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1話
ニXXX年、妊娠・出産は女性の体内でのみ成立するものではなくなった。人工子宮――通称バイオ子宮――によって、それは安全に体外で行えるようになったのだ。
しかし、実験段階では不幸な道を辿った子どもたちがいる。これは、その一人のお話。
「優希くん、いい子だねぇ」
バイオ子宮の統括本部の一角に、ベビーベッドがある。その中には、一歳にも満たないであろう赤子が横たわっており、職員の女性に哺乳瓶からミルクを飲ませてもらってご機嫌な様子が伺える。
「水沢さん、今日優希くんの当番でしたっけ?」
「ううん。一木さんなんだけど、いつも通りパスでさ」
「ああ、あの人ずっと避けてますもんね」
「そうそ。まぁ、珍しくもないのかもね」
優希くんは初期の実験体だと聞いている。しかし順調な成長を見せず、何度バイオ子宮に戻されても小さな姿のまま。計算上ではもう十八歳になるはずだ。
水沢さんの腕の中でげっぷをさせてもらい、すやすやと眠る優希くんを見ながら、精神も赤子のままでよかったのかもしれないと思った。
一木さんは長年勤める研究員で、時期的に優希くんのことにも詳しいと思うのだが、当番の日は徹底的に避けて本部にも寄り付かない。有り体に言ってしまえば失敗作、に関わりたくない気持ちも分からなくないが、本部の職員には一日交代で当番が割り振られているので、それを抜かすのはやめていただきたい。そう考えていた時、何やら深刻な顔をした上司に呼び止められた。
「有村くん」
「あ、はい」
「有村くんが次に優希の担当になるのは、今週の金曜日だったね」
「そうですね」
頭の中のスケジュール帳を確認するが、相違はないのでそう返事をする。
「実は、土日に担当するはずだった職員が急な出張でね。週末も預かってくれないか?」
「えっ、週末もですか!?」
「大丈夫、臨時手当は出すから」
俺は元々土日は休みなので、優希くんを自宅に連れて帰って面倒を見るという意味なのだろう。この際、手当とかはどうでもいいのだが。
「あんな小さな生き物、子育て経験のない私では、とても手に負えません!」
「ああ、気にするな。あの子は意外と頑丈だから」
「そんなこと言って、死んだらどうするんですか!」
「大丈夫、大丈夫」
ははっと笑って、そのまま上司は去って行った。この施設の管理体制はどうなっているんだと憤っていると、一連の様子を見ていたらしい水沢さんに肩を叩かれた。
「有村くん。優希くんは私たち大人が守るべき存在だけど、たぶんそんなにやわじゃないよ」
「いや、でも、俺は赤ちゃんの面倒を見た経験はないので⋯⋯」
「私がサポートするし、夜間でも連絡くれていいから、そんなに気負わないで」
「⋯⋯ありがとうございます」
素直に感謝すべきところなんだろうが、誰も彼も命を軽く扱っているようで、心がざわついたままだった。
その日の昼休み、眠っている優希くんの側で昼ご飯を食べながら、さっき水沢さんに書いてもらった赤ちゃんの取り扱い説明のメモを読んでいた。
これまで俺は、一日の当番は何度か担当したことがあるので、ミルクのあげ方やげっぷのさせ方、おむつの替え方なんかは分かる。しかし、もし急病になったら? 泣きやまなかったらどこからが病気なんだ? 分からないことだらけだ。当然だがメモにそんなことは書いておらず、ため息をつきながらサンドイッチの最後のひと欠片をもそもそと咀嚼する。
「有村、ちょっと来い」
「えっ、あ、はい」
いきなり一木先輩から呼び出しがかかり、慌てて手を拭くと先輩のところまで行く。
「今週末、優希の担当になるんだってな」
「あ、そうですね」
「若手のお前には負担かもしれないが、優希のことを頼む」
俺の方は見ないものの、小さく頭を下げた先輩は初めて見た。優希くんを避けるのは、失敗作を見たくないという理由以外に何かあるのだろうかと思いつつ、水沢さんの守るべき存在という言葉が重く伸しかかる。
金曜日の業務を終えて、優希くんの育児セットを一式リュックにまとめると、眠そうな優希くんを抱っこして退勤する。
いつものように満員電車に乗るのは躊躇われたので、タクシーをつかまえて自宅の住所を告げると、後部座席で優希くんを強く抱き締める。
「んっ、んむ、」
「ああ、ごめん。きつかったか」
「んー」
事故を怖がるあまり、強く抱きすぎたようだ。
「優希くん、月曜の朝まで俺の家で過ごしてもらうからね」
「んっ!」
目が覚めた様子の優希くんは、まるで俺の言葉に返事しているようで可愛いなと思う。
無事に自宅に帰ると、優希くんをベッドに優しく寝かせてリュックを床に置くと、洗面所で手を洗う。
「ふぅ」
これから二日間、小さな命を預かるのだ。俺の睡眠は犠牲にしたっていい。とにかく命を守り通さなければ。
ミルクを作るお湯でも沸かそうとキッチンに向かっていると、ふにと何か柔らかいものが足に当たった。
「??」
家にはぬいぐるみやクッションなど、柔らかい感触のものはなかったはずで、その正体が何なのか電気を付けて確認すると。
「うわっ!!」
「むぅ」
優希くん、だった。俺の足元に引っ付いて離れないのだが、自力で動けたのか?
