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一縷の曙光(3/6)

 初めはただの権力欲と、醜い嫉妬だった……その事を否定はしない。  だが今、謀略の原動力となりこの身を突き動かしているのは、そのような取るに足らない煩悩と感情論などではない。  そう、全ては、この国の繁栄と安寧のために―― 「急な来訪を受け入れて下さり感謝します、ラグナス大公令嬢、レナ殿」 「……そのような堅苦しい言い回しはよした方が良くてよ? 余計に胡散臭さが増しますわ、ダルシャン」 「…………はぁ、仮にも敵陣に、それも本拠地に乗り込むのにいつもの軽口など叩けるわけがないでしょうが」  昼間の熱気もようやく落ち着いた夜更け、レナは珍しい客を応接室で出迎える。 「西国からの輸入品ですよ」と手渡されたオレンジ風味のショートブレッドに「……あなた、本当にお茶請けのセンスだけはよろしいですわよね」とレナはため息をつきつつ、侍従にコーヒーを用意させた。  淡泊な味わいの中に柑橘の香りがアクセントを添える軽食なら紅茶も捨てがたいが、夕餉の後の一杯はやはり練乳と砂糖をたっぷり効かせたコーヒーに限る。 「それで、何を企んでいるのかしら?」 「はぁ、全くレナ嬢は私のことを何一つ信頼していないらしい」 「当然ですわね。……まさかわたくしが何も知らないとでも思って? ムシュカを泣かせた男を、ショートブレッド如きですんなりと許せるはずがありませんわ」  言葉の端々に棘を混ぜながらこちらを警戒する言葉とは裏腹に、レナの手はすっとダルシャンの持参した茶菓子に伸びている。  良くこんなパサついた茶菓子を好むものだと内心呆れながらも、ダルシャンは「何も知らないのはあなたの方ですよ、レナ嬢」と口火を切った。 「そう、あなたはまだ何も知らない。今、殿下の身に何が起きているのかも……それが国家を揺るがしかねない大事件であることも」 「…………どう言うことかしら」  下らない話なら、そのお綺麗な顔にたっぷりコーヒーを浴びせてあげますわよ? とこめかみに青筋を立てて笑みを浮かべるレナに「おお怖い怖い」と肩をすくめおどけた様子を見せながら、しかしダルシャンの瞳は笑っていない。  これは確かにいつもの軽口で終わる話ではない――明らかに異質な雰囲気を感じ取ったレナの顔から、すっと笑みが消えた。 (こんな夜更けに、しかも政敵の家に堂々と乗り込んで密談……流石にただ事では無さそうですわね) 「いいですわ、話くらいは聞いて差し上げましょう」 「それが賢明でしょうね。……さて、どこから話すべきか」 「あまりまどろっこしい話は好きではないのよ、誰かさんと違ってね」 「……これは失礼。では、結論から」  すぅとダルシャンは目を細める。  そうして真っ直ぐレナを見据えたまま……昼間には決して出来ない世迷い言を口にしたのである。 「……レナ嬢。私と共に殿下を……いえ、呪いに取り込まれたムシュカを廃嫡させましょう」  ◇◇◇ 「な、にを……」  一瞬の冷たい静寂を切り裂いたのは、レナの怒号であった。 「っ、ふざけないで!! あなた、今自分が何を言っているのか分かっておりますの!?」 「当然です。私はいたって正気ですよ? 今日のコーヒーはあなたの好みに合わせたのか、練乳が随分多めだと分かるくらいにはね」 「なら余計に言葉を慎みなさい! 私的な場とは言え、反逆者を気取るならわたくしもそれなりの対応を取らせて頂きますわよ!!」  ガタン! と椅子の倒れる音が、静かな応接室に響く。  息を荒げ興奮にほんのり頬を染めたレナの気迫にも怖じ気づくことなく、罵声に顔を顰めたダルシャンは「だからどこから話すべきかと思案したのですよ」ともったいぶって首を振った。  こんな状況でもどこか優雅さを感じさせる所作は、余計にレナを苛立たせる。  いっそカップでも投げつけてやろうかと思わずレナの手がのびるものの、その先はダルシャンの思いがけない言葉で制された。 「……あのブランケットは、ただの安眠道具ではないのですよ」 「ブランケット……? ムシュカが使っている、封印庫にあったまじないの寝具の事かしら?」 「ええ、実はあれに関して少々気にかかることがありまして、独自に調査を行ったのです。……なにせ火にくべても燃えない、ハサミを入れても切れない布だなんて、少なくとも私は見たことも聞いたこともありませんから」 「…………あなた、本当に碌でもない事ばかりしてますわね……そんなだから、ムシュカに袖にされるのですわよ?」  おおかた夢で出会えるかつての恋人から心を離さないムシュカに焦れての行動だろうと、レナは大きなため息をつきつつも先を促す。  こんな状況で嘘をつくほど、ダルシャンは軽率な男ではない。まして政敵である自分に謀反の共謀を提案するくらいだ、その調査とやらの信憑性は高いのだろう。  ――それに、いつまで経ってもその心が現実には向いてくれないムシュカの笑顔を思い起こし、彼女の胸がちりりと焼け付いたのも事実だから。 「最初は捕らえた野盗に話を聞いたのです。彼らはこの国の民ですが、首謀者は東国の魔法使い……ならば、盗品について何かしら話を聞いているのではないかと思いまして」  あのメイドを使った謀略が失敗した後、ダルシャンは密かに織物についての調査を進めていた。  