じゃ、とりあえずこのタオルの片付け、手伝って」
「はいはーい。あ、でもその前に」
「何」
「正午、ちょっと目閉じて」
「は?」
意味が分からず固まっていると、フートンが嘉巳の上からぴょんと飛び降り、トコトコと俺の足下までやってきた。そしてそれに先導されるように嘉巳も俺のすぐ目の前まで歩いてきた。近い。やけに、近い。
「寝不足の顔してる。三分だけ、休憩」
その寝不足はあんこが吐いてたせいじゃない。昨夜は、明日おまえがいなくなると思ったら眠れなかったんだ。だから――だから、そんなふうに優しく触れるなよ。
俺はこの日、親が死んでから初めて、泣いた。
(おわり)
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