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第1話
セナは、星那と書く。彼はこのマンションの最上階のベッドルームに住んでいる。ベッドルームは床が見えないほどベッドが大きくて、ふかふかで、いい匂いがする。おまけに柔らかくてモチモチでフリルいっぱいのキュートなピンククッションに塗れることができる。彼が借りているのはあくまでベッドルームだけ。リビングや他の部屋は違う人のものだ。
それがヒロ。紘と書く。彼は四十代前半くらいに見える、フェミニンなロン毛のおじさんだ。ベッドルームの甘々な感じも彼の趣味らしい。そのベッドでセナが眠っているのを見るのが、一番の幸福なのだという。この二人の関係は、マァ端的に言ってしまえば飼い犬とその愛人である。ただ二人の間に性的な関係は一切ない。二人の間に流れているのは、そういう次元の話ではないからだ。
セナはこれっぽちも可愛くない高身長のガタイがいいツインテールの男だし、おじさんはフェミニンな雰囲気だが、ツインテールの成人男性を飼っていることから分かる通り、全然サイコパスだった。おじさんは女のひとによくモテたが、最終的には「あなたには人の心がない」と言われてフラれる男なのだ。だがセナはおじさんのことが大好きだ。飯は作ってくれるし、寝床はくれるし、優しいし、眠れないときは子守唄を歌ってくれるから。
セナは日中ベッドルームから繋がっているサンルームで日向ぼっこしている。昼頃に起きてきて、おじさんの置いて行った朝ごはんをもちゃもちゃ食べて、ラジオを聴きつつ本を読む。最近のお気に入りは、サン・テグジュペリの「星の王子さま」だ。セナは頭がよくないから、哲学的なことはなにも分からなかったが、なんだか読んでて宇宙に思いを馳せることができるから好きだ。そうやって考えてるうちは、自分が人間でいられる気がして好きだ。そうしていると、あっという間に時間は過ぎて、おじさんが仕事から帰ってくる。すると晩ご飯のいい香りがぶわん、と広がってきて、セナは頭がいっぱいになって、それから気がつくとベッドにいる。本当はその間に、おじさんに風呂で洗われたり、歯磨きされたり、髪を乾かして貰ったりしているのだが、そのどれもセナの記憶には残らない。セナが覚えていられるのは、自分の興味のあるほんの少しのことだけだからだ。だから毎朝髪をツインテールに結ぶことができる。これだけは忘れられない。いつからしてるのか、何故してるのか、もう思い出せないけど。
「もう寝なさい」
ぽんぽん、と布団を軽く叩かれる。ベッドルームの天井には、星型の照明が照らされて、眠りを誘うアロマが焚かれていた。
「ヒロ」
「ん?」
「俺、なんで何もできないのかな」
セナには洗濯も炊事も風呂も掃除も片付けも物事を深く考えることも、ヒロに報いることは何もできない。人と同じことは、何もできない。
「今はね、疲れてるんだよ」
「何もしてないのに?」
「してるよ」
ヒロはふわふわの布団の中の白い手を、温かい大きな手で握った。
「今日も生きててくれてありがとう」
「どういたしまして……?」
「うん」
おやすみ、と額にキスを落とされて、瞼が重くなる。あれ、何考えてたんだっけ。分かんないな。とりあえず今日も、おやすみ。
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