国が管理する古文書を調べるにしても、封印庫に関する記録に触れるにはそれなりの権限を必要とする。噂に聞くにはあの寝具は東国のものらしいから、もしかしたらあの事件に関わった連中に聞く方が早いかもしれないと考え、改めて尋問を行わせたのである。  果たして、ダルシャンの読みは見事に当たっていた。  首謀者は野盗達に盗品の売買については特段の指示をせず、その利益も野盗達で山分けして良いとは言ったものの、この寝具に関しては決して自分では使うな、なるべく早く売りさばけと助言を受けていたらしい。 『東国にかつて存在した民族のまじないは、異民族には呪いになる。同じ東国の民であっても、夢に閉じ込められるものが後を絶たなかったからな』  彼の言葉に従い、野盗は早々に寝具を手放す。  結果としてその寝具を仕入れた露天商から足が付いて逮捕へと繋がったのは、どうにも皮肉な話である。 「夢に、閉じ込められる……」 「私も俄には信じられませんでしたがね。その後依頼した学者の調べによれば、確かにこの国の古い記憶にも、そして東国にも同様の事例が散見していたのですよ。――かつて戦利品としてこの国に渡ってきたあの寝具は、功を立てた貴族が所有していたそうです。ですが、寝具を使用した者が次々と倒れ、そのまま一度も目を覚まさずに命を落とす事件が続き……国は呪いの寝具として当然処分を試みたもののそれもかなわず、致し方なく封印庫で厳重に保管することとなった、と」 「ですが、ムシュカは閉じ込められてはいませんわよ。あれから毎日使っているにも関わらず、ちゃんと毎朝すっきり目覚めておられますわ。であれば、彼に呪いはかかっていないのではなくて?」 「正確には、呪いが不完全にかかっているというのが正しいですね。実際あのブランケットは殿下の傍から離すことが不可能なのは証明済みですし……そもそも呪いの内容はただ夢に閉じ込めることではない、寝具が見初めた相手の願いを夢で叶えるというものですから」 「!!」 (願い……まさか)  瞬間、嫌な予感と共にレナの脳裏に浮かんだのは、彼が寝具に願ったであろう、在りし日のヴィナの姿。  ダルシャンも恐らく同じ結論に辿り着いていたようで、少しぬるくなったコーヒーに口を付けながら「……叶わぬ願いをかけたと思われる以上、呪いを解く方法もないのですよ」とどこか残念そうに呟く。 「……呪いが解けない?」 「ええ。持ち主の願いが叶い、更に新しい持ち主を寝具が見つけること。この二つの条件が満たされない限り、殿下は死ぬまであの織物の呪縛に……幻の幸せに捕らわれたままです。正確な願いは分かりませんが、あの奴隷上がりに再会することを望んだのは間違いないでしょうから」 「あ…………」 「…………死んだ人間を蘇らせる方法は無い、そういうことです」  一気に説明を終えたダルシャンは、ふぅ、とため息を零す。  いつしか茶菓子に向かうレナの手も止まり、夜更けになっても止まない外の賑わいが嘘のように、応接室には重苦しい空気が流れていた。 「……」 「…………」  ほのかに部屋を照らす蝋燭の明かりが、小刻みに揺れている。  部屋に流れるのは、小さな衣擦れの音と、ため息と……そして時折コーヒーを啜る音だけ。  希望と、絶望と、躊躇いと……そんな渦巻く感情の反応を、一体幾度繰り返しただろうか。 「……それ以外に、方法はありませんの?」  静寂の中に響くレナの呟きは、決して疑問でも否定でもなく……ただの確認でしかなかった。 「残念ですが」と返すダルシャンの顔に浮かぶのも、決して喜色ではない。  ――当たり前だろう、例え政略結婚であったとしても王太子として敬意を払っていた有能な青年の未来を、これから自分達は奪わなければならないのだから。 「生涯呪われたままの殿下を即位させることは、当然容認出来ません。確かに今はまだ夢から目覚めておられますが、いつ永久に夢という牢獄に捕らわれるかも分からないのですから。それに、呪われた寝具をそのままにしておくことも出来ないでしょう。寝具が呪いをかけるのは一度にただ一人と明記されていない以上、あれは一目の触れぬ所に厳重に……永遠に封印すべきものです」 「っ、ダルシャンあなた、それはいくらなんでも……!!」 「……レナ嬢。この国のことを真に思うならば、我々は非情にならねばならない。あなたが殿下をどう想っているのかはよく知っていますが……大公家と宰相家、この国を支えお守りする立場にある我々にとって、此度の事件は恋心などに振り回されていい問題ではないのです!」 「っ……!」  さあ、決断を。  そう無言で問いかけるダルシャンの目に映るのは、グッと拳を握りしめ大粒の涙を一つ零す、苦渋に満ちたレナの姿。 (ヴィナ、あなたはどうして……死してなおムシュカの心を手放してくれないの……!?)  そしてその鼓膜を揺るがすのは 「……あなたが……あなたたち宰相派が権力欲に溺れてヴィナを暗殺しなければ、こんなことにはならなかった! ムシュカは……ずっと幸せでいられたのですわ、たとえわたくしの恋が実らなくたって……そのほうが、ずっと……!!」  胸を抉るような慟哭を伴う、レナの同盟受諾の叫びであった。

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