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2話『偽りの勇者』(4/4)

 リンデルが衝撃を覚悟した時、魔物は顔を押さえて苦しみだした。  その目や顔には無数のナイフが刺さっている。 「ロッソ!」  安堵したリンデルを狙う、もう一体の魔物。  ロッソはそちらへもナイフを投げる。  右手に持っていたナイフは投げ尽くしてしまった。  左手でナイフを投げれば、肩が小さく痛んだ。 「勇者様」 「助かったよ、ありが――」 「ここは私にお任せください」  ロッソはリンデルと魔物との間に割り込んだ。 「!?」  リンデルが顔色を変える。 「こいつらは俺の村を襲った魔物だ! 俺が――」 「それが、勇者様のなさるお顔ですか?」  ロッソの言葉が、冷たい鎖のようにリンデルの首を絞める。 「……っ」 「ここは町の中です。戦闘が終わればすぐにも民に囲まれるでしょう。そんなお顔で人前に出るおつもりですか?」  返す言葉もなく剣を強く握りしめるリンデルに、仕留め切れていなかった一体目が腕を伸ばす。  一瞬遅れて気付いたリンデルがようやく体勢を整えた時には、魔物はロッソのナイフに牽制されていた。 「注意力も散漫で……」  ロッソは心を鬼にして続ける。  これは自分にしかできない仕事なのだから。 「こんなところで無駄死にされては勇者の名折れです。今までの勇者様に顔向けできませんよ」  言われて、リンデルは青ざめる。  勇者の名に泥を塗るような真似だけは、決して、したくなかった。  団員達の働きで、三体目の魔物も無事地に沈む。  ズシンと地を揺らすその音は、二人の耳にいつもよりも重く聞こえた。  ロッソは、自分が深く傷つけてしまったであろう主人の顔を見上げ切れずに拳を握る。  勇者に何かあった時、真に歴代へ顔向けができないのは自分の方だとロッソは分かっている。  勇者を教え導き、守る事こそが自分の役目なのだから。 「よーし、これで全部片付いたな。お疲れさん」  黙したままの二人の背に、ルストックの温かい声がかけられる。  しかし二人からは返事どころか何の反応もない。  ん? なんかあったのか……?  二人の間を流れる冷たい空気に、ルストックは心配になった。 「リンデル、大丈夫か?」  肩をポンと叩かれて、リンデルはハッと隊長を振り返る。  ロッソは小さく咳ばらいをしてから「街中ですよ、すぐ人が来ます」と注意をした。  こうして咳払いと注意をセットにすることで、そのうち口で注意をしなくても咳払いをするだけで二人が気付いてくれるようになるように。 「おお、そうだな」  頷いて、ルストックがまた言い直す。 「いかがされました、勇者殿」  リンデルはその言葉に、冷たい鎖の重みを感じてしまった。  身を固くしたリンデルの姿に、ロッソはようやく気づく。  ルストックが呼び方を統一しなかった事には、確かに意味があったのだと。  ロッソの脳裏に先週のやり取りが蘇る。 「呼び方を勇者殿に統一しろ? あー……まあ、お前の言う事はもっともだ。それが一番間違いないな」  そう言いながら頭をかいたルストックは、けれど首を縦には振らなかった。 「けど、あいつを名前で呼ぶ奴が一人もいなくなるんじゃまずいだろ?」 「……何か不都合が?」  中隊長は私の問いに対して、なぜか私の頭をポンポンと許可もなく撫でた。 「……お前も困った奴だな、ロッソ」  問いにも答えず、なんて失礼な人なのだろうとその時は思ったが、どうやら彼の言う通り、勇者様を名前で呼ぶ人がいることは、勇者様にとって大きな支えとなるらしい。 「勇者様っ!」  駆け寄る足音と共に、聞き覚えのない女性の声が勇者を呼んだ。  ***  リンデルは声の方へと向き直る。  駆け寄ってきたのは、さっきの小さな男の子を抱きかかえた母親だった。 「あっ、あのっ、勇者様、先程はうちの子を助けてくださいまして、本当にありがとうございますっ!」  女性は何度も何度も頭を下げて、必死で感謝を伝える。 「私がちょっと目を離したばかりに、本当にすみませんっ」  リンデルが定型句からいつもの言葉を選ぶ。 「いえ、当然の……」 「ほらっ、あなたもちゃんと御礼をして」  母親に促されて、小さな男の子がぺこりと頭を下げる。 「ぁ、ありがとぉごじゃいますっ」  まだ少し舌足らずな言葉が、精一杯の礼を伝える。  本当に無事でよかった……と涙目で幼い息子を見つめる母の姿と、そんな母親を嬉しそうに見上げる幼い少年の姿を、リンデルはどこかぼんやりと眺めた。  俺は、この人達を救えたのか……。  なんとなく実感が湧かないのは、まだ心が現実に追い付いていないからだろうか。 「上流の村が潰されたと聞いて慌ててしまって……たった一人の家族とはぐれてしまうなんて、自分が情けないです……。この子より大事なものなんて何もないのに……」  母親はそう言って、子に頬を寄せてもう一度頭を下げる。 