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1:都市近郊における獣人個体群の生活史と相利共生

 全身を揺り起こされるような振動に、穂高泉(ホタカセン)はゆっくりと目を覚ました。腰に緩く回されている葦野岳(アシノガク)の腕が、眠りの中で大きく跳ねたのだ。ぼんやりとした頭で重たい眠気を追い払おうとしたその瞬間。 「くしゅん!、くっしゅん!!」  耳元ではじけた大きなくしゃみに、ぶわっと羽毛が舞った。 「……岳、ごめん」 「うー……だいじょうぶ……」  くしゃみの衝撃で葦野の髪の間から飛び出した焦げ茶色の耳を穂高はそっと撫でつけた。柔らかな感触に眉を下げながら、申し訳なさそうに続ける。 「ごめん、羽毛のせいだろ」  視線を動かせば、枕元や毛布の中や二人の身体のあいだに小さな鳥の羽が無数に散らばっている。どれも穂高の身体から抜け落ちたものだ。穂高が葦野の髪を緩く梳くと、樺茶色の柔らかな繊維のあいだから、解けるようにふわふわとした白い毛が指先に絡みついた。 「お互い換毛期だから……こればっかりは……」 「そうだね……」  葦野は穂高の左耳から項にかけて手の甲でそっと触れた。事故の痕が残るその皮膚には、ところどころ羽毛が生えている。葦野はその感触を楽しむように、ほんの少しだけ羽毛をくすぐった。  穂高が息を詰めたのは、逆立つ羽毛の気配ではっきりと分かる。葦野はくすりと喉を鳴らした。毛布の中では、白い穂をつけた尻尾が機嫌よく跳ねている。 「あとでブラッシングしようね」 「うん……岳も、してあげるから」 「ありがとう」  葦野の手が穂高の黒髪に差し入れられ、くしゃくしゃとかき混ぜられる。もこもこと羽毛が溢れ、寝床へとこぼれ落ちた。  穂高は、目の前で機嫌よく揺れるキツネの耳を見つめながら、柔らかく息をこぼす。 「たくさんダウン集めて、お布団にしようね」 「……それ、本当にやるの?」  かれこれ二年間、葦野は穂高の抜けた羽毛を集め続けていた。自分の体から出てきたものをどうにかすることに、多少の抵抗はあるものの、絶滅危惧種の鳥の羽を大量に捨てるのも、確かにもったいないと感じてしまう自分もいて、今のところは好きにやらせよう、という結論に落ち着いている。 「だってイヌワシだよ? イヌワシのダウンなんて、この世のどこを探しても無いよ?」 「うーん……水鳥とかの方が、柔らかいと思うけど……」 「いいの、重要なのはそこじゃないの」  ふうん、と穂高はまた毛布に沈み込みながら、それならいっそ「岳専用」のダウンコートでもオーダーメイドしようかな、などと考え始める。  窓から降り注ぐ日差しが暖かく、再び眠気を誘った。 「泉、眠そうだね」 「ん……岳もでしょ」 「そうだね。ほら、上脱いで羽干ししたら。せっかくの晴れ間なんだから」  そう言うや否や、葦野は穂高の上半身を抱え上げてレーナーとインナーをまとめて脱がしてしまった。 「ちょっと……」  ひんやりとした空気に触れて、羽毛も、人としての肌も、同時に粟立つ。 「ふふ、鳥肌……」 「寒いって……」 「すぐあったかくなるよ」  葦野は、穂高の項から左手の指先までを点々と覆う羽毛の皮膚を優しく撫でた。穂高は「もう」と小さくため息をつくと、目を閉じて少しだけ集中するように息を整える。  鳥類の獣人は遺伝子系統がかなり古く、哺乳類のように無意識のまま形態変化を行うことが難しい。穂高自身は生まれたときからこの身体なので違和感はなかったが、他の獣人、特に葦野のように、スルスルと身体の形を変える姿を見るたびに、自身とは根本的に身体の作りが違うのだと思い知らされる。  やがて項の羽毛が大きく成長するように伸び上がる。肩甲骨を、腕を覆い隠し、黒鳶色の一対の翼が穂高の腕に現れた。更にその腕は形状を変えて鳥の翼の骨格を持つ。骨を押されるような感覚に一瞬だけ息を詰めるが、その後すぐに心地よい解放感が全身を包み込む。穂高は大きく息を吐いた。 「はい、上手だね」 「うるさいよ……」 「ごめんごめん」  葦野は穂高を前向きに抱いたままその背に腕を回し、翼の根元を優しく撫でる。瘢痕の羽が大きく膨らんだ。 「ん……」  くすぐったさに、穂高は羽を広げて震わせる。事故の影響で下垂してしまった左翼は大きくは広がらないが、それでも翼開長二百五十センチメートルを超える猛禽の翼は、寝床を優に越えてしまう。  油断すると風を起こし、部屋中を散らかしてしまうのだ。