32 / 33

■16 街灯のプリンス

**** コアの白い命令が、ゆっくり形を変えていく。 空中に、巨大な表示が浮かんだ。 【偏った想いを白へ均す】      ↓ 【届いていない想いを保護し、繋ぐ】 さらに、次の行が現れる。 【過剰接続を削除】      ↓ 【強い想いを道標として記録】 白紙化命令は、削除ではなく保護へ。 均衡化は、白ではなく灯りへ。 偏りは、壊すものではなく、誰かへ向かう道標へ。 王暦時計塔の針が、正常な方向へ動き出した。 一秒。 二秒。 三秒。 世界が、戻る。 広場から歓声が上がった。 魔導列車が汽笛を鳴らす。 薔薇劇場の幕が上がる。 月街区の仮面舞踏会に灯りが戻る。 王冠騎士団の旗が風に揺れる。 下町の街灯が、一斉に点く。 アルトが星図を見上げる。 「白紙化命令、停止」 ヴァレリオが息を吐く。 「保護命令へ書き換わったか」 ガイアスが笑う。 「やったのか」 ルカがカードをしまう。 「やったね」 キリルが雷を消す。 「当然だ」 イヴァンが扇を閉じる。 「見事な終幕だ。少々、主役を持っていかれたが」 アルヴィンが王冠剣を下ろす。 「認めよう。今の灯りは、王冠にも劣らん」 ジンが短く言う。 「……落ちなかった」 ノアの光が落ち着いていく。 晴人は手を離さなかった。 ノアも離さなかった。 「ノア」 「はい」 「戻ったか」 ノアは周囲を見た。 街灯。 歯車。 水路。 遠くの下町。 王暦時計塔の大きな針。 全部がある。 ノアは、泣きそうな顔で笑った。 「戻りました」 「よかったな」 「はい」 「世界救ったな」 ノアは少しだけ目を丸くする。 それから、真っ赤になった。 「そ、そうなのでしょうか」 「そうだろ」 「僕は、街灯を繋いだだけで」 「規模が世界だった」 「それは」 ノアは困ったように視線を泳がせる。 「少し、大きな巡回でした」 全員が、一瞬黙った。 そして、ガイアスが最初に吹き出した。 「世界規模の巡回かよ!」 ルカも笑う。 「さすが下町の守護者。スケールが大きいね」 キリルが腕を組む。 「大きすぎるだろ」 イヴァンが楽しそうに笑う。 「世界を救ってなお街灯点検と言い張る美学、嫌いではない」 ノアは赤くなって、晴人の袖を掴んだ。 「晴人」 「何」 「笑われています」 「褒められてるんだろ」 「そうでしょうか」 「たぶん」 「たぶん」 いつものやり取り。 世界を救った直後とは思えないくらい、いつものやり取りだった。 空中に、金色の表示が浮かぶ。 【王暦時計塔コア:安定】 【白紙化現象:停止】 【Ultra-SSR ノア・アークライト:完全覚醒】 【称号:想いを繋ぐUltra-SSR】 続けて、新しい表示が出る。 【ナイトステイが発生しました】 ノアが固まった。 晴人も固まった。 八人のプリンスが、一斉にこちらを見た。 表示は、今までと違った。 金色。 柔らかい街灯の色。 【ナイトステイ】 対象プリンス:ノア・アークライト 称号:想いを繋ぐUltra-SSR 場所:下町東区・巡回兵宿舎 帰還条件:なし 終了条件:なし 「巡回兵宿舎」 晴人が読むと、ノアの顔が一気に赤くなった。 「晴人」 「何だよ」 「そこは」 「前と同じ部屋か?」 「はい」 ノアの声が小さくなる。 「下町の巡回兵だった頃から、使っていた部屋です」 ルカが先に笑った。 「へえ。同じ部屋なんだ」 ガイアスが頭をかく。 「まあ、世界救ったしな」 キリルが顔を赤くする。 「な、何を納得している!」 イヴァンが扇で口元を隠した。 「行けよ。舞台の主役は、今はお前たちだ」 アルヴィンが腕を組む。 「勘違いするな。譲るのは今だけだ」 ヴァレリオが薄く笑う。 「だが、諦めたわけではありませんので」 アルトが表示を見ながら呟く。 「終了条件なし。興味深い」 ジンが短く言う。 