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一章『第一話 文月班の彼ら』
「おはようございます、千草副長」
機関に着き、自身の職務室へと続く廊下を進み、目的地である『文月』と文言が掲げられた一室の扉を開ける。すると、すぐに室内から挨拶が飛んできて、俺は咄嗟に声のした方へと目線を向けた。
「おはようございます、瑠璃(るり)さん」
視界に映り込んだのは、ぴしりと真っ直ぐ背を伸ばした姿勢の良い男性、瑠璃さん。神経質そうに眼鏡を中指で押し上げる彼は、職場の先輩ではあるけれど、役職としては部下にあたる。
そのまま挨拶を返しながら、ふとその手元に視線を落とせば、ひどく整然とした机が目に入った。
「瑠璃さん……本当、いつも早いですね。まだ始業時間まで全然ありますよ?」
明らかに、もう既に仕事に手を付けているその様子に、みなまで言わずそう告げる。それまではゆっくりしてくれていいのに。そう言いかけた俺の言葉は、けれど当の瑠璃さん本人によって遮られる。
「いえ、準備は早いに越したことはないですから」
無駄は嫌いなんです。そう、スパンと真顔で言い返されてしまえば、もう何も言えない。
「あっ、そ、そうですね……その通りです……」
まったく取り付く島もない言葉。それをレンズ越しとはいえ、一切の容赦もない鋭利さを孕ませた瞳で言われてしまい、結果俺はいつも助かります、とだけ零してその場を後にした。
やっぱ俺には、瑠璃さんと打ち解けられる未来が想像できないな……なんてしゅんと肩を落としていると、「副長~……」と俺を呼ぶ声が聞こえた。
「ん?」
声にパッと視線を移せば、奥の机からのったりと一人の部下が近寄ってきた。
「昨日の報告書できたんで、後でまた読んでください~」
目に鮮やかな橙色の髪をした、見るからにヨレヨレで草臥れた様子のその男は、我が班の特攻隊長、山吹(やまぶき)だ。
その姿に、俺はギョッとしてしまう。
「おっまえ、これはまた随分と隈が酷いな……。また徹夜したのか?」
「はい〜……」
しぱしぱと瞬きを繰り返す、黄金色の目。そこからは、普段の彼の姿の影も形もない。事務作業が苦手なことは分かってたが、これは……。
「山吹……いつも言ってるだろ? いくら報告書が苦手だからって、何も徹夜してまで仕上げなくていいって」
この仕事は身体が資本なんだからな、と咄嗟に言ってしまい、すぐにしまったと思う。これじゃあ、怒ってるみたいじゃないか。
「うっ、……すみません」
結果、なんとも覇気のない声の謝罪が返ってきて、やってしまったなと改めて反省する。別に、謝って欲しかったわけじゃないのに……。失敗したなと思いつつ、とはいえ流石にこの状態のまま業務をさせるわけにはいかないと、気を取り直して部屋の奥の扉を指し示す。
「ん。……じゃあ、報告書には目を通しておくから、お前は奥で仮眠してこい」
この職務室の隣には、備え付けの仮眠室がある。そこへ行くようにと山吹に促せば、本人は『そんなわけには……』と首を振って拒否しようとした。けれど、そこにすぐ被せるよう、後ろから山吹の名を呼ぶ声がした。
「副長の言う通りだ」
そうして山吹の背後から現れたのは、山吹とまったく同じ顔をした青年。けれど、右目の下にある黒子と、錫色の少し吊り目がちな双眸が、山吹とはまた違った雰囲気を感じさせる。
「銀(しろがね)」
俺が彼の名前を口にすると、銀は俺に向けて挨拶を口にした後、すぐに山吹の方へと向き直った。
「ほら、お前の好きなハーブティー入れてやったから。副長の言葉に甘えて、これ飲んで少しだけ休め」
彼はそう言って、握っていたマグカップを山吹へと差し出した。
そんな銀の言葉に、山吹はひどく申し訳なさそうに、くしゃりと目元を歪ませた。
「うぅ……しろがね、ありがとう~……。ふくちょーも、ありがとうございます……」
「はいはい、分かったから早く隣行ってこい。必要になったら仕事してもらうから、気にせずにな」
そう声をかけながら、俺は、しおしおと今にも萎れてしまいそうな山吹の頭をくしゃりと撫でてやる。
自分よりは年下だからといって、既に成人している男にしてみれば、こんな子供のような扱いは嫌がるのが道理なのだろうが……。そこは山吹クオリティ。結果、眼下に映り込んだのは、へにゃりと情けない、けれど嬉しそうな顔で。おかげで、こちらも頬が緩んでしまった。……流石は、人を和ませる術トップクラスの男だ、末恐ろしい。
