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第37話 ノクターンM45#4
「ん……昴……? もう帰ってきたの? 僕、結構寝ちゃってた? ちょっと待って、今からパイ焼くから……」
目の前には昴が居た。髪はステージの上に立っていた時と同じでオールバックにセットしたままだ。服装はタキシードから変わっていて、午前中に家を出て行った時と同じ綺麗目の白いシャツと、紺のスラックス。その上に黒のエプロンを着けている。
理月が夢の中とそっくり同じ台詞を口にすると、昴はへにゃっと笑った。
「大丈夫だよ、もう焼いておきました。ほら、良い匂いするでしょ? もうちょっとで焼き上がるよ」
そう言われて鼻からすっと息を吸うと、こんがりふわっとした良い匂いに気が付いた。サーモンのパイ包み焼きの匂いだ。
「やっぱり、昴はサーモンのパイ包み焼きが大好きだもんね。パイは後で良いから、とか言わないよね」
「え、何の話? りっちゃんが作るサーモンのパイ包み焼きは何より優先するべきこの世で一番美味しい食べ物だから、後で良いなんて絶対言う訳ないよ」
大袈裟なやつだなあ、と思いながら、まだ微睡んでいる目を細めた。頬杖を突いて傾けていた身体を真っ直ぐにして目元を擦る。
「んー……ちょっと、昴の夢を見てた。この昴は現実だよね?」
「現実だけど、良い夢見てたなら夢の続きだって思ってくれても良いよ。良い夢だった? それとも悪い夢?」
「良い夢……なのかな。どうだろう。分かんないや」
微笑んで聞かれ、小首を傾げて苦笑する。良い夢、と言って良いかは分かりかねる。単なるご都合の願望夢だ。夢の中なら全部放棄して昴を選べる。
「何それ? 変なの。りっちゃんは先にテーブル着いて。僕、ステーキも焼いちゃうから」
「昴は座ってて。起きたし後は僕がやるよ。公演後で疲れてるだろ」
「僕は明日休みだし大丈夫。りっちゃんは明日仕事でしょ? ゆっくりしてて」
昴は小首を傾げて不思議そうな顔をしたものの、にこりと笑顔を浮かべて理月の髪を優しく撫でる。そんな昴の態度に理月は眉を八の字にして口唇をへの字に曲げた。
「今日の主役は昴だろ」
「今日の主役はりっちゃんでしょ。僕が今日コンサートで弾いた曲は、全部りっちゃん宛て。って、理解るよね? つまり、主役は僕じゃなくて、りっちゃんなんだよ」
昴に笑って手を握られ、そのまま手を引かれて立ち上がらされる。腰を軽く抱かれてダイニングキッチンの椅子までエスコートされ、誘導されるままぽすんと椅子に座らされた。
「一万人の観客はみんな昴を見てたよ。勿論、僕もね」
「一万人の観客に見られてた僕が、りっちゃんだけ見てたってことは、やっぱりりっちゃんが主役ってことにならない? まあ、勿論残り九千九百九十九人のファンの皆も楽しめるように頑張ったつもりだけど」
「仕事に私情を挟むなよ……だけど、周りの観客もみんな楽しんでたよ。僕も、凄く楽しかった」
理月は少し呆れを浮かべたけれど、コンサートを思い返してふっと笑う。みんな、心から昴の音を楽しんでいたと思う。あれがただ一人のためのコンサートだなんてことは、昴と理月以外分からないだろう。
「でも、目の周りがちょっと赤いよ。泣いてたんじゃないのー?」
「つまり、泣いちゃうくらいコンサートが良かったってことだよ。周りの観客だって、ちらほら泣いてたし」
昴に揶揄う調子で言われ、ツンと口唇を尖らせる。けらけら笑われてしまい、余計に口唇を尖らせた。昴は笑みを浮かべたままキッチンに向かい、室温に戻していたらしい和牛のフィレ肉をフライパンで焼いていく。
既にダイニングテーブルの上にはシャンパンクーラーでシャンパンが冷やされていて、グラスやカトラリーも揃えて置かれている。完璧に支度されていて、ぐうの音も出ない。
本当はカッコよくスマートな大人っぽい告白がしたかった、やり直したい、と言っていたことを思い出し、昴が思うカッコよくスマートな大人っぽい感じが多分こうなんだろうなとふと思った。つまり、この後もう一度告白される。
「りっちゃん焼き加減ミディアムで良いよねー?」
「うん、ミディアムで……」
告白されるんだろうなあ、と思うと緊張してきた。オーブンが音を鳴らしてパイの焼き上がりを知らせ、ステーキも丁度よく焼ける。せめて出来上がった料理を運ぶくらいの手伝いはしようと立ち上がり、昴と手分けして出来立ての料理をテーブルへと運んだ。
本日のメニューは、カプレーゼサラダ、サワークリームとキャビアを乗せたミニパンケーキ、ロブスターのビスク、和牛ヒレ肉のロースト、サーモンのパイ包み焼き。クリスマスらしいというか、ご馳走っぽいメニューにしたつもりだ。
互いの定位置に向かい合って着席すると、昴がシャンパンクーラーからシャンパンを取り出して栓を抜いた。シャンパングラスにトクトクとシャンパンを注いでいく。
「それじゃあ、乾杯。りっちゃん、ジョワイユ・ノエル~」
「ジョワイユ・ノエル。昴、ソロコンサート大成功おめでとう」
「ありがとー。すっごく嬉しい」
グラスを軽く持ち上げ、メリークリスマスを意味する仏語の挨拶に応えてシャンパンをひと口含む。幼稚園から彗上の生徒だった理月はフランス式のクリスマスに慣れているから、昴も毎年それに合わせてくれている。鼻腔を華やかな香りが擽り、甘めのシャンパンの味が咥内に拡がった。しゅわしゅわと泡が弾けながら喉を通っていく。
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