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■14 一万人のノアと、選びたい心

ノアの胸元で、薄い文字が強く光った。 白い。 淡い。 消えそうで、けれど消えない、街灯の火種みたいな光。 時計塔の中に、一万人のノアが立っていた。 同じ白い制服。 同じ護身剣。 同じ巡回札。 同じ柔らかい髪。 同じ優しい目。 けれど、よく見れば少しずつ違う。 袖口に小さな汚れがあるノア。 巡回札に花のシールを貼られたノア。 靴紐が少しだけ緩いノア。 ポケットに飴を入れているノア。 左手に古い火傷跡みたいなものがあるノア。 全部、同じようで、同じではなかった。 「僕たちの想いを、繋いでください」 一人のノアが言った。 別のノアが続ける。 「一度だけ、街灯を直してくれた姫がいました」 また別のノアが、小さく笑う。 「目立たない巡回だから後回しにされると思っていたのに、ありがとうって言ってくれました」 「通知を開いただけで、すぐ閉じた姫もいました」 「でも、その一瞬だけ、僕は呼ばれました」 「名前までは覚えていないかもしれません」 「それでも、下町を歩いてくれました」 「巡回報告を、最後まで読んでくれた姫がいました」 「街灯が点いてよかったね、と言ってくれた姫がいました」 「僕たちは、たぶん薄い存在です」 「上位のプリンスたちのように華やかではありません」 「強い武器もありません」 「特別な魔法もありません」 「でも」 声が、少しずつ重なっていく。 「僕たちにも、あります」 「誰かに見てもらえた記憶が」 「誰かを案内した記憶が」 「誰かの道を照らした記憶が」 「小さな、想いが」 クロノスは、黒時計剣《ミッドナイト・クラウン》を構えたまま、その光景を見下ろしていた。 「下町の薄い灯ごときが」 低い声。 冷たい声。 けれど、そこに初めて苛立ちが混じった。 「薄い想いをいくら重ねても、世界の均衡を乱すだけだ」 一万人のノアたちは怯まなかった。 最前列の一人が、胸に手を当てる。 「薄くても、消したくありません」 別の一人が続ける。 「僕たちは、誰かの一回を覚えています」 「一回?」 クロノスの目が細くなる。 「一回の呼び声。一回の礼。一回の巡回。それが何になる」 「一回でも、僕には残りました」 その言葉に、俺は奥歯を噛んだ。 ノアが、隣で震えていた。 震えているけれど、逃げていない。 目の前の一万人を、ちゃんと見ている。 自分と同じ顔。 同じ役割。 同じ下町の巡回兵。 でも、同じではない一万人。 「晴人」 「何」 「僕は」 ノアの声は震えていた。 「僕は、この人たちの想いを、使っていいのでしょうか」 「お前が決めろ」 ノアが俺を見る。 「俺が決めることじゃない」 「晴人」 「お前が、繋ぎたいなら繋げ」 俺はノアの手を握った。 「でも、お前が消えるために使うな」 ノアの目が揺れる。 「はい」 「誰かの代わりになるためでもない」 「はい」 「お前は、お前として選べ」 ノアは、ゆっくり頷いた。 「はい」 クロノスが剣を上げる。 「選ぶ、選ぶ、選ぶ」 黒い時計盤が、頭上で逆回転する。 「その個別選択こそ、世界を歪める。薄い灯は、薄い灯として等しくあるべきだ。個の差は乱れだ」 「違います」 ノアが言った。 声はまだ大きくない。 けれど、はっきりしていた。 クロノスがノアを見る。 「何が違う」 ノアは一歩前へ出た。 白いノアたちが、道を開ける。 俺はその隣に立とうとして、ノアに手で止められた。 「ノア」 「大丈夫です」 初めて、ノアが俺を止めた。 その手は震えている。 けれど、自分で前に出る手だった。 ノアはクロノスを見上げる。 