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東雲の織物(4/5)

 今日もこの国は、脳天気なほどに晴れ渡っている。  身を焦がすような鮮烈な日差しは、それでも私の止まった時を動かすほどの力を持たないようだ。 「……ムシュカ、いつまでもここにいては皆が心配しますわ。そろそろ戻りましょう」 「…………先に戻っていてくれ、レナ。私は……ヴィナの、側にいる」 「ムシュカ……」  王宮の地下にある王族廟には、死を思わせる香の煙が立ちこめていた。  歴代の王族が眠る廟の隣、従者の間に並べられた真新しい石棺に縋り微動だにしないムシュカの姿に、レナはぐっと唇を噛みしめる。  そうして努めて明るい声で「仕方ないですわね、ムシュカの気が済むまでわたくしも付き合いますわ」と隣に腰掛けるのだった。 『ムシュカ王太子殿下を守り抜き殉じた忠義の騎士、ここに眠る』  王宮近衛騎士団副団長、ヴィナ・ヤーナイの葬儀は、賊から未来の国王たるムシュカを守り抜いた英雄として盛大に執り行われた。  奴隷上がりでありながらも国の為に尽くした英傑の殉職に、そして何よりムシュカの正室候補として仲睦まじい姿を市井に見せていた奥手な青年のあまりに早すぎる幕引きに、王族はもとより多くの国民も涙に暮れたという。  二度も王族を救ったというその功績を讃えられ、ヴィナの亡骸は王族廟に安置されるという異例の名誉に預かることとなる。  彼の家族には王宮から十分な弔慰金と特例として市民権が付与され、また王宮広場には近々英雄ヴィナの像が建立される予定だ。  ――どれだけその栄誉を讃えようと、彼の笑顔はもう、戻ってこないというのに。 (ヴィナ……)  あの日、己の腕の中で息絶え急速に熱を失っていくヴィナの姿が、何度もムシュカの脳裏で再生される。  王太子という立場上皆の前で取り乱すことも許されず、震える手でそっと開いたままの瞼を閉じたその時の感触は、ずっとこの手に残ったままだ。 「……ここならどれだけ泣いても問題ないですわよ」 「…………無茶を言わないでくれ……レナに虐められたわけでもないのに」 「そこまで言うならこてんぱんに叩きのめしてあげましてよ?」  軽口を叩いてくれるレナの心遣いはありがたい。  けれど、この石棺のように冷たく凍り付いた心は、そんな優しさも拒絶してしまう。  ――何より、ヴィナは自分を守って死んだのではない、その事実がムシュカの胸に重くのしかかっていた。  あの時、ヴィナの頭を貫いた空気の刃のような魔法。  あれはムシュカを庇って受けたものではない、最初からヴィナを狙っていたことに気付いたのは、恐らくあの時扉の傍に潜む賊の姿を捉えていたムシュカだけだろう。  それが証拠にヴィナが凶刃に斃れた後、賊は宝物庫を荒らすことも、そして「暗殺に失敗した」ムシュカを再び狙うこともなく、あっさりとあの不可思議な術を用いてその場から消え失せたのだから。  実際に宝物庫から盗まれていたのは数点だけ。それも、特段高価な品物でもない……野盗の立場からすれば「おいしくない」ものばかりであったことも、ムシュカの推測に確信を与えていた。  そして、ヴィナが命を狙われる理由など――一つしか無い。 「私の、せいだ……」 「ムシュカ?」 「私が…………ヴィナを、愛してしまったから……正室にしたいと願ってしまったから、ヴィナは……!」 「…………ムシュカ……」  ああ、王宮のドロドロした権力争いに巻き込むには、彼はあまりにも気弱で奥手な青年だったのに。  若く身勝手な己の想いがもたらした結果を悔いたところでもう、彼は…… 「……ヴィナ……っ……」  ぱたり、ぱたりと熱い雫が冷たい石棺を濡らしていく。  どれだけ呼んでもあの照れくさそうな返事は返ってこず、その熱を伝えることも、もう出来なくて。 (ヴィナ、ヴィナ……置いて行かないでくれ……私を、一人にしないでくれ……!)  グッと噛みしめた口から漏れる小さな悲嘆の声は、夜の帳が落ちる頃になっても止むことが無かった。  ◇◇◇  ヴィナの死がもたらした心の傷は、時が経っても薄れるどころかますますムシュカの心を、そして身体を蝕み続けていた。  