「本当に……本当にありがとうございましたっっ」  リンデルは、喉まで出かかった言葉を飲み込むと、今にもしかめてしまいそうな顔で、強引に微笑んだ。 「……いえ……当然のことを、したまでです」  その潰された村は、俺のたった一人の姉がいた村だ。  ――ああ、彼女の言うとおりだ。  俺だってそうだ……。  姉さんより大事なものなんて、俺にはなかった……。  この世でたった一人守りたかった人を置いて、俺はここで何をしているんだろう……。  町の西側に戻る人々は、それでも家族の無事を喜び合っていた。  今回のカワウソ型の魔物の討伐は初動が早く、家屋にいくらかの被害こそ出たものの、住民に死傷者はなかった。  だからか、昨日に比べれば人々の勇者隊に向ける眼差しは温かく、リンデルは住民達から家族の無事を感謝されるたびに胸が潰される思いをした。  リンデル達が宿に戻ったのは、昼前だった。  朝食を食べそびれた団員達が、ぞろぞろと食堂に集まる。  のろのろと宿の鳥舎へ鳥を入れたリンデルに、温かい声がかかった。 「お疲れさん」  顔を上げたリンデルの頭を、ポンと撫でてくれる大きく温かな手。 「……隊長……」  ルストックは実直そうな太い眉を優しく下げて、小さめの黒い瞳でリンデルを優しく見つめていた。  リンデルは二人きりの鳥舎で、ほんの少しだけ彼に甘えてしまう。 「俺……、ちゃんと笑えてましたか?」  ルストックは優しく頭を撫でながら言う。 「ああ、偉かったぞ。よく頑張ったな」  求めていたその言葉に、リンデルの視界がじわりと滲む。 「――っ、ちょっと疲れたので部屋に戻りますね、お先に失礼します」  ぺこりと頭を下げて、リンデルは片手で顔を隠すようにして走り去った。  その背に「しっかり休めよ」と隊長の優しい声がかかる。  この人の隊で良かった。  隊長が傍にいてくれて、本当に良かった。  リンデルは彼のまっすぐな優しさに、ただただ感謝した。  ***  鳥舎から出たルストックは空を見上げた。  日はまだ高く、これなら食事を済ませてすぐ移動すれば、今日の内にリンデルの村にたどり着けないこともない。  ルストックは宿に戻るとロッソに声をかける。 「ロッソ」  宿の廊下でこちらを振り返ったロッソは、その手に料理を乗せたトレイを持っていた。  並ぶ料理は消化の良さそうなものが多い。 「それはあいつの分か」 「ええ、何か少しでも食べていただかないと……」  リンデルは今朝だけでなく、昨夜も何も口にしないまま寝てしまっていた。  最後に食べたのは昨日の昼だ。 「なあ、あいつの村はここからそう遠くないだろ。何か残ってるかもしれないし、少し寄ってやらないか」 「それはできません」  ルストックの提案に、ロッソは首を振った。 「明日早朝にはこちらを発たなければ、王都の式典に間に合いません」 「……あいつの、たったひとりの肉親だって言うじゃないか」 「たった一人とおっしゃるなら、勇者様もこの国にたった一人です。勇者様がいなければ式典が行えません」 「それはそうかも知れないが……」  ルストックはなおも食い下がった。  あんなに無理をしてまで頑張っているリンデルのために、少しだけでも何かしてやりたかった。 「式典には沢山の人間がかかわっています。何か月も前から歌や劇の練習をしている子達もいれば、勇者様に花を渡す役の子が緊張で眠れない日々を過ごしているかも知れません。そんな人々を悲しませるわけにはいきません」 「っ、じゃあそのためなら、あいつはどうなってもいいって――」  ロッソが静かに目を伏せる姿に、ルストックは頭を抱えて失言を詫びる。 「……すまん。お前を責めるのは筋違いだった。許してくれ……」 「いいえ、憎まれ役も私の仕事ですから」  ロッソはほんのわずかに微笑んで答えた。  その頃、リンデルは二階の部屋の窓から、ひとりきりで青い空を眺めていた。  ベッドに力なくうつ伏せるリンデルの体には、見えない鎖が何本も巻き付いている。  重たいその鎖をどうする事もできないまま、金色の瞳はぼんやりと青い空を映していた。  空の向こうに幼い自分の姿が見える。 「俺、大きくなったら勇者になるよ!」 「勇者になって、姉さんや国の皆をぜーーーんぶ幸せにするんだ!」  どうしてあの頃俺は……あんなに無邪気にその夢を信じられたんだろう……。  リンデルは自分の手を見つめる。  剣だこが並んだ手にも、見えない鎖が重く巻き付いている。  ……俺、どうして勇者になったんだっけ……。  皆を、幸せにしたいと思って……。  でも、勇者になってはじめて分かった。  勇者が幸せできるのは、自分以外の『皆』で……。 『皆』の中に勇者はずっと、含まれてなかったんだ……。  ……じゃあ、俺の幸せは……?  勇者の幸せは、一体……どこに……あるんだろう……。

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