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奉納
仮面越しに見る世界はいつもより狭くて、見慣れたはずの村は夕闇の中で炎の灯りに揺れていて、色とりどりの花で飾られた景色は、どこか違う世界に迷い込んだようだった。
波の音を掻き消すようにして広場を包む音楽は、僕らに神への舞いを強要している。
僕は、そろそろ疲れてきた足がスカートの裾を踏まないように気をつけながら、決められた通りの動作で踊り、互いに礼をして、次の相手と入れ代わった。
年に一度の収穫祭は、この村一番の大きな祭りだ。
この舞は、豊穣の神に感謝を捧げるためのもので、村に暮らす十五歳以上の未婚の男女は全員参加しなければいけない決まりになっている。
男女がペアになり、輪になって祭壇を囲み、順に相手を代えながら踊る。この辺りの地域にはよくある奉納舞の一種だ。
……まあ、そこまではいい。
問題なのは、男女がピッタリ同数ペアになる必要があるにもかかわらず、この村では未婚の男の方が未婚の女よりも四人多いという事実だ。
そして、そんな場合にこの村に代々受け継がれてきた対処法が『一番小柄な男が女装をして女役で踊る』という、神様に対してそれでいいのか的な方法だったという事だ。
そんなわけで、僕が今、ひらひらのスカート姿で、馴染みの男連中を相手に慎ましく女踊りを踊っているのは、不可抗力で、村の皆ためで……。
そう、仕方のない事なんだ。
ちなみに、僕と一緒に女役をやるはずだったもう一人、僕と同じ十五歳で僕の次に小柄だった奴は、一昨日突然旅に出てしまって、今はこの広場どころか村にすらいない。
女踊りの特別特訓が始まった頃から、嫌だ嫌だと繰り返していたが、まさか本番直前で逃げ出すとは……。
それじゃあ男が一人余るだろうと思ったが、不運にも昨日足を折った奴がいて、僕が女役をすると人数は不思議なくらいに男女ピッタリになってしまった。
僕は憂鬱な気持ちのまま、礼をする。
もうあと三人ほどで一回りだ。
そうすれば、音楽もやむだろう。
救いがあるとすればこの仮面だな。僕はそう思いながら礼で少し下がってしまった仮面を押し上げる。
顔の半分ほどを覆う大きな仮面と、姉が面白半分で被せた長い髪のカツラのおかげで、村の人達に顔を見られても、よほど親しい相手でなければ僕だと分からないようだ。
音楽に合わせて、相手が代わる。
本来なら僕もこうやって移動する側だったんだけど、今の僕はやってきた男の差し出す手に、黙ってそっと手を重ねるだけだ。
「ん? なんだお前、良いな。こんな女この村にいたか?」
頭上から振る声。
またか。と僕はげんなりする。
もうこれで何度目だろうか。
声を出す事ができれば、すぐに男だと分かってもらえそうなものだが、何故か女役は奉納舞の間は喋ってはいけない決まりがある。
いや、何故かの理由は確か指導役の人が話してたはずなんだけど、伝承がなんとかって話で忘れてしまった。
「おい、顔を見せろ」
不意にぐいと顎を引かれて、僕は強引に顔を上げさせられた。
ここまで、僕の素性を知りたがる男達は、歳はいくつかとかどこに住んでるかとかそんなことを尋ねてきたけど、僕は口元だけで微笑んでつつがなく次の人へと代わっていたのに。
こんな乱暴な事をする奴は一体誰だ。と僕は内心憤慨しながら男の顔を見た。
男の淡い紫の瞳には、どこか人間離れした光が宿っていて、僕は見てはいけないものを見てしまったような気がした。
「んーーー? ああそうか、お前は……」
男は呟きながら、顔を近づけて僕の目を覗き込む。
浅黒く日焼けした肌、引き締まって重そうな体格の良い体に、悪戯っぽく吊り上がった狐の面のような目元。
歳は二十歳そこそこに見えるが、こんな男、この村にいただろうか……?
