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【玖】策謀の微笑

 その頃、皆さんお忘れであろう水晶は城の中をコロコロと転げ回り、ようやく城の回廊で探していた相手を見つけた。  その足元まで行くと、水晶はぴょんぴょん跳ねてみせる。  ガラス玉とは思えぬ柔軟さ、まるでゴムボールのようにしなやかに。  それに気付いた男が一人、静かに立っていた。  黒を基調に紺と紅の意匠が施された衣服は露出こそあるものの、戦う者の気配を纏っている。  鍛え上げられた肉体は隠されることなく、浅黒い肌の上には右の額から肩、腕、指先にかけて焼け焦げたような痣が走っていた。  真っ黒な短髪から、湾曲した角が二本覗き、真紅の瞳が跳ねる水晶を静かに見下ろす。  この城の(あるじ)――魔王セオドアである。 「どうした水晶、お前だけか?」  すると水晶はようやく止まり、魔王の顔を見上げた。 「ところでこの壁なのだが、お前は何か知らないか?」  魔王が確認していたのは、マハルの襲撃、そしてカボチャがマハルを殴り飛ばしたことで破壊され、その後カボチャが雑に修理した壁だ。 「凄まじい音がしたと思えば……気付いた部下が血相をかえて報告に来たのだが」  水晶はもちろん知っていたのでアワワと慌てる。言うべきか言わざるべきか、しかしいずれ自ずと知れること、悩んでいると魔王はため息をこぼす。 「良い、どうせカボチャあたりの仕業だろう」  ギクリと水晶はそれこそ水晶のように固まった。  魔王は魔王で、こんなこと日常茶飯事なので慣れっこだ。 「しかし壊したのなら壊したで、なぜ余に直ぐ報告しないのか。そうすればここまで雑に修復せずとも済んだだろうに」  それはその、と水晶が何か言いたげに左右へ転がる。 「しかし妙な力の痕跡もあるな。これは魔力ではない……風か? む、なんだ、やはりシュケルも戻っていたのか」  水晶が説明せずとも、さすが魔王、どんどん一人で状況を把握している。  もう一度、魔王セオドアは水晶へ向き直った。 「それでだ。先程から起きているこの大地の揺れはカボチャ達の仕業か?」  実はカボチャとマハルが攻撃を繰り出すたびに、いや主にカボチャのバカ力ならぬバカ魔力のせいで、あたり一帯へ衝撃音と地鳴りが響いていた。  殆どの住民は〝地震だ、地震だ!〟とあわてふためき、魔王のいる城へ避難してきている。  実は先程までその対応に追われ、こちらの様子を見に来るのが遅れたのだ。 「どれ見せてみろ」  魔王がそう言うと、水晶は待ってましたとばかりにその映像を映し出した。  そこには大人姿になり空中で弓を引き絞るカボチャと、空を駆ける見知らぬ若者、そしてその腕に抱かれているシュケル。  案の定、地上近くにはカインが、しかも誰かと一緒に遠巻きに見守っている。 「なるほどな。急に地鳴りが落ち着いたと思ったが、姿を変えたか」  何がなるほどなのかは水晶には分からないが、とりあえず魔王は何が起きているのかほぼ把握したらしい。 「まったく、どうしてこうも落ち着きのない者ばかりなのか」  短髪の黒髪を参ったとばかりにわしゃりとかきあげる。 「水晶よ、余は迎えに行ってくる。少しこの場を任せていいか?」  その場でくるくる回って合点承知の水晶。  それを見、ふっと微笑すると「ではな」と言って魔王は姿を消した。  そこへドタドタとこちらへ迫る足音。  それに反応するように水晶はぐにゃぐにゃと急いで形を変えていく。 「魔王さま!」 「魔王さま! ご報告です!」  複数人の部下達が、魔王に事の状況を知らせに来た。  だが本物の魔王はここにはいない。  いるのは―― 「……順に申せ」  魔王の姿に変わった水晶のみ。  ◇◇◇ (――さて、どうしましょうか)  シュケルはマハルにお姫様抱っこをされながら思案していた。  何度言ってもカボチャは城へ帰ってはくれそうにない。それは正直分かっていたことではあるが、この際カインとタージだけでも素直に動いてくれないものかと。  だが遠目に見ただけでも、地上近くで大地に運ばれているカインは帰るような素振りを見せない。  かたやタージに関しては、どうするか迷っているようでもある。 (せめて砦へ戻ってくれると助かるのですけど……)  シュケルは初めから、砦に身を潜めるタージに気付いていた。  それこそマハルが砦の鏡の前に立った時には、あの場に彼女は隠れていたのだ。  隠れているからには何か理由があるのだろうと、マハルを彼女から遠ざける意味でもシュケルは砦から飛び降り、マハルが追ってきたと見るや砦全体に防御結界をはった。  この後訪れる混戦に備え、カボチャと共に来るであろうカインの逃げ場所にと。  そして自身が身動きをとれなくなった時、彼らを護る保険として機能するように。  その目的は多少果たせた。  とは言え、そろそろ自身の力に限界がきている。もはや新しい結界を作れない。維持するだけでやっとだ。  それだけ当初想定していたよりも、全てが長引いているのだ。 「ふ、フフフ」  体内を這うように渦巻く熱と苦しさに、思わず笑いが漏れる。  これ以上この熱に抗いながら密かに力を使うには……。 (少し厳しいですね)  そもそも本来の予定では、カボチャが力任せに周囲へ及ぼす影響も含め抑えるつもりでいた。  だがこれではいざカボチャが暴走した時に抑えようにも被害を防ぎようがない。  幸いなのはカボチャが大人の姿へ切り替えたことだ。  だが魔力量が計り知れない子供の姿だろうと、魔力操作が向上する大人の姿だろうと、マハルに技量で圧倒的に劣るカボチャに勝ち目はない。  そうなるとカボチャはムキになって暴走するだろう。  一番問題なのは、カボチャがこの場にいることなのだ。 (もっとも期待している〝保険〟はまだ動きませんし……先に私が気を失うのとどちらが先か) 「――見物(みもの)ですね」  シュケルが苦し紛れに微笑んだ時、タージとカインは上空にいる三人を地上近くから見上げていた。  タージの作った移動する盛り土のような大地は、二人を高速で砦へと運ぶ。向かい風に煽られながらカインは叫ぶ。 「ちょっと待ってくれよタージ! 君は本当に帰るのか!? 悪いけど俺はまだ帰らないから!」  タージは揺れる気持ちを抑え、カインを乗せたまま砦へ向かって走らせる。 「わたくしとてこのまま帰りとうございませぬ! けれどあの方の為にも、わたくし共はここから離れるべきなのです」 「え?」 「わかりませぬか? あの方はわたくし共を〝護れなくなるから帰って欲しい〟と申したのですよ。きっとあの方はマハル様方の攻撃から、わたくし共を護っておいでだったのです」  タージの言葉にカインはハッとする。  言われてみればあの砦にいた時、まるで何かの壁でもあるかのように、こちらにはなんの影響もなかったと。 「そっか、確かにシュケルならそれが出来る」 「あの方は宝玉の()を体内に取り込んだ筈です。身体が作り替えられる間、一切の身動きが取れなくなり、言い様のない苦しさを堪えねばなりませぬ。中には気絶される方もいるのですよ。むしろその方が良いほどに」 「じゃ、じゃあそんななか、シュケルは……」 「常人であればその最中(さなか)、力など使う余裕などございませぬ。わたくしとてそうです」  カインの顔が青ざめ、そして目尻をつり上げる。 「なん、だよそれ……そんなもん、勝手に人にやらせんなよ。人にやらせるぐらいなら自分が取り込めばいいだろ。俺なら絶対そうする」  カインは両拳を握った。 「やっぱりダメだ帰れねぇよ。アイツの顔一発ぶん殴ってやんないことには、帰れない!」 「でもそれではあの方に負担が!」 「じゃあどうしろってんだよ! どうすれば……城に帰ったところで、帰ったところで……?」  そこでカインは気付いた。  シュケルは自分には〝戻れ〟と言っていたと。 「あ! あぁああああ!!」 「ど、どうされたのです!?」 「そっかそういうことか、一度〝戻れば〟良かったんだ……!」  その時だ。背後から暴風が迫り、土の滑走路を次々巻き上げ吹き飛ばし、カインとタージも鋭く吹き飛ばされた。  上がった二人分の悲鳴と共に、身体が砦の螺旋階段の腰壁に叩きつけられ、階段の上に崩れ落ちる。 「っっいったぁ……タージ、大丈夫か!?」 「え、えぇなんとか」  壁にぶつかる直前、カインがタージと壁との間に身をねじ込ませたお陰で、タージにはそこまで被害はない。  