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ぼくのおじさん
ぼくのおじさんは、なにを考えているのかがわからない。
「よぉ、圭太」
ふらりと顔を出して、片手を上げてニコニコして、ぼくの家に上がり込む。ぼくの家と言っても、おじさんにとっては実家だから、おじさんが上がり込んでもおかしくはないんだけれど、成人した息子を持つ兄夫婦の暮らす家に、四十半ばでひとり身のままの弟が、当たり前の顔をしてやってくるなんておかしい。
ということを、ぼくは大学生になってから、だんだんと思うようになっていた。
「また来たの? おじさん」
ん、と短い返事をしたおじさんは、勝手知ったる感じで冷蔵庫を開けて――まあ、勝手を知っているんだけれど――牛乳パックを取り出した。
「そのまま飲まないでよね」
「わあってるって」
おじさんなら、やりかねない。そんな雰囲気を、おじさんは持っていた。なんというか、物事に頓着しなさすぎる気配をかもしていると言えばいいのか、見た目からしてそうとしか受け取れないというか。
クセのある髪の毛は寝起きのままって感じだし、服だってシワそのままのヨレヨレだ。貧乏くさいと言えばいいのかもしれないけれど、清潔感だけはちゃんとある。無精ひげを生やしているのはファッションだとか言っていたけど、ぼくはただの無精だと思っている。
とうさんがよく「卓弘は極度のめんどうくさがりだからな」と言っていたから、それがぼくの意識にこびりついていて、おじさんの印象を決定づけているのかもしれない。
おじさんは食器棚からカップを取り出し、牛乳を注いでグビグビ飲んだ。ぷはぁと吐いた息はきっと、牛乳の匂いがするんだろう。
それに触れたいと思った自分に、胸がギュッとした。
「圭太もいるか?」
「ぼくはコーヒーを淹れるから」
「おっ。そんなら、俺もたのめばよかったかなぁ」
ヘラリと相好を崩したおじさんは、人なつこい大型犬みたいだ。ドキリと心臓が跳ねて、落ち着けと言い聞かせるのに鼓動はどんどん激しくなる。
耳鳴りのように響く心臓の音が、おじさんに聞こえやしないかとヒヤヒヤしたのは中学生のころ。
高校生にもなると、さすがに心臓の音が相手に聞こえるわけはないと、理性的に自分をなだめられるようになった。
そして大学生のいまは、表面的には胸の高鳴りをなかったことにできる。
けれどそれは、あくまでも“表面的には”でしかない。
「圭太はよく気がつくなぁ」
そう言ってカップをぼくに差し出してくるおじさんの、男らしく節くれだった指に触れないように気をつける。だって、触れてしまったらきっと、ぼくの理性ははじけてしまう。
そのくらい、片思いは危ういところにまで到達していた。
これを恋だと自覚したのは、おそらくきっと小学生のとき。
漠然とした気持ちが、確固たるものに変化したのは中学生のころ。
おじさんが働いている姿を見た瞬間からだ。
「ほんと、おじさんって仕事をしているときはビシッとしているのに、ふだんはだらしないよね」
勤務中のおじさんと休日のおじさんは、別人みたいだ。きっと、はじめておじさんを見た人は、ふだんのおじさんの姿を知れば驚く。ぼくは、その逆だったけれど。
カップを握る大きな手の先にある、がっしりとした腕から視線を外してコーヒーを淹れる。背後でイスが鳴った。おじさんが腰かけたのだと、それでわかる。背中に全神経を集中して、おじさんの姿を見ないまま、おじさんがどんな格好でいるのかを想像する。
きっと足を大きく開いて、斜めに腰かけてテーブルに肘をつき、手のひらに顎を乗せてぼくをながめている。
おじさんが、ぼくを見ている。
それだけで、ぼくの心と本能に忠実な部分がほんのりと熱くなった。
ぼくは何度も、おじさんをオカズにひとりで快感にふけっている。休日のおじさんはとても無防備で、腰から太腿の間のほかは平気で人に見せるから。
職場の寮でも、そんなふうにしているんだろうか。
自衛隊員の生活って、どんなものなんだろう。
「おまたせ」
「ありがとな」
首の伸びたTシャツから、たくましい胸筋が見え隠れしている。それに視線を吸い込まれつつ「べつに。ついでだから」と答えて、となりのイスにこしかけた。
おじさんは休日になると、ふらっとウチに来るけれど、毎回会えるわけじゃない。大学に入ってバイトをして、友達との付き合い方や遊び方も成人してから変化したぼくは、おじさんとの遭遇率が減っていた。
これといった話題もないけれど、おじさんとなら無言も心地いい。あたりまえに傍にいて、なにをするでもなく時間を共有している。そんな空間が特別で大切で、かけがえのないものだと知ったのは、いつだったろう。
しみじみとコーヒーをすする、おじさん。
その目はどこか遠くを見ていて、口許はほんのりとゆるんでいて、とても油断をしているのだとわかる。
ぼくといるときに、おじさんもリラックスしてくれているんだと、心がふわっとふくらんだ。
なにもしていないのに、なにもしていないからこそ、いとおしいなんて。
「どうした」
「え」
「なんか、思い出し笑いか?」
キョトンとしてから、ぼくは笑っていたのだと気づいた。顔が熱くなって、とっさに立ち上がったぼくは、コーヒーを飲んでいたことを忘れていた。
「っ、圭太!」
