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まぶたの裏が白く明るいのを感じて、翠 はまどろみからゆるやかに意識を引き上げた。
一瞬自分がどこにいるのか分からない感覚が浮かび、すぐにあたたかな体温に包まれていることに気付く。
ユキさんの腕の中、とぼんやり感じて、安心したようにまた目を閉じた。
なめらかなシーツは肌になじみ、二人分の体温が染みた生ぬるいベッドは、カーテンのすき間から光の柱を投げる春の日差しと同類項だ。と自分でもよく分かっていないそんなことを、感じる。
土曜日の朝をユキさんの部屋で迎えるようになって、初めての春が訪れていた。
ユキさん。
翠の仕事の取引先担当者。
翠はずっと、「千代 主任」と呼んでいた。それが「千代さん」になって、「ユキさん」(千代主任の下の名前は雪鷹 だ。呼ぶにはほんのちょっと長かった)になった頃から、この関係は始まって、翠は金曜夜から毎週末を主任の部屋で過ごすようになった。
「……翠 くん、起きた?」
やわらかい低い声がつむじのあたりで囁かれて、翠は顔を上げる。主任の茶色の瞳がやさしく弧を描いていた。それを見つめて、翠の淡い色の瞳も同じように微笑み返す。
「……ユキさん、おはようございます」
「おはよう。……もうこんな時間だ、起きようね」
サイドテーブルの時計を見て主任は翠の背中をぽんぽんたたいた。そのまま起き上がって、ベッドを降りる。翠はまだ眠気と怠さが勝っていて身を起こす気力が湧かない。ぽっかり空いた隣のシーツに手を伸ばそうとして、かしゃり、と腕がつっかえた。
「ああ、外してあげる。一晩中ひじ曲げてて痛かったでしょ? ゆっくり伸ばしな」
両手首に巻かれていた黒革の手枷。そろいの革の首輪に繋がっていた短いシルバーチェーンを、主任は外してやった。
赤い痕。
横になったまま翠はぼうっと手首のそれを見る。
自分の手首にそっと口付けた。翠を見下ろす主任は笑っていて、やさしく頭を撫でてくれる。
金曜夜から明け方近くまでセックスして、午前いっぱいをベッドで寝ていたふたりが起きたのは昼前だった。パンとスープで簡単なブランチにする。
二人掛けの小さいダイニングテーブルに座った翠はまだ眠そうに少しぼーっとしていて、頭にふんわり寝癖がついている。主任はもう部屋着からきちんと着替えて、背筋をいつも通りスッと伸ばしカンパーニュを口に運んでいた。
それを見ながらスープカップを両手で持つ翠の、首元には細い黒革の首輪、よれたTシャツ、下にはなにも穿いていない。いつも通り剥き出しの白い脚。
リビングの大きなブラインドから、3月の間延びした陽光が床に日溜まりの筋を引く、緩やかな11時。
「スープおかわりする?」
「ん……大丈夫です、……余ってます?」
「ちょっと多めに作っちゃった」
「取っといてもらえたら、また夜にも食べたいです、芽キャベツおいしい……」
翠は小首を傾げて笑う。その笑い方も力が抜けていて、まだ覚醒しきっていないゆるい空気に主任は小さく笑みをこぼす。
「夜ごはん、ひとつ決まったね。おかずはどうしようかな……翠くんは何がいい? 食べたいものある?」
スープを掬ってスプーンを口に含んでいた翠が、淡い色の瞳をくりっと開いた。ほのかに苦味のある柔らかな芽キャベツを咀嚼しながら、うーん、と唸る。
「ユキさんが食べたいものがいいです。なんでもおいしいから」
ふわりと笑う。本心だ。主任が作ってくれるものはなんだってとびきりにおいしい。ナッツが入ったこのカンパーニュも、いつものブーランジェリーで買ってきたものだけれど、主任がちゃんと霧吹きしてからトースターで軽く焼いてくれるので中身はしっとりと、でも表面は適度にパリッと食感がついて、絶対にお店に並んでいたときよりおいしくなっている。
翠は買ってきたパンをあたためるどころか、霧吹きをかけるなんて発想すら持っていなかった。ユキさんはなんでも知っていて、なんでも最上級にしてしまう。
ニコニコしている翠に、主任はテーブルの下で膝の頭をすりすり撫でた。
翠の目がすこしとろりと熱を含む。
「食べたいもの、思い付かないんだよねぇ、今日は。
俺もなんでもいいなぁ……でも外食も特に行きたいところないし……。
スーパー行って考えようかな」
戯れのように裸の膝を指先でくすぐる。翠の唇が無意識に薄く開いた。
「翠くんも、一緒に行こっか」
膝をくすぐる主任の指に意識がいっていた翠は、一拍遅れてからハッと目を開いた。
主任と一緒に。スーパー。
おでかけ。
「あっ、はい……っ、行きます!」
おでかけ。
主任と一緒に外に出ることがあまりない翠はうれしくなった。
眠たげだった目はどこかに行って、きらきらと芯を取り戻す。
主任はふふ、とまた笑って、
「じゃあ夕方前かな、車で行こ」
つん、と膝頭を指先でつついた。
翠は、はい、と弾んだ声で返事する。
背筋をのばして、さくりとカンパーニュをかじった。
◇◇◇
それから主任は軽く部屋を掃除したり、その間翠は本を読んだりしていた。
