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【冬のホリデーの話をしよう】
「来週、イルミネーションを見に行かないか?」
と俺は言った。
「来週?」
と恋人は目をまたたかせた。
俺たちは二人分のコーヒーを入れて、キッチンをカウンター代わりに立ち飲みしていた。
コンロには熱が残っているし、暖房も効いているから寒くはない。
カレンダーは残り二枚だ。
気の早い店の窓にはサンタやツリーが飾られ、年末セールやパーティを意識した広告が目につく。
「実はホリデーシーズンは休めそうにないんだ」
俺は苦笑いして肩をすくめた。マシューと過ごす冬は初めてだが、伝えないわけにはいかない。
「パーティーや予約の仕込みで忙しくなる。正直、家より厨房 にいる時間のほうが長いくらいだ」
「ああ、レストランは混む時期だね」
「きみの職場は?」
マシューは空中の予定を見上げて苦笑した。
「似たようなものかな。利用者さんへの面会が増えるし、クリスマスは家族と過ごしたい職員も多いから」
「お互い苦労するな」
「ふふっ」
世間の休暇はサービス業の繁忙期 だ。
人々がクリスマスディナーを楽しんでいるとき、料理人は厨房で鍋を振るっている。施設の利用者が家族との団らんを楽しんでいる時、介護職員は誤嚥 の危険に目を光らせている。
もちろん俺たちが休んでいる時は他の誰かが働いている。世界は助け合いだ、お互い様だ、これでコンプラはクリアか?
俺はカップをかたむけてコーヒーを混ぜた。カップの底に残っていた湯気が上がった。湯気ごしにマシューが俺を見ていた。
「ライアン、きみはクリスマス祝う派?」
「子供のころは毎年家族で過ごしたな。今はそうでもないが、町が明るいのは好きだぜ」
「よかった。うちは毎年お決まりなんだ。朝料理を仕込んで、教会に行って、近所の人たちと話して、家で夕食」
「いい家族じゃないか」
「僕もそう思う」
マシューはくすぐったそうに笑った。俺は彼が家族を愛しているのがわかって嬉しいなと思った。
「今年は仕事があるから、夕食から参加なんだ」
俺はマシューの頭を撫でた。マシューは「ふふふ」とはにかんだ。
「落ち着いたら打ち上げでもやろう。きみとの約束があれば、俺も厨房暮らしが楽しくなる」
「うん。ホリデーカード贈るよ」
俺とマシューは平和な年末を願ってカップをかかげた。
それが3週間前の話だ。
「………………疲れた…………」
俺は真 っ暗 な寝室のベッドに崩れ落ちた。
明かりをつける気力もない。人生における偉業 はいろいろあるが、今日の俺の偉業はシャワーを浴びたことだ。
さっき見たスマホの日付は12月26日に変わっていた。俺が店を出たときにはもう変わっていた気もする。
ここんとこ退勤と出勤の日付が同じだから、細かいことはわからん。
幸い今年もサンタとははちあわせずに済んだ。煙突がないから来るはずがない。いや、最近は換気扇 から入るんだったか? だとしてもプレゼントをねだるには大人になりすぎた。
「………………」
俺は目を閉じた。だが眠気が来ない。
それもそうだ、2時間前まで厨房で格闘していたからな。神経が昂 っているんだ。クソッタレ。
俺は枕元の照明のスイッチを1mmだけ動かした。
ついてるんだか消えてるんだかわからない明かりが部屋に灯った。俺はぼんやりと明るくなった部屋をぼんやりと眺めた。
「…………はぁ」
俺は腕で目を覆った。視界がまた暗くなった。
そうさ、とてつもなくがんばった。今週の俺は、埋めても埋めても現れる皿に料理を盛るプロフェッショナルと化 していた。
後輩のアルバイトくんは初めての繁忙期に白目をむきかけていた。わかるぜ、俺もそうだった。
