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愛し子と共に(2/5)

「ひぐっ……ひぐっ…………ふえぇん……」 「まったく、お主がここまで泣き虫だとは思わなかったぞ、ヴィナ……ぐすっ……」 「神様だってぇ……」  部屋に響く歓喜がすすり泣きに変わり、ようやく落ち着きを取り戻してきた二人は、ぐしゃぐしゃになった顔を見つめ合い、思わずぷっと笑みを零す。  こうしてずっと抱き合っていたいのはやまやまだが、服は涙と鼻水でドロドロだし、冷房も付けずに締め切った部屋でいるには7月の日差しは実に容赦がない。  何より、二人が腰掛けるベッドは先ほどから大変気の毒な音を立てていて、いい加減にしないとちょっとしたコントが発生してしまいそうだ。 「取りあえず服を何とかしましょっか」と新太はムシュカをもう一度だけぎゅっと抱きしめると、その場に立ち上がる。  離れるのは実に名残惜しいが、このままでは今日の寝床が床になること間違い無しだ。どうせ買い換える予定だったし、こうなったらダブルベッドにしようかな……と妄想で鼻を伸ばしながらTシャツに手をかけたところで、新太の動きがぴしりと止まった。 「ふぅ、確かに暑いな……ヴィナよ、窓を開けてもよいか? 風を……ヴィナ?」  視線の先にあぐらをかき、麻の上衣をぱたぱたと仰いでいるムシュカの首筋には汗がつぅと滴っている。  ……いや、それも非常に美味しい、じゃない目に毒なのだが、大変なことになっているのはもっと下の話で。 「つ、つかぬことを伺いますが、神様」 「どうした? 随分怖い顔をしているぞ、ヴィナ」 「…………その、お召し物の、しっ下は……」 「下? ああ、履いているわけが無かろう。塔で渡された服はこの上衣だけだ、下着を着けたところで足枷を外すことはできぬし……む、そういえば夢でも無いのに枷が外れておるな。ふふ、足を自由に広げられることの、なんと素晴らしい事よ」 「うあああああフリーダムに広げないでえぇぇ!!」  丈が長いとは言え、上衣の裾は膝すら隠せない。しかも今の神様は、あぐらでゆったり寛いでいるわけで……  奇声を上げてすぐに目を逸らした自分を、誰か褒めて欲しい。 「うっひょおぉっ!! あわ、あわわ……お、落ち着け新太まずはタオルとクーラーだ、神様に滴る汗のオプションは尊さが過ぎて致命傷に」 「……前々から思っていたのだが、お主、昔に比べて随分と叫び声の種類が増えておらぬか?」 「ふっ、増えもしますっ!! お願いです殿下、そこはきちんと隠して下され!! うああそんな格好で窓際ダメ絶対!! ほっほらそのタオルケットで覆って俺が死ぬ前に早くぅ!」 「ぬ? ……ああ、裾がまくれているのか」  必死にあらぬ方向を向いたまま震える手で股座を指せば、どうやらムシュカはあられも無い痴態に気付いたようだ。助かった、これは早々に下着を手配せねばと一瞬気を緩めたことを、新太は数秒後に全力で後悔する。 「なに、別に私は気にせぬぞ? 大体男同士では無いか、昨日あれだけ散々見て置いて今更減りもせぬであろう? ほれ」 「!!!! ほ、ほっ、ほれじゃないですうぅぅ! 今! まさに! 俺の理性がゴリゴリ削られてますから!!」 「ははっ、まったく私の愛し子はどこまでも初心だな。そうだな、こうやって少しは耐性をつけた方がよかろう? 何せ……これからはずっと一緒なのだからな」 「……ひょぇ…………」  ムシュカの言葉に、そして裾をまくり上げこてりと首を傾げる美麗な推し神様に、再び新太は口をポカンと開けたまま静止する。  そう、神様がこの世界にやってきたと言うことは、これからはおはようからおやすみまで一つ屋根の下で過ごすわけで、つまり神様のうなじとか胸元とかきわどいところを拝謁するサービスイベントが常設されて―― 「……か……神降臨、おそる、べし…………」 「今度はぴたりと止まってどうしたのだヴィナ、ってまた倒れるのかお主は! ああもう、そのままでは鼻血に溺れ死んでしまうぞ横を向けい!!」  なるほど、推しとは適度な距離から尊さの欠片を拾い集めてちょうど心地よくなるようにできているものだと、俺は今学んだ。  三次元に降臨した推しは、まさに最終兵器。命も墓も無限にあったところで足りやしない……  ムシュカに聞かれたら「お主の言うことはちんぷんかんぷんだな」と首を捻られそうな心の叫びを残して、新太は無理矢理二度寝を決め込まされるのである。  ◇◇◇ 「……これはまた、どうにも着慣れぬ薄衣だな……どうしたヴィナ、天を仰いで」 「神様、今日の俺は最推しに何度殺されれば落ち着くんですかね」 「それを私に聞くな。……ふふっ、見てみよヴィナ、ぶかぶかで肩がずり落ちそうだ。それに……石けんとヴィナのいい匂いがする」 「だ、か、ら!! そうやって無自覚に俺を尊死させないで下さいっ!! もうっ、服を買ったらすぐに着替えて下さいよ!」 「それで良いのか?……お主の身体はこれを望んでおるようだか」 「うああああ!! 