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一縷の曙光(5/6)

 ちゃり……カチャ……  格子状に区切られた月が覗き込むのは、簡素な居室。  狭いベッドに木製の椅子とテーブルが一つずつ、備え付けの棚と共に床に固定されている。  衝立で区切られた向こうにあるのは、申し訳程度のシャワーブースと便器……そんな狭苦しい空間の中に響くのは、銀の枷とこれまた銀で作られた特製の食器の音だけ。 「……幽閉の身であっても、食を疎かにはさせぬ……我が国の良さをこのようなところで実感するとはな」  前に付け替えられた手枷を鳴らしながら、ムシュカは遅めの夕餉にありつく。  ここに来るまで身に付けていた礼装は全て取り上げられ、代わりに与えられたのはここ「新月の塔」で収容者に支給される生成りの麻でできた裾の長い上衣だけだ。 『下着? そんな物はありませんぜ。殿下……じゃなかった、ムシュカ殿の足枷は週に一度の診察時以外、外すことを禁じられてますからな、下着など着けようがないでしょうが』 『朝と夕の水浴びと着替えの時には監視の上で手枷を外しますから、ここでの生活に支障は無いでしょう。……どうせ死ぬまでこの部屋からは出られませんし』  収容後じろじろと身体を舐め回すように眺め下卑た笑いを向ける看守達には、さしものムシュカも声を荒げかけたのだが、それより早く塔への護送を担当した騎士団が剣を抜きかけ一触即発となったお陰で怒る機会すら逃してしまったな……とムシュカは鎖を鳴らしながら麺を啜る。 「ほぅ……美味い。ここの魚団子は味が濃いな……」  透明なスープに魚のすり身団子がいくつも浮かんだ麺は確かに美味だが、個人的にはこの黄色い小麦の麺よりは平たい米麺の方が好みだなと、ムシュカは独りごちる。  だが、こんな状況でも美味い料理が食べられる事が保障されているだけでありがたいと、供された麺はスープの一滴まで飲み干した。 「うむ……美味であった」  誰に言うでもなくムシュカは感謝を独りごち、じゃらじゃらと音を立てて扉の方へと向かう。  食べ終わった食器は食事の配給と同様、鉄の扉の下部にある隙間から廊下に返しておけば回収される仕組みらしい。  扉にはドアノブが存在せず、更に外から二重の鍵で施錠されているから自分で開けることは不可能だし、何より足枷から伸びる鎖は両の足首を戒めるのみならず、部屋の中をギリギリ移動出来る長さの鎖で床と繋がれているから、例え扉が開いたとしてもここからは出られない。  死ぬまでここから出す気は無い――そんな無言の圧力が、じわじわとムシュカの心に染みを作っていく。 「政務も、会食も、運動の時間すらも取れない……何も出来ぬというのも、なかなか苦痛なものだな。書物の差し入れも禁じられているとは意外だった」  これではむしろ夢の中に耽溺しろと言っているようだと口にしかけ、ムシュカはさっと顔色を変える。  ……言っているようだ、ではない。  むしろこの塔の統括責任者であるカルニア公は、廃嫡されたとは言え王族であった証――黒髪に混じる黄金のメッシュと琥珀色の瞳を持つ「不穏分子」を完全に夢に閉じ込め、物言わぬ木偶にしてしまいたいのだろう。 「呪われた元王族など……ただの災い、邪魔者に過ぎぬ、か……」  反論の余地がない、とムシュカは一人寂しく自嘲の笑みを浮かべる。  だが、そんなところまで彼らの思い通りになるつもりはない。確かにこの身はありとあらゆる物を失い、その手に残されたのは愛し子の待つ夢へと繋がる呪われた寝具だけだが、だからといって人としての矜持まで捨てた覚えはないのだから。 「それに……きっと……」  腰を下ろせば粗末なベッドはぎしりと嫌な音を立てる。  