どうにか今日の営業を終えた記念に、スタッフ全員でささやかな乾杯をした。シャンパンとオードブル、未成年にはシャンメリーだ。
毎年死ぬほど忙しいが、終わってみればこれはこれでいいクリスマスだったと思えてくる。
恋人がいない時期ならな。
「……、マシュー……」
俺はうめいた。頭は半分ほど寝ていたが、残り半分は起きていた。
クリスマス当日やイブにレストランが混むのは世界の常識だ。賢明 な人々はこう考える。
『2、3日前、いや1週間前に行こう』
『いっそ今年のホリデーパーティーは12月頭 にやろう』
その結果何が起こるかというと、11月末から俺たちの繁忙期が始まるわけだ。正直今月は家には寝に帰るだけだった。
一応言うぞ。日付をずらすのは正しい。
忙しいのは飲食業に限った話じゃない。マシューも面会客が増えて大変らしかった。
お互いメッセージは送っていたが、スムーズとは行かなかった。
仕事終わりに『今夜通話できるか?』って送ったら、翌朝に『おはよう。ごめんね、夜勤 で見られなかった』って返事が来たこともあったな。
通話の約束をしてたのに俺が寝落 ちてすっぽかした日もあった。
出勤前なら、とも思ったが、マシューが仮眠中かもと思うと遠慮した。
実際俺も早めに出る日があったから、朝マシューがくれたメッセージが夜まで未読の日もあった。
文通してる気分だった。良くも悪くも。
『おはよう』
『おやすみ』
『来週は冷えるらしいから温かくしてね』
『ついにうちの店にもツリーが飾られた。悪くないな』
もう少し続けてたら季節の挨拶 も覚えただろう。なるほど、ホリデーカードを贈る人たちの気持ちが分かった。
俺は充電中のスマホを点 けた。
今日の仕事を終えたらこうなるのがわかっていたので、起き抜けにメッセージを送っておいた。
『ハッピーホリデー。いい朝だな。お互い忙しいが、無理なく今日を楽しもう。きみに会える日を楽しみにしてる』
奇跡的に20分後に返事が来た。
マシューも同じことを考えて、朝一番に送ったのかもな。
『ハッピーホリデー! メッセージありがとう。きみと初めての冬を迎えられたことに感謝しています。いつもきみのことを想ってるよ』
そこまで読んだところで新しい一文が届いた。
『愛をこめて。x』
俺は朝の支度も忘れて5分ほど見入 》った。
キスマークつけてる。
ガキか、と今思っただろう。なるほどお前の恋人はスタンプや絵文字をよく使うらしい。
雪国に住んでれば氷を貴重だとは思わないし、南国で暮らしていれば太陽のありがたみに慣れちまう。
俺が知る限りマシューが写真と文章以外を送ってきたのははじめてだ。ましてキスマークだ!
マシューが何を考えて最後の一文を足したのか考えると、俺はたまらない気持ちになった。
俺はすみやかに文字を打ち込んで、自分の手からスマホを引っぺがした。もう5分見とれていたら遅刻していた。
返信の中身はまあな、想像に任せる。
俺は改めて、暗闇の中で光る文字を読み返した。黒のフォントのアルファベットがやけに色っぽく見える。
文字ごしじゃなく直接キスしたかったな。キス……
「………………っ、」
やっちまった。
余計なこと考えずにヒツジを数えてりゃよかった。
間違ってもキスの感触を思い出すべきじゃなかったし、恋人の顔を思い浮かべるなら昼間の映像を選ぶべきだった。
言いたいことはわかるな。言わせるな。
俺はのろのろと体を起こした。ベッドヘッドに背中を預けると、目玉だか脳だかがぐらっと揺れた。
眠い。明日じゃだめか。……だめだな。
俺の意思とは別に、頭と体が激しくせめぎあうのを感じた。俺はそいつらをわきによけて行動に移った。
早く済ませよう。
シャンパンのアルコールが回ったのか、指先までぬるくて熱い。
「……っ、は……」