このままだと、益々自分の気持ちが緩んでしまう。そう思い、気を取り直した俺は、すぐに『ああそれと』と付け足した。
「銀、お前も軽く寝てきていいぞ」
そうして、山吹を引率するよう、その手を掴んでいた銀にも続けてやれば、その双眸が驚いた様子で緩く瞠った。
「えっ……?」
どうして。正にそう言わんとするその顔に、自然、俺の口からはため息が零れ落ちた。
「なんだ、その顔……。気付いてないと思ったのか? どうせお前も、山吹に付き合ってあんまり寝てないんだろ。顔を見れば分かる」
だから一緒に寝てこい。そうはっきりと告げてやる。
すると銀は、こちらの言葉を咀嚼するのに時間がかかったのか、一拍の間を置いた後、すぐにハッとした様子でいや、と首を振った。
「たっ、確かに山吹には付き添っていましたが! 一番若輩者の分際で、副長や皆にご迷惑は……!」
そうして紡がれた否の言葉に、やっぱそうなるか、と心の内で思う。山吹が非常に素直な気質のせいか、その片割れである銀は一人で抱え込みがちで、加えてかなり頑固だ。真面目がすぎる嫌いがあるからか、相手が山吹でもない限りまったく折れてはくれない。
こうなったらもう、無理矢理にでも休ませてしまう方が早いか。そんなことを思いながら、『いいから……』そう言い掛けた、その時。
「――――副長はともかくとして、今日の事務仕事であれば、俺がいれば事足りるでしょう」
不意に後ろから、凛とした低い声が自分の声に重なったものだから、俺は咄嗟に口を噤んだ。
パッと振り返れば、先程まで黙々と作業を進めていたはずの瑠璃さんが、目線はこちらに向けず、ふぅ、と息を吐いていた。
「……瑠璃さん」
銀も、まさか、瑠璃さんから声が掛かるとは思ってなかったのか、驚いた様子で彼の名を口にする。すると、その一瞬だけ、レンズ越しに紺碧の瞳が銀を捉えた。
「だから、……気にせず休みなさい」
そう告げるや、すぐに逸らされた視線。以降は、まったくこちらに一瞥もくれないけれど。それでも、そう言ってくれたその姿に、頬が緩んだ。
――――やっぱり、悪い人じゃないんだよなぁ。
仕事面では鬼のようだけれど。瑠璃さんはたまに、こういう言葉を掛けてくれる。
そんなことを考えながら彼を見ていたせいだろう、途端瑠璃さんはこれでもかと言わんばかりに眉間の皺を刻んで俺を見た。鋭い眼光で、なにか?なんて俺を睨むその視線に、俺はすぐさま、なんでもないですと首を横に振る。
「あ、あー、ほら、な? 瑠璃さんもこう言ってることだし、休んでこい。それに、忙しくなったら遠慮なく起こさせてもらうしさ」
不機嫌オーラ全開の瑠璃さんを視界から外し、どうにか誤魔化そうと銀へと向き直る。そのまま、改めて仮眠室へと先を促せば、流石に銀ももう断ることはできないと理解したのか、ほんの少しはにかんだような笑みを浮かべて頷いてくれた。
「……分かりました。それじゃあ、お言葉に甘えて……ありがとうございます」
「お二人とも、ありがとうございます~」
鶴の一声ならぬ、瑠璃さんの一声である。
そのまま、奥の扉の奥に消えていく二つの背中を見つめながらぼやく。
「まったく……まだまだ手の掛かる子供だ」
「……そうですね」
そうして続けられた同意の言葉に、少しだけ驚いて振り返る。
まさか、さっきの今で会話を続けてくれるとは思ってなかった。もしやこれは、親密度を上げるチャンスか?不意に頭に過ったそれに、ならば会話を繋げようと、口を開きかけた時。
「ですがまぁ……手の掛かる子供というのは、双子に限った話ではないですがね」
そんな言葉を、ちらりと一瞬こちらを見ながら瑠璃さんがぽつりと零したものだから。え、と声が溢れる。
「それって、どういう……」
「他意はありません」
何かを言い含めるような、そんな言葉。その真意を聞き出そうと続きを促しはしたものの、それから瑠璃さんはしれっとした表情で作業を再開し始めてしまい、最後はこちらに見向きもしなくなってしまった。
この人も存外調子の良い人だよな。なんて思っていると、不意に扉の方から、笑い声の混じった声が聞こえ、咄嗟に顔を上げる。
そのまま声のした方へと視線を向ければ、こちらを見つめる淡い桃色の瞳とかち合った。
「っ、あ……!」