「僕は、下町東区の巡回兵です」 胸元の薄い文字が光る。 「街灯を点検して、道を照らして、困っている人の落とし物を探します」 一歩。 「上位の皆さんのような、大きな力はありません」 倒れているプリンスたちが、白い霧の中でかすかに動いた。 でも、まだ記憶封印は解けていない。 ノアは彼らを見た。 「けれど、僕たちは、何もないわけではありません」 白いノアたちが、一斉に胸に手を当てる。 「誰かの小さな一回があります」 ノアの声に、一万人の声が重なる。 「ありがとう」 「助かったよ」 「またね」 「明るくなった」 「目立たない巡回だけど、好き」 「下町、いいね」 「君がいてよかった」 その声は小さい。 ひとつひとつは、とても小さい。 けれど、一万人分重なった時、時計塔の歯車が震えた。 クロノスの黒時計剣が、わずかに軋む。 「不要な差だ」 クロノスが言う。 「感情記録の蓄積に過ぎない」 「それでも」 ノアが言う。 「それでも、僕たちには大切です」 クロノスが剣を振った。 白い光が、一万人のノアたちへ降り注ぐ。 【標準化処理】 【個別感情記録削除】 【下町巡回兵群:統合開始】 白いノアたちの輪郭が薄くなり始める。 「やめろ!」 俺が叫ぶ。 走ろうとした瞬間、ノアが振り返った。 「晴人」 「何だよ」 「見ていてください」 その声が、いつもより強かった。 「僕が、選びます」 俺は足を止めた。 ノアは、一万人のノアたちへ向き直る。 「皆さん」 白いノアたちが、ノアを見る。 「想いを、貸してください」 一人のノアが微笑む。 「はい」 別のノアが頷く。 「僕たちは、そのために来ました」 「でも」 ノアは、胸を押さえる。 「僕は、皆さんの代わりに選ばれるわけではありません」 白いノアたちが、静かになる。 「皆さんの想いを背負って、晴人に選ばれるのでもありません」 ノアの声が震える。 けれど、逃げない。 「僕は、僕として選びます」 胸元の薄い表示が揺れる。 【C】 【C?】 【—】 【ERROR】 【個体意思確認】 ノアは俺を振り向いた。 まっすぐに。 もう、選ばれるのを待つ目ではない。 自分で選ぼうとしている目だった。 「晴人」 「何」 「僕は、晴人に選ばれたいと思っていました」 「ああ」 「名前を呼んでほしかった。覚えていてほしかった。街灯や、工具箱や、ラムネや、日誌や、ラスクのことを、僕と同じように覚えていてほしかった」 「覚えてる」 「はい」 ノアは泣きそうに笑う。 「でも、それだけでは足りません」 一歩。 ノアが俺へ歩く。 「僕は、晴人を選びたいです」 時計塔の針が止まった。 「僕は、晴人と街灯を直した僕です」 一歩。 「晴人と名前を書いた僕です」 一歩。 「晴人と焼き栗を食べて、月蜜ミルクを飲んで、霧晶ラムネを食べた僕です」 一歩。 「白い路地で手首を掴まれて、巡回日誌を書いて、夜の街灯点検で脚立から落ちかけて、晴人に抱きとめてもらった僕です」 一歩。 「星砂糖ラスクを半分にして、口元の砂糖を取ってもらって」 ノアの顔が赤くなる。 けれど止まらない。 「キスの後に、晴人の服を掴んでしまう僕です」 「そこまで言うのか」 思わず声が漏れた。 ノアは真っ赤なまま、俺を見る。 「はい」 「それも、僕なので」 その瞬間、一万人のノアたちが、いっせいに笑った。 優しく。 少し照れたように。 同じ顔で。 けれど、それぞれ違う笑い方で。 「選んでください」 一人が言う。 「君として」 別の一人が言う。 「僕たちの代わりではなく」 また別の一人。 「君だけの想いで」 ノアは頷いた。 「はい」 クロノスの顔が、はっきり歪んだ。 「下町の巡回兵が、個を名乗るな」 黒時計剣が、激しく回転する。 