「ちょっと! 何やってるの!?」
「んむ〜」
急いで抱き上げて、間違っても蹴ったりしていないだろうな、と隅々まで様子を見る。
「痛いところはない?」
「んっ!」
優希くんはにこにこしていて、こちらの気が抜けるが、とりあえず怪我はしていなさそうだ。
「優希くん、きみ動けるのか?」
「ん!」
腕の中でジタバタと激しく動くので床に下ろすと、もぞもぞとした後に、ゆっくりと立ち上がった。そして一歩、二歩とよちよち歩き、俺の足にすがりつく。
「ええっ!?」
「んー!」
どうだとばかりの表情をしていて、俺は優希くんが歩けることをこの日初めて知ったのだった。
「おいしいですか」
「んっ! んっ!」
あの後ミルクを飲ませて寝かせようとしたのだが寝付いてくれず、俺の膝の上で一緒にテレビを見て過ごした。
自分の夕ご飯の時間になり、優希くんを膝に乗せたまま食べ始めたが、よだれを垂らして見詰めるので、味付けしてない白米をほんの少しだけ口に入れてやると、もっととねだられる。
「だーめ。さっきミルク飲んだでしょ」
「んむー!」
今度は手づかみで白米を奪おうとするので、茶碗を手の届かないところに置いて、おかずの焼き魚を食べようとすると、それにも手を伸ばそうとする。
「きみはまだお魚食べられないでしょ。熱いから触らないの」
「むー!」
優希くんの小さな両手を左手でまとめて押さえると、抗議の唸り声が聞こえる。
「もっとミルク飲ませた方がいいのかな⋯⋯」
「む、」
適量をあげたはずだが、まだお腹が空いているのだろうか。それとも、大人の食事に興味を示す年頃なのか。そもそも、優希くんの正確な精神年齢が分からない。
「あっ、こら!」
「んむ、んむ」
ちょっと油断した隙に、手で魚をむしり取り、一口食べてしまった。塩分は大丈夫だろうか、消化はできるだろうか。焦って立ち上がり、優希くんをそのまま椅子に座らせると、水沢さんに電話をかける。
「あっ、夜分にすみません、有村です」
それは数コールで繋がり、どうしましたか? と尋ねられたので、状況を説明する。
『有村くん、大丈夫ですよ。一口なら塩分もそれほど多くはないですし、お腹も痛くならないと思います』
一気に脱力して、床に座り込むと話しを続ける。
「水沢さんは、優希くんが歩けること、知ってました?」
少し驚いた様子だったが、知っていましたと返事があった。
『優希くんは、赤ちゃんとして存在していたいと思っていたので、有村くんに歩いて見せたのは、びっくりしましたが⋯⋯。その調子だと、有村くんは好かれてるみたいですね』
いまいちよく分からないことを言われ、また何かあったら連絡くださいと切られてしまった。
「はぁ、お腹痛くならないってさ。よかったな」
「んむ?」
大人しく椅子に座っていた優希くんを抱き上げて、洗面所で魚の油でベタベタになった手を洗うと、寝室に連れて行く。
俺の食事は置いておくとして、おしりが温かかったので、被れないうちにおむつを替えてやりたかった。ベビー服のボタンをポチポチと外しておむつを露出させると、案の定薄黄色に膨らんでいる。新しいおむつをおしりの下に広げると、濡れたものを開いて引き抜き、まっさらなおむつのテープを留める。ギャザーを立てて調整してから、服を元に戻して体に布団をかける。優希くんの数少ないデータによると、排泄機能もずっと成長しないままらしい。
「ねんねしような」
「むー!」
俺も隣に横になりトントンとお腹を叩いてみるが、やはり眠そうな様子はない。昼寝のしすぎだろうか。それとも、環境が変わったせいで眠れないのか?
「あ、ちょっと!」
「ん、んっ、」
もぞもぞと布団を出たかと思うと、俺の腹の上に座ってしまった。
「何、運動でもしたいの?」
「んふっ」
にこにこしながら、優希くんは腹でリズムを取るようにバウンドしている。それが妙に腰に響くので、抱きしめてやめさせると、寝かしつけるのは諦めて散歩にでも行くことにした。
「外は涼しいねー。寒くない?」
「んー!」
パーカーを羽織らせた優希くんを抱っこして、近所の公園へきていた。
一緒にブランコに乗ったり、滑り台を滑ったりと一通り遊んでみるが、優希くんが眠そうな様子はない。
公園の時計を見上げると、もう二十三時を回っていて、いい大人も寝る時間だ。
「そろそろ、ねんねの時間だよー」
「むー」
心なしか不服そうな優希くんを抱えて自宅に戻ると、一緒にベッドに横になる。俺は実は眠りたくない。昔から夢見が悪いからだ。一人の時には酒を煽ったり、不定期に行ってる病院でもらった睡眠薬を飲んだりもする。けれど、どちらも優希くんを預かっている今はできないことだ。
しばらくして大人しくなったと思ったら、静かな寝息が聞こえる。やっと眠ってくれたか。安心感からか食事の後片付けもせずに、俺も眠ってしまった。
いつものように寝苦しい夜、誰かに抱きしめられて大丈夫だよと言われた気がした。
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