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シチュー【終章】 名を捨てた男が残した、レシピのお話

 2021年発行のご飯アンソロジー「いっぱいたべるキミがすき!」に収録されているお話で、  シチューを作る様子が延々続きます。お腹がペコペコでない時にお読みください。  ---------- 「カースの作るシチューは、本当に美味しいなぁ」  リンデルはあたたかな金色の髪を揺らすと、スプーンの上のそれを大切そうに口へ運んだ。  青年の幸せそうな顔に、カースと呼ばれた浅黒い肌をした男が僅かに口端を上げ、優しい森色の瞳を細める。  カースという名は、今は亡き盗賊の頭が勝手につけたあだ名だった。  美味しい美味しいと繰り返しながらシチューを平らげた青年が、木の器を掲げて満面の笑顔で言う。 「おかわりっ」  空になった器を受け取った男が、柔らかそうな黒髪を揺らし苦笑を浮かべ、また鍋に向かう。  軽くもう一杯だけ入れてやると、窘めつつ渡した。 「もう、このくらいにしておけよ」 「ん」  髪と同じ金色の瞳を嬉しそうに細めて、青年はそれを両手で受け取る。  そんな二人のやりとりを、同じ食卓の隅から、長い黒髪を真っ赤なリボンでひとつに括った小柄な男が見つめていた。  小柄な男は整った顔立ちをしていたが、その表情は常に半眼に近い無表情だった。  敬愛する主人である金色の青年が、心底幸せそうに、彼の作った料理を食べている。  その様子をじっと見つめていた従者は、一旦視線を机に落とす。  自身の手の中にも、空になった器があった。  そのシチューは、何度食べても本当に美味しかった。  今の自分の知識だけでは、この味を再現する事はできないだろう。  黒髪の従者は自身の結論を確認すると、顔を上げた。 「もし……。もし、ご迷惑でなければ……」  従者の思い詰めたような声に、金色の主人と浅黒い肌の男が何事かとそちらを見る。 「私に……、この、シチューの作り方を教えていただけませんか……?」  カースは黒い瞳に懇願されて、従者の想いに気付いた。 「そうだな。俺が死んでもこいつがこれを食えるんなら、それもいいかも知れねぇな」  金色の青年より二十歳年上の男は、ここより先を見つめてそう答えた。  そんなやりとりから数日後の今日、随分と身長差のある黒髪の男二人は、並んでキッチンに立っていた。  カースはシャツの袖を左腕は肘まで、もう片方は肘上で途切れた腕のもう少し上まで捲っている。  ロッソは、主人様では腕周りに筋肉がついているのであそこまでは捲れないだろう。などと思いながら、手にしていたメモをエプロンのポケットに仕舞う。  ロッソは、女性用なのか、小柄な体躯にぴったりサイズの無地のエプロンをかけて、真面目に三角巾まで身につけていた。  カースは右腕も調理に使うのか、左手と一緒に右腕の先端も洗っていた。  ロッソもカースに倣い、丁寧に手を洗う。  そんな従者の姿を見て小さく頷くと、カースは食卓の上に並べた材料を指して口を開いた。 「まずは小麦粉だな。手に入る中で、なるべく粒が細かくて軽いのを選べ」  ロッソが「はい」と返事をしつつ、メモを取る。 「それをこのくらい、片手鍋に入れる」 「あの、量は……」  カースのざっくりした表現に従者が戸惑いを浮かべると、カースは申し訳なさそうに苦笑した。 「悪ぃな。最近はろくに量らずやってたんだ。昔より量を変えちまったのもある。量りながら書き留めてくれるか?」  ロッソは「分かりました」と答え、カースが卓上に用意しておいた秤とボウルで手早くそれを計量する。  カースはそれを確認しながら、粉をまた片手鍋に戻した。 「粉は、火を入れる前に入れるようにな」  ロッソが「はい」とメモを取るのを横目に、カースは火を点ける。 