悩む間も、男の顔がじわじわと近づいてくる。
このままではぶつかってしまいそうな気がして、僕は思わず声を上げた。
「ぼっ、僕は女じゃなくてっ、女役で――」
男は目をスッと細めると、口端を大きく持ち上げる。
「お前、喋ったな?」
背筋にゾクリと悪寒が走る。
そうだ。思い出した。
喋っちゃいけない理由。
祭りに紛れて、人の姿でお嫁さんを探しに来た神様に『攫われるから』だ。
気づいた瞬間、世界がひっくり返る。
ゴウっと感じたすごい風がおさまって、思わず閉じてしまった目を開くと、そこは空の中だった。
「なっ、えっ? へっ!?」
暗い空に包まれて、満月だけがやけに丸くて明るい。
「お前、結構重いな」
声を辿るように振り返れば、僕を抱えている声の主は、全身をふさふさの毛に覆われた僕の何倍も大きな生き物だった。
いや、これが伝承の通りなら、これは神様……なのか?
だとしたらマズイ。
だって、僕のことを女だと思って攫ったんだとしたら、男だなんて知ったら、腹を立てて…………。
……こ、殺されたりしちゃうんだろうか。
僕の全身の血が、さあっと音を立てて引いてゆく。
「ま、変に軽いよりは、ずっしりしてる奴の方が頑丈でいいよな」
ふさふさの生き物はそう言って、ケラケラと笑う。
なんだろう、今のはフォローだったんだろうか。
足元を覗き込むと、ずっとずっと遠くに村の明かりが小さく見えた。
特に肌には風も感じないのに、村の明かりは見る間に遠くなってゆく。
どうしてだろう。僕には分からない神様の力なんだろうか。
頭の中がぼんやりとしてきて、だんだん考えがまとまらなくなってくる。
「帰りたいか?」
ポツリと尋ねられた言葉に、僕は「うん」と頷く。
体はふわふわして浮いているように軽いのに、視界はみるみる暗くなって、何も見えなくなる。
「悪ぃな」と近くで誰かが言った気がした。
***
目が覚めたら、僕は布団に寝かされていた。
見たこともない天井には、薄い木の板が何枚も敷き詰められている。
海沿いの僕の村は石を積み上げて作った家ばかりで、こんな造りの天井を見たのは生まれて初めてだった。
僕は、これら全てが夢でありますようにと心の底から願いながらもう一度目を閉じてみる。
村の端からだって、いつも微かに聞こえていた波の音は、どれだけ耳を澄ましても全く聞こえなかった。
そのかわり、遠くからキャッキャと子どものはしゃぐような声がするのに気づく。
この部屋からはかなり離れたところにいるようだけど、幼い子どものような声が時々聞こえていた。
子ども……?
神様にも子どもっているんだろうか?
それとも、神の使い的な生き物がいるとか……?
目を閉じたまま悩む僕のすぐ横で、声がした。
「起きたか」
「!?」
慌てて跳ね起きた僕の頭を、覗き込んでいたらしいその人がサッとかわす。
あ、この人は昨日の……。
「ああ、人の姿の方が怖くないかと思ってな」
僕がよっぽどジロジロ見てしまったのか、浅黒い肌の男はどこか気まずそうに淡い金色の髪を後ろに撫でつけた。
その仕草に会話の余地を感じて、僕はおずおずと口を開く。
「あ、あの……」
「なんだ?」
薄紫色の瞳が僕をジッと見る。
それだけで僕の身はぎゅっと小さくなる。
「あなたは神様なんですか……?」
「んー、まあそんなようなもんかな?」
「ど、どうして僕をこんなところに……」
「あの村とは約束があってな、あの踊りの最中に俺と話した奴は、俺が連れて帰っていいことになってる」
「……っ」
男が淡々と説明した内容は、確かに僕が聞いていた話と同じだった。
それじゃあ、人の注意をよく聞かずに、迂闊に神様と話をして攫われたのは僕が間抜けなだけで、この神様に文句を言うのは筋違いなんじゃないか。
僕がちゃんと黙っていれば、この神様が僕を攫うことはなかったって事なんだから。
「知らなかった、なんて事はないな?」
男が静かな声で尋ねる。
僕は息を詰めたまま、諦めるようにして小さく頷いた。
「っはーーーっ。よかった。いやお前にとっちゃよくねぇか。にしてもお前は真面目な奴だなぁ。うっかりならうっかりで、知らなかったって言い張りゃいーじゃねぇか」
「へ?」
まさか、しらばっくれればよかったなんて言われるとは思いもせずに、僕はポカンと口を開けてしまう。
体格の良い男は困ったように眉を下げたまま、僕の肩をバシバシ叩いて「いやいや真面目結構、正直者大いに結構」と笑った。
どうやらこれは彼なりの励ましのようだ。
だとしたら、僕にはもう一つ言わないといけない事がある。
「あっ、あのでも僕、そのっ、女じゃなくて……」
「男なんだろ? 分かってるよ」
さらりと返されて、僕の方がまた驚く。
「嫁探しだとか言われちゃいるが、女の方が面倒見のいい奴が多いってだけで、真面目に子どもの面倒を見てくれる奴ならどっちだっていいんだよ」
「子ども……?」
確かにさっきも子どものような声を聞いたけど。
子どもって、神様の……?
