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■7-1 アルト編:主席研究官は、恋を計算できない

共有タブレットに通知が来ていた。 【姉:今日アルト】 【姉:主席研究官】 【姉:眼鏡】 【姉:星図】 【姉:クールメガネタイプ】 【姉:よろしく】 俺はソファに座り、タブレットを開いた。 画面には、青い星図と眼鏡のアイコンが表示されている。 【期間限定イベント】 星図演算祭と完全星詠み装置 対象プリンス:アルト・セレスティア アルト・セレスティア。 魔導科学院主席研究官。 青みがかった銀髪。 細い眼鏡。 白と群青の研究礼装。 手には魔導端末《オービット・グラス》。 解析魔法と星図魔法を扱う、理性派のプリンス。 立ち絵の時点で、こちらを恋愛対象というより実験対象として見ている感じがした。 ホームボイスが流れる。 『姫。あなたの来訪により、予測値が変動しました。興味深いですね』 「興味で見られてるな」 次のボイス。 『この世の全てには、美しい理由がある。私が演算によって全て解き明かしてみせましょう』 「天才かよ」 さらに次。 『測定不能なものを、特別と呼ぶのは簡単です。研究者なら、まず疑うべきですね』 「理屈っぽい」 画面の中のアルトは、眼鏡の奥で静かにこちらを見ている。 冷たい、というより、遠い。 そこにあるものを正確に見るために、わざと距離を置いているみたいだった。 俺はイベント開始を押した。 **** 魔導科学院最大の公開演算イベント、星図演算祭。 画面いっぱいに、巨大な星図ホールが映った。 高い天井。 青白い魔導灯。 床一面に走る星座のような演算紋。 中央には、都市全域を模した巨大な星図スクリーンが浮かんでいる。 蒸都アルカディアの魔力流。 人流。 天候。 交通。 魔導灯出力。 観客の移動傾向。 すべてが青い光の点と線になって、星空みたいに映し出されていた。 観客たちは息を呑んでいる。 研究者たちは端末を手に、壇上へ注目していた。 その中央に、アルト・セレスティアが立っている。 白と群青の研究礼装。 細い眼鏡。 手にした魔導端末《オービット・グラス》が、淡い星光を放っている。 アルトが指を動かすと、星図スクリーンの光が一斉に流れた。 『三分後、北回廊の人流が詰まります』 淡々とした声が、ホールに響く。 星図の北回廊部分に青い光が集まり、赤い警告線が点る。 数分後、本当に人流が詰まりかけた。 係員が誘導を入れると、混雑はすぐに解消する。 観客から拍手が起きた。 『西側魔導灯二基、出力低下』 アルトが言う。 数秒後、西側の魔導灯が微かに揺れ、整備員が交換に走る。 『中央広場の歓声密度、十二秒後に最大値』 十二秒後、屋外広場の中継映像で歓声が上がった。 星図スクリーンの光と、現実の動きが重なっていく。 予測は次々に的中した。 研究者たちはざわめく。 「さすが主席研究官」 「都市の未来まで読んでいる」 「完全星詠み装置は、もう実用段階だ」 アルトは表情を変えない。 褒められても、嬉しそうではない。 ただ、数値を確認している。 観客を見ているようで、観客を見ているわけではない。 星図に映った点を見ている。 流れを見ている。 密度を見ている。 数字を見ている。 イベント台詞が表示された。 『どうです、姫。人の動きも感情も、十分な母数があれば傾向として処理できます。個別の揺らぎは誤差として計算できるのです』 画面に選択肢が出る。 【素晴らしい演算です】 【さすが主席研究官です】 【まぁ、すごいけど……】 すごい。 それは本当だ。 都市全体の流れをあれだけ読めるのは、どう考えてもすごい。 でも、引っかかった。 人の流れは見ているのに、人は見ていない。 拍手を浴びても、アルト自身は嬉しそうではない。 そして、誤差、と言うたびに、目が少し冷たくなる。 俺は三番を押した。 【まぁ、すごいけど……】 画面の中のアルトが、眼鏡の奥でこちらを見る。 