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がらがら芥くた/後日譚-充と朧の初夜話

 いつだったか、しゆに「朧にとっては春っていつから?」と聞かれたことがあった。  オレは元々動物で、ダンくんやしゆのように日付というものの概念を持たない。  だから聞かれたのだろうが、それはそれで答えに迷った。  冬が終わったら春だと返そうと思って、けれどしゆはその境目を聞いているのだろうから。  それに冬眠から目覚めた頃だとも思い至ったが、オレは冬眠をしなくなって久しい。  うーんと深く悩んでいると熟考させるつもりではなかったのか、しゆの方が申し訳なさそうにし始めた。  その慌てた様子を眺めていたら目が合い、すぐに表情が変わって笑みを浮かべたのを見て思い付いた。   「雪が、融けたら」    雪を融かすほどの春の温かい太陽のようと表現するには過ぎている。  けれどその陽の下にいれば温かいと思える。  しゆの浮かべた笑みはそれにとても似ていたから。  先ほどの問いかけにそうだと答えたら、似たようなことを考えていたのだろうか。  穏やかだった瞳の奥に、じわりと寂しさが滲んだのがわかって。  面白くないと怒ったり、拗ねたりするべきだったのかもしれないが。  オレはまあいいかと肩を竦め、まだ雪が積もる庭を眺めながら「春は遠いな」と呟いた。      なんて、冬が始まったばかりの頃は思っていたのに。  気付けば庭の雪はほぼほぼ融け、咲いていた花の種類も梅から桜へと変わり始めていた。  人の子の世とも、妖の世とも異なるこの社に流れる時間は独特だ。  人の世と同じように四季は巡るが、庭にある樹も咲く野花も季節が変わる度に変化する。  一本の木が冬の終わりには梅となり、春には桜の花を咲かせ、秋になるとイチョウになるといった具合だ。  つまり、今、庭にある梅の木だったものの多くが桜へと変化しているというのは春がきたということになる。    ずっとずっと時間と時代が流れた人の子の世ではどうなのか、オレは知らないししゆに聞けば答えはするだろうが。  その世界を捨てようと、身一つで社に訪れてきたあいつに聞いたところでもう意味を成すことはない。   「遊羅くん、ダンくん。本日、今この瞬間からオレはこの社に入ります。どうぞ末永くよろしくお願いします」    石鳥居を潜り抜け、玄関から入ってきては居間にいる二人へと深く頭を下げるしゆを見て遊羅がその表情を歪めた。   「なんも言ってねえんだけど?」 「朧の夫となれる今日この日を心待ちにしてた! ね! オレ、遊羅くんのことも裏切らなかったでしょ!」    当然のように社に入ることになってるんだと吐き捨てた遊羅にもしゆは一切怯まない。  顔を上げるなり約束を果たせる! と満面の笑みを浮かべるしゆに遊羅は滲む苛立ちを隠すように片手で顔を覆った。   「遊羅」    だがダンくんに名前を呼ばれ、深い深いため息を吐き捨てるとゆっくりとその手を下ろしていく。  そして座ったまましゆを見上げては、ゆるりと頭を傾けた。   「【充】ってのになれたのか?」    最初にこの社に入りたいんだって話をした時、しゆはオレたちの誰にも誠実で在りたいから人の子の世にいた自分を捨て本当の意味で【充】という一人の存在になってからがいいんだと言った。  まあそれがあの時の遊羅の怒りに多少触れたわけだが、それを遊羅自身が自分に問いかけたというのはしゆにとってもまた特別な意味を持つだろう。  しゆは瞳を細めると、嬉しそうに頷いた。   「それがここに入りたいが為だってんだから、気が触れてんねぇ」    約束を守ったことを直接的ではなく「本当に社に入りたいと言った時に改めて嗤ってやる」と言った過去の言葉に重ねて返すのが遊羅らしいというか。  遊羅がこういう返しをすることは別段珍しいことではないが嫌味であることが多い。だからこうしていい意味で使うのは彼の相棒であるダンくんやオレぐらいのものだったが今日、今この瞬間から。  しゆもその対象になるということ。それはしゆがこの社に本当に入るということ、遊羅の【身内】として迎え入れられることを意味するのだろう。   