鋭いおじさんの声と、力強く引かれた体。ぼくの体よりも熱い肌。それと、陶器の割れる音。
それらが同時にぼくを襲って、なにが起こったのかわからなくなって、すぐに正気を取り戻したぼくは、立ち上がったおじさんに抱きしめられていた。
「――え」
「大丈夫か? どっこも、痛くも熱くもないか」
ぼくよりも、わずかに上にあるおじさんの目が心配に揺れている。ちょっとの間を空けてから、コーヒーカップを落としてしまったのだと理解した。熱いコーヒーやカップの破片から、おじさんはとっさにぼくを守ってくれたのか。
「……どうして」
「ん?」
「どうして、こうなっちゃうんだろう」
お礼を言わなきゃいけないのに、ぼくは自分のふがいなさを吐露していた。
「どうした、圭太。なんか、あったのか?」
憂い顔のおじさんが、まっすぐにぼくを見ている。真剣な瞳に胸が詰まって、目の奥で涙が生まれた。
「圭太?」
こんなに好きなのに――。
「どうして」
「なにが」
「おじさん」
「ん?」
やわらかな声に、さらに泣きそうになった。心臓が痛いくらいに絞られて、息苦しくなる。即物的な部分が脈打って、この人が欲しいと言ってくる。
「――え?」
おじさんのかすれた声を聞きながら、ぼくは目の前の唇に触れていた。おじさんの頬を両手で包んで、口を動かして丁寧におじさんの唇を愛撫する。洋画で見るような、セックスのはじまりを予感させる、キス。
おじさんは反応を忘れて、されるがままになっている。夢遊病者みたいに、ぼくはおじさんにキスを繰り返した。
舌を伸ばして、おじさんの口の中を求める。
おじさんは無反応で、困惑したままだ。それをいいことに、おじさんの頭を引き寄せて口をグッと押しつけて、コーヒー味のおじさんの舌を引き出して吸った。
「っ!」
ビクリとおじさんが反応する。そのままチュウチュウと舌を吸いながら、体をより密着させると腰に硬いものがあたった。体をずらして、ぼくのそれとおじさんのそれを擦り合わせる。
「っ、う」
おじさんはただじっと、されるがままになっている。おどろきすぎて、金縛りにあってしまったのかもしれない。――まさかぼくが、おじさんにこんなことをするなんて想像すらもしていなかっただろうから。
「んっ、ふ……ぅ」
おじさんの喉の奥から、艶っぽい息がこぼれた。ぼくとおじさんの股間は布越しとはいえ、熱い鍔迫り合いを交わしている。おじさんのそこが見たいし、触れたいし、食べてみたい。
理性はわずかに残っていたけれど、おじさんの体温と唇と呼気に触れたぼくは歯止めが効かなくなっていた。――このひとを、抱きたい。
手を滑らせて、おじさんの首をなぞって、肩を掴んだ。そのまま手を下ろして胸乳に挑もうとしたぼくは、信じられないものを目にして硬直した。
おじさんが、泣いている。
まっすぐにぼくを見たまま、おじさんは静かに目じりから涙をこぼしていた。
目を見開いて、苦し気に眉根を寄せて、しずしずと涙をあふれさせている。
声をかけることも忘れるくらいに魅入られた。
どのくらい見つめあっていただろう。
「すまない」
ぽつりと、おじさんが声を震わせた。それは、ふだんのおじさんからは想像もできないくらい弱々しくて、たよりなくて、はかなげだった。
「ほんとうに……すまない」
おじさんがまぶたを伏せる。拒絶された気がして、僕の心がきしんだ。
「おじさん」
「圭太」
うめいたおじさんは目を開けて、まっすぐにぼくを見た。
「好きになって、すまない」
言葉の意味を理解するより先に、力強く抱きしめられた。おじさんの顔がぼくの肩に乗る。じわりじわりと湿り気を感じて、おじさんは泣き続けているのだと知った。
「ずっと、好きでいて……すまなかった」
意味を理解した瞬間、ゾクゾクと震えたぼくも涙をこぼした。そして、おじさんの涙がなんなのかを把握した。
これは、気持ちがあふれたものだ。
いとおしくて、切なくて、不安で、怖くて、あたたかくて、おそろしい感情。
誰にも見せてはいけない、伝えてはいけないと抑え込んでいたものが、決壊してしまったもの。
ぼくとおじさんは、おなじものを抱えていたのか。
「ああ――」
伝えたいのに、言葉の枠におさまりきらないものが漏れた。おじさんが顔を上げる。
互いの顔をじっと見て、ぼくはまた、おじさんの頬に手を添えて唇を重ねた。
ハラハラとこぼれるおじさんの涙が、ぼくの指を濡らす。
「おじさん」
呼びながら唇をついばんで、この呼び方は違うなと言い直した。
「卓弘」
うっ、と苦悶に顔をゆがめたおじさんが、ガクリと膝をついて僕の腰にすがった。ボロボロと涙を流しながら、すまないと繰り返す。
謝罪なんてしてほしくない。だって、ぼくとおじさんは両想いなんだから。
そう言いたいのに、感情が大きすぎて言葉にできなかった。だからぼくは、ありったけの想いを込めて、おじさんを呼ぶ。
「卓弘」
ぼくよりもたくましくて、ほんのちょっぴり背の高い、ぼくよりずっと年上の、とうさんの弟であり、誰よりも好きでたまらない人の頭を抱きしめる。
「卓弘」
ぐうっと嗚咽をもらしたおじさんとぼくは、長年の思いの丈や、歓喜と困惑と、これからのふたりを思ってすすり泣いた。
この両想いは、かなえてもいいものだろうか――と。
END
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