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二十六、大丈夫です

 蛭子は落ちていたひとの子の右足を、長い袖に隠れている手で掴み、雪の道を引きずって歩く。視界は最悪だが見えないというわけではない。死んではいないようだが意識の戻らないその子を仰向けにした状態で、それよりもずっと小さな身体の蛭子が片手で引きずって歩いている姿は違和感があった。 『血は止まったみたい』 『ヒルコの力のおかげ!』 『傷口も塞がったから、とりあえずは安心だね』  あの後、なにがあったのか。 「別に。こっちも貰うものは貰ったから……」  蛭子は自身の本来の力をだんだんと思い出してきた。ずっと忘れていたチカラ。血を喰らうことで己の力を高められるということ。  ずっと摂取され続けていたあの頃とは真逆のことをしている。もしかしたら、自分自身こそが禍々しい存在なのかもしれない。  贄とは名ばかりの、凶悪な存在なのかも。そんなことを思ったが、だからなんなのだ? と冷めた声が心の中で響く。この身を見てみろ、と。手足がひとのそれとは違いすぎる。奇形。紅玉色の瞳も、この顔の半分を覆う悍ましい痣も。 (それにしても、この子の血は……ひとのそれとはどこか違う気がする)  まったくどうして自分は、こんなお荷物を引きずって歩いているのだろう。雪が吹き荒れ、視界がほとんど見えない。ただあの喧しい鴉から逃げられたらそれで良かったのに。 『あそこ! いい場所があるよ!』 『ホントだ! あそこなら雪も風も入ってこないからもってこいだな』 『急いで。ひとの子は弱いから死んじゃうかも』  この子はそう簡単には死ななそうだけど? と後ろに視線だけ向けて蛭子は思ったままのことを呟く。変な子であることは確か。 「……なにをしているんだ、ボクは」  はあ、と嘆息して蛭子は雪が積もっていない、自然にできたのだろう岩陰に身を寄せた。途中からは両手でひとの子の上半身をなんとか持ち上げて、岩を背にして寄りかからせた。ぐったりとはしているが、死んではいない。そもそもあの高さから落ちて生きているのが奇跡といえる。  そ、と長い袖に隠れたままの左手を青白くなっている頬に伸ばす。なんだか本当に不思議でならない。自分の行動はただの気まぐれ。子どもたちがぎゃあぎゃあと煩いから仕方なく助けてやったが、これからどうするかも決まっていない。 「……ん……うぅ……」  びくり、と肩が大きく揺れる。頬に触れようとした袖を引っ込めて、蛭子は後ろに一歩下がって距離を取った。自分の姿は、ひとの子には畏れでしかない。こんな醜い姿の自分が起きた時に目の前にいたら、きっと悲鳴を上げて逃げ出すに決まっている。  薄暗い奥の方へと身を隠し、様子を窺っていた蛭子の心配をよそに、ゆっくりと開かれた色素の薄い瞳がどこともない場所をぼんやりと見つめていた。 「……わ、たし……は、」  その声は男なのか女なのか。  どちらとも言えない中性的なか細い声で。 「……声が、聞こえて……それから、」  はっとなにかを急に思い出したのか、自身の身体を何度も見回してみたり、頭の後ろあたりをさすってみたり、上半身だけ忙しく動かし始めた。まあ当然だろう。あそこから落ちた後も少しは意識があったはずだ。あんなに血が出ていたのだから、自分の視界にも広がっていただろう。 「……生きてる? もしかして、あなたが助けてくださったのですか?」  確実に自分に問いかけられているとわかっていたが、蛭子は沈黙する。 「あの声は、あなたの?」 「違う。あれはお前を唆して、崖から落とした悪いモノだ」  そうだったんですか……、と目の前の者は安堵の表情を浮かべた。 「は? なんで安心してるの? お前はあれのせいで大怪我をしたんだよ。なんで嬉しそうなの? 話聞いてた?」  子どもたちが頭の中でわあわあと騒がしい。怪我人を労われとか、いじめるな、とか。そんなのどうだっていいだろう? そんなことよりも、目の前の馬鹿が付くほどのお人好しに対して、今まで感じたことのない苛立ちのようなものを覚える。 「助けて、と聞こえたので。吹雪もすごくて。こんな山の中でひとり、迷子になっていたら、泣いていたら、と心配だったんです。そうでないならよかったって……変です?」 「……変」  へらへらと笑っていられるのは、生きていたからこそだ。この子が普通じゃないのはわかっていたが、ここまで変だとは思わなかった。 「ありがとうございます。私はもう大丈夫です」 「聞いてないし、どうでもいい」  はい、とにっこりと柔らかい笑みを浮かべて。でも笑っているのに泣いているような、そんな印象を受けた。蛭子はゆっくりと物陰から姿を現すと、無言で左隣にすとんと座った。  肩と肩が触れ合うか触れ合わないか微妙な距離。この岩陰はそこまで広くなく、ふたり並んでちょうど収まるくらいしかない。 「あなたもこの山の神様ですか? さっき、黒鴉(くろあ)様という方にお会いしたんです。銀花様のお友だちで、とても気さくな方でした」 「……お前、ホントになんなんだ? 人間じゃないのか?」  「私は、銀花様の……あっ!」  なんの前触れもなく突然大きな声を出したそのひとの子に、蛭子はびくっと不覚にも驚き竦み上がった。その前にあの鴉の名前が出たことに対して動揺していたというのに。 「早く戻らない、と……」 「おい、どうした?」  蛭子がいる方とは反対側の方に急に力が抜けたかのように傾いだ身体。咄嗟に腕を掴んで止めようとしたが、自分の手ではうまく掴めないことに気付いた。そのまま地面に横たわった状態のそのひとの子の肩を揺さぶって声をかけるが、どこか様子がおかしい。そしてその原因がなにかを知る。 「これは……穢れ?」  あの時、崖の下で群がっていた黒い影はすべて散らしたはずだ。まさか隠れていたとでもいうのだろうか。穢れは弱いひとの子には毒でしかない。  蛭子はちっと舌打ちをしてその長い袖を捲り、下に隠れている悍ましい姿をした両手を、苦しそうに顔を歪めているひとの子に翳した。

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