「さぁてじゃあ、はじめますかあ」    遊羅の言葉の意味をしゆが理解したのを嬉しそうにしているのを見て感じ取った遊羅がダンくんと視線を合わせて頷くと、深く息を吐きながら普段よりもまた一段低い声でそう呟いた。  玄関から遊羅に庭に出るように言われ、それに従うしゆにオレは着いていく。   「なにをするのかは大体わかってるけど、なにをするのかわからなくて緊張するな」 「は?」 「ごめん緊張してる」 「はははっ、まあ。うん。珍しくしゆが言わんとしてることわかるけど」    庭に出たところでまだそこにはなにもない。  ただ突っ立たされてるだけのしゆが緊張に意味不明なことを口走っていたが、なんとなく理解できた。  内容の不透明さが不安を煽るのかオレが見てもわかるほどに緊張しているしゆの手を掴めば、氷のようにカチコチになっている。   「妖になることを不安に思っているわけじゃないよ」 「知ってる」    言っておくけどと真面目な顔して口にするしゆにそんなこと心配していないと即答して首を振ればその表情に少しだけ安堵が滲む。  しゆは繋がっている手を一瞥するとそのまま持ち上げ、両の手でオレの手を包み込むとふう、と息を吹きかけた。   「緊張してるのは今からなにが起こるのかっていうのもあるけど、今夜のこともあって……」 「今夜? ああ、初夜のことか」 「あ゛っ、ん゛んっ。そうです」 「残念だが今夜は無理だからな」    理由は一つじゃないからとぶつぶつ呟くしゆにオレが強請ったことを覚えていたのかなんて思いつつ、同時に伝えられていないこともあったことを思い出したのだがオレがなにを言うよりも先に真っ赤なしゆの背後にある縁側から遊羅の声が飛んでくる。  驚きにしゆは威嚇する猫のように全身の毛を逆立て、ゆっくりと振り返りつつ丸くした目を遊羅に向けた。   「な、んっ」 「別に夫婦になるんだから好きにすりゃあいいけどなぁ、一晩はのた打ち回ることになるだろうからな」 「そんな怖いことするの? 最初のよりキツい?」 「血の気が引くどころの話じゃねえよ。怖気づいたか?」 「脅されたら怖いよ」    反対されているのかと思ったのか何故と問おうとしたのも動揺しているせいか言葉が詰まっていたが、理由を聞いてひとまずはそれでないと知ると再び緊張した面持ちになっていた。  意地悪しないでよと半ば呆れたように零すしゆに、遊羅は悪びれなく瞳を細めた。   「お前をオレの眷属にして妖にするのが一番安全だろう。オレは強いが、爪弾き者だからな。だがしゆは朧の旦那になるんだろ。なら直接的な契りは朧夜と交わせ。オレがするのはその力添えだけだ」 「夫婦としての契りを交わすのは朧とだけど、どちらにせよオレはこの社に世話になる身だ。遊羅くんの言うことに従うよ」 「いい心掛けだ」    遊羅自身の言う通り、遊羅は味方よりも敵の方が多い。それでも遠巻きにされるだけで喧嘩を売られることがないのは持つ力が強すぎるからだ。どんなに束になったとて勝てないとわかるから。  ダンくんのように祓い屋であるとか他に特殊な力があれば話は変わってくるがしゆは妖が視えるだけの人の子だから、そんな遊羅の直属の眷属になるのが一番安全だし話が早い。  別にそれでオレと夫婦になれないなんてことはないのだが、誠意を見せろということなのだろう。オレを裏切ったら、澱に堕ちるぞという脅しでもある。  でもしゆにそういった脅しは通用しない。もちろん、ここまでしゆを受け入れた遊羅なら今ここで「一番安全なら」と首を振ったとて拒みはしないんだろうが。  しゆもこれまでのことを経て、遊羅に対して誠実であろうとする。恩もあるのだろうし、恐らくしゆ自身が遊羅やダンくんを好きだからというのも理由として強い。  逸れることなく真っ直ぐに向けられる気持ちに、傍にいるダンくんが頷いたのを見て遊羅も納得したように頷いた。   「朧夜、こっちへ」    しゆとの話を終えるとオレを呼ぶので、一度しゆの手を強く握ってから離し遊羅の傍へと寄る。   「お前も、覚悟はいいな」 「うん」    珍しく真面目な表情と声で問う遊羅にオレにも緊張が走ったが、今更その覚悟に首を振ることはない。  