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第57話

何という殺し文句だ‥! ケイレンの手に顎を捉えられて、ジュセルは顔を背けることもできない。目の前にいる信じられないような秀麗な顔のヒトが、自分を甘やかしたいと言って、文句を言っている‥! 自分の身に起きた考えられないような甘い事態に、ジュセルはどう対応していいのかわからずただ目をうろうろと泳がせるばかりだ。 「ジュセル』 目を合わせようとしないジュセルの顎から頬に手をずらし、もう片方の腕をぐっと背中に回して自分の方に引き寄せる。 (え、) そのまま深く、口づけられた。 うわぁぁぁぎゃあああうおおおおお!という恐ろしい騒音がホール中に響き渡る。いつでも注目の的であるケイレンのことを、みな目の端でずっと追っていたのだ。二人が寄り添って何か話しているのに聞き耳を立てるまでのことはしていないが、何となく二人がどう動くのかを全員が追ってしまっていたのだった。 そこにまた口づけというイベントが来たものだから、ホールは上を下への大騒ぎになった。ケイレンの信奉者は泣き崩れていたりジュセルの方を睨んでいたりして悲嘆にくれており、ただ野次馬根性で眺めていた人々は、いい話のタネができたと興奮しながら大声で喋っている。 当のジュセルは、人前で深い口づけ(ディープキス)を仕掛けられたことに驚いて、とっさに動けなかったのだが、この大騒ぎを耳にしてようやくケイレンの胸を突き飛ばすことができた。 「なっ、な、なに、ケイッ」 「好きだよジュセル。‥何があっても、俺が守るから」 ケイレンはあたあたしているジュセルに構うことなくもう一度ちゅっと額に軽く口づけると、そのままジュセルの脇と膝裏に腕を回し軽々と抱き上げた。 再び、ぎゃああという悲鳴が上がる。身体の痛みと恥ずかしさでもうどうしていいかわからないジュセルは両手で顔を覆いケイレンの胸に寄りかかるしかなかった。 結局、ケイレンは自分の馬を初級の請負人(カッスル)に頼んで家まで返してもらえるよう手配し、自分とジュセルは小型の機工車を頼んで帰ることにした。 小型の機工車は乗り合いのものより小さく、前世でいうところのマイクロバスくらいの大きさだった。おそらく十人あまりは乗れるのではないか、というくらいの広さがあり、中の座席は可動式で色々な形にできるものだった。 無論、ジュセルはそんなものに乗ったことはなく、(‥このレンタル料って幾らくらいすんだろ‥ああ考えたくない‥)と心中穏やかではなかった。 しかし、そんなことにはお構いなしのケイレンはジュセルを抱えあげたまま機工車に乗り込み、長椅子のようになっているところにそっとジュセルを横たえた。そして備え付けてあったクッションを幾つかジュセルの身体にあてがって、「大丈夫か?」と聞いてくれる。 (あーなんだっけ、こういうヒトのこと‥すぱだり?って言うんだったっけか‥) ジュセルはぼんやりとそんなことを考えながら機工車の中を見回した。壁の中には色々な機工が組まれているらしく、テーブルやグラスなどが並んでいるのも見えた。 (乗ったことないけど、前世のリムジンとかってこういう感じだったのかな‥) などと考えているうちに、ケイレンも隣に乗り込んできて小型機工車は滑らかに走り出した。 機工車や機工飛艇。機工船などは、セキセイと呼ばれるキリキシャとヨーリキシャが作り出す動力(エネルギー)で動いている。大型のものだとセキセイが直接乗り込んでいることが多いが、小型のものは動力(エネルギー)だけを注力して運転手だけが乗っていることが多い。この小型機工車もヨーリキシャの運転手が一人だけで乗っていた。 ジュセルは乗り合い機工車にしか乗ったことはなかったのだが、あまりにも滑らかに走ることに驚いて思わず声を上げた。 「全然揺れない‥すごい‥」 すると前の方から陽気な笑い声が響いた。 「こりゃどうも!いい機工躯体ですからねえ!」 そう返してくれたヨーリキシャに、ジュセルはなおも言い募った。 「いやいや、運転の技術でしょ。道路はおんなじなんだから。すごいですね」 そういうと、ヨーリキシャは一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに少し低い声で返事をした。 