殿下ともあろうお人が、そんな所をマジマジと見ちゃダメですうぅっ!!」  このままでは埒があかない、そう判断した新太は手持ちのシャツとパンツ、そして真顔で突撃したコンビニで手に入れた下着をムシュカに押しつけることで、何とか連続尊死の危機を脱する。  だが、代わりに展開された包囲網は……いわゆる彼シャツというやつだ。誰だこんな概念を考えた奴は天才か! と一目見た瞬間もう一度床と友達になりかけたのは、ムシュカには内緒である。  残念ながらこの神様は、我が主君であったころから無自覚に……それどころか意識的にも人を煽るのが非常にお上手であらせられたのだ。念願叶って思いを遂げたところでこの様子では大人しくならなさそうだと、新太は大きなため息をつきながらアクセルを踏んだ。 「おお……街が川のように流れていくではないか! 馬車よりずっと速いのだな、くるまというのは!」 「高速道路ですしね。下道だと馬車と大して変わらないっすよ」 「ふむ。しかしこれほどの速さで走るなら、獣も寄りつかなくて安心だな」 「……神様、この世界には魔熊のような人食い獣はそうそういませんから……」  表面上はすっかり元に戻ったように見えるものの、やはり幽閉の後遺症は残っているようだと、時折顔を顰めているムシュカの姿に新太はそっと心を痛める。  ただでさえ精神崩壊の危機にさらされていた上、この世界はかつて彼が愛した国とは比べものにならないほど刺激の種類も量も多い。暫くは自宅でゆっくり過ごしてもらうのが良いだろう。  ――なにせ、彼の帰る場所はもう、ここにしか無いのだから。 「しかし……このような札一枚で身分を証明するとはな。鏡も無いのに姿が映っているのはどうにも慣れぬ」 「それ、まだ動かないからましな部類ですよ。動く姿を切り取ったものもこの世界にはありますから」 「なんと……夢で市を見た時にも感じたが、この世界のからくりは魔法より凄いのではないか?」  ひとしきり外の風景にはしゃいで疲れたのだろう、助手席にくたりと凭れるムシュカがポケットから取りだしたのは、本来あるはずの無いこの世界の身分証明書……ムシュカの運転免許証である。  そこには、免許証でありながら輝くような写真写りの良さを発揮しているご尊顔と共に、彼のこの世界における情報が書き込まれている。 「鞍馬 ムシュカ 衣織……このややこしい線の塊が読める感覚は、どうにも不思議でならぬ」 「そういうものなんですね……文字の画数は多いですけど、音は殿下の名前も残っているし、何より『いおり』って名前は麗しい神様にぴったりだと俺は思いますよ」 「ふむ……包み、織りなすという意味だったか。まさに、あの織物に導かれてここに渡って来た身を表すかのようだ」  まるで最初からこの世界に存在していたかのように、ムシュカの来歴は子細に作られていた。  ご丁寧にも免許証と共にテーブルの上に置かれていた書類によれば、ムシュカは東南アジア系の父と日本人の母の間に生まれたハーフで、幼い頃に事故で両親を亡くし母方の祖父に育てられた事になっているらしい。  その祖父も既に鬼籍に入り今は天涯孤独の身。そして……新太のアパートで二人暮らしをしている。  リビングの本棚には明らかに見覚えの無い受験用参考書が並んでいたから、ムシュカは大学を目指しているという扱いになっているようだ。  確かにそれなら無職でも言い訳は立つなと、新太はチラリと助手席に目をやる。 (……あ、穴は開いたままなんだ)  かきあげた髪の合間から見えた耳にはなんの飾りも見当たらなくて、新太は少しだけ寂しさを覚える。東雲の織物は、残念ながら耳飾りまではこの世界に連れてきてくれなかったようだ。  そう言えばクラマ王国では老若男女問わず耳飾りをつけるものが大半で、美しい装飾を施した耳飾りを自慢し合っていたものだったなと、懐かしい記憶がふと頭を過って。 「……あの、殿下」  飽きもせず免許証を眺めるムシュカに、新太は前を向いたまま声をかける。  できるだけ平静を装って、けれどやっぱり耳は見事に赤くなっていて。  おや、とこちらを見つめる神様の視線に心臓を高鳴らせながら、カラカラになった喉を震わせ――だってこれは推しとしてじゃ無い、恋人としてだから――蚊の泣くような声で、けれどムシュカの耳にはっきりと届くように告げたのだった。 「その、耳飾りを……買いましょう。向こうの世界みたいなデザインは無いかも知れないし、俺の給料じゃ高価な物は難しいですけど……殿下の耳で涼やかに鳴る、素敵な耳飾りを……今度は俺から贈らせて下さい」 「……お主…………そのような嬉しい言葉は、出来れば私の目をしかと見つめて言って欲しいのだが。あと、当然お主と揃いの飾りであるな?」 「運転中に脇見したら事故りますよ? それとお揃いは、職場に着けていけないから……って分かりました! お揃いのにしますから仕事に行くときは無しってことで、そっ、そんな可愛い顔でむくれてもだめなものはだめなんですってばぁ!!」

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