しっかりと頷いて返せば遊羅は「そうか」と呟いて安心したように口元を緩めつつも、オレを見る眼差しに強い悲しさを滲ませた。否、悲しさというより……心配、かな。  人の子であったダンくんと契りを交わしたことがあるから、同じ立場になるオレを案じてくれているとわかる。  そんな自分のことを覗き込まれるのを拒むようにオレを抱き締める遊羅の背に、片腕を回した。   「朧夜には、オレも白檀もいるからな」 「わかってるよ」    実の親にだって、同じ仲間にだってこんなに心配されたことはない。  過剰だと思うことはあっても、多少の煩わしさはあっても。嫌だと思うことはない。呆れはあるが。  ふっ、と笑って頭を縦に振れば遊羅は「ったく」とため息を吐いて体を離した。  そしてオレとしゆを一瞥した視線をダンくんに向け、それを見たダンくんが静かにしゆの背後に立ち何事かとそちらを振り向いたしゆの視線を、遊羅が呼び戻す。   「朧も少し、痛いからな」 「うん」 「しゆは、舌噛むなよ」 「は、はい!」    遊羅はオレとしゆに一声ずつかけると、短剣を握り締めてオレの手首へと突き立てた。  そして引き抜くと同時に呪符を取り出しそれに血を吸わせるように、乱暴に掴んだ。  いくら妖が痛みに鈍いとはいえ、皆無ではない。それなりの痛みが走り、オレは眉根を寄せる。  その間にも呪符はじゅくじゅくと音を鳴らしながらオレの血を吸い込んでいき、赤黒く染まったところでダンくんに顎で指示を出した。   「朧だいじょう、うわっ!」 「舌、噛むなよ」    ダンくんは遊羅と同じ忠告をすると、クナイのような武器を咥え一瞬でしゆの四肢を押さえ込み着ている上着を乱暴にたくし上げた。  露わになったその背中には以前遊羅が付けた術の痣が火傷痕のように残っていて、そこの中心にダンくんが咥えていた武器を持ち直し深い切り傷を刻む。   「あ゛、あ゛ぁあ゛あっ!」    未だ人の子であるしゆにはかなり強い痛みが走っているだろう。  叫び声を上げて耐えるその背に出来た新しい傷の上に遊羅がオレの血を吸った呪符を押し付けた。  その途端、火床にかけられた水のようにじゅうじゅうと音を立てる。   「っ、ッ……!」    もはや声にならない悲鳴を上げるしゆの頭をダンくんが乱暴に掴み、揺さぶった。  事情も知らずに見ていると追い打ちをかける惨い行為に見えるが、彼はしゆの意識が飛ばないようにしているだけだ。   「おい! 飛ぶな!」 「ぎ、い、ぃぃい゛い……ッ!」    ダンくんの怒号にしゆは痛みに耐えるのに下向いていた顔をなんとか上げて、歯を食いしばりながらダンくんを見上げた。  それを見て、ダンくんの表情が愉しそうなものへと一変する。  性格が悪いって思ったのしゆだけじゃなく、オレも遊羅も同じ言葉が過ぎったが状況が状況だから口にはしなかった。   「しゆ、復唱しろ!」 「は、い゛……!」    呪符の持つ気配が変わっていくのを感じ取った遊羅からの怒鳴り声に、意識を飛ばすまいと耐えているしゆがなんとか返事をするのを聞いて遊羅が口を開いた。   「『我、汝の血を飲み込み』」 「我、ッ……汝の血を、っ飲み込み!」 「『契りを結ぶ者也』」 「契、りを……結、ぶ者……也!」    言われるがまま、朦朧とする意識の中で復唱したのを聞き視界に映るダンくんが頷いたのを見てしゆは意識を手放しその場に崩れ落ちる。  それと同時に役目を終えた呪符は灰となり微風に混じって消えていくのを他所に遊羅は傷口に手を這わせた。   「汝、我の加護に護られし者也」    独り言つように遊羅が呟くと、青ざめていたしゆの表情に赤みが戻り始め呼吸も安定していく。  一つの大きな儀式が済み、オレたち三人は盛大なため息を吐き捨てた。    *    暗い部屋を灯していた行燈の炎がふ、と揺らめくと傍に敷いた布団に横たわっていたしゆが勢いよく上体を起こした。  忙しない動きで辺りを見回してオレがいるのを見つけるなりその表情に安堵を浮かべる。   「お目覚め?」 「うん。おはよう」 「気分は?」 「夢見が悪かったけど、朧の顔を見たら吹っ飛んだよ」 「そう、よかったね」    声をかけて一応ちゃんと会話になっていて少しほっとする。