『含みのある反応ですね』 声は穏やかだった。 怒っているわけではない。 ただ、観測値が予測と違った時のように、静かに分析している。 『演算精度は現時点で九十八・七%。予測遅延も基準内。問題があるとすれば、あなたの評価基準でしょうか』 「……人の顔、見てないな」 そう呟いた瞬間、画面の星図が大きく揺れた。 青白い光の点が、タブレットの外へこぼれる。 リビングの空気に、星の粒みたいな魔導光が浮かんだ。 足元に演算紋が広がる。 細い線。 小さな数字。 星座みたいな光の網。 次の瞬間、ソファの感触が消えた。 俺は、星図ホールの床に立っていた。 **** 最初に聞こえたのは、驚きではなく、測定音だった。 ぴ、と小さな音。 目の前に、青白い魔導画面が浮かぶ。 その向こうに、アルト・セレスティアが立っていた。 近くで見ると、思ったより表情が薄い。 冷たいというより、感情の出力をわざと絞っている感じだ。 アルトは俺を見るなり、眼鏡を押し上げた。 「未登録観測対象を確認」 「観測対象?」 「分類不能。来訪経路不明。魔力反応、通常契約者と一致しません」 「いきなり分析するな」 「では、先に質問します」 「おう」 「あなたは姫ですか」 「違う」 「見れば分かります」 「じゃあ聞くなよ」 「確認手順です」 「手順なら仕方ない……のか?」 「次。名前は」 「晴人」 「晴人」 アルトは俺の名前を、端末に記録するような声で繰り返した。 「姫の代理人。契約反応あり。予測外来訪。興味深いですね」 「興味で見るな」 「観測対象としては非常に興味深い」 「言い直して悪化したぞ」 アルトは少しだけ首を傾げた。 本気で分かっていない顔だった。 「では、晴人。あなたは先ほど、人の顔を見ていない、と言いましたね」 「言った」 「顔は観測値として不安定です」 「でも、人だろ」 「人であるからこそ、全体傾向で扱うべきです」 アルトは魔導端末を操作する。 星図スクリーンに、観客たちの動きが光の点として映し出された。 「個別感情に過剰な意味を与えると、予測が歪みます。感情は揺らぎます。揺らぐものを中心に置けば、事故に繋がる」 「だから見ないのか」 「見ています。数値として」 「顔は?」 「誤差です」 その言い方が、妙に引っかかった。 誤差。 そう言えば、見ないで済む。 見ていないことに、理由をつけられる。 アルト自身も、そうやって納得しているように見えた。 **** 星図演算祭は続いていた。 壇上では、完全星詠み装置の公開実演が進んでいる。 星図スクリーンが都市の魔力流を映し、研究者たちが数字を読み上げる。 観客は感嘆し、拍手する。 その途中、小さなトラブルが起きた。 ホールの端に展示されていた星図模型。 子ども向けに作られた、都市の星図を立体化した模型だった。 小さな男の子が、光る星を触ろうとして手を伸ばす。 その指が、支柱に引っかかった。 からん、と音がする。 星図模型の一部が崩れた。 小さな青い星が床へ転がり、周囲がざわつく。 子どもは、泣きそうな顔で固まっていた。 親らしい女性が青ざめる。 「す、すみません……!」 アルトはすぐに端末を見た。 「損傷率七%。予備部品で修復可能。発表進行への影響は一分以内」 正しい。 たぶん、処理としては完璧だ。 部品は壊れすぎていない。 進行にも大きく影響しない。 係員が来れば直る。 でも、アルトは子どもを見ていなかった。 子どもは今にも泣き出しそうだった。 自分が大きなものを壊したと思っている顔だった。 「模型じゃない。子どもだ」 俺が言うと、アルトがこちらを見た。 「模型の損傷は軽微です」 「そっちじゃない」 「個別感情は、全体進行への影響が軽微です」 「軽微に見えるだけだろ」 アルトの手が、端末の上で止まる。 俺は子どもの前へしゃがんだ。 床に転がった青い星を拾う。 「これ、戻せばいいんだろ」 子どもは涙を浮かべたまま頷く。 