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ジョージの悲劇の話をしよう

『ジョージ・ブラウンが|危篤《きとく》だ』  その知らせは突然届いた。  俺は隣の恋人を見た。恋人はスマホを持ったまま、青ざめて言葉を失った。 【ジョージの悲劇の話をしよう】  恋人と過ごすのに、週末の夜ほどいい時間はない。自宅なら水入らずだ。 「落ち着いたら旅行に行かない? 早めに計画すれば休みも取りやすいし」  そう言ったのはマシューだ。  すらっとしたボディーラインによく動くアンバーの瞳。  今日も俺のブルネットの天使は可愛い。 「いいな。きみはどこに行きたい?」  二人でソファに腰かけ、スマホの検索ページを開く。 「リラックスできるところがいいな。静かなホテルに2、3泊して、近くでアクティビティがあれば参加したい」 「海はどうだ?」  検索するといくつかの地名が出た。  実現はしばらく先になるだろうが、未来の楽しみを考えるのは悪くない。  マシューが肩に頭を預けて俺を見上げた。 「きみは泳ぐの?」 「窓から見る専門だな。ああでも、潮風を浴びるのは好きだ。クルーズとか海釣りとか」  俺はスマホをスワイプした。  海沿いのホテルはもちろん、カラフルな貸しコテージや民宿がずらりと並ぶ。宿泊者の評価もおおむね良好だ。  俺はマシューにスマホを見せた。 「部屋はこんな感じらしい」 「へえ、ホテルのウェブサイトもあるかな」  マシューが自分のスマホでホテルの名前を検索した。肩を寄せ、俺に見えるようスマホを向ける。  やわらかいブルネットが俺の|顎《あご》をくすぐった。 「見て、ホエールウォッチングだって」 「どれどれ?」  俺はマシューの頭に頬を乗せて画面をのぞいた。  ――――シュポッ。  メッセージアプリの通知が最上段に飛び出した。 『ジョージ・ブラウンが危篤だ』  俺は反射的に顔をそむけた。  プライベートな連絡を見るのはマナー違反だ。だがその一文は目に入ってしまった。 「えっ…………」  マシューは画面にくぎ付けになっていた。  呆然。絶句。辞書で引いたらそんな感じだ。  俺はすぐに彼の肩からどいた。  マシューが両手で包み込むようにスマホを操作し、画面上の文字を追う。  俺からは見えない。のぞき見の趣味もない。ただ、彼の横顔がじわじわとこわばっていくのを見て、これはただごとではないと思った。 「マシュー、大丈夫か」  俺は彼の前で小さく手を振った。  マシューは我に返ったようにスマホを伏せた。 「あっ、ああ……大したことじゃないよ」 「そうは見えない」  俺はマシューの腕に触れた。  マシューが俺の足に手を置く。ソファに置かれたスマホは小刻みに振動している。 「駅まで送るか?」 「帰らないよ。今日は君が|先約《せんやく》なんだ」 「気にするな」 「けど……」  マシューが視線をさまよわせた。なにか言おうとした口をつぐんで、|咳払《せきばら》いのような息をつく。  怒ったのか? と俺は思った。が、内心首をかしげた。  知人の命が危険な状態で、帰れと言われて腹を立てるやつはいない。マシューはそういう不安定なタイプじゃない。  俺は改めてマシューの様子をよく見た。  これは「怒ってる」んじゃない。「あせってる」だ。 『浮気です』  誰かが俺の頭の中で回答ボタンを押した。  ハズレだ。マシューがそんな切り替えのうまいタイプなら、まず今ここに俺といない。  俺はマシューの背を撫でた。 「無理に話さなくていい」 「…………っち、違うよ」  マシューが首を横に振る。まだスマホは震え続けている。  お互いいい大人だ。過去に恋人がいたって不思議じゃないし、いたと考えるのが自然だろう。  できれば恋人とは楽しい時間を過ごしたいし、別れた後も幸せでいてほしいが、それは俺個人の希望だ。  この世の恋はハッピーエンドばかりじゃない。 「ライアン、本当にいいんだ。きみを不安にさせるようなことじゃない」  マシューが動揺の残る指先で前髪を払う。 「10年以上昔の話だよ。