意味はよくわからないが、しゆらしい返事なのでそこは構わない。  これだけ妖に馴染んだしゆのことだから、あれで壊れてしまうとは思っていなかったけれど不安がなかったかと問われると頷くことができなかったのも本当だから。  少しぬるくなったお湯を渡せば、しゆはそれを素直に受け取って口を付けた。   「そういえば随分と暗いけど、もしかしてオレ丸一日寝てた?」 「丸一日どころか、気絶してから丸一日はのたうち回って、疲れ果てて眠りに就いて丸二日経ってる」 「丸三日ってことか……」    喉と全身が潤ったのかほう、と息を吐くなりしゆが時の進みを聞いてきたのでその通りだと返したら、遊羅の言った通りになったことに申し訳なさを感じているのかどこか気落ちした表情を浮かべている。   「ずっと看ててくれたのか?」 「オレ以外の誰が看るっていうの」 「朧しかいないよ。でも三日は大変だっただろ、ありがとう」 「どういたしまして」    大変だっただろうとしゆはオレを気遣っていたけど、気絶してから疲れ果てて眠りに就くまでの丸一日肉体の変化にのた打ち回っていた方が大変だっただろう。  今本人は結構平然としているし、大して覚えちゃいないようだから言わないが。   「しゆ、立てるか?」 「うん」 「ならちょっと」    一応ダメ元で聞いたら大丈夫だというので、しゆを手招いてからオレも立ち上がり閉まっていた雨戸を開ける。  のろのろと立ち上がってオレの隣に立ったしゆの目にも、月明りしかなくとも庭の向こうに社があるのが見えただろう。  横顔を見上げれば、困惑し頭上に疑問符が浮かんでいた。   「え、社? え、ならここはなに?」 「遊羅がオレとしゆにくれた離れ」    投げられた疑問に間髪入れずに返したらしゆの表情は一瞬にして険しく歪んだ。  オレも遊羅と話をした時に同じ顔をしたから、今しゆがなにを思ったのかわかる。  その頭の中には「そこまでしてもらうことない」って過ぎったよな。  じ、と横顔を見つめているとその視線に気付いたのかようやとこちらを向いたしゆがオレを見て深く息を吐いた。   「話、ついてそう」 「うん」 「遊羅くんならきっと、オレがなにを言うのかなんてわかってるんだろうな」 「しゆは本当に、しゆらしいことしか考えないからな」    自分が話をしに行くまでもなくと零し、すべてを見透かされていることに情けないと頬を掻いていたがよく言えばしゆが信頼を裏切るような男ではないと遊羅に伝わっているということだ。  ならなにを問うべきかとしゆは思案するのに数度視線を左右に泳がせてから、再びオレを見やる。   「遊羅くん、なにか言ってた?」 「なんて言ったと思う?」 「朧と契りを交わしたんだから、朧のことを一番に考えなきゃ困る。とかかな」 「ははっ、わかってるじゃん」 「敵わないなあ」    なにを考えても見透かされているなら聞いても無駄と思ったのか最短で答えを得ようとするので、本当にわからないのかと聞き返したら自分で辿り着いていたのでそうだよと頷いたらしゆは両の手で口元を覆い、ため息を吐いていたが今更だ。  主だからとかそういうのの前に、あいつはオレのこともしゆのことも好きだからな。言われたくないだろうから黙っていておいてやるけど。   「でもお礼は言わないとな。まあ、怒られそうだけど」 「天邪鬼だからなぁ遊羅は」 「はははっ、そうかも」    無意味な言い争い位になるのが目に見えると吐き捨てるしゆに、仕方がないと呟けば笑ってるよこいつ。  見透かしてるのはお互い様なんじゃないのかと他人事のように思うが、他人事であるわけがないので飲み込んでおく。  視線を社へと向けると、しゆの手がオレの肩へと回りすぐに唇が触れた。   「今日からオレは妖となって、朧と共にこの離れに住むんだな。朧の夫として」 「そうだよ。もう客として扱われることもないからな」 「あーそうか。そうだよな」    人から妖となっても、しゆにわかりやすい肉体の変化はない。妖の瘴気に耐えられるようになっただけだ。  しゆと同じ人の子であったダンくんによると心臓やら内蔵やら、脳やら骨やら全身に結構な激痛が走るらしいが、オレもただの狢から妖に堕ちた身だがその変化をあまり覚えていない。  