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甘露の逢瀬(3/5)

 そう、これはその、神様から誘われたもの。だから、こんな大男がたおやかな美青年の膝を枕にして甘えても、罰は当たらない……!  頭の中がぐるぐるしながらも、無理矢理作った言い訳を何度も繰り返し「これは明日尊死してもおかしくない」と興奮に震えながらその太ももに頭を置いたのが、30分ほど前。  適度な硬さと張りのある太ももに(これは悪くない、いやむしろ至福)と心の中でグッと親指を立て、促されるままに口を突いて出た新太の世界の話は、当然のごとく職場の愚痴ばかりで……今や短く刈り揃えた頭を撫でられながらとりとめも無い話を聞いて貰う、ちょっとしたカウンセリングの時間へとすり替わっていた。  何せ一つ愚痴をこぼす度に、この神様は自分が本当に欲しかった言葉を自然にかけてくれるのだ。そりゃ数ヶ月、いやこの4年間溜めに溜めた職場への不満が溢れ出しても致し方あるまい。 「なんと、最初から誰も仕事を教えてくれぬと言うのか!? それでどうやって仕事が成り立つのだ?」 「もう気合いと根性ですよ! 訳も分からず調べて作って、一応動くけど多分もっと良いやり方があるんです。でも、そんなことを教えてくれる人はいなくて……」 「……なんという扱いなのだ……お主は立派だぞヴィナ。よくぞそんな環境で死なずにここまで耐えてきたものだ」 「でも……今日だって散々社長に怒られたんですよ。4年も経つのに無能が過ぎるって……」 「それは、教えることを放棄した者が言って良い台詞ではないな。そもそも、私のヴィナが無能なはずがあるまい! 不遇な境遇から功を立て、自らの道を切り開いた騎士をここまで粗末に扱うとは、お主の雇い主は節穴であろう! まったく、ここに連れてこれたなら私が三日三晩説教してやるというのに!!」 「え、ええと……? ありがとうございます……?」 (騎士……? 何かよく分からない言葉が混じってるけど、神様が褒めて下さってるからまぁいいか)  職場での扱いを愚痴れば、麗しい神様は我がことのように憤慨してくれる。  本当に悪いのがどちらかなんて、もうこの際どうでも良い。ただ、推しが全力で自分を肯定してくれている、その事が何よりも嬉しくて堪らない。 「私は悔しいぞ、ヴィナ」と心底歯がゆそうな表情を見せた彼は、やおら額に手を伸ばす。  そうして右眉に向かって刻まれた三本の太い傷跡を、そっと指でなぞった。  ――何故だろうか、そこに込められた熱は、決して新太の不遇を嘆いているだけではない気がする。 「これとてお主の強さを表す勲章であろう? 私を守りぬいた」 「……え?」 「……っと、いや、なんでもない。とっともかく、これもお主が戦ってきた証であろう? 戦傷は男の勲章だ、そんな傷を負うほど過酷な環境で生き延びてきたお主を、私は素直に尊敬する」 「ええと……そんな尊敬だなんて……」 「当然だ、お主はそれだけの価値がある男だからな!」  どこか愛おしげに額の傷を撫でる神様のかんばせは、いつも通り美しくて……けれど何故だろう、ちょっとだけ胸が締め付けられる。  ……それは多分、過分な評価と盛大な勘違いのせいだ。 (すみません神様、それ、俺が戦ってきた相手はただの疲労と睡魔でして……なんて言えないよなあ……)  まるで獰猛な獣と戦って負った傷にしか見えない、三本の傷跡。これがあるお陰で見た目のごつさに凄みが加味されて、変な輩に絡まれないという意味では非常に役立っている。  ……しかもその傷の正体が、立ったまま意識を失いあちこちにぶつけた結果(×三回)であることは神様ですら見抜けないことが、まさに今証明されてしまった。 「うむ、自信を持つが良いぞヴィナ。お主は誰が何と言おうと強くて賢い男だと、私はよく知っている!」  きっとここで出会うずっと前から自分を見ていて下さったのだろう、己の好みを煮詰めて出来上がったような神様に断言されて、新太は(どうしよう、あまりに都合が良すぎて逆に恥ずかしくなってきた)とムシュカの膝で内心悶えながら、すり切れた心に温かな何かが流れ込んでくるような時間を過ごすのである。  ◇◇◇  一方、うっかり『ヴィナ』の話を暴露しかけたムシュカは(危なかった……!)と心底胸をなで下ろしていた。  これはいけない。ノリで膝枕を提案してしまったが、愛しい人の重みを感じながらチクチクする黒髪を撫でる穏やかな時間は、どうも恋心が暴走してうっかり在りし日の彼を盛大に語りたくなってしまう。 (……気をつけねば。これほどやつれたヴィナに、余計な負担をかけてはならない)  涙ながらにブランケットに願いをかけたあの日、ムシュカは静かに誓った。  全てを忘れてしまった愛しい人の記憶は、必ずや胃を掴むことで取り戻してみせると。  今だってその気持ちは変わらない。何なら今すぐにでも思い出してほしいと願うのは、恋人としては当然であろう。  だが残念ながら、ムシュカはどこまでも王族だった。そして今は、愛し子の神様でもあった。  絶大な権力を持つが故の自制と、民への献身を幼い頃から叩き込まれた彼にとって、優先すべきは己の恋心より弱り切った愛しい人の健康となるのも無理からぬこと。 (今の状態で記憶を取り戻せば、きっと新しい世界を歩むヴィナを混乱させ、苦しめてしまう。……まだ、良いのだ。お主が現実で本当の笑顔を取り戻すまで待つくらい、造作も無い)  だから今は、時折鼻を啜りながら延々と己の境遇を語り続ける愛し子に、最大限の祝福を与えよう……  ムシュカは、かつて奴隷身分であったときとは比べものにならないほど悲惨な環境を知る度(ヴィナよ、いくら憧れの黒髪を欲していたとは言え……もう少し転生先は考えるべきではなかったのか?)と諭したい気持ちを抑えながら、ただ彼を肯定し続けた。  ――まあそれはそれとして、ムシュカの内心は穏やかな笑顔とは裏腹に、すっかりフィーバータイムに突入していたのだが。 (ま、まさか……『あーん』を受け入れるに留まらず、あのヴィナが私に触れているとは!! それも膝枕だぞ、膝枕!! くうぅ、今日は何という素晴らしい日なのだ! そうだ、そのままとっとと私を思い出して襲ってくれても良いのだぞヴィナ! あ、いや、しかし下手に記憶が戻れば、またもじもじヴィナに戻ってしまうのでは…………はっ、今私は何てことを!!) 「むにゃ……かみさまぁ……」  すっかり喋り疲れたのだろう、夢の中でまで眠りに落ちる新太の穏やかな顔に向かって、ムシュカは一人「すまないヴィナ……私はお主と愛し合いたいばかりに、記憶など戻らなくてもいいのでは? と思ってしまった……本当にすまない……」と懺悔を繰り返すのであった。  ◇◇◇ 「ふあぁ……もう朝かぁ…………」  聞きたくないアラームの音に顔を顰めながら、新太はもぞ、と寝袋から這い出してくる。  少し肌寒さを感じる季節のお陰で寝起きのべたつきは随分ましになったが、流石に昨日と同じ格好ではまずいだろう。 「……寂しいな」  まだ夜も明けきらない6時前、新太はロッカーに常備してある着替えと洗面道具を片手に、商店街のネットカフェへと向かう。  どこもかしこもシャッターが閉まった通りに靴の音を響かせると、まるで世界の全てから拒絶されているような気分になって、眦にじわりと涙が浮かんだ。  ――そう言えば、寂しいなどと言う感情を感じたのは、いつ振りだろうか。 「あ、先に朝飯も買っておくか……昼は……どうすっかな、今日も食べてる時間は無さそうだし」  イートイン付きのコンビニに人の温もりを感じるのは流石にどうかと思うと自嘲しつつも、新太は吸い込まれるように店内へと足を踏み入れる。  真っ直ぐに向かうのは、ゼリー飲料のコーナーだ。ずらりと並ぶカラフルなパッケージが目を惹くが、正直腹に入れば皆同じ、味の違いなど感じたこともない。 「……味……ああ、昨日のもやしはほんっとうに美味しかったなぁ……」  手に当たったものを適当にかごに放り込もうとした新太の手が、ふと止まる。  あれほど苦手だった食材の美味しさを知り……いや、夢の中とは言えこの一ヶ月間、毎日のようにたらふく美味いものを食べ続けたせいだろうか。何故か今日は、この手軽な朝食が妙に色褪せて見えて。 『何かをしながら食事をするなど……ヴィナよ、それはあまりにも食を冒涜しているのではないか?』 (そんなこと、考えたこともなかった)  暫く逡巡した後手を引っ込めた新太は、店内をのしのしと移動する。  その足が再び止まったのは、弁当のコーナーだ。  普段は食べる時間が無いからと見向きもせず、ときおりおにぎりに手を伸ばすだけの場所。 (……神様のご飯は、いつだって楽しい)  新太は無言で、新製品と銘打った弁当をかごに入れる。  特に美味しそうとか、食べたいとか何かを感じたわけではない。ただ、何となく――試してみたくなったのかも知れない。 「…………」  何故か彼のちょっと憤慨した言葉が、どうにも耳から離れなくて。  気がつけば新太は、かごにおにぎり二つとサラダ、そしてペットボトルのコーヒーを追加し「温めますか?」と事務的に尋ねる店員に「弁当だけお願いします、あとお箸を」と小さな声で答えていた。 「ふぅ……」  温め終わった弁当を手に、新太は店の片隅にあるカウンターの一席に腰掛ける。  窓の向こうには少しずつオレンジに染まる空が広がっていて「あの織物の方が……ずっと綺麗だな」とひとりごちながら、弁当の蓋を開けた。  ――目の前で湯気を立てるのは、なんの変哲も無いコンビニ弁当だ。神様の用意して下さる料理とは香りも、きっと味も何もかもが違う、ある意味では今の自分にぴったりの食事。  それでも。 (……向き合えば、こんな食事でも楽しくなるのかも知れない)  道行く人に見られるのはちょっと恥ずかしいなと思いながらも、新太は大きな身体を丸めて、そっと手を合わせ 「……いただきます」  ちょっと歪に割れた割り箸で、パサついた米を口に運ぶのだった。  この日以来、夜明けのコンビニで温めた弁当とサラダを頬張り、白む空をコーヒー片手にぼんやり眺めるのが新太の日課となる。  相変わらず昼は食べたり食べなかったりだったが、少なくともあのアルミパウチの棚に新太が手を伸ばすことはなかったという。

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