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愛し子と共に(5/5)【完結】
「美味であったぞ、ヴィナよ。今度は私にこれの作り方を教えてくれるか?」
「それは構いませんが……本当に良いのですか? その、こんな魚団子麺でも……しかも神様にご飯を作らせるだなんて……」
「何を言っておる。お主が一生懸命考えた料理なのだぞ? それにな、私は確信している。少なくとも己の肉体を把握している分、お主よりはまともに包丁が使えるはずだと」
「ひどい」
珍しくおかわりをしてスープまですっかり平らげ、ベッドに座って外を眺めるムシュカの隣に、少ししょんぼりした様子の新太が腰掛ける。
「どうぞ、神様」と差し出された金属の筒に首を傾げていれば、新太が「そっか、缶は無かったっけ」と思い出しつつ、プルタブを開けた。
ぷしゅ、と小気味よい音を立てる缶に、ムシュカは興味津々のようだ。
「この世界では瓶だけで無く、薄い金属の筒や透明な樹脂にも飲み物を詰めるんです」と渡された缶はまるで氷のように冷たい。
「なんと、よく冷えた飲み物よ……台所にあったあの箱に仕掛けがあるのか?」
「ええ。冷蔵庫って言うんです。冷たく冷やすことも、凍らせることも出来るんですよ」
「……本当にここは異世界なのだな……珍妙なからくりだらけで、目が回りそうだ」
飲んでみて下さい、と優しい声で促され、ムシュカは缶に口をつける。
そうしてぐいっと煽った瞬間、その琥珀色の瞳をまんまるにしてぱちぱちと目を瞬かせた。
「な……なんだ、これは!? 口が、喉が弾けて、痺れて、焼けるようだ!」
「あ、あっちには炭酸も無かったっけ……それじゃダブルでびっくりですよね。……神様、これがお酒です」
「おさけ……ああ、あの夢の中で出てきた、ふわふわの泡が乗った黄色い飲み物か!」
「あれとは別の酒ですけどね。多分シュワシュワした感じと喉の焼ける感じは同じですよ」
不思議だ、実に不思議だと感心しきりで、ムシュカは一口、また一口とチューハイを口に含む。
どうやら口の中で弾ける刺激と、喉を焼く感覚が気に入ったらしく「激辛で無くとも喉と胃が焼けるというのは、実に面白い」とすっかりご機嫌だ。
しかし、確かあの時は年齢が足りぬと言われたはずだがと怪訝そうに愛し子を見上げれば、新太は悪戯っぽく笑ってスマホの画面を開いた。
「……暦は違いますけど、1年が365日なのはクラマ王国と同じなんです。で、今日は7月7日…………二十歳の誕生日、おめでとうございます、殿下」
「なんと……そうであったか。ん? 待て、つまり昨日はたった一日の差であの『びいる』とやらを飲めなかったのか!? くう、一日くらい容赦してくれても良かったであろう!」
「一日だろうが決まりは決まりですから。それに」
「それに?」
「……それに、少しでも未来に楽しみがあった方が、神様が壊れなくてすむかなって」
「…………それを言われると、言い返せないでは無いか……」
二人で肩を寄せ合い、ちびちびとチューハイに口をつける。
こんな穏やかな日を共に過ごせるとは、数ヶ月前には想像だにしなかったなと胸をじんと熱くさせる新太の目に映るのは、ベッドの上で淡い光を放つ寝具達だ。
「……俺、この織物は呪いなんてかかってないと思うんですよ」
幻想的な風景を前に、ぽつりと新太は呟く。
チラリとこちらを見上げるムシュカの眦はほんのり赤く染まっていて、どうやら初めての酒に少し酔っているらしい。
そのなまめかしさにゴクリと喉をならしつつも、先を催促するような視線に新太は言葉を紡ぐ。
「多分だけど、織物は願いを叶えていただけなんです、ずっと」
「……そうなのか? にしては、随分多くの者が夢に閉じ込められたと文献にあるのだが」