これを後日しゆに話したらワクチンみたいなものかと言っていたがオレにはよくわからなかった。  ただしゆの中では明確な変化……というか、一線を越えた意識はあるのだろうな。今までずっと人の子である自分に纏わりついている枷を早くすべて振り払いたいようだったから。  妖になったという事実を嬉しそうに噛み締めている横顔をじ、と見ているとオレを見降ろす瞳がどろり、と甘く重ったるいものになった。   「今までも朧のことばかり考えていたけど、これからは朧のことだけ考えていられるんだ」    そのわかりやすい表情の変化に、思いがけず惑わされ口元が勝手に緩む。   「しゆの思考のすべてを独り占めできるなんて光栄だ」    本当の意味でしゆの中からオレ以外のものを排除するなんて無理だ。  離れを与えてもらったとはいえそもそもこの社にいる時点で、主は遊羅なのだし。人の子の時にあった友人関係も、こいつの唯一の友達は祓い屋だから縁が切れるということもないわけで。  でも今はもうしゆのことを悩ませる他のすべてのものはなくなって、それをしゆ自身が喜んでいることがオレは嬉しい。  その独占欲を向けてもらえることが、酷く酷く心地がいいのだ。  笑みを浮かべたまま、手の甲でしゆの長い髪を耳にかけつつ頬を撫でれば無言のまま「好きだ」と訴えられる。  出逢ったばかりの頃はどこか鬱陶しくも思っていた眼差しにこんな心満たされるとは想像もしなかった。   「充、オレの旦那様。約束、覚えてる?」    しゆの纏っている服を引き寄せ、そのまま胸元に鼻先を埋めながら問うとすぐ傍から心臓がドッと跳ねた音が聞こえる。  真っ赤になっているかと思って視線を上げたが驚いて照れてはいるようだったが、熱を宿していたのは顔ではなく眼差しだった。    *    新しい布団を敷くのが面倒だと言って、戸惑っているしゆを無視してそのまま布団での情事になだれ込んだ。  唇を重ね、舌を絡め、吐息と唾液で互いの口内を満たしながら着物を脱いで素肌へと触れる。  人の子であったしゆは、人の子特有の熱を持っている。時間をかけいづれ薄れていくものだが、未だ消えきらぬその熱に素肌に触れられると全身がぞわぞわと粟立った。  しゆはといえば人の子と同じ形をしているオレが人の子と同じように感じるのかと色々と戸惑い手間取ってはいたが、互いに一度ずつ性器から精液を出した頃には納得できたようだった。   「朧、横になって」 「ああ」    上がった呼吸を整えるのに一口ずつぬるま湯を飲んでは、しゆはオレに布団の上に横たわるように言って通和散を口に含み唾液でふやかされたそれを指に纏う。  使い方を知っていたのかと思って何故と聞こうと思ったがやめた。なんか、藪蛇な気がしたから。   「挿れるよ」    濡れそぼったしゆの指がゆっくりと後孔に入ってきては、そこを慣らそうと蠢く。  妖は痛みに鈍感なので痛みは皆無だ、だからこそこの感覚は筆舌に尽くし難い。   「朧、痛くない?」 「痛くはないけど、腹の中……掻き混ぜられてる感じは、ある」 「痛くないなら、いいか……。痛くしたら言ってね」    問いかけに否、と答えるとしゆはなにか言いたげだったが無意味と悟ったのか飲み込み、オレを気遣いつつ行為を続ける。   「はっ、……は、ぁ…」 「指、増やしていい?」 「ん、」    ぬちぬちと捏ねくり回される内に違和感を拭おうとしてか次第に呼吸が上がっているのを見て、頃合いと感じたのか確認を取ってくるが聞かないで欲しい。  羞恥というよりは現状、違和感ばかりが募っているのでハッキリと是とも否とも言い難いから。  だから頷くだけに留めるとしゆも同じように頭を縦に振って、指を増やした。  人の子のそれと違って、狢の交尾に快楽などない。繁殖するためだけの行為だからだ。  だから正直、妖となって人の形を模していてもそんなものかと思っている。しゆにそれを望んだのは、人の子にとって契りを交わす為の行為の一つだと知っていたから。  オス同士で繁殖目的でもないのだから、快楽などからは程遠く今だってまた同じ行為のくり返しかと思っていたがオレは人の子の体のことなどなにも知らない。   