「‥ありがとうよ、若者(ワクシャ)‥そう言ってもらえると、俺も操縦のし甲斐があるってもんだ」 ヨーリキシャはそう言うとまた静かになった。ケイレンはそっと腕を伸ばしてジュセルの肩を抱えた。 「ジュセルは、素直にヒトを褒められるよな。俺はジュセルのそういうところも好きだよ」 そう言ってまたジュセルの頭に口づけを落とす。そんなつもりではなかったジュセルは、また顔を赤らめて下を向いた。 「いや、別に、思ったことを言っただけだし‥」 ケイレンはにこにこしながら、ずっとジュセルの頭に鼻を埋めていた。  しばらく走った小型機工車は、大きな市場通りで一度止まった。家ではないところでなぜ止まるのか不審に思ってケイレンを見ると、にこにことした顔のまままた抱きかかえられて降ろされた。 「え?どこ行くの?帰るんじゃねえの‥?」 そう質問をしたジュセルに「うん、まあ」などと要領を得ない返事をしながら、ケイレンはどんどん進んでいく。無論、ジュセルは抱えあげられたままだ。見目麗しく姿もいいケイレンが、ジュセルを抱えて歩いているのはかなり人目を引いており、行き過ぎるヒトが皆こちらを見ているのがわかった。 あまりの恥ずかしさに、 「降ろして!どこ行くんだよ、恥ずかしいよ」 と訴えたが、ケイレンは 「うん、まあまあ」 とよくわからない返事をして濁しながらずんずんと歩いていく。 もうこれは止まらないのだろうと思い、諦めて顔をケイレンの胸に隠すようにしていると、ようやくケイレンの歩みが止まった。 「ここだよ」 そう囁いてケイレンが扉を開けたのは、こじんまりとしていながらも品の良さを漂わせる宝飾店だった。店主らしいシンリキシャがにっこりと笑って挨拶をしてきた。 「お待ちしておりましたケイレン様。ご要望の品は一通りこちらに揃えてございますよ」 「ああ、ありがとう。長椅子はあるかな」 「ええ用意してございます。どうぞこちらべ」 シンリキシャは柔らかい笑顔でそう答えると、滑らかに奥の小部屋にと案内してくれた。座面の柔らかな豪奢な長椅子に下ろされ、思わず自分の衣服にゴミや埃がついていなかったか確かめてしまう。 長椅子の前には細やかな装飾の施された美しいテーブルがあり、その上には白い布に包まれた盆がのっていた。 そしてその盆の上には。 「輝石‥」 この世界(トワ)では、恋人同士がお互いの瞳の色をピアスとして身につける風習がある。これは伴侶となってもずっと身につけるものであるから、皆子どものうちから耳に孔をあけている者が多い、ジュセルも無骨な銀の環のピアスをつけている。これは三歳になったときに(シンシャ)からもらったものだった。 ケイレンは少しはにかんだ顔をしながら言った。 「俺達‥恋人同士、だろ?だから。一刻も早くピアス、つけてほしくて‥石の都合を頼んでおいたんだ」 「あ、りがとう‥」 白い布の上には、いくつものサックスブルーの青輝石と、漆黒の黒輝石とが並べられている。粒の大きさもなかなかのものばかりだ。またきらきらと輝きも強く、値の高さをうかがわせるものばかりだった。 「で、でも、これってお互いに贈り合うものだろ?俺‥今全然貯えもないから買えないよ‥」 そういいながら首を横に振るジュセルに、店主らしきシンリキシャが微笑みながら声をかけた。 「いえお客様、その限りではございませんよ。収入や年齢などに差がある場合、余裕がある方が購入して贈るといった場合も多々ございます」 「え‥」 シンリキシャの持つ人当たりのいい物言いに、思わずジュセルは口を噤んだ。それを幸いとばかりにケイレンがいくつか石を持ってジュセルの目の近くに当てた。 「できれば一番ジュセルの目の色に近い石を着けたいと思って。薄い青の青輝石を揃えてもらった」 「この色の青輝石はなかなか市場に出ませんので‥他の店舗にも無理を言っていくつか譲っていただきました」 そう言いながらシンリキシャも石を手にしてジュセルの目の近くに当ててくる。 ジュセルはもう何も言えなくなって、ただ茫然と長椅子に座っているばかりだった。 「お美しい瞳ですね‥なかなか近い色は‥ああ、やはりこちらの方か‥」 シンリキシャがそう言って、白布の盆の上にあった小さな布包みをはらりとほどいた。 するとそこからきらめくようなネオンカラーの青輝石が転がり出てきた。一見して他の石とは違う輝きを持つ石だとわかる。

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