「それなんですけど……神様の話を聞く限り、それって閉じ込められたんじゃ無くて、自分から出てこないだけなのかなって」
元々この寝具は、恋愛成就のためのまじないがかかっていた。
夫婦となる儀式に臨む二人を見定めに来た神様に楽しい夢を見せ、機嫌を良くして婚姻の許可を得ることを目的としたまじないは、いつしか持ち主の願いを夢を通じて叶える力を得る。
「恋愛成就の願いが叶うと知っていたなら、きっとこれを手に入れた貴族が願うことも、恋愛がらみだったと思うんです。……今も昔も、あの国の貴族に恋愛の自由はありませんでしたから」
「それは……そうだな。王族はまだしも、貴族にとって婚姻は完全に政略であるから」
数百年に及ぶ歴史の中では、きっと諦めきれない恋心に翻弄された者もいたことであろう。
彼らが偶然にもこの寝具を知り、願いをかけ……夢の中でなら永遠に意中の人と幸せに過ごせると知ったとき、果たして恋心が確実に報われない現実に戻ろうとするであろうかと、新太は問いかける。
暫く静かに思案していたムシュカは、やがてかぶりを振り「無理であろう」と断言した。
その瞳に映るのは……己がせいで貴族故の悲嘆に堕としてしまった、利発な幼馴染みの震える拳。
――謝ったところで、彼女の傷は消えない。そもそも二度と会うことは叶わない。
だからせめて、彼女が穏やかな人生を全う出来ることをムシュカは生涯祈り続けるだろう。
「私は王族であった。王太子として我が国を、そして民を守り導くという宿命を背負っていた。そう、だからこそ私は夢でお主と出会い、どれだけ幸せな時間を過ごそうとも……現実を捨てることだけは出来なかったのだ」
「ええ。殿下はそう言う方です。恋心で己の責務を放棄するようなことは考えつきもしないと、俺はよく知っています。そんな殿下だから……えーと、その……騎士として命がけでお守りしなければと」
「……そこは、早くはぐらかさなくて良くなると嬉しいのだがな。しかし……それならばヴィナ、お主は何故夢に囚われなかったのだ? 確かに、お主が願ったのは恋の成就ではなかったが、推しを愛でるというのも似たようなものであろう?」
もっともお主は、出会ったときこそ疲れ切っていたが元は勇猛果敢な戦士だからなと隣を見れば、意外にも新太は気まずそうな表情をしていて。
どうしたのかと問えば「いや、俺の場合はそもそも……」と俯き実に恥ずかしそうに真実を告解する。
「……ほら、俺ブラック企業の社畜でしたから」
「しゃちく」
「あの頃は……その、逃げるって選択肢自体が俺の中に無くて……仕事するか死ぬかの二択だったというか」
「一体何をどうすれば、かような奴隷以下の扱いが許されるのだ、この世界は!」
ただ、そうでなくとも夢に閉じ込められることは無かったと、新太は語る。
確かにこの世界にも、異世界や魔法、夢で願いが叶うと言った話は古今東西に数多存在する。だが、それはあくまでも物語、フィクションの世界の話なのだ。
だから、夢で願いが叶おうがそれはあくまで夢の話、現実には何の影響も及ぼさない――
「もしこの世界もクラマ王国のように、現実にまじないや魔法が存在していれば違ったかも知れませんけどね」と笑う新太に、ムシュカは「まじないが存在していれば、お主の受けたような酷い扱いも多少は無くなるのではないのか?」と嘆息する。
ただ、その一方で少しだけ安心したのも事実だ。
この先新太が織物によって、夢に閉じ込められることは無い。
そして……今はベッドの上で静かに佇む二つの寝具が、いつか次の願いを叶えるべき持ち主を見つけたとしても、この世界に生きる者ならばきっと夢に閉じ込められることなく、その願いを叶えられるのでは無いかと。
「……この世界であれば、寝具達も呪いなどと言う不名誉な扱いを受けずにすむのかもしれんな」
「まぁ、願いのかけ方を間違えなければって条件はありますけど……」