「――ッあ゛!?」 「わっ、ごめん痛くした?」    それまで違和感だけだったのに、声が上擦るほどの強い衝撃が全身を駆け巡っていく。  なにが起こったのか理解できず困惑しているオレにしゆが痛くしたかと問うたが、丸くなっているだろうオレの目を見てなにかを察したのかしゆの目尻がゆっくりとつり上がった。   「しゆ、」 「大丈夫、怖くないよ」 「いや、怖いとかじゃなっ……ンあ゛っ! …なに、…ぁっ、う゛あぁッ……!」 「性器以外で朧が快楽を拾える場所だよ、朧」 「なん、だっ…これぇ…! あ、ッ…あ゛ぁッ……!」    しゆがある一点を指先で捏ねるたび、腰が勝手に痙攣をくり返し、びくびくと跳ねては目の前にバチッバチッと激しい閃光が散る。  先程性器を擦ってたのだってここまでじゃなかった。  これが快感だというならオレには刺激が強すぎる。   「それ、っ…! おかし、くな…ッ…ぁぁぁ、あ゛っ――!」    ぐにぐにと指で圧迫されたり、擦られるともう一溜りもない。  腰が完全に浮き上がり、弓なりにしなるとオレはそのまま精液を吐き出した。   「っ――、ッ――!」    びゅっ、と勢いよく散ったそれはオレの腹を汚す。震える足では自分の体を支えられず、布団の上に崩れ落ちた体にしゆが覆い被さってきて唇を重ねてくる。  苦しさなどはないが、上手く呼吸が出来なくて離れた途端かひゅっ、と喉を慣らしたらしゆの表情は申し訳なさそうなものに一変し、掠れた声で「ごめん」と謝られた。   「しゆ、オレ」 「うん?」 「契りを交わすための、行為だって思ってた。しゆにもわかりやすい形をしたものだって思って、交尾を強請った」 「うん」    いらないとしゆの謝罪に首を振るんじゃなく、謝罪の代わりの言葉を告げれば伝わっているのかいないのか。  ただしゆは頷くだけだ。  否、オレの言葉の続きを待っているだけなのかもしれない。  じっと真っ直ぐにオレを見つめる目を見ていたら、なんだか勝手に顔が緩んでいく。   「ははっ、ふふっ。しゆから与えられる快感に矜持も見栄も攫われそう」 「ッ……!」    しゆに手に入れられたいと自分の全部が訴える。  好きだという想いが通じた時より、もっとずっと深い。好きだと想われていると知っているからこそ、今更しゆに抱かれる存在というのを理解したのかもしれない。  ぽろぽろと溢れ出る本音を吐露したのを聞いて、しゆがごくりと喉を上下に嚥下させた。  欲情してるんだっていうのが一発で伝わってきてオレは両の腕を伸ばししゆの首へと絡める。   「充、オレをお前のものに」    お願いと強請ればしゆは震えた声で「あーもう」と吐き捨てては、嬉しそうな。それでいて困惑しているような複雑な表情で微笑んでから「敵わないなぁ」と呟いた。  しゆは少しだけ体を屈めるとちゅ、ちゅ、と小鳥が啄むような口付けをしつつ濡れたオレの腹をツツ、と指でなぞっていく。  擽ったさと、それを僅かに上回る快感に震えた腰を掴んだかと思うと自分の体の方に引き寄せ先程まで指が入っていた後孔にぐり、と熱を押し付けてきた。   「んぁっ……!」 「オレも、朧のものにして」    その熱が一瞬にして移ったように、ドッと全身が熱くなる。  溢れた唾液を飲み込もうとして咄嗟に片腕をしゆから遠ざけて口を押えたが、嚥下してから慌てて退けて小さく首を振って返したらどうしたのだと首を傾げられた。   「今は、朧夜って呼んで」 「なら、今も。これからも、時々」    しゆはぱちぱちと数度間抜けな瞬きをしたもののすぐに意味を理解し、嬉しそうに瞳を細めると少しだけ緊張して低くなった声で「朧夜」とオレのことを呼んだ。  そしてぴとりと窄みに性器の先端を宛がっては、ゆっくりゆっくりと腰を押し進めてくる。   「はっ、……ぅ、ぁ…」 「苦しくない?」 「また攫われてしまうのかって、期待してんの」 「狡いよ、煽らないで」    眉根を寄せて声を上擦らせたのを聞いてしゆが気遣ってくれたが、興奮が隠せないだけだと言い返したらはあぁと深いため息を吐かれてしまった。  だがその吐息に、同じ熱を含んでいたのをオレは決して見逃さない。  