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第1話 極道の初恋

 鬼神祥吾《おにがみしょうご》は何のてらいもなく落ち着いた佇まいのカフェへと入っていく。  それを側近たちは、『また今日もか』という思いで続けて入店し、別の卓に付き店内を見渡す。護衛として身に付いたことだが、怪しい者がいるはずもない。実に平和な佇まいの店内。  カフェの雰囲気に似合わないこの男たちは、ここ半月余り連日来店している。 「いらっしゃいませ」  水とメニュー表を持ってきた店員に祥吾の胸はときめき微笑んだ。この店員に会うため、店の雰囲気に似合わないという自覚も無く連日来店している。  休みのためか姿を見ない日は、この世の終わりの気分になるが、今日はラッキーだ。 「本日お勧めのブレンドを」  いつもと同じ物を注文する。 「かしこまりました」  薄く微笑んだ店員に、祥吾のときめきは倍増する。独り占めしたい。いつも自分の隣で微笑んでいて欲しい……まだ名も知らないのに独占欲でいっぱいになる。  店員が『ゆいと』と呼ばれているのは知っている。しかしそれが本名なのか源氏名なのかも知らないし、どういう字を書くのかも知らない。  店員が運んできたブレンドコーヒー。祥吾は軽く会釈し、カップを持ち上げる。芳醇な香りに満足し、一口飲む。 『美味い、彼の配膳のコーヒーは香りそして味も極上だ。こんな美味いコーヒーはここでしか飲めない』  店員の姿を追いながら、祥吾はゆっくりとコーヒーを味わうのだった。  鬼神祥吾、関東の地でかなりの勢力を誇る戦前からの極道、鬼神一家の三代目である現会長の一人息子。いずれ父の跡を継ぎ四代目を襲名するのは衆目の一致するところ。つまり、極道の跡取り息子である。  生まれた時から四代目を継ぐ運命の彼は、父、そして当時は健在だった祖父である二代目のもと厳しく育てられた。常に護衛に守られてはいるが、守られる彼自身の腕も相当なものなのだ。  体術が人並み以上、それに裏付けられた自信。加えて、これからの極道には学も必要だとの思いから大学で経済もしっかりと学んだ。彼の側近たちも皆大卒、インテリ集団の側面もあるのだ。  大学を卒業し本格的に極道の道を歩み初めて七年目。その歩みは順調だった。従来のしのぎに加えて経済やくざとしての道も順調だった。祥吾は一家のフロント企業の社長としての顔も持っているのだ。    誰が見ても順風満帆の跡目。彼に足らないのはただ一つ。  それは、嫁であった。  現会長である父の嫁、祥吾の母は、祥吾が四歳の時離婚して家を出た。極道の嫁、一家の姐さんとしての生活に耐えられなかったのだ。  以来、鬼神一家は姐さん不在が続いている。  一般で言えば女将さんの立場、いないなりに通ってはきたが、いるにこしたことはない。皆、祥吾が嫁を迎えることを期待しているのだった。  その期待もここ最近ことに高まっている。祥吾も二十代最後の年、そろそろとの思惑で、自薦他薦候補に不足はない。  何しろ長身精悍の体つき、整った顔立ちで女の目を引く存在。とにかくもてるから女に不自由したことはない。常に据え膳状態、しかし続かないのだ。三ヶ月もてばいい方、常にとっかえひっかえ、数多の女が我こそはと挑み、捨てられ泣いてきた。  自分から女に惚れたことがない男、それが鬼神祥吾だった。この男が落ち着くのは一体どんな女性なのか、皆が注目している。  その男が初めて自らときめいたのだ。ある意味遅い初恋とも言える。  相手はカフェの店員……女ではなく男に。 「若」  店を出て車に乗り込んだ祥吾へ、助手席に乗り込んだ第一の側近である広沢尚希《ひろさわなおき》が声かける。 「なんだ」 「今日も一時間以上時間をつぶしましたから、かなり急いていただきますよ」  側近と言えど広沢は、年上でもあり敬語は使うが物言いに遠慮がない。 