そこにいたのは、さらりと艶のある綺麗な長髪を揺らし、ふわふわと人の好い笑顔を浮かべる見慣れた姿。自分と同じ班に所属してる一人、鴇(とき)さんだった。
「鴇さん!」
「ふふっ。相変わらず、君たちはいい子だねぇ」
まさか、鴇さんがそんなところにいるとは思わず、咄嗟ながら挨拶を口にする。すると、鴇さんもまた『うん、おはよう』と柔和な笑みで返してくれた。
そのまま彼は、カラン、と軽やかな音を立たせて、執務室へと足を一歩踏み入れた。この辺りでは見慣れないその身形は、東部地方の奥地でしか見かけないらしいけれど。その珍しい衣服と相まって、彼の周りには独特な雰囲気が醸し出される。
けれど、話しかけづらいとか、そんなことは一切感じないのがこの人の不思議な所である。
「うぅ〜……見てたんなら声掛けて下さいよ」
俺の言葉に、鴇さんはごめんごめんと言いながら、ころころと笑った。その、あまり反省した様子のない表情に、少し遣る瀬なさを感じはしたものの、とはいえそれもいつものことかと一つ息を吐く。
「……おはようございます」
すると、瑠璃さんもまた、一拍遅れて挨拶を口にした。何故か先程以上に仏頂面を浮かべる瑠璃さんに対し、けれど鴇さんは、なおも柔らかい笑顔のままだった。
「うん、おはよう。……ん、ああ、ごめんね。思いの外ゆっくりしてしまった。時間ギリギリだったね」
そうやって、鴇さんの醸し出す空気の力で緩んでいると、不意に彼がそう呟いた。彼の視線を追うよう、中央に掛けられた時計に目を向けると、確かに、始業時刻まではあと十分といったところ。普段の鴇さんにしてみると、少しだけ遅い出勤だ。
けれど俺は、そんな鴇さんに対し、すぐに大丈夫ですよと首を振った。
「今日は見回りとかじゃないですから、全然支障はないです」
「そうかい? それなら良かった」
そうして向けられた鴇さんの笑顔に、再度ほっこりと胸が温まるのを感じる。
けれどその時。不意に鴇さんが、ああそういえば、と何かを思い出した様子で手を叩いたことで、状況は一変した。
「どうしました?」
首を傾げ、続きを促せば、鴇さんはうんと一度頷き口を開いた。
「うん、実はね千草くん。ついさっき、ここに来る途中、君に伝言を頼まれたんだ」
「……え」
そうして和んだのも束の間。鴇さんから告げられた言葉に、俺はなんとなく嫌な予感がして、緩んだ気持ちを急速に強張らせる。
なんていったって、職場に着いて早々の朝方の伝言、となると……悲しきかな、経験則から行き着く答えは、毎回決まって一つなのだ。
「霜月班の整備員の人がね、文月班(うち)の班長が整備室に迷い込んで困っているから、連れてってくれって。どうやら、今日は反対方向に行っちゃったみたい」
そうして続けられた内容に、俺はやっぱりか、と頭が痛くなった。そぐ傍らでは、呆れた様子のため息が落とされる。
「整備室……相変わらず、班長の迷い癖は困り物ですね。副長、もうすぐ始業時間ですので、早急にお戻りを」
「よろしくねー」
方や柔らかな笑顔に、方や気にする素振りもない冷たいお言葉。相反する表情ではあるものの、二人とも自分が出迎えに行くつもりは更々ないんだろう。そう、こちらに指示をするばかりだ。
そんな二人に挟まれながら、俺は。頭を抱えはしたものの、最後にはふう、と一つ大きく息を吐き出し、静かに分かりましたと零していた。
「彼奴のお守りも、俺の仕事ですから。迎えに行ってきます」
「うん、いってらっしゃい」
笑顔だというのに、どことなく無慈悲なその見送りに、俺は乾いた笑いを零す。こういう時ばかりは、毎回自分の役職って一体なんだったっけ……なんて思う。
俺、一応この班の副長なんだけどな……。けれど、悲しきかな。連れ戻してくれと告げられた人物が人物なだけに、適任であるのは俺なのだ。であれば、行かざるを得ない。
――――そう、俺が適任……なんだけどね。
扉を開け、廊下へと足を踏み出したその時、思う。
ふと、胸の奥にせり上がってきた感情。どろりとまとわりつくような、お世辞にも綺麗とは言えない気持ち。だというのに、どこか仄暗い愉悦を孕ませたそれを……それの名前を、俺は知っている。
「……こういうの、本当嫌になる」
誰に聴かせるでもない、そんな声をぽつり、落とした後。俺は、職務室を後にした。
今日、副長である俺が最初にする仕事は……迷子のお迎えである。
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