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第70話

ザイダがケイレンの屋敷を訪ねてきてから、また十日余りが過ぎた。その間、二人の暗殺者による襲撃があった。 一人目は、日々遠くからケイレンの屋敷を観察してジュセルが庭に出る時間を読み、そこを狙って攻撃を仕掛けてきた者だった。たまたま塀際に寄ったジュセルに走り寄って長槍で突き殺そうとしたのだ。横に控えていたケイレンによってその長槍は弾き飛ばされ、駆けつけたアニスとケイレンの二人がかりで拘束された後、市中警備隊に突き出された。しかし、その暗殺者は牢内で舌を噛み切って自害したという。 二人目はいつも食材を買う店舗に潜り込んだ毒遣いだった。ケイレンとアニスが買い求めた食材に人知れず毒を盛って、ジュセルたちの命を狙おうとしていた。だが、食材の味見をしたジュセルが、いつもとは違う苦みを感じて使うのをやめたので難を逃れた。 とは言っても少量の毒を口にしてしまったジュセルは体調を崩し、そのあと三日ばかり寝込む羽目になった。ケイレンは顔色を蒼白にして毎日ジュセルの世話を焼いた。 一方、ヤーレはアニスの後任を必死で探していた。腕利きで口も堅い信用の置ける請負人(カッスル)には、なかなか空きがない。しかもジュセルの件に関しては期限に終わりが見えない。その条件で来てくれる請負人(カッスル)はなかなか見つからなかった。 「最悪、俺が代わりに行くしかねえかな‥」 とぼやいたヤーレの言葉を、珍しく請負人協会(カッスラーレ)にいた協会長が聞き咎めた。 「何言ってんの、あんたにそんな暇ないでしょ」 横から厳しい声をかけたのは不在がちな協会長、カズリエだ。カズリエは小柄な高能力者(コウリキシャ)のシンリキシャで、その能力から対外交渉を一手に引き受けている。人当たりがよく、こちらの思うように取引を行う達人ではあるが、その反動なのか仲間内には滅法当たりが強い。 今も顔を歪めてヤーレの方を睨んでいる。ぱっと見には金髪金目で波打つ長い髪を後ろに流した姿は華奢で幼げな美人に見えるのだが、実は口が最悪に悪く暴力的であることが協会幹部の共通認識だった。 「どんだけ肩入れしてんのか知んないけど、一個のことにばっか関わってんじゃないわよ、暇じゃないのよウチだって」 「‥わかってる」 「わかってんならその軽い頭をもっとよく巡らして考えなさいよ。遅いのよアンタは大体何でも案件の解決が」 「うるせえな、色々考えて動いてんだよこっちは」 思わず言い返したヤーレの方をぎろりと睨むと、カズリエは椅子を降りてとことことヤーレの目の前までやって来た。やべえ、とヤーレが思わず身を引いた時には遅く、下からぐいっと睨め上げられ胸元を掴まれていた。 「‥うるせえだと?やれっつってんだよあたしは。やれって言われたら黙ってやれや。遅えんだよ、おめえは何でも。何度言わせんだ、ああ?」 「‥‥すんません‥」 「”裏”の幹部を落とすくらい、さっさとやって来い。次、あたしが帰って来る時までに解決してなかったら、てめえの陰茎削ぎ落としてやるからそう思え」 低い声で恫喝され、ひゅっと息を吸って思わず股間を両手で庇った。その様子を見たカズリエはフン、と鼻を鳴らすとヤーレから離れ、書類をいくつか手に持って資料室から出て行った。おそらくまたしばらく協会には帰ってこないはずだ。 その後ろ姿を見送って、は~っと思わず大きく息を吐いたヤーレはぶるるっと身体を震わせた。カズリエはやると言ったらやるヒトだ。次にカズリエが帰ってくるのがいつになるのかはわからないが、それまでに何とか目途をつけておかないと、陰茎の危機だ。 「とにかくめぼしいやつには全員、声をかけてみるしかねえな」 ぼそりとそう呟いて、ヤーレはまた機工端末を叩き始めた。 「グーラが私の依頼を不履行にしたと聞いたのですが、ヨキナ?」 ヨキナはこのシンリキシャが嫌いだった。貼り付けたような笑顔を見ているだけでおぞ気が走る。しかしこのカラッセ族族長候補が、この笑顔に見合わない苛烈で陰惨な性格をしていることをヨキナはよく知っている。 だからこそ、その問いに対してどう答えるのが一番いいのか、今じりじりと考えているのだ。 「‥グーラは私の大切なひとり子を、依頼の途中で殺したのだ。それを、どうも気にして‥」 「おや、私が聞いた内容と違いますね」 穏やかな笑みを崩さないまま、ハリスは繊細な模様の浮き出ているティーカップを優雅にとって茶を飲んだ。