この際身体を横たえられるだけでも良しとせねばと、己を慰めながら外を眺めるムシュカの目に映るのは、煌々と輝く月ではなく……あの大広間で向けられた、数多の失望と悲しみの眼差し。  そして 『失意の最中、夢で願いを叶える織物などを手に入れれば、怪しかろうと手を出してしまうのは自然な道理、罪と責められるものではありますまい』 『殿下は不幸な呪いに巻き込まれてしまった被害者に過ぎません』  ――耳に届くのは、あくまでもムシュカをただの不幸な人として扱う彼らの哀れみを帯びた言葉だ。 「私は、願いをかけたことを後悔はしていない……だが、王族という立場を鑑みれば軽率ではあったな」  内省の呟きを聞き届け、呼応するかのようにぼんやりと光るブランケットに、ムシュカはそっと手を伸ばす。  その手触りは初めて触れたときから変わらぬ滑らかさと心地よさを保ち続けていて……いや、今日は何故だろうか、この長い一日を何とか生き延びた自分を慰めてくれるようにすら感じられる。 「それでも……いや、こうなった今だからこそ、私は……」  この部屋には時を測るものが無いが、月の位置を見るに普段ならばもうとっくに夢の中にいる時間であろう。  あまりヴィナを待たせては悪いなと、ムシュカはその身をそっと横たえ、ぎゅっと織物を抱き締めた。  地位も、家族も、友も……全てを失った今、私はヴィナの記憶という最後の願いに賭けたい――いや、信じたいのだ。 「……笑顔を、忘れぬようにせねばな」  あの愛し子の笑顔を二度と曇らせないためにも、自分は「神様」であり続けなければならないのだから……  ――どこか切羽詰まった祈りを胸に携え、今日もムシュカは織物によって夢の中へと誘われる。  ◇◇◇ 「あ……れ……? 珍しいな、神様……今日は寝坊かな? いや待て、この場合は起きたまま寝てないから……起坊……?」  いつものように万全の身支度を調えて夢の中へと飛び込んだ新太は、しかしかつて無い事態に戸惑いを覚えていた。  確かに前の職場を退職して以来、きっちり8時間の睡眠を取るようになった新太と神様の現れる順番が前後することは幾度もあったが、それでも新太が5分も待たないうちに神様はあの涼やかな音と共に降臨するのが常だ。  そのはずなのに……今日は待てど暮らせど、神様の来る気配がない。 「もう2時間……何かあったのかな、神様……」  こんな時、夢というのは不便だ。SNSで近況を確認することも出来ないし、何より自分は推しへの直接的な連絡手段を持たない。  ……いや、それは持っている方がおかしいとは思うけど。  大丈夫かなぁ、と新太が不安そうに白い空を見上げたその時「ヴィナ」と囁く声が、後ろから聞こえた。  いつもと変わらぬ穏やかな呼びかけに、ああ、やっぱり今日の神様は何かイベントでもあったのかも知れないと新太はすんなり納得し、満面の笑みで「神様!」と振り返って  ちゃり…… 「!?」  そのまま、ぴしりと凍り付いた。 「……ん、どうした? ヴィナ。ああ、今日は随分待たせてしまったな、すまない」 「あ、いえ……だっ大丈夫です! 俺だって以前は、神様を散々お待たせしていましたから!」  そこに静かに立っていたのは、確かに見知った神様だ。  艶やかな黒髪も、アニメに出てきそうな金色のメッシュも、全てを見通す琥珀色の瞳も……そして煌びやかな青と白の装束も何一つ変わらない、新太の推し神様。  けれど……推しだからこそ、新太は気付く。 (…………音が違った、それに)  神様の降臨時に鳴り響く筈の、細い金属の装身具が擦れ合う清らかな音は、今日は随分と濁っていて……まるでその身を戒める鎖か何かのようで。  いつもと変わらぬ微笑みで「腹が減ったであろう、まずは食事にせねばな」と右手をすぅと挙げるその姿は、いつも通りしなやかで、穏やかで……けれど、明らかに何かがおかしい。  