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第1話

「人生100年時代。生涯現役社会の実現を目指して――」  政府が掲げたそんな美しくも空虚なスローガンを、この国で最も忠実に、そして最も“下半身主導”で体現している場所がここだ。  燦々と陽光が降り注ぐ吹き抜けのエントランス。 ピカピカに磨かれた大理石の床に、高級五つ星ホテルを思わせるコンシェルジュデスク。 クラシックのBGMが優雅に流れるここは、選ばれた富裕層のみが入居を許される男性限定の高級老人ホームである。  表向きは、社会を引退した重鎮たちが悠々自適な余生を送るためのクリーンな終の棲家。 しかしその実態は、「生涯現役って、そっち(性的)も現役でいいんじゃないの?」という壮大な勘違い あるいは意図的な曲解――を大真面目にコンセプトへ昇華させた、狂気のユートピアだった。 「おはようございます、佐藤さん! 今日も下半身からしっかり血流を巡らせていきましょうね!」 「おお、頼むよ大和くん! 昨日の君の“ナイトケア”のおかげで、すっかり腰の調子がいいんだ!」 「ははは、エロもスポーツですからね! 今日も一緒にいい汗かきましょう!」  ラウンジの中央では、日焼けした熱血介護士兼ジムトレーナーの大和が 齢80を超える入居者とスポーツマンシップに則った爽やかな笑顔で朝の挨拶を交わしていた。  彼らが手にしている施設支給のタブレットには、『空いています(指名可)』というポップなアイコンが点滅している。 圧倒的な給与とチップ制度により若く容姿端麗な介護士が溢れるこの施設では ゴルフのラウンドでも誘うかのような気軽さで夜の指名が飛び交う。 誰もが明るく、健康的に、そして完全に倫理のネジが吹き飛んでいた。  そんな狂騒のパラダイスの中、壁際の観葉植物の陰で、大和の暑苦しい声から距離を取るように佇む男がいた。  介護士の久我朔だ。オープンで誰とでも交わる大和が『太陽』ならば、複数プレイを嫌い、静寂を好む彼は通り名の通り『月』だった。 「……朝からよくあんなに元気ですね。理解できない」  溜息とともに呟き、感情の抜け落ちた冷めた瞳でタブレットを操作していると、ふいに初老の入居者が声をかけてきた。 「おはよう、久我くん。……あの、今日の午後は空いてるかな?」 「おはようございます。私のシフト状況なら、お手元のタブレットからご確認いただけますが」  久我の返答は、一切の愛想を削ぎ落とした塩対応そのものだった。 ピシャリと事務的に返された入居者は、しかし怯むどころか、むしろ期待に頬を紅潮させて身を乗り出した。 「確認したよ! 空いてるじゃないか。だから……午後の枠、僕が指名してもいいだろうか。もちろん、チップは弾むよ」  その言葉を聞いた瞬間、久我の中で『仕事』のスイッチがカチリと切り替わった。  周囲からは死角になる角度で、久我はスッと入居者の車椅子に片手をつき、極限まで顔を近づけた。 先ほどの冷たい表情が嘘のように、その目元にはぞっとするほど艶やかな熱が宿っている。 「……いいですよ」  耳の輪郭をなぞるように、わざとゆっくりと、甘い吐息を絡めて囁く。 「今日はもっと奥まで解して、頭がおかしくなるくらい……ぐちゃぐちゃに泣かせてくださいね。準備しますのでお部屋で、待っていてください」 「っ……ああ、うん……っ! 待ってる……!」  密室での濃密なプレイを露骨に想像させるその囁きに、入居者は完全に骨抜きにされ、だらしない笑みを浮かべて何度も頷いた。 その目には、すでに抗いようのない『沼』に沈み切った男の色欲が浮かんでいる。  満足した入居者が去っていくのを見届けると、久我はふっと表情を消し、元の冷めた『塩対応』の顔に戻った。  感情はない。ただ、求められた業務を完璧にこなしただけだ。 「……さて。仕事するか」 冷めている久我と対称的に大和の健康的な笑い声が聞こえてくる。 あまりも場違いな途方もない性欲が交差する、高級老人ホームの最高に狂った一日が今日も始まろうとしていた。

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