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静かな夜の扉1
ヴァルター侯爵が屋敷へ訪れてからレオニスさんの様子が変わった。国会から戻っても、ほとんどの時間を1人で書斎で過ごしている。前は食事のときに使用人たちへ気さくに声をかけたり、たまにルナの遊び相手になってくれたりしていた。でも今は姿を見かけることが少なくなった。
最近は特に和食をリクエストされることはなかったけれど、今夜は和食にしようとアベルさんと話していた。アベルさんいわく、和食は味が優しいからレオニスさんを少しでも癒やせるんじゃないかって。それで今夜は和食になった。メニューは秋刀魚、ひじきの煮物、ご飯は筍ご飯。お味噌汁にも筍を入れる。筍はアクを取るのが面倒だと思っていたけど、筍を使いたいと言ったら、アベルさんがやっておいてくれた。今日のメニューはアベルさん、初のものばかりだ。でも、お味噌汁は最近覚えたから、作ってくれると言っていた。だから俺は秋刀魚を焼いて、ひじきを煮るだけだ。
「レオニス様は今日も書斎で食べるらしいですね」
お味噌汁を作りながらアベルさんが言う。そう、今日|も《・》。最近はそんな日が続いていて、俺はダイニングルームで1人で食べている。
「しかも、最近は食べる量も減っていますしね。昔から考え事が多くなると食が細くなるんですよ。今日の和食で元気を出して欲しいけど」
俺は片付けのときは厨房にいること少ないけど、食事を下げた後のことはアベルさんが知っている。そして、今日も残した、とこぼしているのをよく聞く。
――貴族院で大きなもめ事があったらしい。
噂は厨房にも流れてきていた。レオニスさんが”庶民の改革案”を強く押し出した結果、古い貴族派と激しく対立したという。そして、あの婚約の話。ヴァルター侯爵が勝手に決めたもので、レオニスさんは納得していないらしい。俺はひじきを煮ながら聞いていた。
「アベルさん。レオニスさん、大丈夫ですかね」
「大丈夫じゃなきゃいけないんですよ。貴族が弱さなんて見せたらダメなんです。見せたら最後、そこを突かれます」
さすがこっちの人だけあって貴族というもののことをよく知っている。俺にはわからないことだ。
「でも、タクヤさん。ずっと気になっているんですが、あの顔、見ましたよね」
あの日。ヴァルター侯爵を見送って書斎に向かう背中。孤独と怒りと諦めが混ざったような、見ているこちらまで胸が重くなる表情。
「最近はあんな顔見なかったんですけどね」
「俺、忘れられないんです。あのときの、痛そうな横顔」
俺がそう言うと、味見をしていたアベルさんが少し柔らかい声で言った。
「タクヤさんは真っ直ぐですね。それでレオニス様は救われるでしょうね」
「救われる?」
「そう。主人は、誰かに気に掛けて貰うだけで救われるものですよ。もちろん、私たち使用人も気に掛けてはいるけれど」
ただの客人で、好き好んで厨房に出入りする半分使用人みたいな俺が主の悩みに触れていいのかわからない。
お味噌汁と煮物ができたところでニコラスさんが運んでいった。俺は今日も1人でダイニングルームで食べる。使用人の人たちと一緒で、とニコラスさんに言ったところ怒られたんだ。厨房に立たせているだけでも申し訳ないのに、使用人と一緒に客人が食べるなんてとんでもない! と言われたんだ。ニコラスさんは俺が異世界から来たことを知っているから余計になんだろう。
今夜も1人で寂しくダイニングルームで自分の作った料理を食べ、自室に戻るために階段を昇り、2階奥に目をやると書斎は灯りがついたままだ。優しいその灯りがレオニスさんの心も温めてくれたらいいのに。今夜も遅くまであの灯りは消えないんだろうか。自室に戻るには中央階段を昇って右側へ行くのに、俺の足は階段を昇りきったところで止まってしまった。左へ行けば書斎。右へ行けば自室。今の俺はどちらへも行ける。書斎へ行ってみようか。ふとそう思った。でも、仕事をしていて、その邪魔をしてはいけないし。以前は結構気軽に顔を出したりしていたけれど、今は事情を知っているからかそうすることができないでいる。俺はどうしたい? 今日はレオニスさんが帰ってきたときに横顔を見ただけだ。朝は食べずに行ったらしいから、今日はきちんと顔を合わせてはいない。
今夜は和食だった。味はどうだったか訊きに行くのならおかしくはない。そう思って足は左側へと進んだ。レオニスさんはどんな気持ちで1人でいるんだろう。1人で重いものを抱えて、誰にも弱音を吐けずにいる。その姿を想像しただけで胸が痛んだ。少し。そうほんの少し。「口に合いましたか?」って訊くだけでいい。そして笑顔を見せれば、それだけでいい。そう思うのに、弱ってる姿を見せたくないかもしれない。そんな弱気な考えがぐるぐる回って動けなくなる。
「俺、なにしてるんだろう」
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