眠気も手伝って感覚はあいまいだった。そうかといって放り出すのは難しかったから、俺はどうにか脳を活性化 させようとした。
――――マシューはかわいい。あの触り心地のいい足に触れたい。薄い腹筋のラインを見たい。食後のぽこんと出た腹もかわいかったな。腰振ってる時まで色男でグッとくる。
っと、危ない。
「は、……っ」
俺は一度深呼吸した。
ボトムにかたむきかけた思考回路を引き戻して、イメージを切り替える。
ええと、なんだ。そう。マシューはかわいい。
想像しろ。
天使の輪が浮くやわらかいブルネットを撫でたい。
透き通ったアンバーの目を見つめたい。あの目に見つめられたい。
――――キスしたい。
「っ、」
俺は口寂 しさをリップノイズでごまかした。
あの形のいい唇に触れたい。
きめの揃った肌に触れて、筋肉の芯のある体を抱きしめて、目いっぱい愛したい。
『ライアン』
「――――っ、マシュー……!」
俺は想像の中の声に息を詰めた。どうにか片付きそうだな、と頭の端 で思った。
『♪♪♪』
スマホが鳴った。
茹 だった脳みそに音が割り込んできて、思わず手が止まった。
部屋が暗いから光る画面がよく見える。マシューだ。
「…………ッは、」
今じゃない。
理性ではそう思った。
だが、ボタンを押せばマシューの声が聞ける。
3週間前の記憶を繋ぎ合わせて再現した声じゃなく、今電話の向こうにいるマシューの声が。
アルコールと諸々の刺激で茹だった頭にはあらがいがたい誘惑だった。
だとしても今はまずい。
そう考えた時にはもう逆の手でスマホを拾っていた。いや考えてなかった。砂漠 で水を見つけたのと同じだ。
一応、呼吸は整えてから通話ボタンを押した。
「……っ、マシュー?」
『こんばんは、ライアン』
まず感じたのは安堵 だった。
こんなに耳に響く声だったか。
首から上の神経が一気に目を覚まして、泥の中にいるようなけだるさが遠のいた。
『遅くにごめんね。寝る前に5分だけ話したくて』
「っ、あぁ」
俺は上ずりかけた声を気づかれないように立て直した。
「嬉しいぜ。……俺も、きみのことを考えてた」
柔らかい安堵は一瞬だった。
つぎはぎだったイメージに色がついて、波が押し寄せるように元の衝動が幅を利 かせていく。砂漠で水を見つけたんだ、そりゃ一直線だ。
俺は喉 の奥で咳払 いした。
『今日はどうだった?』
「毎年だがすごく忙しかったよ。明日は落ち着いてるといいな」
『ふふっ。お疲れさま』
ささやくような笑い声が耳をくすぐった。
「……ん、ッ」
『? 大丈夫?』
「ああ、寝返りをうっただけだ」
誤解するな。手が勝手に動いたんだ。
『……ふぅん』
マシューが声を甘くひそめる。
『なにかしてた?』
疑問形だが確信のある聞き方だった。でなきゃこんなにぞくぞくするはずがない。
「……たぶん、きみの考えてることをな……言わせるなよ」
俺は肩をすくめてため息をついた。実際はそろそろ息を殺すのがきつかったので呼吸も兼ねた。返事を待つ間も頬が熱い。
マシューが小さくため息をつく。
『一人できもちよくなっちゃうなんてずるいなぁ』
「ッ、」
ドキッとした。
ベッドでしか聞けないようなウィスパーボイスだ。
言葉に反してこっちの反応を探るようなニュアンスがあって、腹の下がぐっと重くなった。
『何か話そうか? それとも今日は終わりにする?』
「なにか……話してくれ。なんでもいい」
『オーケー』
マシューがクスッと笑った。
ことさら色めいた内容じゃなくていいから声を聴いていたかった。
そもそも茹だった頭で内容を理解できるか怪しい。俺はわりと切羽詰 まっていた。
『ライアン。今日はすごくがんばったね』
「んッ……!?」
不意を突かれた俺をよそに甘い声が続く。