そう、今日の神様はまるで在りし日の……消耗しきった心に気付くことすら出来なかった、自分そっくりではないか―― 「……ヴィナ?」  気がつけば新太の手は、そっとテーブルに伸ばされたムシュカの手首を握りしめていた。  思いもかけない行動に戸惑いを隠せない神様の顔を覗き込めば……眦は赤く腫れ、頬には明らかに新しい涙の痕が残っている。  ドクン (……いけない)  胸の奥で、何かが鳴り響く。  このままではいけない。いつものように美味しくご飯を食べて、他愛もない話を楽しんでも、今日の神様はきっと心から笑えない――!  ――お守りせねば  何かに突き動かされるように、新太は「神様」と手を握ったままムシュカを見つめる。  その強い眼差しに胸が跳ねたムシュカの気持ちも分からぬまま、彼はまっすぐに、彼の心を射貫くのである。 「神様……何か、悲しいことがあったんですか?」  ◇◇◇ 「…………!!」  一瞬泣きそうな表情を作ったムシュカを、新太は見逃さない。  当然だ、推しが落ち込んでいるなんて状況を許せるほど、こちとらヤワな推し活をしてきたつもりはないのだ。  ……美味しく食べていただけだろうが! という心のどこかからの突っ込みは、当然聞こえなかったことにする。 (ヴィナが教えてくれた通り、ここでは元の装束を再現出来た筈なのだが……顔に出てしまったか)  しくじったなと冷静に状況を判断し、新太を安心させようと口を開きかけたムシュカの弁明は、しかし「あのっ!!」とひときわ大きな新太の声でかき消された。 「その、神様……俺に何か、できませんか?」 「……ヴィナ?」 「俺……ずっと神様に助けて貰ってばっかりで。神様がいなければ、俺はこんなに元気になれなかったし、あのクソみたいな会社だって辞められなかった。全部、全部神様がいたから……そして美味しいご飯がたくさんあったから、今の俺があるんです」 「うむ、そこでさりげなくご飯を入れてくる辺りは、やはりお主だな」 「だから俺もっ!! 神様のお役に立ちたいです!! 推しを笑顔にしてこその推し活ですから! 夢じゃグッズも買えないしスパチャもできませんけど、俺っ神様が元気になるならなんだってします! いやマジで、命かけられますから!!」 「…………!!」  ぎゅっとムシュカの手を両手で握りしめ、真剣に推しへの愛を語り続ける大柄な青年。  異世界の概念だろう言葉も混じっていて全ては理解出来なかったが、ムシュカにもこれだけは断言できる。 『あなた様は命に替えても、お守りいたしますから』  ――やはりお主はヴィナだ。  私のために命を捨てることも躊躇わない、勇猛で、色恋にはとことん初心で、そして食いしん坊な……私のヴィナなのだと。 「…………全く、命には替えるなとあの時言ったであろうに……」 「……神様?」 「いや、何でも無い。それより」  ツンと鼻が痛くなるのを、ムシュカは必死に堪える。  震えそうになる声を整え、深呼吸を一つ。 (全てを失う最後の最後まで私は、王太子としての矜持を保ち続けた自負がある。だから、せめて夢でならば……許されるであろうか) 「ヴィナよ」 「っ!!」  ムシュカはそっとヴィナの手を取り、ソファへと誘う。  そしていつもの定位置に腰掛けると (今だけは……使えるべき主君でも、お主の語る推し神様とやらでもない、ただのムシュカとして在ることを……!) 「…………では今日は、食事の前に私の話を聞いて貰えるか?」 「……はい!!」  少しだけ寂しそうな笑顔で、ただ一人の人としての小さな甘えを、愛し子の魂にねだるのであった。

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