「嫌でも逃げずに女装するほど責任感のある奴で、俺に迫られても攫われても殴るどころか突き飛ばそうともしねーしな、さらに真面目な正直者とくれば、十分すぎんだろ」
男は両腕を組んで、何やら満足そうに頷いている。
「お前、ガキの世話はできるよな?」
「は、はい」
僕は四兄弟の二番目で、下に歳の離れた妹と弟がいる。
確かに子どもの世話なら毎日の事だけど、男はそんな事わかりきってるみたいな顔で僕を見下ろしていた。
「よーし、お前らーっ、出てきていいぞーっ!」
男が突然大きな声で呼びかける。
すると、広い部屋を囲んでいた壁のようなものがフッと消えて、どこからともなく色々な姿の子ども……。……子ども?
子どもという言葉に、人の姿を想像していた僕の方が間違っていたみたいだ。
動物の姿をしたものや、人の使う道具類、毛玉のようなものや火の玉のようなものまで、様々な見た目の子ども……? がわらわらと寄ってきた。
「わーい」
「新しい人だー」
「ねーねー、どこからきたのー?」
「あたしと遊んでー」
「ボクねー、これできるよー」
「にんげんー?」
声や喋りを聞く限り、どの子も幼い子のようではある。
「え、えっと……」
何か答えなきゃいけない気がして戸惑う僕の肩に、男がポンと手を置く。
「一回黙れ。俺の話を聞け」
途端、あんなに騒いでいた子たちがしんと静まり返る。
「これからお前達の面倒を見てくれる兄ちゃんだ」
「えー?」
「女の子じゃないのー?」
口々に言われて僕はハッとする。
仮面こそ外してあったけど、僕の姿は攫われた時のままで、つまり長い髪のカツラもひらひらのスカートもそのままだった。
「あ、えっと、僕は」
ひとまず名乗ろうとした途端、男の大きな手が口を塞ぐ。
「本名は名乗るな。この先も絶対にだ。お前の名は俺が決める」
見上げた男の薄紫の瞳は真剣な色をしている。
僕はこの先、絶対にうっかり本当の名を名乗らないようにしよう、と心に刻む。
「そうだな、お前は……、サキにしよう」
サキ……?
ああ、サキホ村から取ったのか。
確かにサキホでもサホでも女っぽくなるけど、サキもそれなりに女っぽいような……。
「サキー」
「さきさきー」
「しゃちー」
「よろしくー」
「あたしはメルだよー」
うん、小さい子にはちょっと言いにくいかな。
僕が変更を求める気持ちで見上げると、男は満足そうな顔で頷いている。
どうやら気に入ってしまったようだ。
「サキ、これからよろしくな」
男は嬉しそうにニッと笑って、僕を見る。
子ども達からも、じっと僕達に注目している気配を感じる。
僕は、この男に聞きたい事がまだ山ほどあったけど、それはこれから順に尋ねてゆくことにして、ひとまず「はい」と答えた。
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