再び回した手で長い髪に隠れるうなじを撫でれば、しゆは溢れそうになる唾液を舌でなめずった後、オレの腰を少し乱暴に掴み一気に腰を穿った。   「ン゛んぅ――ッ!」    ずるり、と入り込んできた指とは比べ物にならぬ質量に反射で腰が逃げるが痛みでも苦しみでもないと理解しているしゆは容赦なくオレの体を引き寄せる。   「朧、動くね」    しゆはそう口にするや否や、先程オレが快楽を拾った箇所を目掛けて腰を打ち付けた。  硬い性器でそこを突き上げられ、擦られるたびに先程よりも激しい光が目の前を散る。   「あ、ッ…っ…あ゛ァ、ッ…あ゛ぅ!」 「ははっ、さすがにこれは……オレだけに見せる姿だ」    ぶつぶつと独り言つしゆの声が恍惚としているのはわかるが、言われている言葉を理解しようとする思考が正常さを失っていて敵わない。  そんなオレに構うことなくしゆが腰を穿つ速度は上がり、往復する度に硬い性器がきもちがいいところを突いてくる。  襲い来る快楽に身じろぎをするたびに布団から、そして目の前からしゆの香りが舞い鼻腔をくすぐっては脳の奥の思考がどろどろと溶けていく。   「んう゛ーッ! イく、イくっ!」 「いいよ、イッて朧夜」    追い打ちをかけるように胎の内を抉られ、奥を叩かれる感覚に足先からビリビリと稲妻が駆け巡っていき、オレは全身を突っ撥ねながら絶頂する。  自分でもわかるくらいナカがうねり、しゆの性器に食らい付いた瞬間跳ねたそこからびゅるる、と精液を吐き出された。  初めての感覚だがなにをされても快楽として拾ってしまい、びくんっと体が大きく痙攣する。  無意識に縋るように腕に力を込めると、しゆの手が布団から浮いたオレの背に回り抱き寄せられた。  かと思うと首筋に顔を埋めてきて、歯を立てられるが甘噛みと表現するには過ぎている。  うっ血痕を散らすという行為でもなくこれはもうはっきりと噛まれているのだが、動物的な本能で求められているのが伝わってくるので全身が総毛立ち、精液を吐き出して頭を垂れたはずの性器がまたじわりじわりと熱と芯を持つ。   「はっ、は、しゆ……」 「ごめん、朧。これきりじゃ止まれそうにない」    決して制止したつもりはないのだが、強請るような甘い声をかけられて何故か申し訳なさが募った。  同時に、求められることに胸がどくんと大きく高鳴りオレは白旗を振り回すしかない。  今、初めて。  しゆが普段胸を押さえている理由が理解できたような気がした。戸惑うが、どうしようもない優越感がある。 「あう」という情けない声が口を衝いて零れ落ちたのを聞いてしゆが満足そうに目尻を吊り上げた。  嫌だって首を振ったらこいつはそりゃあ素直に頷いて身を引くんだろうが、欲しくなってしまったのはオレも同じだ。  欲情しているのに、しゆのこと怖いと思う。  だってわかるから。今、こうしてしゆに抱かれてしまった瞬間から。オレ自身がしゆに抱かれることで快楽を拾う生き物だと理解したから。  もう求めないことなどないと、わかるから。   「しゆ」    目の前にいる愛おしい男の名を呼んで、帳のように落ちて顔を隠す長い髪を指先に絡め、頷く代わりに接吻をする。  しゆはそれがオレの答えと受け取ると嬉しそうに瞳を細めてはオレの耳にもやっと届くだけの小さな声で「まだ夜が明けなければいいのに」なんて呟いた。    *    春の穏やかな陽が差し込む縁側で大きな欠伸をひとつ零したところで、散髪が終わったばかりのしゆがオレの方を見て大きく手を振った。  利き手ではないはずのその左手の薬指に嵌められた指輪がキラリと光り、その眩しさに目を逸らしオレは自分の左手に視線を落とす。  そこにはしゆと同じ指輪が、同じように薬指に嵌められている。   「どうかした?」 「どうもしない。頭、随分さっぱりしたな」 「こんなに短いの久しぶりだ」    しゆはダンくんにお礼を言ってからこちらへと駆けてきて、手元を見ているオレを不思議そうに見下ろしてきたがなにもないと首を振って返し、顔を覆い隠すことができないほど短くなった髪を見上げる。  出逢った頃からしゆの髪は結えるほど長かった。前髪もかけようと思えば耳にかけられる程長かったと思う。  