「それは我らが伝えれば良い。何ヶ月後か、何年後かは分からぬが、この寝具を託すべき人に、な」
(そうか、これは決して呪いの寝具では無かった。……呪いにしていたのは、人の都合だったのだ)
念のために遺言状も作るべきだなと笑うムシュカの顔は、ようやく『呪い』という名の束縛から解き放たれどこか晴れやかであった。
◇◇◇
「……月が綺麗だな」
「…………そうですね」
「不思議なものだ、世界は異なるというのに太陽と月は同じように青い空にあって、人は同じような形をして、変わらぬ土の上で命を営んでいるとは」
格子の無い窓から眺める月明かりは、部屋に穏やかな夜をもたらしてくれる。
新太の肩に凭れ空を眺めるムシュカの瞳もまた、月のように煌々と輝いていて……ほんのり染まった頬がなんとも艶めかしい。
知らず使う言葉すら煽りになるとは、推し神様は天然の大量破壊兵器だなと高鳴る胸の鼓動を感じながら、新太は少し掠れた声で「神様」と愛しい人をそっと抱き寄せ、語りかける。
「月が綺麗だという言葉は、この国では愛を告げる意味を持つんです」
「……ほう。修羅の国だとばかり思っていたが、なるほどどうして雅やかな感性を持つ国でもあるのだな」
「いやあ、流石に修羅ばかりでは……ない、はずです、多分……」
自信がなさ過ぎるぞ、と頭をもたせたまま、ムシュカが笑う。
だが、そこに少しだけ固さを感じた新太が不安げに問えば、しばしの沈黙の後「……少々、怖くてな」と珍しく気弱な声色が返ってきた。
「先ほどからどうにも、頭と身体がふわふわしておってな……」
「ふわふわ……ああ、神様酔ってるから。さっきのお酒のせいです。始めてだしちょっと強かったですかね」
「……なるほど、酒とはふわふわするのか。…………出来れば夜に飲むのは茶の方がよいな。どうもこのおぼつかない感覚は……心が、私が壊れていくときに似ていて、少しだけ……すまない」
「っ、考えが足りず申し訳ございません! あ、ええと、どうしよういっぱい水を飲めば」
「よい」
「!」
台所に水を汲みに行こうとした新太の裾を、ムシュカはそっと引っ張る。
「むしろ傍にいてくれ」と見上げる瞳が不安げに揺れていて、新太はすぐにでも抱き締めたい気持ちをぐっとこらえ、再び隣に座り直した。
ギィ、と嫌な音が部屋に響く。
どうか今は大人しくしていて欲しい、壊れるのは二人が座ってないときにしてくれと願いながら。
「……神様」
「大丈夫だ。……それに、お主は私がどうなろうが、生涯推し続けてくれるのだろう? それなら……案ずることなど何も無い」
「っ……!」
しゃらん、と小さな音が、髪をかき上げたムシュカの耳元から響く。
既にこの方は王太子では無い。けれども生まれ持った輝きは今も色褪せることなく、これほど不安げな笑みを湛えていてすら、その威厳と気品を失わない――
「……ヴィナ?」
新太は無言で、ベッドから立ち上がる。
そしてかつての主君に向き直ると、すっとその場に跪き、右の掌を取った。
「……この国は、法的に同性婚を認めておりません。ですから……俺はここで、正式に殿下が望む関係になることは出来ないんです」
「……そうか」
「ですが」
生涯をかけて、この美しい人を守りたいと思う、ヴィナの忠義と。
生涯最推しとして、神様を笑顔に、幸せにしたいと願う新太の気持ち。
――二つが混じり、ようやくそれは愛という形を為して、その唇から零れ落ちる。
「殿下。ヴィナ・ヤーナイ王宮近衛騎士団副団長改め、毘奈新太……生涯殿下をお守り申し上げまする」
「……ヴィナ」
「あなた様は永遠に俺の推し神様です、殿下……!」
月明かりに照らされた単身者アパートの一室で、壊れかけたベッドと空調の音を背景に生涯の誓いを立てるとはなんとも自分らしいと心の中で苦笑しながら、新太は静かに、しかしはっきりとムシュカに永遠の愛を誓った。