口の悪い貴族に「奴隷風情が王族に残した呪い」とまで言われるほど、その状況は深刻だったのだ。 「おはようございます、父上……」 「ムシュカ……やはり、今日も寝られなかったのか」 「分かりません…………ただ、枕が冷たくて……寝台が広くて、夜が永遠に続くようでした……」 「そうか……ああ、無理はしなくて良い。執務はこちらで何とかする、お主はとにかく身体を労りなさい」 「ムシュカ、新しい香を手に入れたの。今夜はこれを試してみなさいな。そうそう、レナからも薬湯の葉を預かっているわ。後で煎じて寝所に持って行かせますから」 「ありがとうございます、父上、母上……」  ヴィナを喪って3ヶ月。  あれ以来、ムシュカは眠ることが出来なくなっていた。  広い寝台は隣に眠る愛しい人の消失を突きつけてきて、夜通し涙が止まらなくなる。それではとソファに横たわったところで、冴えきった頭は疲れを訴えているにも関わらず、すぅと眠りに落ちる感覚が生じる度今際の際のヴィナを脳裏に叩き込んで、無理矢理残酷な現実へと引き戻されるのだ。  当然ながら王宮は何人もの高名な医師にムシュカを診せ、世界中から眠りに効くというありとあらゆる物を取り寄せて試している。  だが、あれ以来ムシュカがまともな眠りを得た日は一日たりとも無い。  限界が来れば気絶するように倒れ、それも1時間もせずに目覚めてしまうお陰で、みるみるうちにムシュカはやつれ、目の下は落ちくぼみ、ヴィナを偲んで廟に籠もり涙を流す以外は日がな一日ぼんやりと窓辺に座ったまま過ごすようになっていた。 「殿下、お加減はいかがですか……」 「…………私の前に顔を見せるなと言っておいたはずだが? ダルシャン」 「っ……申し訳ございません、ですが」 「おい、この者をつまみ出せ」 「殿下どうか話を……っ!」  更にヴィナの暗殺を一人確信しているムシュカは、いつの頃からか正室候補であった者達を一切近づけないようになっていた。  状況的にも、正室争いをしていた者達の中にあの東国の魔法使いを雇った者がいる事は明白だ。だが、それが誰だか調べるほどの気力も無い今、ムシュカに出来ることは全ての疑わしき者との交流を絶ち、金輪際婚約の話は受け付けないと突っぱねることくらいだった。  あれほどヴィナを疎んでいたダルシャンは、その性格を鑑みても犯人の可能性は高い。  いや、あの夜レナに勧められた茶は東国のものであった。東国との繋がりがある彼女も犯人の可能性がある――  荒みきった心は、猜疑心を際限なく膨らませる。それが余計に心の負担となり、ますますムシュカを眠りから遠ざけていたのである。  ◇◇◇  そんなある日のこと。  ムシュカは在りし日のように身分を隠して、お忍びで夕暮れの城下町へと足を運んでいた。  正直、ヴィナとの思い出があまりにたくさん残る場所へ行くのは気が進まなかったのだが「王太子という身分が邪魔をして、喪失をまともに悲しむことが出来ないのが問題だ」と判断した医師の強い勧めにより渋々街へと繰り出したのである。 「……ああ、我が国の空はこんなにも高かったのだな」  3ヶ月ぶりに見上げる空の青さに目を細めながら、ムシュカはそっと呟く。  その肌は青白く透き通るようで、手首は一回り細くなっていて、こんな姿をヴィナが見たら狼狽して大変だろうな、とふと思えば、また一つ涙が頬を伝った。 「…………そうだ、今の私はただの一般人……好きに泣いても良いのか」  ぐっと涙を堪えかけて、ムシュカは医師の言葉を思い出す。 『今の殿下に必要なのは、思い切り悲しみを味わえる場所です。街の中では殿下に気付く者などいませんから、存分に彼との思い出の場所を巡って、泣いてくればよろしい』  とは言え、思い出の場所と言われても急には思いつけない。何より寝不足の頭にそのような思考をしろなど、あまりに酷な話だ。  これはどうしたものかとぼんやり考えながらムシュカは当てもなく通りをふらふらと歩いていたが、ふと鼻をくすぐる刺激的な香りに自然とその足が止まった。 「……あ」  振り向けばそこにあったのは、独特な柑橘と香草の香りが漂う、行列の出来た小さな屋台。  