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思わぬ邂逅(2/4)

「お、おい、兄ちゃん大丈夫か!?」 「え……はぇ…………?」 「急に倒れてきてびっくりしたぞ、気分が悪いのか? ほら、手すりに掴まれるか?」 「あ、えっと……掴まる……」  覚悟した痛みの代わりに新太に振ってきたのは、どこか心配げな男の声だった。  恐る恐る目を開ければ、そこには恰幅のいい中年男性が心配そうに新太の顔を覗き込んでいる。 「っ!!」  ようやく事態を理解した新太は、ピンと姿勢を正し「申し訳ございません!」と勢いよく叫んで頭を下げた。  その声は思いがけず大きかったのだろう、周囲の視線がざっとこちらに集まり、ひそひそと何かを囁く声が聞こえてきて……お陰で恥ずかしさに顔が上げられない。  目の前の男性も唐突な謝罪に目を丸くしていたが、やがて「いや、大丈夫ならいいんだ」と新太を慮るような優しい声をかけた。 「にしても兄ちゃん、随分疲れてそうだな。……ほら、あそこ席が空いたから座ろうか」 「いや、でも俺でかいから」 「いいって、また倒れたらまずいだろ? あとほら、これでも飲んで元気だしな」 「…………はぁ」  ちょうど大きめの駅に着いたところだったのだろう、一気に空いた席に新太は男性と並んで腰掛ける。 「確か持ってたはずだが……」とごそごそカバンに手を入れた男性が新太に差し出したのは、栄養ドリンクの小瓶だった。 「そのなりじゃ、こんなに遅くまで仕事だったんだろう? どこまで帰るんだ?」 「あ、終点……の3駅前です……」 「そうか、また随分遠くから通ってるんだな。えらいなぁ、毎日出勤して遅くまで働いて……頑張ってるんだな」 「…………あ……いや、こんなの普通ですし……」  ともかくありがとうございますと頭を下げ、新太はプルタブを開ける。  ぐいっと小瓶を煽れば、甘くて少し薬臭くて、なんともぬるい炭酸が胃の中を滑り落ちていった。  それでようやく、新太は気付く――今日「も」夕食を食べ損ねていることに。 (……今日は朝しか食べてなかった……昼はご飯なんて食べてたら、怒られそうだったからなあ……)  ごくごくと一気に飲み干せば、頭にじわんと血が通い始めるような感覚を覚える。  どこのメーカーだろうとラベルを見れば、なんのことはない、仕事中にも散々飲み慣れた栄養ドリンクだ。  ……なのにどうしてだろうか、胸の奥でしゅわっと弾ける刺激がやけに胸に染みるのは。 『遅くまで働いて、頑張ってるんだな』  頑張っている。  そう、俺は筋肉しか取り柄がないエンジニアだ。けれど、これでも目一杯頑張っている―― 「……っ……すんっ…………ううっ……」  小瓶を握りしめた拳に、ぽたりと涙が零れる。  胸の中に何かが溢れるようで、けれどその感情につける名前も思い出せぬまま、新太は男性が無言で差し出すティッシュで涙を拭いながら静かに嗚咽を零すのだった。  ◇◇◇ 「そっか、そりゃ大変だな……」 「ひぐっ、ひぐっ……すみません、見ず知らずの人にこんな愚痴を……」 「なぁにいいって、これも何かの縁だしな」  溢れた感情は押さえる術も知らず、気がつけば新太は名も知らぬ男性にこれまでのことを洗いざらいぶちまけていた。  正直、自分でもびっくりするほど言葉が後から後から出てきて止まらない。だというのに、男性は時折相槌を打ちながら静かに耳を傾けてくれる。  そうしてひとしきり話を聞いた彼は「そうだな、辛かったな」としみじみした声色でこれまた新太の心を震わせる。お陰で決壊した涙腺は、当分収拾がつかなさそうだ。 (うん……これでまた明日も仕事に行ける……頑張れる)  涙を拭いつつ、新太はこの思いがけない優しい出会いに心底感謝していた。  ……残念ながら、彼の中に現状を変えるほどの力は残っていない。ただ、今日は乗り切れた、明日もなんとかしなければ、それだけであるのだが。 「ありがとうございます……少し、すっきりしました」 「そうかいそうかい、そりゃ良かった。まあこんな時間だけどさ、少しでも寝て明日も頑張れよ、兄ちゃん」 「あ……そう、ですね……」 「ん? どうした。まさか持ち帰りの仕事があるのか?」 「ええと……実は……」  穏やかな男性の雰囲気に、つい気が緩んだのだろうか。  新太はこの数ヶ月、自分が酷い不眠症に悩まされていることをぽつぽつと話す。  少ない給料を注ぎ込んであらゆる安眠グッズを試し、安眠系のサプリはレビューサイトが作れそうなほど飲みまくったけれど、それでも何一つ効果は無かった、正直お手上げなのだとため息をつけば「……そう言う問題じゃ無い気がするんだけどなぁ……」と男性は呟き肩を竦めた。 「え?」 「ああいや、何でも無い。そうかそんなに寝られないんじゃ、疲れも取れないよな。