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沈黙の婚約3
レオニスさんの婚約者が挨拶をしたいと言うので応接室へ行って挨拶をした。ルナも一緒に連れて行ったけれど、黒猫|な《・》|ん《・》|て《・》という言い方に正直、いい気はしなかった。ここでは黒猫は神の使いと言われていると言い、実際にこの屋敷の人は皆、ルナのことを大切にしてくれている。でも、そうは思わない人もいるんだなと思った。それに、なにか小声で言っていたけれど、何を言っているのかはわからなかった。ただ、好意的とは言えなかった。それでも、レオニスさんの婚約者なのだ。それで気づく。レオニスさんは俺のことを愛していると言ってくれたけれど、レオニスさんは貴族で、リシアさんという婚約者がいる。心では思ってくれていても俺とは結ばれないんだ。それに気づいて心臓が凍えた。身分違いなんだ。レオニスさんは貴族。俺はこの国の人間ではないけれど、庶民であることに違いはない。貴族と庶民。その身分差は大きい。
そう考えていると部屋のドアがノックされた。
「はい」
「……タクヤ」
ドアを少し開けて、顔を見せたのはレオニスさんだった。
「タクヤ。少し話をしても?」
「……」
「……また別のときにしよう」
そう言って戻って行くレオニスさんに俺はホッとした。レオニスさんのことは好きだ。その気持ちに変わりはない。けれど、今は顔を見るのが辛い。
リシアさんという婚約者がいること。貴族と庶民という身分差があること。そんなこと知っていたはずなのに。なのに、心が通い合ったことで浮かれていた。現実はなにひとつ変わってはいないのに。いずれレオニスさんはリシアさんと結婚するんだ。いくらそこに気持ちがないとしても、侯爵が持ちかけた縁談を簡単に破棄することはできないだろう。なにかしらの事情がない限り。そして身分差はどこまで言っても変わらない。俺は庶民のままだし、レオニスさんは貴族だ。いくらここでは、救世主だなんて言われていても、俺が貴族じゃないことはなにも変わらないんだ。そのことが心に重くのしかかる。身を引くことを考える必要もあるのかもしれない。
ああ、ダメだ。紅茶でも貰おう。と、ここでほんとならクララさんかニコラスさんに言って持ってきて貰うのだけど、俺は厨房へと行った。最近は和食を作るときくらいしか来ていないが、1人でいるとごちゃごちゃ考えてしまうし、だからと言って今はレオニスさんと一緒にいるのは辛い。そんなときにアベルさんはいい。なにを話すだけでもなく、ただ料理のことを教えて貰ったりするだけで気が紛れる。だから厨房に行こう。
「ルナ。厨房に行くか?」
と窓際のルナを見ると寝ているようだ。起こすのも可哀想だから寝かせておいてやろう。戻ってくるときにミルクでも貰って来てやればいいだろう。そう思って部屋を出る。ニコラスさんにバレると「客人なのですから」と言われてしまうから、ここはこっそりと。部屋を出て1階へ降りると、使用人の人たちがいたけれど、皆忙しそうで俺のことには気づいていない。よし、このまま行こう。そうして厨房へとたどり着く。厨房ではアベルさんが暇そうにしていた。
「……アベルさん」
俺が声をかけると、俺に気が付いてくれた。少し驚いたようだ。
「タクヤさん。どうしたんです? 飲み物なら使用人に言えばいいのに」
「そうなんですけど……」
「でもいいですよ。迷惑なわけではないので。ただ、ニコラスさんが客人を厨房に入れるのはあまりいい顔をしないでしょう?」
「料理のことならいいんじゃないかと思ってきました。あと、紅茶が欲しくて」
「そうですか。紅茶を淹れますね。あ、焼き菓子があるので一緒にいかがですか? 昼前に作ったので」
「そしたら、少し貰おうかな」
俺がそう言うとアベルさんは手早く紅茶を淹れてくれた。それと焼き菓子。どちらも美味しいはずなのに、今は心が塞いでいるからか味が良くわからない。それでもそんな顔をするわけにはいかないので、なんでもない顔をする。
「今晩はなにを作るんですか?」
「まだ決めてないんです。ただ鶏肉があるから鶏肉を使ったものをと思っているんですが。なにかいいのはありますか?」
「そしたら鶏の竜田揚げなんてどうですか?」
「竜田揚げ?」
「はい。片栗粉をまぶして油で揚げたものです。嫌いな人はいないんじゃないかっていうくらい人気のあるメニューなんです」
「そうですか。そうしたら今夜はその竜田揚げにしましょう。そうしたらタクヤさんが今ここにいても大丈夫ですよね」
そう言ってアベルさんはいたずらっぽく笑った。
そうだ。こういうときはなにかに没頭するのがいいんだ。部屋でルナといるだけではぐるぐると同じことを考えてしまってダメだ。
「あとはなにがありますか?」
「今日はほうれん草が入りましたよ」
「それ使ってもいいですか?」
「いいですよ」
「じゃあ竜田揚げとほうれん草のおひたしと味噌汁にしましょう」
「じゃあ味噌汁作りますよ」
そう言って今日の夕食メニューが決まった。これでぐるぐると考えなくていい。夕食のときにはレオニスさんに会うけれど、それまでに気持ちを落ちつければいい。それに料理は最適だと思った。
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