「……大事にしろ」 ノアは真っ赤になっている。 「皆さん」 晴人は頭をかいた。 「何だよ、この空気」 ルカが肩をすくめる。 「見れば分かるだろ。送り出してるんだよ」 ガイアスが笑う。 「行ってこい、晴人」 キリルがそっぽを向く。 「別に認めたわけではないからな!」 イヴァンが優雅に言う。 「早く行け。これ以上照れた顔を見せられると、こちらまで調子が狂う」 アルヴィンが最後に言った。 「ノア・アークライト」 ノアが背筋を伸ばす。 「はい」 「たった一人を名乗るなら、泣かせるな」 ノアは、驚いたように目を開いた。 それから、深く頷いた。 「はい」 ガイアスが晴人を見る。 「お前もだぞ」 「分かってる」 「本当か?」 「たぶん」 「おい」 ルカが笑った。 「晴人らしいね」 ノアは、晴人の手をぎゅっと握った。 「晴人」 「何」 「行きましょう」 声は震えている。 でも、逃げていない。 晴人は、その手を握り返した。 「行くか」 「はい」 金色の街灯の光が、二人を包んだ。 王暦時計塔の中枢が遠ざかる。 プリンスたちの姿が、光の向こうで小さくなる。 最後に、イヴァンの声が聞こえた。 「だが覚えておけ、晴人。私はまだ諦めていないからな」 ルカの声も重なる。 「僕もね」 キリルの声。 「俺もだ!」 ガイアスの笑い声。 「元気だな、お前ら!」 アルヴィンの低い声。 「当然だ」 晴人は、少しだけ笑った。 「忙しい世界だな」 ノアが隣で、小さく笑う。 「はい」 そして、光が二人を包み込んだ。 **** 次に足元へ戻ってきたのは、古い木の床だった。 晴人は目を開ける。 そこは、下町東区の巡回兵宿舎だった。 小さな部屋。 木製の椅子。 古いランプ。 壁に掛かった巡回札。 窓の外に見える、いつもの街灯。 そして、奥にある、小さなベッド。 広くもない。 豪華でもない。 下町の巡回兵だったノアと、何度もナイトステイを迎えた部屋だった。 「同じ部屋か」 ノアも、少し呆然と部屋を見回していた。 「はい」 古いランプの光が、ノアの白と金の制服を照らしている。 ノアは、小さなベッドを見て、それから晴人を見た。 「同じ部屋なのに、違って見えます」 「姿が変わったからか」 「それも、あるかもしれません」 ノアは胸元に手を当てた。 「でも、たぶん」 少しだけ赤くなる。 「帰るためでは、ないからです」 晴人は黙った。 前は、キスをすれば帰還条件が満たされた。 表示が出て、YESを押して、現実へ戻った。 ノアとのキスは、最初は条件だった。 でも今は違う。 帰還条件はない。 終了条件もない。 誰にも急かされない。 晴人はノアへ一歩近づいた。 ノアも逃げなかった。 「晴人」 「何」 「僕は、晴人を選びました」 「知ってる」 「何度でも言いたいので」 「多いな」 「はい」 ノアは笑った。 その笑顔が、今までで一番近かった。 晴人は、ノアの頬に触れた。 キスは、静かに始まった。 けれど、すぐに熱を持った。 ノアの手が、晴人の服を掴む。 いつもの癖。 晴人はその手に指を重ねる。 ノアの息が震える。 離れようとすると、ノアが追いかけてきた。 今度は隠さない。 晴人も離れなかった。 もう一度、触れる。 深くなる。 ノアの膝が、少しだけ揺れた。 「ノア」 晴人が支える。 ノアは真っ赤な顔で、晴人の胸元に手を置いた。 「すみません」 「謝るな」 「はい」 「また落ちるところだったな」 「落ちてはいません」 「そうだな」 晴人は少し笑った。 「じゃあ、今度は落ちる前に運ぶ」 「え」 次の瞬間、晴人はノアを抱き上げた。 お姫様抱っこ。 ノアの目が、はっきり見開かれる。 「晴人」 「何」 「僕は、もう落ちません」 「知ってる」 「では、なぜ」 「俺がそうしたいだけ」 ノアの顔が、一気に赤くなった。 「晴人」 「嫌なら言え」 ノアは、晴人の服をぎゅっと掴んだ。 