だがカインの(ひたい)からは血が滲んでいた。 「っ背骨もいったかも……」  痛みのせいだけではない、身体に力が入らず起き上がれない。  慌ててタージはカインの手を握った。 「母なる大地よ、風と共に生命の息吹をこの者に与えたまえ」  するとゆるやかな風と共に、手の平から春の陽だまりを思わせるような暖かさが、全身へ広がって行くのを感じた。       「タージ……なんかわかんないけど、凄いね」 「……たいしたことではございませぬ。ともかく、飛ばされた場所が砦で幸いでした。ここなら暫くは心配ないかと……例え結界が破れても、わたくしが全力でお守りいたしますゆえ」  タージは治療を続けながら、今も尚暴風で荒れる砦の外を見た。  階段に倒れているカインの目には映らないが、マハルがカボチャの首を絞め、地面に縫い付けている。 (マハル様……!)  ――それはタージとカインが吹き飛ばされる少し前。  カボチャが放った矢が百本近く及ぶ頃、防戦一方だったマハルがついに反撃に出た。  自分のそばにいてはシュケルに万が一があってはいけないと、更に上空に風の籠を作り出しシュケルを保護する。  そして暴風の刃を巻き起こし、カボチャを空中の一点に縫い留める。  間髪を容れず、逃げ場を失ったその姿めがけて突っ込んだ。刹那、カボチャの首を両手で鷲掴み――そのまま数百メートル下の地上へ、容赦なく叩きつける。  乾いた地面に、重い衝撃音が五度轟いた。  森の名残も消えた荒野が、大きく抉れる。  内側から外へと亀裂が広がり、舞い上がる砂埃の中、カボチャの身体が背中から頭へと激しく跳ね上がり、漆黒の長髪が、荒れた大地に爆ぜる。  あまりの衝撃にカボチャはひしゃげた叫び声を漏らした。 「っ……!」  首を締め付けるマハルの手首に爪を立て、引き剥がそうと足掻くカボチャ、だがマハルは両手だけでなく風をも使って首を締め上げた。 「っっ!?」  一度は首との間に隙間が出来たが、またギリギリと締め上げられる。 (もう一度子供の姿に……いや駄目だ!)  カボチャは瞬きの間に思考する。  どのみちこの姿は魔力を消費し過ぎると、魔力量の多い子供の姿に戻ってしまう。だが今戻るわけにはいかない。  いくら魔族といえど所詮子供の身体。その細首など、いとも簡単に潰されてしまうだろう。  しかしこの身体では魔力量が足りない。魔力というのは魔族の邪気量に比例し、魔力量が膨大であればあるほど魔力の威力が上がる。  つまりは強いということだ。  繊細な攻撃は出来ても、一発逆転の爆発的な威力が必要となると、この身体では駄目なのだ。ならば……! 「っなぜ、そうまでして……! いったいソナタはシュケルのなんだ!」 「……うるっさいですね! ただ、アイツがいないと、この僕が、いろいろ困るんだよ……!」  自身の首を締め上げるマハルの両手。その手首を掴んだ手に渾身の力を込め、自身に残っていた魔力をマハルの体内へと、物凄い早さで大量に流し込む。  相手を死に追いやる、速効性のある呪術をかけて、叫ぶ。 「こぞおがあああ!」  気付いたマハルが更に両手に力を込め、締め上げる。 「させるかあああ!」  頭上には百近い矢の大群が目前(もくぜん)だった。  風の力がカボチャの体全体を地面へ縫い付ける。  空が、血のように赤い。 「「おちろおおおお!!」」  ――その時。  マハルの耳に、はち切れんばかりの悲痛な声が届いた。  子供の頃から馴染みのある。  視界に映る全てが、ゆっくりと動き出す。  顔を上げると、暴風の刃の中、こちらへ向かって身を投げ出す姿が瞳に映る。 「マハルさま、逃げてえええ!」  どうしてか、まるで走馬灯のようにただ一人の声がマハルの頭の中で反響した。  半分夢のような、温かい声が真綿のように耳を包む。  そして『マハル様』と少し頬を染めて笑うあの声が――手から力が抜け、タージと、まさに言葉にしようとしたその時。 「――さて、遊びの時間はここまでですよ」  どこか含みのある声が辺り一面へ響いた――

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