……そうだ、兄ちゃん良かったらこれを試してみないか」 「これ……? ええと、何でしょうこれは」  男性はまたもやカバンに手を突っ込むと、今度はビニール袋に包まれた何かを新太に手渡してきた。  どうやら何かの布らしい。折りたたまれた製品は深い紺色、厚さからしてハンカチにしては少々大きいように思う。 「枕カバーなんだ」と一緒に渡された名刺に書かれた名前は、疲れ目のせいだろうかぼやけて良く読めないが、肩書きに「寝具店」の文字が躍っているのだけは見て取れた。 「俺さ、寝具店を経営してるんだよ。といっても家族経営の小さな店だけどな」 「へぇ……社長さんなんですね。っと、すみません色々気安く話しちゃって」 「そんなこと気にしなくていいって! でだ、それは取引先から貰った枕カバーの試供品なんだけど、ちょっと面白い品でな」 「面白い……? というかこの『願いが叶う枕カバーって』」 「凄いキャッチコピーだろ? 胡散臭い事この上ないよな!」  モノはいいんだぜ? と男性に勧められ、新太は半信半疑で袋を開けてみる。  ぴっちりしたビニール袋から取りだした織物が肌に触れた途端「あへぇ……」と変な声が新太の口から漏れた。 「な、何これ……凄いすべすべというかつるつるというか……うわぁ、めちゃくちゃ気持ちいい……」 「そうなんだよ。何でも製法は企業秘密らしいんだがな、一応高級寝具ブランドの製造にも関わっているメーカーだから質は間違いない」 「分かります、この感触……いつまでも触っていられますね」  生まれて初めての感触に、疲労も相まってか新太のテンションはだだ上がりである。 「願いが叶うかどうかはともかく、これを枕にセットしたらそりゃ気持ちよく寝られると思うわ」という男性の言葉も頷けるなと、新太が無意識に頬ずりしていれば「それ、やるよ」と思いがけない言葉が彼から飛び出した。 「え、でもそれじゃ」 「試供品は一つじゃないから大丈夫だ。兄ちゃん、そんなボロボロになるほど寝られてないんだろ? なら騙されたと思って、ついでに願掛けでもして寝てみりゃいい。もしかしたら本当に良い夢が見られるかもしれんぞ?」 「ええー……」  頬ずりするほど気に入ってくれたんなら、枕カバーだって本望だろ! と笑いながら、男性は席を立つ。  その言葉にようやく自分の行動を自覚した新太は、真っ赤になりながら「あのっ、ありがとうございます!」と深々と頭を下げた。 「んじゃ、俺ここだから。寝られたらまた教えてくれよな!」 「えっ、あのっ、ちょ」  電車の扉が開くなり、男性はじゃあな! と手を挙げてさっさとホームに消えていった。  慌てて席を立ち扉の向こうを見るも、既に彼の姿はない。なんて足の速い男性なのだろうか。 「…………怪しいけど……悪い人じゃなかったしな……」  諦めて新太は再び座席に座り直し、くたりとした紺の織物を眺める。  良く見ると片方の端はほんのり桃色がかっていて、まるで夜明けの空みたいだなと、学生時代に山の頂上で迎えた朝を思い出した。 「……朝、かぁ」  あの頃のような心に一点の曇りもなく、そして頭に霞の一欠片も無い朝など、一体いつから忘れてしまったのだろうか……  寂しげな表情で感傷に浸る新太を乗せて、電車は更に郊外へと走り去っていく。  ――そんな電車をホームで見送る男の姿があったことなど、知る由も無い。 「やっと渡せた……ったく何日も家に帰れない生活とか、奴隷の仕事より酷いじゃねえか、この世界はよ! ああ、だがやっとだ! やっとこれで俺も、元の世界に戻れる……!!」  王子様、しつこいお告げの通り騎士様にはちゃあんと渡しましたぜ――  何かをやり遂げた充実感で様子で彼が拳をグッと握りしめた瞬間、構内に一陣の風が吹く。  次の瞬間、そこにいたはずの人影は誰の目にもとまらぬまま、静かに消え去っていた。  ◇◇◇ 「はあぁ……やっと帰ってきたぁ…………」  それから30分後。  ようやく1週間ぶりの我が家に辿り着いた新太は、靴も脱がずに玄関でパタリと倒れていた。  久々にネットカフェのシャワー生活から解放されたというのに、もう身体はバスルームまで行くだけの体力を残していないようだ。 (筋肉って、いくらあっても何も解決してくれないよな……)と少し悲しく思いながら、新太は布団に行く努力をあっさりと放棄する。 「あ、そうだ。せめてこれを敷いたら……」  このまま今日も夜明け頃まで冷たい床を感じて、少し眠れたかと思えばすぐにスマホのアラームで叩き起こされるに違いない。だが、せめて長く孤独な夜にほんの少しの潤いを……と、新太はカバンに放り込んであった織物をするりと取りだし、頭の下に敷いた。  ……残念ながら薄い織物では、床の硬さを紛らわすには少々無理があったようだが、この際細かいことは気にしない。 「やっぱりするするで気持ちいい……ふふ、あーこれは安らぐぅ……」  こんな固い床の上ですら、頬に当たる蕩けるような感触にうっとりしてしまうのだ。