「嫌では、ありません」 その声は小さかった。 でも、今までよりずっとはっきりしていた。 晴人はベッドの縁にノアをそっと下ろした。 古いランプが、二人の影を壁に映している。 ノアはベッドの縁に座り、晴人を見上げた。 白と金の制服。 赤く染まった頬。 逃げない目。 晴人は、その前に膝をつくように近づいた。 前は、帰るためにキスをした。 前は、表示に急かされて、YESを押した。 でも今は、帰還条件も終了条件もない。 晴人はノアの手を取った。 声が少し低くなる。 「いいか?」 ノアは、真っ赤な顔で晴人を見つめた。 けれど、目は逸らさなかった。 「いいよ」 その返事は、条件を満たすためのものではなかった。 選ばれるためだけのものでもなかった。 ノアが、晴人を選んだ返事だった。 晴人はノアの手に口づけた。 ノアの肩が小さく震える。 「ノア」 「はい」 「もう一回聞く」 「はい」 「いいよな」 ノアは息を吸った。 それから、晴人の手を握り返した。 「はい」 二つの影は一つに重なった。 古いランプの光が、夜の間ずっと消えなかった。 窓の外では、下町の街灯が静かに点いていた。 帰還表示は出なかった。 YESもNOも、二人を急かさなかった。 世界を救った守護者は、晴人の名前を何度も呼んだ。 そのたびに、晴人はノアの名前を呼び返した。 「……ノア」 「はい、晴人……」 白紙だった道に、二人分の足音が残るように。 小さな部屋の夜にも、二人の名前が残っていった。 **** 朝の下町は、柔らかい色をしていた。 窓の外から、薄い金色の光が差している。 街灯はまだ点いていた。 けれど、夜のためではない。 朝が来るまで、道を見守っていた名残みたいだった。 晴人は小さなベッドの縁に座っていた。 隣に、ノアがいる。 ノアの静かな寝息が聞こえる。 満たされた安らかな顔。 「……ノア」 「……晴人?」 ノアは飛び起きた。 「す、すみません。僕、寝坊を」 「無理するな」 「はい」 ノアは赤くなった。 朝の光で見ると、ノアの表情はさらに柔らかく見えた。 想いを繋ぐ者。 世界を救った守護者。 なのに、朝から真っ赤になって、晴人の隣で所在なさげにしている。 その落差が、妙にノアらしい。 「晴人」 「何」 「昨日のこと」 「言うな」 「まだ何も言っていません」 「言いそうだった」 ノアは耳まで赤くなる。 「言いません」 「本当か」 「たぶん」 「たぶんか」 ノアは小さく笑った。 それから、晴人の手にそっと触れる。 「でも」 「うん」 「大事にします」 その一言だけで、十分だった。 晴人は少しだけ視線を逸らす。 「そうしろ」 「はい」 ノアは、晴人の手を握った。 今度は遠慮なく。 「今日の巡回は、どうしましょう」 「今から巡回するのか」 「街灯は、朝も確認が必要です」 「世界救って、ナイトステイして、朝一で街灯点検か」 「はい」 真面目な顔。 晴人は笑ってしまった。 「お前、ほんと変わらないな」 「変わりました」 ノアは言った。 「でも、変わらないところもあります」 「そうだな」 「晴人が来る道は、これからも明るくしておきたいです」 「またそういうことを」 「はい」 ノアは少しだけ得意そうに笑う。 「晴人だけの守護者ですので」 言ってから、自分で赤くなる。 「自分で言って照れるな」 「すみません」 「謝るな」 「はい」 いつものやり取り。 けれど、昨日とは少し違う。 もう、帰還条件ではない。 期限でもない。 ただ、二人で朝を迎えた後の、当たり前みたいな会話だった。 空中に、柔らかい金色の表示が浮かぶ。 【ナイトステイ終了】 現実世界へ戻りますか? YES/NO ノアは表示を見た。 少しだけ寂しそうに。 けれど、前みたいに不安定ではなかった。 