「火は強くていい。木べらで混ぜながら、ゆっくり百五十数えるまでな」  言いながら、カースは何度か鍋をかき混ぜた木べらを、ロッソに手渡す。  ロッソは慌ててメモをポケットに突っ込むと、渡された木べらで鍋を混ぜる。 「焦げ始めるようならすぐ火を止めろよ」 「は、はい」 「ほら、いい匂いがしてきたろ? そしたら火を止めて、別の器で冷ます」  カースが火を止めるのを見て、ロッソがホッと肩に入っていた力を抜いた。  残り時間を把握できていなかったからだろうか?  この生真面目な従者を無駄に緊張させてしまった事にカースはほんの少し罪悪感を感じて、足りなかった説明を足す。 「今日は、俺は見ておくだけだ。ロッソが作れ」 「はい」  言われて、小柄な従者はその背筋をピンと伸ばした。  力が余計に入ってしまった様子のロッソを、三角巾越しにカースは撫でる。  カースの低い声が、優しい声色で降ってくる。 「そんな緊張するようなこっちゃねぇよ。いつもと同じ、今日の夕飯を作るだけだ」  ロッソがそうっと視線を上げる。カースはいつものように口端だけを不敵に上げて、森色の瞳は柔らかくロッソを見ていた。 「……そうだろ?」 「は、はい……」  いつの間にかキッチンに差し込み始めた西日が、カースの森色の瞳で小さく揺れる。  ロッソのほんのり熱くなった頬も、この西日の中でならきっと気付かれないだろう。  カースは自分の掌の下でロッソの真っ黒な瞳が緩んだのを見ると、パッと手を離し、卓上の包みを指した。 「んじゃ、次は肉だな」  ロッソがそれを調理台へと運び、開く。 「肉は鶏肉な。煮込むと小さくなっから、その分気持ち大きめにな」  言われ、従者は小さな手で器用にそれを切り分けた。 「皮はうまいから残す。だが皮と肉の間の脂は取っといた方が、アクが少なくなるし、雑味も減る」 「脂……」  呟いたロッソの手が止まるのを見て、カースが横から包丁を握る。ロッソの手をそのままに、包み込むようにして。 「ああ、こうやってな」  皮の裏側を包丁で撫でるようにして、脂を削ぎ落として見せると、ロッソはほんの少し赤くした頬でコクコクと頷いた。  右手で包丁を持つロッソの手をカースは左手で握る形になったが、それでも男は器用に包丁の先を動かしてみせた。 「筋も取っておく、残ってると固くなるからな」  そこまでを教えてカースが手を離すと、真面目なロッソは丁寧に下拵えを始めた。  それを眺めながらカースは隣に塩を出す。 「塩で下味つけたら、ちょい馴染むまで置いとけ」  指示を出し終えて、カースは作業に努めるロッソの横顔を眺める。  普段は長い前髪で表情を隠しがちなロッソだったが、今は顔周りの髪も三角巾で押さえられ、その白い肌がよく見えた。  浅黒い肌をしたカースと違って、この白い肌ではほんの少しの赤みもよく分かる。  この小柄な従者は、二十一歳から勇者の付き人見習いを始めていたらしいが、その時にはもう料理も裁縫も、何もかもを身につけていたらしい。  国の歴史から各地の地名、その特徴など全てが頭に入っているというこの男は、必要な知識の勉強だけでも相当な量だろう。  さらに護衛としての役目も担う為には、鍛錬だって相当な時間していたはずだ。  果たして、この真面目過ぎるほどに真面目な人物は、今まで遊んでいた時期というものがあったのだろうか。  むしろ遊んだ経験が一度でもあるのかどうかすら、疑わしい。  それ以前に、この小柄な男は、今までの人生で人から優しくしてもらった経験が少な過ぎるのではないだろうか。  ほんの少し撫でる程度で信じられないというような顔をする、優しさに不慣れで生真面目な従者は、今、肉の下拵えを終えて丁寧に手を洗い、メモを取っていた。

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