「分かってるぞ、ちゃんと働いてるだろ。一時間位直ぐに取り戻せる。だいたい、コーヒーくらい飲ませろよ」 「はい、何杯飲んでもよろしいですが、あの店でなくても事務所でもお出ししますよ」 「味が違うだろ、味が! だいたい息抜きぐらいさせろって……いや息抜きとは違うな、今の俺の唯一の楽しみだ」  そう言ってニヤリとする祥吾を見て広沢はため息をつく。  一体何故こうなった……。あの店員に会うのが唯一の楽しみとは……。  そもそも会うのではなくただ見ているだけだ。それが楽しみとは、お前は中高生のガキか! と詰りたくなる。  実際数多の女性遍歴を誇るこの男が初恋にときめくガキのような有様。まさか本当に初恋なのか……。  相手が女性ならばむしろ喜ばしいことだが、相手は男なのだ。もしかして若はゲイなのか? だから女とは続かなかったのか? 広沢は自らの混乱する頭を落ち着かせ、そして整理した。  しなければならないことが見えてきた。早急に、先ずはそれだ。と、同時に自分の主の熱が冷めることを願った。それが一番だ。熱さえ冷めれば言う事はない。何もすることはないからだ。  女も長くて三ヶ月だ。早く冷めろ、広沢は氷水をぶち撒きたい心境で切実に願った。  ―――― 「結人《ゆいと》、今帰ったお客さん、お前に気があるんじゃないかな」  カフェのバイトの先輩沢村の言葉に、結人は呆れたように応える。 「何言ってるんですか、あのお客さん男ですよ」 「いや、お前その手の男に人気あるんじゃないかって。ほらっ、この前も男の客から誘われてたじゃないか」  確かに男から誘われた経験は一度ならずある。  高校生の頃はそうでもなかったが、大学入学後、何故か年上女性と男にもてるのだ。実際誘われることでそれは自覚してはいた。  女性とは誘われて付き合ったことはある。体の関係も経験した。しかし、男とは一度もない。全て断ってきた。自分はノーマルだからだ。 「僕にその気はありませんから」  結人もその客の認識はあった。結人がいる時必ず来る客。自分が休みの時も来ているようで、要するに毎日来る常連客。長身で中々のイケメンだとは思うがそれ以上の認識はない。直接誘われたことも無いのに自分に気があるとも思えない。 「それに誘われてもいないのに僕に気があるとは思えませんけどね」 「いや、お前がいないとあからさまにがっかりしているからな。あれ絶対お前が目当てで来てるよ」 「……でも僕、ノーマルだから」 「お前、今彼女いないの? 年上の社会人と付き合ってただろ」 「ああ、仕事が忙しいみたいで最近会ってないです。多分自然消滅かな」 「まあ、学生と社会人じゃな。それにしてもお前淡泊っていうか続かないよな」  それも言われる通りだ。自分から求めたことはない。誘われて付き合って、でもなんとなくいつも続かない。その繰り返しだった。  けれどそれを気にしたことはない。まだ若い学生の身だ。早々と落ち着くこともない。 「まだ若いしそんなもんでしょ」 「まあそうだな」  新たな客の入店で沢村との会話はそこで終わった。  沢村は結人がこの店でバイトを始めた時から先輩として仕事を教えてくれた親切で気のいい先輩だ。大学が違うので他大学の話など興味深いこともありいい先輩だと思っている。  四年生で既に就活は内定していて気楽そうなところも羨ましいと思っているけど、だからなのか、余計な所に気が回っているんじゃないかと思う。  あのお客さんどう見ても女にもてるだろう。ひょっとしたらモデルか? と思うくらい長身精悍で整った顔立ち。あの人が男の俺に気がある……無いよ、絶対にない。  結人にしてもカッコいい人だとは思うし、対応もスマートで紳士的だ。好感は持つがそれ以上の感情はない。  沢村の無駄話としてそれ以上気にも留めなかった。

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