穂高は周囲に気を配りながら、羽を少しだけ畳んだ。 「日差し、気持ちいい……」 「うん……気持ちいいねえ」  葦野は穂高の羽毛に頬擦りしながら低い声で呟く。耳の横で、キツネの肉厚な耳が震えてくすぐったい。 「泉、リハビリすれば二ツ足でも飛べるようになるの?」  下垂した翼をゆっくりと撫でながら、葦野が呟いた。 「ううん……元から飛べないんだよ。鳥類の獣人は系統が古くて、馴化が進みすぎて能力が退化してるから、成体になると飛べなくなる。事故に遭う前も、バタついても飛べなかった。……本当に小さい頃は、ピョンピョン飛び回ってたらしいけど」 「そうなんだ……ふふっ、小さい時の泉、可愛いね」  葦野は穂高の背に回した腕に、ぎゅっと力を込めて強く抱きしめる。翼が揺れ、ゆさりと音を立てた。穂高は葦野の肩越しに、揺れる尻尾を見つけてほんのりと頬を緩める。  そのまま、重力に引っ張られるように前へ倒れた。体重を支える腕は今は翼に変わってしまっている。 「わっ」  仰向けに寝転がった葦野の上へうつ伏せに倒れ込む。羽は陽光を透かして斑の影を落とした。葦野の虹彩がその光を受けてゆるりと輝く。 「今日は、日向ぼっこ日和だね」 「もう……」  穂高は呆れながらも、目の前のキツネの耳に羽先を優しく沿わせ、風切羽の中で忙しなく動くその暖かさを静かに楽しむのだった。 【読まなくても特に問題の無い設定】鞍掛ヒタキ作 ■ 世界観:獣人と人間の共生社会 獣人(ハーフ):人類と並行して進化してきた存在 人間と動物双方の形質を持ち、種によって特性が異なる 極東の島国「日津国(ひのつこく)」が舞台(日本のパラレルワールドだと思っていただければ) 【ハーフの形態】 獣人は以下の形態を持つが、種によって可否・変化難度が異なる。 ・純人(ヒューマン) 人間とほぼ同じ外見。現代社会での基本形態。 ・二ツ足(バイペダル) 人型だが耳・尾・翼など動物的特徴が現れる。 ・四ツ足(クアドラペダル) 動物に近い姿。 哺乳類獣人は比較的スムーズだが、鳥類獣人は非常に稀。 【ハーフにおける 馴化種と野生種 】 ・馴化種 人間社会で暮らす獣人。形態変化は抑制的・選択的。 ・野生種 自然環境で四ツ足生活を主とする獣人。動物として生きている。 【ハーフを取り巻く社会】 法的には人間と同等の権利を持つ 。 医療には「獣人科」が存在 哺乳類は専門医が多い 。鳥類獣人は極端に少なく、獣医・研究者が補助的に関わる。 絶滅危惧種由来の獣人は厳重な管理・研究対象になることもあるが、 人権最優先の穏やかな世界。 ■ 穂高 泉 種族:ヒノツイヌワシの獣人(鳥類・古い系統) 形態: 純人が基本 。二ツ足で部分変化(翼・羽毛)。四ツ足(完全な鳥型)は極めて稀 身体的特徴 : ・二つ足の形態が二種類ある。 一次遷移=ヒトの腕に羽毛と風切り羽を纏った姿。 二次遷移=完全に鳥の翼。開長約 250cm。 ・成体では基本的に飛べない 。左側に過去の事故由来の後遺症 左翼の下垂(完全展開不可)左腕周辺に瘢痕。瘢痕部位の皮膚は部分的に羽毛化 ・事故後遺症による感覚過敏・自律神経障害あり。めまい、過眠、など本編同様の発作性不調 ・鳥目気味(暗所に弱い) 換羽期には羽毛が抜けやすい ・形態変化の特性 鳥類獣人のため、形態変化は思考的・集中型。しかし脊髄反射レベルで翼が出ることがある(事故時など) 。また他者の促し(信頼関係)で部分変化することがある ・一度四ツ足になると戻りたがらない傾向 ※絶滅危惧種であること、研究対象であることを理解し受け入れている。過去の事故時や定期健診の際の医療データを提供している。 ■ 葦野 岳 種族:ホンドギツネの獣人(哺乳類) 形態:純人・二ツ足(耳・尾)・四ツ足(完全なキツネ型)すべて比較的スムーズ 身体的特徴 : ・赤毛の毛皮にヒト形態の時の体毛色が混ざる。特に鬣から尾のラインに沿って樺茶色の毛が生えている。 ・笑い声や語尾にキツネ特有の鳴き声が混ざりがち ・トリタノピア(本編同様) ・耳や尻尾が感情や音に反応しやすい 耳が非常に良く、心音や呼吸も聞き取れることがある ・疲労時には四ツ足になることが多い。また四ツ足になると本能が強く出る ・哺乳類獣人は四ツ足時でも人の言葉を話すことが出来る。 ※穂高の「別にいい」「保全のためなら」というスタンスに強い不安を抱く

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