――ああ、二つの人生を丸ごと注ぎ込んだ勇気を使い果たしたのだ。
あまりの緊張と恥ずかしさで、とてもでないが顔を上げられない。
(ヴィナ、お主という奴は……)
どれだけの時間が経ったのだろう。
やがてムシュカの唇が開き、呼びかけられた名前は……喜色とともに相も変わらぬ自信を伴っていた。
「うむ。実にお主らしい婚姻の誓いではあるが……一生に一度のことなのだ。もう少し……そうだな、甘い言葉を囁いてはくれぬか?」
「あ、甘い!? あわわわ……え、ええとっ、おおおお慕い申し上げておりまする、殿下っ!」
「ぬぅ……亀の如き歩みであるな。ふむ……では私の名を呼んでみよ。少しは甘い雰囲気が出るかも知れぬ」
「な……なま、え…………そっそれだけはご勘弁下さい殿下! そんなっ、俺如きが神様の名前を口にするなど、畏れ多くて地球の反対側まで埋まってしまいます!!」
「いいや、そこは譲らぬ! どうしてもお主が呼ばぬと言うなら」
「……呼ばぬと言うなら?」
途端、瞳を悪戯っぽく輝かせ口元をにこりと微笑ませたかと思うと、ムシュカはがばっと新太を抱き寄せる。
「へっ」
そして耳元で発するのは、本日最大級の、全身を貫く一撃。
「……アラタ、愛してるぞ」
「は……はへ…………!?」
「ほれ、良いのか? お主が呼ばぬなら、私がお主をアラタと呼び続けるぞ? ほれほれ『とうとし』とやらをしてしまってもよいのか? ア・ラ・タ?」
「うわああああお慕いしておりますです申し訳ございませんでしたムシュカ様ああぁ!!」
「…………様はとれぬか。ふふっ、まあ及第点だな」
高い笑い声を上げて、ムシュカはぽふりとベッドに横たわる。
そうして、顔色を赤くしたり青くしたりと忙しく未だパニックから抜け出せない新太に向かって手を広げ
「……ほれ、頑張って言えた褒美だ。たんと食え」
ちろりと唇を舐めて、新太の理性を吹っ飛ばした。
「ぐっ……昨日の今日だから俺は優しくしたいんですけどね! もう無理っ! いただきます!!」
「なんの、この程度でくたばるほど私はやわでは無いわ! ふふっ、こちらも存分に味わうとしようぞ!」
恋に溺れた若き二人の甘い熱情が、部屋を満たす。
そんな初々しい二人を、二つの寝具はそっと包み込み……
次の瞬間
「むにゃ……ムシュカさまぁ……」
「んん……ヴィナ…………あいして、る……」
深い深い眠りの国へと、全力で誘ってしまったのであった。
◇◇◇
今日も外は朝から、焼け付くような日差しが照り付けていて。
耳をつんざく蝉の声が、ますます暑さを助長するようだ。
「…………朝、ですねぇ……ムシュカ様……」
「いかん……これはゆゆしき事態だぞ、ヴィナ! この織物め、やはり呪いであろう! このままではどうやってもヴィナと熱を交わせぬではないか!!」
「いやまぁ、おやすみ三秒だったお陰で夢の中ではたっぷり交わせましたし、ムシュカ様も体力を消耗しなくてずっとお元気で……うっだめだ鼻血が」
「お主はそれで良いのか? 私は腰が痛くなろうが声が枯れようが、現実の熱が欲しいのだが!?」
待ち望んだ現世での交わりは、忠実に職務を遂行する二つの寝具によって見事阻まれて。
次の日、ムシュカが「側を離れずとも使わねば大丈夫であろう!!」と鼻息荒く仕事終わりの新太を連れ出し、新たな寝具を一揃い購入したのは言うまでも無い。
郊外にある単身者アパートの一室。
何の変哲も無いありふれた寝室には、真新しいダブルベッドが、今日も主達の帰りを待っている。
――そしてその壁には、今も東雲の空を模した上質なブランケットと枕カバーが飾られ、次の出番を静かに待っているという。
――神様は愛し子を餌付けしたい 完
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