「こ、壊しちゃった……」 「七%らしいぞ」 「なな?」 「ちょっとってことだ」 「ちょっと?」 「たぶん」 子どもが、少しだけ瞬きする。 「ちょっとなら、直る?」 「直るだろ。そこの研究官が言ってた」 俺はアルトを見る。 アルトは少しだけ黙っていた。 それから、端末を操作する。 星図模型の一部が淡く光り、外れた支柱の位置が浮かび上がる。 「その星は、ここです」 「だって」 俺は子どもに青い星を渡した。 子どもは恐る恐る、それを元の位置へはめる。 かちり。 星図模型が再び光った。 周囲から、小さな拍手が起きる。 子どもは、泣く代わりに息を吐いた。 「直った……」 アルトは、それを見ていなかった。 いや。 見ようとして、すぐに端末へ視線を戻した。 俺は立ち上がる。 「今の、泣きそうだったぞ」 「発表は継続可能です」 「発表じゃない。人だ」 アルトが止まった。 「誤差って言うな。そこからズレるんだろ」 星図ホールの空気が、一瞬だけ静かになった気がした。 アルトは眼鏡を押し上げる。 「感情を観測対象に含めると、演算の安定性が落ちます」 「無視してもズレるだろ」 「……」 「今の子ども、泣いてたら周りも気にした。親も止まった。近くの人の流れも変わった。小さく見えるだけで、ちゃんとズレてる」 アルトは何も言わなかった。 でも、聞いていた。 その目は、端末ではなく、さっきの子どもの背中へ向いていた。 **** アルトの脳裏に、何かが浮かんだのが分かった。 表情がほとんど変わらないから、はっきりとは見えない。 でも、指が止まった。 端末を持つ手に、少しだけ力が入った。 「以前」 アルトが静かに言った。 「感情を予測に入れようとしたことがあります」 星図スクリーンの青い光が、彼の眼鏡に映る。 「群衆の不安、期待、焦り、恐怖。それらを読み解き、事故を防ごうとしました」 声は淡々としている。 「ですが、予測は外れた」 アルトの視線が、星図の一点に向く。 「小さな恐怖が連鎖し、群衆事故が起きました」 俺は黙っていた。 「その後、言われました。感情など、不安定なものを混ぜるからだ。測れないものを扱うな。誤差を誤差として切り捨てられないなら、研究者ではない、と」 アルトは、ほんの少しだけ笑った。 笑ったというより、表情を整えた。 「だから、誤差として処理することにしました」 「それで楽か」 「正確です」 「楽かって聞いた」 アルトは答えなかった。 その沈黙で、答えは何となく分かった。 **** 星図演算祭は、最終演目へ移っていた。 完全星詠み装置による巨大星図投影。 都市全域の魔力流を、夜空へ映し出す大掛かりな演出らしい。 中央広場には観客が集まっている。 ホールの星図スクリーンには、広場の様子が映し出されていた。 歓声。 星飾り。 魔導灯。 子どもから老人まで、たくさんの人が空を見上げている。 アルトは端末を操作し、淡々と読み上げる。 「危険値、基準内」 星図に数値が浮かぶ。 「人流、安定」 青い光の点が、中央広場へ整然と集まっている。 「パニック発生率、低」 研究者たちは頷く。 最終演目が始まった。 夜空に、巨大な星図が投影される。 都市全域の魔力流が星座のように結ばれ、観客の頭上へ降りてくる。 すごい。 確かに、すごい。 星が空から落ちてくるみたいだった。 けれど、大きすぎる。 音も光も強い。 きれいではある。 だが、見上げている人の中には、少し怯えている顔もあった。 さっきの子どもが、親の服を掴んでいる。 巨大投影の低い音に驚いたのか、肩を震わせていた。 親が子どもを抱え、人の流れから少し外れる。 その後ろで、数人が足を止める。 後方の観客が、出口を探すように視線を泳がせる。 誰かが小さく呟いた。 「出口、塞がってないか……?」 数値上は、たぶんまだ誤差だ。 星図スクリーンの点は、大きく乱れていない。 でも、空気が変わっている。 顔に出ている。 足の止まり方に出ている。 視線に出ている。 