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第1話
「記憶は消したる。せやから安心せぇ」
綾人が訳もわからず混乱している間に、白い男の顔が綾人の顔に近づき、ついに唇同士が重なった。
(ん!?はぁ!?俺、き、キスされてる…!?)
助かったと思った次の瞬間、綾人にまた新たな災難が降りかかった。
この夜は、あまりにも厄が重なりすぎている。
「んんんんん~っ!!!」
唇が触れた瞬間、体の奥に熱が流れ込んできた。
――この夜が、すべての始まりだった。
・
辺りが真っ暗な中、ようやくバイトを終えた綾人は1人で帰路についていた。
(疲れた…明日は朝早いし、帰ってすぐシャワー浴びて寝よう)
時刻は丁度日付を跨いでしまったが、バイト先と綾人の自宅はそれ程離れていないため、すぐに帰宅できる。
……はずだった。
「ぐ…っ!なに、んん!」
街灯の無い道に差し掛かったその時、綾人の体は何か得体の知れないものに纏われた。口は塞がれ、両手首も拘束されて後ろ手でまとめられる。
「んっ!んぐっ」
綾人はなんとか逃れようと踠くがその拘束からは逃れられず、路地裏にまで引き摺り込まれた。
(まさか…変質者?人身売買?)
唯一自由である目を動かして状況を確認しようとした綾人は、その光景に衝撃を受けた。
いくら目を凝らして見ても、自分の身動きを封じているもの自体の輪郭を捉えられない。
(人間じゃ、ない……!?)
綾人の体の自由を奪っているものは、暗闇よりもさらに深く暗いオーラを纒っている。身体中の触れられている部分さえも、雲に捕らわれているような感触だ。
(っ、とにかく、逃げなきゃヤバい…っ!)
必死に抵抗し続ける綾人だったが、逃れる術を見つけられないまま、力のみが抜けていく。もはや少しの抵抗すらできない。
『……………………』
黒い何かからは、汚い音のようなうめき声のようなものを発されており、その不気味さが綾人の恐怖心を引き立てていく。
「…っ!」
綾人が驚きのあまり強く身じろいだとき、自分の爪で反対の手の甲を引っ掻いた感覚と痛みがあった。
(痛っ…!)
『~~~~~~~!!』
その瞬間、黒い何かが興奮したようにバタバタと揺らめき始めた。
(な、なんなんだ…!?)
拘束はさらにぎゅっと強まり、押し潰されそうな程の力が綾人の体に加わる。綾人はその圧迫でいよいよ呼吸ができなくなった。
(苦しい……死ぬ…!)
残された酸素も残りわずか。
(来月でハタチだったのに…っ)
逃れられないと悟り、死を覚悟したその時。
『ギャァァッ!!!』
黒い何かが悲鳴のような声をあげ、綾人から離れる。解放された綾人だったが体にうまく力を入れられず、そのままうつ伏せで地面に倒れ込む。
(痛っ………って、はぁ!?…虎!?)
助かった、と思った矢先に現れたのは、真っ白な大きな虎だった。その虎が黒い何かを襲ったようだ。
(え、俺も喰われる…?)
虎なんて一体どこから、なんて考える暇もないままとりあえず逃げようとするが、綾人の体はまだ指一本さえ動かせないままだった。
一難去ってまた一難か…と思い始めたその時、綾人の頭上から声が聞こえた。
「おぉ、ようやったなぁ白虎」
綾人が声のした方に視線を遣ると、そこには長身で真っ白な着物を着ている、白い髪の青年がいた。きれいな髪の先は桃色がかっており、目は切れ長で鼻筋も通っている、文句のつけようがないイケメンだ。
(飼い主…?もしかして、助けてくれた、のか…?)
白い男は綾人の横を通り過ぎ、何かをぶつぶつとつぶやきながら黒い何かに向かって歩いて行く。
黒い何かの目前まで行ったところでピタリと歩みを止めると、手で印を結んだ。
「あっちの世界に早よ帰れ」
白い男がそう言ったと同時に、黒い何かからは禍々しいオーラがふっと消え、そのまま とぷん、と液体のように地下に沈んで行った。
(な、な、何だ、今の……!!!!!)
綾人がありえない光景に驚いて呆然としていると、白い男がくるっと綾人の方に振り向き、ずかずかと近づいて来た。
「来んのが遅うなってすまんかったなぁ。辛かったやろ」
白い男は前屈みになって綾人に手を差し伸べる。綾人はその手を取ろうとしたが、やはり体はピクリとも動かないまま。
代わりに何か言おうとするが、声すらもでない。
「…あちゃ~、こりゃだいぶ邪気に当てらてんなぁ」
(じゃき…?)
「邪気は人間にとっては猛毒やから、一刻も早く出し切らんと」
白い男はそう言いながら地面に腰を下ろして胡座をかき、綾人を軽々と持ち上げて自分の上に座らせた。
(何をするんだ…?)
「記憶は消したる。せやから安心せぇ」
綾人が訳もわからず混乱している間に、白い男の顔が綾人の顔に近づき、ついに唇同士が重なった。
(ん!?はぁ!?俺、き、キスされてる…!?)
助かったと思った次の瞬間、綾人にまた新たな災難が降りかかった。
この夜は、あまりにも厄が重なりすぎている。
「んんんんん~っ!!!」
唇が触れた瞬間、体の奥に熱が流れ込んできた。
次第に、白い男から逃れようとしているうちにいつの間にか身体に自由が戻っていることに気がつく。
綾人は白い男の胸を精一杯押し返し、キスから逃れた。
「お、元に戻ったな。でも無理は禁物ってことでお兄さんが家まで送ってってやるから、しばらく寝ときや」
「はぁ!?いらね…ぇ」
白い男がニコッと笑ってそう言うと、右手の人差し指と中指を綾人の額に当てた。その瞬間、綾人は意識を手放した。
・
翌日。
「んぁ……んんっ!?」
意識が覚醒したと同時に、綾人は勢いよくベッドから起き上がった。
(俺の部屋だ…)
綾人は昨日帰宅した記憶がない。
しかし実際には、こうしてきちんと自宅のベッドで寝ていた。
服が昨日のままなのが気になるが、眠気に抗えずそのまま寝てしまった可能性も否めない。ということは。
「昨日のは、夢、だったのか…?」
そうだ、夢だったんだ。当たり前だろう。あんなファンタジーみたいなことありえないだろ。そう自分に言い聞かせながら、洗面台に向かう。
歯ブラシに手を伸ばしたその時、綾人は服の裾から顕になった自分の手首に大きなあざができているのを発見した。
「っ!!」
こんな大きなあざはおそらく、昨日の黒い何かに掴まれた時のものだ。
…………………と言うことは、白い男に助けてもらい、さらにあんなことまでされたことも、夢ではないということになってしまうではないか。
「~~~っ!!あの変態め!何が『記憶は消したる。せやから安心せぇ』だ!」
しっかり覚えてんぞ!と怒る綾人だったが、ふと急にある疑問が湧いてきた。
「ん?夢じゃないなら、あの黒い何かは何だったんだ?明らかに人間ではなかったけど」
あの実態がないような気持ち悪い感じはまだ残っている。
「…………待てよ。
あの黒いのも、虎も、全部あいつが事件を装って仕組んでたんじゃないか?」
考えれば考えるほど、黒い何かは白い男が用意したものとしか考えられない。
「………アイツめ。まんまと騙されるところだった。もし今度あったら警察に突き出してやる…!」
綾人は大きく息を吸って叫んだ。
「覚えてろよ!変態ヤロー!」
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