喉を通り過ぎる芳醇な香りは上物の茶葉であることを示している。一級品を何より好むハリスは、満足げにもう一口茶を含んだ。 一方、ヨキナは顔色を悪くしながら沈黙した。‥このシンリキシャはどうかすればヨキナよりも裏社会の事情に通じているように思われる時がある。下手な言い訳は通用しないと知って、ヨキナは息を吐いた。 「あなたの役に立たないひとり子が、グーラの怒りを買って殺されたと聞いていますけれど。違いましたか?」 「‥ラスが、よかれと思ってしたことがグーラに気に障っただけのことだ。あの子は殺されるほどのことをしたわけでもないのに!」 ハリスはティーカップを静かに置いて微笑んだ。 「そんなことは私の知ったことではありませんよ、ヨキナ」 ヨキナはびくりと肩を震わせた。それを目の端で認めながらも同じ口調でハリスは続けた。 「私がお願いした依頼なんですよ。‥それがこんなに滞っているとは‥」 ハリスはいきなりテーブルの上を右手でザッと払いのけた。ガチャン!と華奢な茶器たちが払いのけられて壁にぶつかり粉々になる。それだけでは収まらず、立ち上がったハリスはテーブルを思いきり足で蹴り上げた。ドカンと派手な音がしてテーブルが転がる。 「どういうつもりなんですか?ヨキナ」 じりっとハリスが座っているヨキナに迫った。ヨキナは蒼白い顔のまま黙っていた。そのヨキナの胸元をぐっと掴んで顔を寄せる。 ゆっくりと一言ずつ、区切るようにしてハリスがヨキナの顔の前で呟いた。 「‥伊達や酔狂で共金貨四十枚という大金を払ったわけではないんですよ、ヨキナ。あなたが、確実に、すぐにでも、始末をつけると言ったから言うなりに払ったんです。なのに」 ハリスはヨキナの胸元を掴んだまま、片手でぐうっとヨキナの身体を持ち上げた。そこまで逞しい身体つきというわけでもないのに、どちらかといえばふくよかなヨキナをこんなふうに引き上げるとは恐ろしい力だ。首が締めつけられ、呼吸が苦しくなったヨキナは思わずハリスの手を掴んだ。 「‥や、め」 自分の手を掴んできたヨキナの手を振り払うように、ハリスはぶん、とヨキナの身体ごと手を払った。ガタン!という大きな音と共にヨキナの身体が床に叩きつけられた。床に転がっていたテーブルにも身体を打ちつけられ、ヨキナは低い声で呻いた。 壁際の飾りテーブルにかけられていた布を無造作に手に取って、ハリスは自分の手を拭い、その布を投げ捨てた。ヨキナを見下ろしたまま、顔だけは微笑んでいる。 「‥‥いまだにあの若い請負人(カッスル)は息をしていますね。裏請負会(ダスーロ)は、こんな依頼不履行が当たり前なんですか?」 「‥他にも暗殺者を差し向けてる、だが」 床に座り込んだままそう言い募るヨキナの身体を、ハリスは容赦なく蹴り飛ばした。「うぐっ」という呻き声をあげてヨキナはまた床に転がった。 「‥‥そんなことは聞いていません。いつになれば、あの若い請負人(カッスル)の息の根を止められるのか、ってことだけ聞きたいんですよ」 ヨキナは大きな身体を震わせてゲホゲホと咳き込んだ。腹がじんじんと痛む。内臓が傷つきでもしたのか、口を拭った手には血がついていた。荒く息を吐きながらヨキナは答えた。 「十日‥いや、七日、のうちには決着をつける!」 「七日、ですね?」 ハリスは冷え冷えとする目をヨキナに向けて言った。にい、と口を開けて笑うと言葉を継いだ。 「七日のうちに決着をつけられないようなら、副頭が別のヒトになっているかもしれませんよ。頑張ってくださいね」 ハリスはそれだけ言い捨てると、床に散乱した様々なものをよけながらするりと部屋を出て行った。 廊下をかつかつと歩み去る音を聞き、ヨキナは歯を食いしばりダンッと床を拳で叩いた。 「くそっくそっ‥!ラスを殺された上にこんな恥辱まで与えられるとは‥こいつの暗殺依頼を受けてからろくなことがない!くそっ‥!」 ヨキナはゆっくりと立ち上がって身体の埃を払った。ハリスは恐ろしいヒトだ。裏請負会(ダスーロ)副頭である自分よりも、ハリスの方が裏社会に深く入り込んでいることをヨキナは知っている。副頭をヨキナ以外の者に挿げ替えることさえ、ハリスにとっては何でもないことなのだろう。 「くそっ‥殺してやる絶対に」 ヨキナは足音荒く部屋を出ると、大声で部下を呼びつけた。

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