魚の出汁が良く効いていて、甘味と酸味が舌をくすぐった後に王宮では決して味わえない熱と痺れをもたらす猛烈な辛さが、唇から胃までを駆け抜けていく―― 「…………ヴィナ」  あの日の愛しい人の食べっぷりを思いだした瞬間、ムシュカの足は行列の最後尾へと向かっていた。  ◇◇◇ 「はい、次ー……!? え、あ、えっと、兄ちゃん何を頼むんだい?」 「……特製激辛米麺と、ローズシロップのかき氷を」 「あ、あいよっ!」  お忍びだと思っているのは、相変わらずムシュカだけのようだ。  久しぶりに顔を見せた、しかし以前の面影が感じられないほどにやつれきったムシュカの姿に、店主は一瞬顔を強張らせるも慌てて「何も気付いていない人」を装う。  それは行列に並んだ民衆も、屋台の前を通り過ぎる人たちも同じで、皆一様に変わり果てた王太子に胸を痛めつつも、決してそれを表に出さずただそっと成り行きを見守っていた。 「お待たせ、ごゆっくり!」 「……ありがとう」  ムシュカの目の前に、大きなどんぶりとガラスの器に盛られたかき氷が置かれる。  ほかほかの湯気は、吸い込むだけで鼻がチリチリと焼けるようだ。  かぐわしい香りはすっかり忘れていた食欲という概念を思い出させ、けれどこんなに薄かっただろうかとムシュカの心に小さな疑問を灯した。  ……あの時の香りは、もっと鮮烈だったように思う。もしかしたら味が変わったのだろうか。 「まあ、何にせよ熱いうちに頂くか……」  ムシュカはフォークを手に、たっぷり魚のスープが絡んだ米麺を口に運ぶ。  そう言えばヴィナは麺を食べるときには、いつも箸を使っていた。何でも箸で麺をつまみ豪快に啜った方が、よりうまみを感じられるのだと言っていたっけ。  次に来るまでにはもう少し箸の使い方を練習しておこうと思いつつ、口の中にちゅるりと滑らかな麺を迎え入れれば、途端に魚の風味が口いっぱいに広がった。 (ああ、そうだ。こんな味だった……)  一口、二口。  口に運ぶ度に、濃厚な魚出汁が、爽やかな柑橘類と香草の風味に混じるほのかな甘味が、そしてそれを追いかけるように猛烈な辛さが口の中で、喉の奥で弾けていく。  焼けるような熱さに「はぁっ」と思わず吐息を漏らし、口の中が痛くて痺れているというのに次のうまみが恋しくなって、汗だくになりながらも麺を運ぶ手が止められない。 (美味しい)  一体いつ以来だろうか、口に運ぶものの味を感じたのは――  フォークですくえなくなった麺も、スプーンで拾い上げて。  小さな魚の身も、もったいないとばかりに全てを口に入れて、咀嚼して、飲み込んで。  あの時は残してしまったスープすら、今日は惜しい…… 「ぷは……っ……!」  焼けるような吐息を空に放ち、ムシュカはとん、と空になったどんぶりをテーブルに戻した。  途端、夢中で食べていたときには聞こえなかった街の喧騒が、一気に鼓膜を揺らす。  そして、その向こうに 『きっと殿下は、お気に召すと思ったんですよ!』  そう満面の笑みで幸せそうにこの麺の美味さを語る、在りし日のヴィナの姿が見えた気がして―― 「う……あ……ひぐっ、ひぐっ…………!!」  ぽたり、ぽたり。  涙の粒は後から後から溢れ出て、留まることを知らず。  小さくしゃくり上げていた嗚咽は、いつしか通りに響く慟哭へと変わる。 「何故だ……命になど替えるなと言ったはずだ、ヴィナ……! お主の好物がここにあるのだ、何故一緒に食べてくれない!? 美味いぞ、お主が教えてくれたとおり、ここの米麺は本当に美味い! 美味いのに……お主と食べた方が、もっと、ずっと美味かったっ……!!」  ムシュカの心を凍てつかせた檻が、ぱりん、と音を立てて崩れ落ちる。  押し込めていた想いが、思い出の味と共に溢れ出して、ああ、こんなもの止めようがないじゃないか―― 「うわあああっ……ヴィナっ!! ヴィナーーーっ!!」  力の限り叫ぶその悲しみの雄叫びを耳にした民衆は、知らぬ顔をしながらそっと涙を袖で拭うのだった。

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