「晴人」 「何」 「また、来てください」 「来る」 「通知を出します」 「出せ」 「はい」 ノアは嬉しそうに笑う。 「それと」 「まだあるのか」 「はい」 ノアは少しだけ迷ってから、晴人を見る。 「帰る前に、もう一度だけ」 言葉を最後まで言わなかった。 でも、分かった。 晴人はノアの頬に触れる。 「一度だけでいいのか」 ノアは真っ赤になった。 「晴人」 「冗談だ」 「冗談に聞こえません」 「じゃあ冗談じゃないかもな」 「晴人」 ノアが困ったように、でも嬉しそうに笑う。 二人はもう一度キスをした。 今度は短い。 けれど、ちゃんと甘い。 離れた後、ノアは小さく言った。 「行ってらっしゃい、晴人」 晴人は少しだけ笑った。 「戻ってきてくれるなら、行ってらっしゃいも言えます」 「じゃあ、行ってくる」 「はい」 ノアは両手で晴人の手を握った。 「おかえりを、用意して待っています」 晴人はYESを押した。 街灯の光が広がる。 朝の下町が遠ざかる。 最後まで、ノアは手を振っていた。 **** 現実に戻ると、共有タブレットの画面には、王城前広場が映っていた。 【王暦時計塔コア安定記念】 【特別パレード開催】 画面の中では、蒸都アルカディアの王城前に人々が集まっている。 SSRプリンスたちの姿もある。 アルヴィンは王冠騎士団の先頭に立ち、ガイアスは救助隊と一緒に子どもを肩車している。 ルカは観衆の中から花を盗んで、すぐに返している。 ジンは黒鉄号の護衛官たちと静かに並び、ヴァレリオは囚人たちから妙に丁寧に拍手されている。 アルトは記録端末を構え、キリルは照れながら歓声を受け、イヴァンは当然のように一番目立つ場所で薔薇を振っている。 そして、下町の街灯を模した小さな旗の下に、ノアがいた。 白と金の制服。 小さな街灯の紋章。 ノアは少し困ったように、でも嬉しそうに頭を下げていた。 画面の下に、ホームボイスの字幕が出る。 『晴人が来る道を、今日も明るくしておきます』 晴人はただ画面を見て呟いた。 「……世界救っても、街灯かよ」 もちろん返事はない。 でも、画面の中の街灯旗が、一度だけ強く光った。 姉からメッセージが飛んできた。 【姉:晴人】 【姉:待って】 【姉:ノアくんの表示、何?】 【姉:Ultra-SSR?】 【姉:SSRの上って何!】 【姉:しかも同時存在数:1って出てるんだけど!】 【姉:SSRですら同時10人なのに!】 【姉:Cって同時10000人だよね!】 【姉:一万人いたCが、一人になったってこと!】 【姉:契約者、晴人って出てるんだけど!】 【姉:弟、何したの!】 晴人はしばらく考えて、返信した。 【晴人:街灯を直した】 すぐに既読。 【姉:それで同時存在数1になるわけないでしょ!】 晴人は少しだけ笑った。 確かに、街灯を直しただけではない。 名前を呼んだ。 何度も行った。 一緒に歩いた。 キスをした。 助けた。 助けられた。 選んだ。 選ばれた。 でも、説明するには長すぎる。 だから、もう一言だけ返した。 【晴人:あと、迎えに行った】 すぐに返信が来る。 【姉:説明が足りない!】 【姉:というか、私のアカウントなのに契約者が晴人なの何!】 【姉:弟、プリコドの歴史を変えないで!】 晴人はタブレットを見て、少しだけ肩を揺らして笑った。 画面の中では、パレードが続いている。 王城前の人々が、ノアの名前を呼んでいる。 「ノア・アークライト!」 「下町の守護者!」 「街灯のプリンス!」 ノアはそのたびに、少しだけ赤くなっている。 晴人は画面を見ながら、静かに笑った。 「よかったな、ノア」 返事はない。 でも、街灯は明るかった。 白紙だった道は、もう消えない。 たった一人の守護者は、世界を救った後でも、きっと明日の街灯を点検する。 そして、晴人が来る道を、明るくして待っている。

ともだちにシェアしよう!