1 / 9
第1話 プロローグ
その基地は、冬になるとすべてが白銀に染まった。
吹き荒れる雪の中でも
巨大な鉄の翼を休めることは許されない。
「……よし。エンジン、異常なし。明日のフライトも万全だ」
男は、戦闘機の冷たい機体を軽く叩き
凍えた手に息を吐きかけた。
真島直人、33歳。
航空自衛隊の整備班長を務める彼は
無骨だが誰よりも誠実な仕事ぶりで
パイロットたちから「彼が整備した機体なら死なない」と絶大な信頼を寄せられていた。
若くして妻を亡くしてから
12歳になる娘の美月 を育てることと
この機体を守ること。
それだけが、彼の世界のすべてだった。
「班長、本日着任した新しいパイロットが挨拶に来ています」
部下に促され、直人は作業着の汚れを払いながら振り返った。
そこに立っていたのは
冬の澄んだ空気のように凛とした佇まいの
若いパイロットだった。
「――本日付で配属されました。橘レオン二等空尉です。よろしくお願いします、班長」
若者は、直人の目を見て真っ直ぐに頭を下げた。
端正な顔立ちに、吸い込まれるような碧い瞳。
基地内では早くも「プリンス」と噂されるエリートだが、
その瞳には浮ついたところはなく
厳しい現場への覚悟と
目の前のベテラン整備士に対する
異様なほどに純粋な敬意が宿っていた。
直人は、若者が差し出した手を握った。
パイロットらしい、引き締まった手。
だが、その指先が触れ合った瞬間
直人の胸に不思議な
懐かしい温かさが灯った。
「……ああ、よろしく。俺の整備した機体だ、安心して乗ってくれ」
「はい。……お噂は伺っていました。あなたの整備した機体に乗れることを、心より光栄に思います」
若者は少しだけ表情を和らげ
控えめに微笑んだ。
その笑顔は、あまりにも眩しく
直人の記憶の奥底にある「何か」を激しく揺さぶった。
遠い日の記憶
その日の帰り道。
直人は、美月が待つ家へと車を走らせながら
ふと思い出していた。
自衛官になったばかりの18歳の冬。
基地の一般開放日に迷子になって泣きじゃくっていた
小さな少年を助けたことがあった。
『僕もいつか、空を飛びたい』
そう言って
自分の裾を離さなかった少年の瞳。
(……まさかな。あの子なら、もう15年も前の話だ)
直人は小さく笑って、ハンドルを握る手に力を込めた。
一方、静まり返った格納庫の隅で。
若きパイロット
橘レオンは、先ほど直人と触れ合った自分の右手をじっと見つめていた。
「……ようやく、隣に立てた」
十五年。
迷子の僕を拾い
絶望から救い出してくれたあの背中を追い続けて
…十五年。
そして再会した今
この先さらに何年かかろうとも
絶対に僕はあなたを手に入れる。
レオンの呟きは、雪の中に静かに消えていった。
人生のすべてを賭けて磨き上げられた
「一途な執着」の始まりであることを
直人が知る由はまだなかった。
ともだちにシェアしよう!

