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第29話
蒼太は全ての荷物を纏め終わると、すっかりともの寂しげになった自室に少し寂しさを感じた。たった二ヶ月という短い期間だったが、蒼太にとっては思い出の詰まった部屋だった。
リビングへ向かった蒼太は「藍、荷物まとめ終わった?」とソファに座っている藍に問いかける。
「ん、俺はもう終わってる。お前の方はどうなんだよ?」
「俺も終わったよ」
蒼太が答えると「じゃあそろっと行くか」と藍は立ち上がった。
今日で藍との二ヶ月間の共同生活が終了する。長いようであっという間だったこの二ヶ月を振り返ると、本当に色々とあったな、と蒼太は緩く口角を上げた。そして、藍との共同生活が終わってしまうことに今後の自分たちの関係がどうなるのか不安に思う自分がいた。
藍との関係はとても順調だった。あれから蒼太が藍を避けることも辞め、藍もすっかり普段の藍に戻っていた。藍は蒼太が自分から離れることを涙を流すほど悲しんだ。俺の傍に居てくれと懇願した藍にとって、蒼太はかなり大きな存在となっているのだろう。けれど気分屋である藍の気持ちがコロッと変わることなんて容易に有り得る。この関係が終わってしまったら、途端に藍と連絡が取れなくなることだって可能性としては十分だろう。
「どうした?」
その場から動かない蒼太の顔を藍は不思議そうに覗き込んだ。ハッとした蒼太は「なんでもないよ、行こっか」と慌てて返事をする。すると、藍が蒼太の服の袖をちょん、と引っ張った。
「この関係が終わっても…俺と友達でいてくれるか…?」
蒼太は目を見開く。不安そうな表情で、藍は蒼太と目を合わそうとせずに俯いている。自分よりも背が高いはずの男が、今だけは小動物のように蒼太には小さく見えた。蒼太は優しく微笑み口を開く。
「もちろん、俺はずっとお前の友達だよ」
蒼太の言葉に顔を上げた藍は、直ぐに顔を逸らし「ありがとな」と蒼太の裾を離した。キャリーケースを引きずりリビングを出た藍の姿を目で追いながら、蒼太は微かに藍の鼓動が弾んだことに頬を緩める。
藍も蒼太と同じような不安を抱えていたようで、そんな藍の事が愛おしくて堪らなかった。この関係が終わってしまっても、藍との友人関係は続くのだと信じようと蒼太は思った。
車に荷物を乗せ、二人は藍の事務所まで向かった。事務所に入ると黒井が待っており、蒼太と藍は椅子に腰を下ろす。
「二人とも本当に二ヶ月間お疲れ様。いやー、写真も見せてもらったけどこれはすごい写真集が出せそうだよ」
黒井は嬉しそうに話を切り出す。黒井の反応に蒼太は「良かったぁ…」と胸を撫で下ろした。どうやら蒼太の二ヶ月の努力は無駄にはならなかったようだ。
「普段藍が見せないような姿もいくつか見れて、これはファンのみんな喜ぶと思うよ。それにしても藍、写真写り良くなったなぁ」
「まぁ、俺の努力の賜物だな」
藍は誇らしげに口角を上げた。
「いや、本当にすごいよ。この前蒼太くん以外のカメラマンさんに担当してもらった時は上手くいかなかったからさ、やっぱり君が撮ると格段に藍が輝くよ」
黒井に褒められた事に、蒼太は照れながら「ありがとうございます」と頬をかく。
「ねぇあんまりこいつに調子乗らせないでよ」
「そんなこと言って、藍だってこの前蒼太くんのこと褒めてたじゃないか」
藍は一度ぴくりと反応すると「えっ?何その虚言怖いんだけど」と冷たい視線を黒井に向けた。
「虚言じゃないだろ?全くお前はなぁ」
困ったように黒井は眉を下げた。
「完成品が出来たら直ぐに蒼太くんにも連絡するね」
「はい、楽しみにしてます」
「じゃあこれにて解散!」
「よーし帰るかー」
「ちょっと藍はこの後打ち合わせあるでしょ!」
藍は冗談めいた口調で「うわー、そうだった」と言うと「じゃあ俺先行ってんね」と行ってしまった。蒼太も部屋を出ようと立ち上がると「あ、蒼太くん」と黒井に呼び止められる。
「はい?」
「この仕事引き受けてくれて本当にありがとう。おかげですごくいい物が出来そうだよ」
「いやいや、こちらこそお役に立てて良かったです」
「蒼太くんが撮った藍の写真何度も見返したけど、どれも俺があまり見た事のない藍ばかりで驚いたよ。ほら、藍っていつもニコニコしてるから写真のような大人しい藍が珍しくてさ」
黒井は「これとかさ」とスマホの画面を蒼太に見せた。そこには藍がぼけっとテレビを見ている姿が映っていた。蒼太からしたらよく見る藍の姿なのだが、仕事ではこんな気の抜けた藍の姿はなかなか拝むことはないんだろうなと蒼太は思った。
「蒼太くんと一緒だと藍も気楽なんだろうね」
そう言って笑顔を浮かべた黒井に「…そうなんですかね」と蒼太は眉を下げた。
「うん、実はこの間撮影があったんだ。その時は業界でも有名なプロのカメラマンさんに頼んだんだけど、結局は上手くいかなくてね」
「その話は俺も藍から聞きました。やっぱり…カメラ自身を克服できた訳ではないんですよね…?」
蒼太はついこの間藍から聞いた話を思い出す。蒼太以外の相手にカメラを向けられるとやはり無意識に怖いと感じてしまう、そう藍は言っていた。
「そうだね…だから本当に蒼太くんはすごいんだよ。蒼太くん相手だと藍はあんなに苦手なカメラもむしろ自分のモノにするような勢いだし、写真集も凄くいい出来だった。良ければまた仕事お願いしてもいいかな?」
黒井の言葉に、蒼太は「もちろんです」と笑顔で答えた。
事務所を出た蒼太は、そのまま車を走らせた。そしていつも通り駐車場へ車を止めるとハッとする。間違えた、俺は何を馬鹿な事をしているんだと蒼太は深いため息をついた。蒼太はあろう事か数分前まで藍と暮らしていたあのマンションに帰ってきてしまったのだった。もうここへ帰る必要はないというのに、当たり前のようにこの場所へと帰っていた。
藍との共同生活が終わってしまった事を未だに受け入れたくないのだろうか。藍は蒼太の事を友人として認識してくれているようだが、やはり一般人の自分と国民的アイドルの藍では住む世界が異なってしまうのではないか、という不安を蒼太は拭えなかった。学生時代よりも確実に濃密になった藍との距離、同居してた間はその事実に浮かれていた。しかし逆に考えるとあの頃とは二人の立場は大きく違っていたのだった。今は同級生ではなく、芸能人と一般人。そもそもこの仕事がなければ蒼太にとって藍は手の届かない存在なのだ。藍には藍の世界がある。果たしてその世界に自分は必要とされているのか、蒼太には断言出来ない。
藍との関係が自然消滅する。これは蒼太の望まない結果だが、逆を言うと望む結果でもあった。藍と会わなければこの恋心もなくなり、藍を諦めることが出来る。二人にとって一番良い結果だと蒼太は思い込む。
蒼太は再度車のエンジンをかけアクセルを踏み込んだ。そして誰もいない自宅へと車を進めた。
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