僕はもう、いいかげん忘れようと思ってたくらいで――――」 「マシュー!」  俺はマシューを引き寄せて手を握った。無理矢理笑おうとする彼のまつげが震えるのを見ていられなかった。 「マシュー。俺はきみの事情を知らないし、刑事みたいに聞き出すつもりもない。きみがジョージに会いたくないならそれでいい。ただ、」    水気を帯びたアンバーの瞳がまたたいた。  俺はつとめて声のトーンを落ち着けた。 「ただ、未来のきみが今日を振り返って後悔する可能性があるなら、行ったほうがいい。きみの愛はきみの歴史だ。そうだろ?」  マシューが目を見開いた。  |琥珀《こはく》のような|虹彩《こうさい》がきゅっと縮まったのが見えた。  実際にはそれは俺の思い込みで、見つめあっていた時間は数秒かそこらだろう。  マシューがゆっくりと手を下ろした。  俺も彼の手を離した。  その手で、マシューが伏せていたスマホを拾う。ロックを解除し、メッセージアプリの画面を俺に差し出す。  俺は画面の写真を見た。 「…………観葉植物か?」 「うん」  俺はまじまじと写真を眺めた。  床に落ちたポトスの鉢が割れ、土の絡まった根っこがむき出しになっている。葉の先はすでに黄色く変色していて、悲劇から2、3時間は経っているだろう。  飛び散った土とカラフルな鉢の対比がなんとも、ああ、掃除が大変そうだ。 「彼がジョージ?」 「兄さんが勝手につけた名前だけどね」  マシューが画面をスワイプした。数枚の写真とメッセージが続く。 『犯人は確保した』  マシューの兄さんが|見慣《みな》れない猫を掴んでいる。仕事帰りだろうか、猫の足とスーツは土まみれだ。 『シェリーばあさんの猫だ』 『母さんが昨日から預かってた』 『どうする』 『おい』 『見てるか兄弟』  眺めている間にも新着のメッセージが画面に浮かんでくる。  マシューはため息とともに文字を打ち込んだ。 『足を拭いてケージに入れて』 『父さんのコレクションも床に置いたほうがいい』 『僕今日は泊まるって言ったよね。明日話し合おう』  マシューはしかめっ面でスマホを置いた。 「いつもこうなんだ。預かる前に教えてくれなきゃ、猫も危ないって言ってるのに」 「きみも大変だな」  俺は横目でマシューのスマホを見た。  カラフルに見えたのは鉢に太字で書かれた文字のせいだ。子供がクレヨンで書いたような、幼いメッセージが焼き付けられている。 “|Be Friend Forever《ずっとともだちだよ》” 「プリスクールの友達がくれたんだ。世話も簡単でね、なんとなく窓辺に置きっぱなしだった」 「物持ちがいいな。その子も喜んだだろう」  マシューは首を横に振った。 「お別れのプレゼントだったんだ。地球の裏側に引っ越すって言ってたけど、どこだったかな」  マシューの表情は晴れなかった。何度かため息を――いや、深呼吸して俺を見た。 「……気を悪くした?」 「なぜ?」  俺はめんくらった。  マシューが|頬《ほお》をかく。 「彼は僕を友達だと思ってたし、僕も彼が大好きだった。ただ今思うと……ちょっと方向性が違ったかな」 「ははっ」  俺は笑った。  マシューも困ったように肩をすくめた。 「かわいい初恋じゃないか。俺はてっきり、」 「てっきり?」 「…………ワケありの昔の恋人かと」  マシューが吹きだした。 「ずっと友達だよ。安心して」 「わかってる」  俺はマシューの額に口づけた。返事代わりにマシューの唇が頬に触れた。  かすめあうような口づけを贈りあって、俺はマシューをのぞき込んだ。 「で、どうする?」  マシューがむっと口をとがらせる。 「帰るわけないだろ。思い出も大事だけど、今の僕はきみと過ごすためにここにいるんだから」  言い終わらないうちにマシューのスマホが鳴った。着信先はマシューの兄さんだ。 「……3分だけ通話していいかな」 「もちろん」  俺は自分のスマホに検索ワードを入れた。 『観葉植物 レスキュー 方法』 End.

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