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第13章:物語の終わり

 まだ空が白む前、湊はダブラーと並んで静かな通りを歩いていた。朝靄が街を覆い、足元さえ霞むような時間。人気のないその道を、湊は「この道が好きなんです」とだけ言って、ダブラーを連れ出した。  やがて城壁の近く、ひときわ静かな路地の奥に、あの建物が姿を現した。扉は板で打ちつけられ、看板は外され、窓の一つは割れたままになっていた。 「……閉めたんだな」  ダブラーが、誰に聞かせるでもなく呟いた。  湊はしばらく何も言わず、ただその場に立ち尽くした。かつて毎日開けていた扉。笑い声や調合の煙が立ちのぼっていた店内。そのどれもが今は遠い幻のようだ。  近づいて、ガラス越しに中を覗く。埃をかぶったテーブルは、椅子を押し込まれたままだった。棚には空き瓶がいくつか残されている。人の気配はどこにもなく、時間だけが静かに積もっていた。 「……どうしても、最後に見ておきたかったんです」  そう口にした湊の声は、微かに震えていた。客から聞いた閉店の話。いつのまにかひっそりと店は閉まっていたという。ダブラーは何も言わず、そっと湊の肩に手を置いた。 「ここで、僕はたくさんのことを学びました。痛みも、喜びも、全部。……できるなら、助けてあげたかった」 「だが、助けねぇことも優しさだ」  ダブラーの言葉に、湊は頷いた。名残を惜しむようにもう一度扉を見つめると、やがて踵を返した。 「……いつか、アルダス様も幸せになれますかね」 「さぁな。それはもう俺たちには関係ねぇよ」  二人は何も言わずに歩き出した。朝の光が、ゆっくりと街を照らし始める。湊の胸には、やっと風が通ったような爽やかさがあった。 「やらなければいけないことがたくさんありますね」  これまでアルダスに頼っていた客は、自分たちの店に流れて来るだろう。てきぱきと捌いて期待に応えなければいけなかった。ダブラーのためにも。 「おまえがいてくれたら何も心配はいらないさ。俺が見込んだ弟子なんだからな」  ダブラーは湊の手をしっかりと握り、朝日に向かって走り出す。その大きな体からは想像できないほど、ダブラーの足は速かった。湊はついていくのが精一杯である。 「ちょっと待ってください。ダブラー、速すぎますよ」  周りの景色が次第に溶け出して、白い光が体を包んでゆく。けれども、握られた手のひらのぬくもりや湿り気はそのままだった。酒やタバコやバニラの匂いも。 「ねぇ、ダブラー……ダブラー!」

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