14 / 72

第3章:二人の錬金術師(2)

 その時―― 「よぅ、クォークってのはおまえか?」  背後から、ぬめりのある声が響いた。湊が振り返ると、でっぷりと太った男が腕を組み、城壁に背を預けて立っていた。顔には薄く笑みを湛えているが、目の奥は笑っていない。湊は名乗らなくても、この男が誰なのか分かった。物語の挿絵とまったく同じだったから。 「ダブラー!」  アルダスが声を上げる。その男は構いもせずに湊へ近づくと、顎をグイッと掴んだ。湿った手のひらの感触に、湊の身の毛がよだつ。 「よく見るときれいな顔してるな。女の子みたいだ」  湊の顔にかかる息からは酒とタバコの匂いがした。堪らず湊はその手を振り払う。 「……やめてください」  それだけ言うのがやっとだった。物語を読んだ印象では、もっと対等に渡り合えると思っていた。けれども、実物は他者を慄かせる威圧感がある。  大柄な体格にでっぷりとした腹回り。太い首とごつごつした指先。茶色のローブを軽くはだけさせて堂々と立つ姿は、どこか粗野な印象さえ与えた。その表情には底抜けの自信と余裕がにじみ出ており、こんな時でさえ口元にはわずかな笑みを湛えている。その鋭い眼差しは油断なく湊を観察していた。 「俺との面接を断るなんて、いい度胸してるじゃねぇか」  笑顔とは裏腹なドスの効いた声に湊の脚は震える。だが、ここでくじけている場合ではない。 「僕は……アルダス様のような人と働きたいのです」  声も震えていたが、視線だけは逸らさなかった。ダブラーの口元の笑みがほんの一瞬だけ消える。 「あぁん? こんな三流錬金術師の下で働いたって、ロクに給料も払われずに路頭に迷うだけだぞ。俺のところで働ければ、二倍も三倍も給料を払ってやるぜ」  そう言って、ダブラーは指を三本突き立てる。その仕草からして下品で、湊は石動を思い出した。なんとなく見た目も似ている。 「僕はアルダス様の誠実で真面目な人柄に惚れたのです」  湊はアルダスに視線を向けた。アルダスは困った顔をしながら、成り行きを見守っている。 「俺が不真面目だって言いてぇのか」  何を言われてもダブラーはニヤニヤしている。まるで、この状況を面白がっているみたいだ。湊は次の言葉に詰まってしまう。あらためて物語を変える難しさを痛感した。 「やめないか。クォークは私の部下だ」  アルダスが二人の間に割って入る。その言葉に、湊はハッとしてアルダスの顔を見た。今、「私の部下」と言ってくれたのですか、と。  ダブラーは面倒臭そうな顔をして、プイッと背を向ける。 「仕方ねぇな。でも、俺は諦めないぜ。おまえもこいつが嫌になったら、いつでも俺のところに来な」  湊が反論する間もなく、ダブラーは歩き出していた。突然、どこに隠れていたのか、派手な化粧の女が駆け寄ってきて、人目も憚らずダブラーの腕を掴んだ。 「あら、ダブラー。今日もいい男ねぇ。昨夜は来なかったじゃないの。寂しかったんだから!」 「悪ぃな、ちょっと野暮用でな。今夜は顔を出すさ」  ダブラーは口元に笑みを浮かべて、肩を抱くように女を引き寄せる。女はくすぐったそうに笑いながら、そのまま腰に手を回して歩き出した。  湊は二人の後ろ姿をぼんやりと見送った。おそらく、どこかの飲み屋の女だろう。物語で読んでいたとはいえ、女好きなところを目の当たりにして、湊はあらためてダブラーを軽蔑した。そんなところまで石動に似ている。  急にアルダスが咳込んで、湊は慌てて向き直った。 「あの……ご迷惑をおかけしてごめんなさい」 「いや、君は悪くはないさ。私の部下なんだからな」  もう一度、アルダスは「私の部下」と言ってくれた。湊は喜びを露わにする。 「それでは……」 「ああ、明日から私のところで働いてくれないか」  湊は大きく頷く。 「ただし、ダブラーが言うように給料はそんなに良くないぞ。それでもいいのか」 「もちろんです!」  アルダスはもう一度右手を差し出した。湊も右手を差し出して強く握り返す。 「それじゃ、よろしくな」 「こちらこそ、よろしくお願いします」  湊の心は喜びに満ち溢れていた。そして、彼は気づいていなかった。いつもの悪い癖でアルダスを好きになり始めたことを。

ともだちにシェアしよう!