安物とはいえまともな枕にセットして寝転がればどれだけ気持ちいいだろうと、新太の口元が久しぶりに綻ぶ。 (そういや、願い事が叶うとか言ってたっけ……願い事……んー、何も思いつかないな……)  男性の言葉を思い出し、暫く何か無いかと考えるも浮かぶものは見事になくて、新太は取りあえずこの織物の感触を堪能することにした。  大体、何かに希望を持つにはこの生活は少々過酷すぎるのだ。すり減った心は自ら感受性を封じ込め、絶望を防ぐために期待という概念を捨て去ってしまうから。 (ああ、でも……)  とその時、新太は不意にすぅ……っと意識がどこかに引き込まれるような感覚を覚える。  そしてこれが入眠の感触であったすら思い出せぬまま、大きな身体は一気に夢の世界へと沈んでいった。 (たまには……まともなご飯も食べたいな……)  ――意識が暗転する瞬間、あまりにも不憫な願いを心の奥底でそっと囁きながら。  ◇◇◇  夢の中でもくたびれたシャツを着たままというのは、どうにも落ち着かないものだ――  そうぼやいてようやく、新太は自分が夢を見ている……あれほど焦がれた眠りの世界にいることに気付く。 「あれ、俺もしかして……寝れた!? え、あの枕カバー本当に効果があった!?」  ガバッと起き上がると、そこは見たこともない部屋だった。  いや、これは部屋なのだろうか。扉もなければ壁もない、ただ白い空間が延々と続いているだけである。  気温は温かくも寒くもなく、さっきまでべたついていたシャツの気持ち悪さも感じないから間違いなく夢の中だろう。  それにしても、ここの空虚さはまるで今の自分みたいだなと、新太は力なく自嘲する。  いざ夢の中に飛び込んでさえ、現実の続きのような格好をしているのだ。思い切って空の一つでも飛べれば多少気は晴れそうなのに、世の中そこまで上手くはできていないらしい。 「……しかし、どうすっかな……夢の中でまでやることを考えるってのも変だけどさ……」  参ったなぁ、とその場に座り込みポリポリ頭を掻いていれば、突如しゃらん、と涼やかな音がどこからか響いてきた。 「……? 何の音だ?」  しゃらん……しゃらん…………  まるで金属が触れ合うような、軽妙でありながらどこか荘厳さを感じる音は、少しずつこちらに近づいてくるようだ。  新太は辺りを見回し、耳を澄ませ、そして 「っ、上!?」  しゃらん……  はっと音のする方を見上げれば、そこには 「……ヴィナ」 「…………!!」  艶やかな黒髪に金色のバイカラーが輝き、どこまでも澄み渡った琥珀色の瞳を持つ美しき人が、白と青を基調にした豪奢な衣装に身を包んでこちらを見つめていた。 「…………うわぁ……」  現実の続きのような寂しい夢かと思ったら、これまたとんでもないものがぶち込まれた、そう新太は目を丸くする。  ふさふさとしたまつげに大きな瞳、くっきり弧を描く細い眉。肩まで伸びる少し癖のある髪は手入れが行き届いていて、夢の中でも良い香りがしてきそうだ。  小さな桜色の唇は何とも蠱惑的で、胸に当てられた手はすらりと細く……よくまあここまで自分の好みを詰め込んだキャラを作り出したものだと、我ながら感心してしまう。 (……俺、相当欲求不満なのかな……いや目の保養というか最高すぎるけどさ)  少々股間が危険な気もするが、何せこれは夢だ。ご無沙汰な息子さんが元気になっても何も問題はあるまい! と開き直ってその姿を穴が開くほど見つめていれば、どこもかしこもキラキラと輝いているように見える目の前の人は、どこか恐る恐るといった様子で「ヴィナ、か……?」と新太に話しかけてくる。  その声が存外低くて、ようやっと新太はこの麗しき人が男性であることに気付くのだ。 (えええ、こ、この容姿で男ぉ!? 見た目が俺の好みど真ん中なのに男だなんて、ちょっと夢の中まで屈折しすぎだろ、俺!!) 「……ヴィナ?」 「え、あ、はっはいっ! そうです毘奈ですっ! あ、ええとお兄さんは……どちら様ですか?」 「…………!!」  見た目から察するに、目の前の青年は外国人設定なのだろうか。新太を名字で呼ぶ音もどこか響きに舶来の雰囲気が漂っていて(どうしよう、俺の好みが俺にも分からない)と少々混乱を覚えつつ、取りあえず名字を呼ばれた新太はおずおずと彼に名前を尋ねる。  だが、その言葉を聞くなり青年は愕然とした表情を浮かべ「そんな……!」と今にも泣き出しそうな声をあげた。 「えっと、あの、もしかしてどこかでお会いしましたっけ? あれ、夢の中だからかな……すみません俺、最近物覚えも悪いから忘れてしまっているのかも」  本当にすみません、と大きな身体を縮こまらせてぺこぺこ謝る新太を、目の前の青年は言葉もなくただ悲しそうに見つめるのだった。

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