そしていろいろな事情が重なり、社に入るまで終ぞその髪を短く切ることはなかったのでオレは今初めてしゆの短髪姿を目にしている。  人の子というのは面白い。髪が短くなると何故だか幼く見える。   「ん? 変かな」 「新鮮だなぁと思う」 「オレも暫く違和感あるかも」    自分に向く視線に変かなんて聞くので否と否定しつつ、慣れないと零すしゆを手招くと隣ではなくオレと目線が合うように屈んだ。  そういうところだよなあと心の中で独り言ち、オレは前髪に残る切られた毛を払ってから露わになっている額に口付ける。   「接吻しやすいな」 「おでこはずっと出てたよ」 「ふっ、言いたいだけだよ。戯け」    突然のことに戸惑いを見せているしゆに鈍い、と一蹴すると悔しさに眉間に険しいシワを寄せた。  そしてずるずると身を崩してはオレの膝へと頭を乗せる。   「主様の前だぞ、自重しろ婿殿」 「朧が可愛くて敵わないよ遊羅くん」    いつからいたのか、遊羅がオレの背後に立ちしゆを見下ろしながら苛立ちと呆れの混ざった口振りでそう吐き捨てた。  届いた声に顔を上げては崩れ落ちるのも仕方なしと首を振るしゆに、遊羅は愉快そうに鼻を鳴らした。   「当然だろぉ? 300年前から知ってらぁ」 「絶対に勝てないマウントやめようよ」 「ははっ、婿殿は本当に朧に首っ丈だな」 「それはそう」    しょうもない言い合いを、というよりオレに骨抜きになっているのを隠しもしないしゆを笑いながら散髪の片付けを終えたダンくんが縁側から上がってくる。  否定をしないのをダンくんだけは呆れもせず間抜けだと肩を揺らして笑った。   「なんだよ! オレだってずっと白檀に首っ丈だろぉ!」 「無意味にしゆに張り合うのやめろ」    それに遊羅が自分だってと張り合い始めたがダンくんはそういうことじゃないだろうと冷たくあしらい、膝から崩れ落ちさせていた。  あの遊羅の膝をこうも簡単に突かせられるのなんて、ダンくんくらいのものだろう。しかもこんなくだらない理由で。  ダンくんは自由の利く足で遊羅に軽く蹴りをくれてからオレとしゆを見やる。   「団子あるけど食ってくか?」 「食べる」 「いただこうかな」    甘味があると誘われたので揃って頷くとダンくんは「睦み合うのもほどほどにしろよ」と言ってこの場から去り、遊羅もそれを追っていなくなった。   「玄関からって言われなくなった」 「しゆは妖で、社の一員だからな」 「うん」    二人の背中が見えなくなってからぽつりと零されたしゆの言葉から、喜びを噛み締めているのだとわかる。  よかったなと告げる代わりに短くなった髪を撫でれば面映ゆそうに瞳を細め、それを隠すように身を乗り出してオレへと口付けてきた。  それに甘く啄んでから返すとしゆはそれを惜しむような表情を浮かべたが先程のダンくんの言葉が過ぎったのかすくりと立ち上がり、外履きを脱いで縁側から社へと上がり込む。   「行こう」 「うん」    そして自然と差し出された手を掴み、その手に支えられながら立ち上がる。  このまま居間へと行ったら遊羅に嫌な顔されるんだろうなぁと思いつつ、あいつもしたいだけなんだろうし寂しがり屋なのは知っているから構ってやることにする。  同じことを考えていたのがオレを見るしゆの眼差しで気付いたのでふは、と笑ったらしゆも同じように笑っていた。      仲間の元へは戻れなくなり、妖となった時点で誰かを求めることなんてないと思っていた。  社で暮らすようになっても、遊羅やダンくんのようになれないことは仲間外れのように感じていたし。  けれどしゆと出逢って、しゆがオレを好いてオレもしゆを好いて。  こうして妖となったしゆと夫婦となって。  喜びももちろんあるが、オレの為にしゆが妖となったことをどこか負い目に感じるだろう。それが消えることは恐らく、ない。  でもそれがオレの不幸となり得るなら、構わない。だってきっと、しゆも同じだから。      嗚呼、冷たい雪などもう恐ろしくはない。  これからは冷たさに凍えても、充がオレの隣にいてくれると知っているから。

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