「薄い灯の役割が、均衡を乱すな」 白い光が落ちる。 「お前たちは、下町を照らす薄い灯であればいい」 ノアは、逃げなかった。 胸元の表示が弾けるように光る。 「薄い灯でも」 ノアの声が、時計塔に響く。 「誰かの道を照らせます」 一万人のノアたちの光が、本命ノアへ集まった。 街灯のような小さな光。 カフェの青いランプ。 歯車飾りの真鍮色。 霧晶ラムネの青。 巡回日誌の紙の色。 星砂糖ラスクの白。 全部が、ノアの胸元へ集まっていく。 【個体意思確認】 【選択権限発生】 【ハートリンク異常上昇】 【ロイヤルアウェイク準備】 クロノスが剣を振る。 「同じことだ」 黒い時計盤が広がる。 「一万人の想いなど、封じれば同じ」 カチリ。 記憶封印の針が動く。 しかし、その針はノアへ届かなかった。 一万人のノアたちが、同時に手を伸ばした。 「一回だけでも」 「ありがとうと言われました」 「通知を開いてくれました」 「名前を呼ばれました」 「下町を歩いてくれました」 「それは、消されるための記録ではありません」 「僕たちが、残したい記憶です」 白い光が、黒い針を押し返す。 クロノスの目が見開かれる。 「薄い灯が、記憶封印を弾く……?」 ノアは、胸元に手を当てた。 「一人では、無理でした」 そして、俺を見る。 「晴人」 「何」 「手を、取ってください」 俺は、すぐに手を伸ばした。 ノアがその手を握る。 ぎゅっと。 強く。 もう消えかけていない。 「僕は、晴人を選びます」 その言葉と同時に、光が爆ぜた。 【Cプリンス:ノア】 【個体統合拒否】 【契約者候補:晴人】 【ロイヤルアウェイク発生】 白い制服が、淡い金色の光に包まれる。 同じ白い制服だった裾と袖口に、細い金のラインが走る。 腰の護身剣は、形を変えない。 けれど、柄に小さな街灯の紋章が浮かんだ。 派手な王冠でも、巨大な剣でもない。 下町の街灯。 ノアらしい紋章だった。 胸元に、新しい表示が浮かぶ。 【Ultra-SSR】 【ノア・アークライト】 【たった一人の守護者】 【契約者:晴人】 時計塔が、強く揺れた。 俺は表示を見て、息を呑む。 「ノア・アークライト」 ノアは目を見開く。 「僕の、名前」 「増えたな」 「はい」 ノアは胸元に手を当てる。 今度の表示は揺れない。 白くならない。 ちゃんと、そこにある。 クロノスが黒時計剣を構え直した。 「上級プリンスを超越した存在だと?……その頂きへ至ったというのか」 その声には、初めて明確な動揺があった。 「薄い灯から、その領域へ到達するなど」 「到達しました」 ノアが言う。 震えていない。 「晴人と、皆さんのおかげです」 一万人のノアたちが、静かに頭を下げる。 光になって、ノアの背後へ集まっていく。 消えるのではない。 ノアの中へ、記録として繋がっていく。 クロノスが一歩引いた。 「それでも同じだ。想いが強すぎるなら、封じればいい」 黒時計剣が、もう一度鳴る。 カチリ。 今度は、ノアが前へ出た。 「封じさせません」 彼の背後に、街灯の形をした光の輪が広がる。 「僕は、繋ぐためにここにいます」 空中に技名が浮かぶ。 【固有スキル発動】 【想いを繋ぐ者】 ノアが剣を抜く。 下町の巡回兵の護身剣。 その刃に、街灯の光が宿る。 「これは、晴人が呼んでくれた名前」 一振り。 アルヴィンの胸元に刺さっていた白い針が砕けた。 「これは、ガイアスさんが守ってくれた灯り」 二振り。 ガイアスの炎を縛っていた白い輪が消える。 「これは、ルカさんが守った本当」 三振り。 ルカのカードに色が戻る。 「これは、ジンさんが伝えようとした言葉」 四振り。 ジンの大剣が黒鉄の光を取り戻す。 