「アルト」 俺が言うと、アルトは端末を見たまま答えた。 「危険値は基準内です」 「これ、まずいんじゃないか」 「人流は安定しています」 「観客の顔に出てる」 アルトの指が止まる。 「顔」 「数字に出る前に、顔に出るだろ」 アルトは、星図スクリーンを見る。 そこにあるのは、青い点。 密度。 進行方向。 速度。 でも、顔は映っていない。 アルトはゆっくり、会場の中継映像へ視線を移した。 そこには、怯えた子どもがいた。 出口を探す観客がいた。 足を止める人がいた。 それにぶつかりかける後方の人がいた。 アルトの呼吸が、ほんの少し変わる。 「……あの時も」 小さな声だった。 「あの時も、数値は安全だった」 アルトは端末を握り直した。 「だが、人は怯えていた」 研究者の一人が声を上げる。 「主席、演目継続でよろしいですか?」 アルトは答えなかった。 一秒。 二秒。 それから、彼は一気に端末を操作し始めた。 「演算式を修正します」 研究者たちがざわめく。 「今からですか?」 「歓声密度を一時破棄」 アルトの声が速くなる。 「沈黙分布、視線方向、歩幅短縮、呼吸乱れを観測項目へ追加」 星図スクリーンに、新しい光の線が走る。 「中央集約を中止。観客導線を三方向へ分散」 「しかし、最終演目の星図構成が――」 「構成を変更します」 アルトは夜空の巨大星図へ手をかざす。 「星図を降ろすのではなく、流します。出口へ向かう星の道へ」 夜空の星図が、形を変えた。 観客へ迫るように降りていた星々が、ゆっくりほどける。 一本の巨大な星図ではなく、三方向へ流れる光の道になる。 東回廊へ。 西広場へ。 南門へ。 星が川のように流れ、観客を自然に誘導していく。 綺麗だった。 避難誘導に見えない。 でも、人は動き始めた。 「晴人」 アルトがこちらを見る。 「なんだ?」 「東側の係員に伝達を。星の道に沿って進ませてください」 「よし、俺もやるぜ」 アルトも、一瞬だけ目を瞬かせる。 「やるぜ、とは?」 「勢いだよ」 「意味は曖昧ですが、協力意思は確認しました」 「分析するな」 「では、お願いします」 「最初からそれでいい」 俺は東側の誘導路へ走った。 観客たちは、まだ避難しているとは気づいていない。 星の道が綺麗だから、その光に沿って歩いている。 俺は声を張った。 「こっち、星の道沿いに進め! 立ち止まると後ろが詰まる!」 係員がすぐに合わせる。 「皆さん、星の流れに沿ってお進みください!」 「足元にご注意ください!」 怯えていた子どもが、親に抱かれながら星の道を見る。 さっきまでの恐怖が、少しだけ和らいだように見えた。 「星、逃げてるの?」 子どもが聞いた。 親が困った顔をする。 俺は近くで言った。 「逃げてるんじゃなくて、案内してるんだろ」 子どもは星の道を見る。 「案内?」 「出口まで」 子どもは、少しだけ頷いた。 周囲の人々も、星の道に沿って分散していく。 中央広場の密度が下がる。 足を止めていた人が動く。 出口を探していた視線が、星の道へ向く。 後方の押し込みが消える。 ざわめきが、歓声へ戻っていく。 星図スクリーンの数値が変わる。 【人流密度:低下】 【歩幅短縮反応:解消】 【視線不安定値:低下】 【パニック発生率:低】 研究者たちが息を呑む。 「感情反応をリアルタイム演算に組み込んだ……?」 「群衆パニックを、演出変更だけで鎮めたのか」 「そんな処理、聞いたことがない」 アルトは、端末から顔を上げた。 今度は星図だけを見ていない。 中央広場の人々を見ていた。 泣きそうだった子どもが、親の腕の中で笑っている。 星の道を指差している。 「……笑っている」 アルトが小さく言った。 「見れば分かるだろ」 俺が言うと、アルトはこちらを見た。 少しだけ、困ったような顔だった。 「はい」 その返事は、今までで一番素直だった。

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