考えるそぶりか体勢を変えたのかベッドに座り直したのか、『んー』とかすかに聞こえる声さえくすぐったい。
『メッセ―ジを見るたびにきみのことを考えてたよ。今抱きしめてるクッションがきみならいいのに』
「は……!?」
落ち着け、リップサービスだ。
俺は頭のすみで冷静に思った。だが頭のすみ以外は冷静じゃなかった。
「あとで、っ自撮 りして送ってくれ……!」
『なに? よく聞こえなかった』
クソッ。
ついいらだちが右手に出た。自然の摂理 で声が洩れた。
「は……っ、ぁあ……!」
『かわいいね。我慢しないで声を聞かせて?』
そうは言ってもな。
荒い息が雑音になりそうで、俺は声の加減に苦労した。
あとから思えばハンズフリーにするという文明もあったが、どうしてもマシューの声を耳元で聞いていたかった。
『目を閉じて。きみのそばにいるよ』
「っン……!」
『好きなところ触ってみせて』
ね。
と柔らかく念押しされて、俺はちょっとどうにかなるくらい興奮した。
「は……っ、ぁあ……!」
『きみのプライベートな時間を知れて嬉しいな。……サンタに感謝しなきゃ』
ふ、と熱を含んだため息が聞こえた。
『好きだよ』
「っ……、マシュー……!」
背骨から足の間までがびりびりしびれた。
だが俺はどうしても最後の一線を飛び越えきれなかった。体は十分興奮しているのに脳がOKを出さない。
俺は薄目を開けた。当たり前だが寝室で一人だ。
抑 え続けた息が喉につかえた。コップの水があふれるように、じわっと視界がにじんだ。
「あいたい」
俺はうわごとのように口走っていた。
マシューが驚いたように口をつぐんだ気配がした。
ぱた、と腿 に水が落ちた。たぶん汗だろう。
「マシュー、きみにあいたい。声だけじゃなく、きみに触りたい……!」
『っ……!』
改めて言うが深夜だ。今すぐ来いなんて無茶 を言う気はない。そういう話はしていない。
ただ言わずにはいられなかった。
俺の息しか聞こえない沈黙があって、マシューが小さく唾をのむ。
『……僕も会いたい。きみにたくさんキスしたいな……』
耳元でリップ音がした。
俺はぶるっと背筋を震わせた。
さっきまで足踏みしていたラインをあっさり跳び越えて、俺は再びベッドに倒れこんだ。
「……っ、はぁ、はっ、……は……」
特有の倦怠感 でどっと冷静になった。
今はものを考えられる状態じゃない、が、恥じらうべき何かがあった気がする。
俺は何度か深呼吸して、終わったしるしに礼代わりのリップ音を返した。
「言うべきか迷ってるが……今すごく恥ずかしい」
『かわいかったよ』
「よしてくれ」
俺は力なく笑った。いや、確実に1時間前より気力は戻った。
「……年末は休みなんだ。どこかでカウントダウンしないか?」
『いいね。明日にでも休み希望を出しておくよ』
「さすがだな」
控えめな笑い声が重なった。
マシューが軽いトーンで声をひそめる。
『僕も打ち明けるけど、今日の電話のおかげで次のデートまでがんばれそう。おやすみ』
「ああ、いい夢をな」
そこで通話は切れた。
俺は後始末 を済ませて横になった。
冷静になった頭がふとさっきの会話をリピートする。
『今日の電話のおかげで』? 『次までがんばれそう』??
俺は目元を覆 った。
頭が冷静な時間、そんなものはない。メッセージのキスマークどころじゃない何かが目の前を通ったというのに!
俺は一通り悔 やんだあとベッドにあおむけになった。
何日かしたらこっちからかけてみるか。今日はずいぶん彼に甘えたから、次はめいっぱい甘やかしたい。
俺は目を閉じた。
2日遅れの鈴の音が聞こえた気がしたが、たぶん夢だろう。
じゃあな、良いホリデーを。
End.
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