「これは、ヴァレリオさんが願いで繋いだ鎖」 五振り。 ヴァレリオの鎖から白い硬さが消え、柔らかい黒に戻る。 「これは、アルトさんが認めた心の乱れ」 六振り。 割れたオービット・グラスに星図が戻る。 「これは、キリルさんが積み上げた努力」 七振り。 キリルの雷が、勝利だけでなく足跡を照らす光へ変わる。 「これは、イヴァンさんが舞台に上げた本音」 八振り。 白くなった黒薔薇に、深い色が戻る。 時計塔に、八つの光が走った。 倒れていたプリンスたちが、ゆっくり顔を上げる。 アルヴィンの目に、熱が戻る。 「……俺は」 彼は王冠剣を握り直した。 「敗北を恐れぬと、言ったな」 ガイアスが肩を回す。 「一人で背負うなって、俺が言う側だったわ」 ルカが床のカードを拾い上げる。 「今日のことは、嘘にしないってね」 ジンが大剣を支えに立ち上がる。 「……伝える。まだ、終わってない」 ヴァレリオが鎖を鳴らす。 「命令ではなく、願いだったな」 アルトが割れた眼鏡を直す。 「不合理だ。だが、計算から捨てる必要はない」 キリルが双短剣を構え直す。 「勝利だけじゃない。そこまでの積み重ねごと、俺の強さだ」 イヴァンが黒薔薇を舞わせる。 「美しくない記憶まで戻すとは、やるじゃないか。ノア」 ノアは彼らを見て、少しだけ赤くなった。 「戻って、よかったです」 俺は笑った。 「お前、すごいな」 ノアが振り向く。 「晴人」 「何」 「今、褒めましたか」 「褒めた」 ノアの顔が、ぱっと赤くなる。 「ありがとうございます」 「そこで照れるのかよ」 「はい」 その姿は、ノアだった。 強くなっても。 名前が増えても。 一万人の想いを繋いでも。 目の前で褒められると、赤くなる。 俺の知っているノアだった。 クロノスが黒時計剣を構える。 「戻ったところで、同じことだ」 彼の背後に、巨大な黒時計盤が広がる。 「想いが強いほど、世界は乱れる。乱れは崩壊を呼ぶ。ならば、強い想いから白へ戻す」 ノアが一歩前に出た。 「強い想いは、壊すだけではありません」 「何?」 「繋ぐこともできます」 ノアの背後で、一万人の光が街灯の列になる。 下町の巡回路みたいに、まっすぐではなく、少し曲がりながら、でも確かに続いている。 「晴人」 「何」 「皆さんと一緒に、行けますか」 「当然だろ」 アルヴィンが王冠剣を掲げる。 「王冠騎士は、二度同じ封印に膝を折らん」 ガイアスが炎を燃やす。 「今度は全員で支える番だ」 ルカがカードを広げる。 「白い管理者から、本当を盗み返そうか」 ジンが大剣を構える。 「……落とさない。今度は言う」 ヴァレリオの鎖がノアの街灯光と絡む。 「繋げ。命令ではなく、願いで」 アルトの星図がノアの光を中心に回り始める。 「座標固定。ノア・アークライトの反応、安定」 キリルが雷をまとって笑う。 「積み重ねの勝負なら、負ける気がしない」 イヴァンが扇剣を広げる。 「幕はまだ下りていない。ここからが見せ場だ」 ノアは俺の手を握る。 「晴人」 「行け、ノア」 「はい」 ノア・アークライトは、街灯の剣を掲げた。 時計塔の白い霧が、金色に割れる。 一万人の想いと、八人のプリンスの光と、晴人が呼び続けた名前が、一本の道になる。 その道の先に、クロノスがいた。 黒き時計塔の管理者は、初めて後ずさる。 「均衡が」 黒時計剣が震える。 「崩れる」 ノアはまっすぐに言った。 「いいえ」 「これは、繋がるんです」 その言葉と同時に、時計塔のすべての歯車が、再び動き出した。 今度は、逆回転ではなく。 前へ進むために。

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