掃除機かけましょうか、と聞いたら、いいと断られた。家のことは手伝いもさせてくれない。翠はそれを分かっているので形式上声をかけただけだ。すぐにソファの上に膝を立てて座り、持ってきていた本を開いた。背中のほうから掃除機の音。
いま読んでいる本は、今度プロモ施策を担当する映画の原作小説。孤独なピアニストと耳が聞こえない少年の出会いと別れのヒューマンドラマ、少しミステリー。静かな物語。穏やかで、でも違和感のような不穏がずっと漂う。小説なんて読むのは久しぶりだったから、最初は引き込まれて没頭していたけれど、静かな展開にだんだん意識が飛び始める。気付けばソファに凭れて俯いたまま、うとうとしてしまった。
ぐら、と気付かないうちに力が抜けて、でもすぐにぽすりと身体を支えられて目を開ける。いつの間にか主任が横にいて、肩を抱いて寄りかからせてくれていた。ん、と鼻に抜ける声がもれて、翠は主任を見上げる。
「居眠り。全然読めてないんじゃない?」
からかう声は穏やかでやさしい。
心地よくて、翠は目を細めて、ちゃんと読んでます、と呟いた。でもその声はあまりにも小さくて、幼い。
主任の肩に体重を寄せて、シャツ越しの体温を頬に感じて、また眠くなる。
目を瞑ったら、顎を掬われてキスされた。
すぐに舌が差し込まれる。
「ん、……あ、」
眠たさを抱えたまま甘ったるい快感がふつふつ沸き上がってきた。主任の手がそっと本を払いのけて、翠のTシャツの裾をめくる。柔らかい股間を直に、ふにゃりと揉まれた。
「ふ、ぅ、」
ぐちゃぐちゃにキスしながら息が漏れる。
ふにふにと玉を揉まれ、付け根をくりくり捏ねられるとすぐ疼いたものがたちあがってきてしまう。
「早いね」
キスしたまま笑われる。
翠は主任の舌を縋るように追いかける。
硬くたちあがった翠のそれ。いつまでも根元だけくりくり触られるのがもどかしくて、もぞもぞと腰が揺れた。
ぷく、と先走りがちいさな穴から出てきたとき。
パッと手も唇も、離されてしまった。
翠は舌を突き出したまま、突然の空白に、あ、と身体が震える。
「出そう?」
耳元で囁かれて、おちんちんがひくりと揺れた。溜まっていた先走りがぽろりとこぼれる。
「自分で続き、して。見ててあげる」
後ろに下がって身体も離してしまった主任を、翠は眉を下げて見つめた。
黙って主任のほうに向き直って、脚を開く。
主任が触ってくれなかった竿を自分で握り込んだ。
「ん、……ん、っユキさん、」
主任を見つめながら手を上下する。
主任は頬杖を突いて笑っている。茶色の瞳はずっと、翠を見る。
「ユキさ、あっ、……ユキさん、」
片手で竿を上下して、もう片手で亀頭を包み込んで撫で回す。すぐに腰から内腿がじわあと熱くなって、おしりもきゅうきゅうしてきた。
「ぅあ、もうっ……出ちゃう、すぐっ」
主任は微笑んだままずっと翠を見つめている。
「い、イッていいですかっ、」
主任がみている。先走りがどんどん溢れて、亀頭がくちゅくちゅ、滑りがよくなって、翠はほとんど膝立ちに腰を浮かせる。
股間があつい。内腿もあつい。
「イッて、いいっ? ユキさんっ、イッていいですか、うッ、あ、……ユキさんっ!」
どんどん早くなる手。ぐちゃぐちゃの音。
「ユキさん、……イかせてくださぁいっ!」
鼻にかかった声が大きくなった、とき。
「いいよ」
主任が笑って、翠はぶるぶるとおしりまで震わせながら射精した。
亀頭にかぶせた手に温かいものが広がる。
「あ……、あ……、」
余韻の波に声を漏らしながら、翠がまた最後にひとつ、ぶるりと身を震わせた。
「早いねぇ」
主任は頬杖のまま笑う。
「でも、いい子だね、翠くん」
こちらを見つめながらやわらかく弧を描く、茶色の瞳。
いい子。
……いい子。
翠も涙目で主任を見つめながら、へらりと口元が勝手に笑った。
◇◇◇
オナニーのあと、手のひらにべったり広がる白い精液をぼんやり眺めていたら、主任が翠の頭を撫でるようにやさしく引き寄せた。
ちゅ、とおでこにキスして「手洗ってきな」と促してくれる。「はい」と言って立ち上がる。
主任のほうはキッチンにタオルを取りに行った。ソファを拭くつもりなんだろう、気をつけていたから汚れていないように見えるけど、主任はいつもきちんと後始末をする。
洗面所で手を洗っているとき、鏡に映る自分の顔を見ると、目尻が少し赤くなっていた。翠は絶頂するとき涙が出る。思えば昨日の夜だってさんざん泣かされて、それで今日はもとから目が腫れていたのだ。
首元の、細い黒革の首輪。おしゃれなチョーカーに見えなくもない、けど、シルバーのバックルもその下のリードを通す輪っかも、やはりどう見ても首輪の金具。無意味に頭を軽く振って、輪っかを揺らしてみた。洗面所の間接照明に照らされて柔らかく光る。
新しいハンドタオルをお湯で濡らしてペニスを拭いていると、主任が来た。ソファを拭いたタオルと一緒に翠がいま使っていたタオルを受け取って洗濯機に入れる。乾燥までコース設定しながら、主任は翠に笑いかけた。
「コーヒー飲んだら、もうスーパー行こっか」
翠はきらきらとうれしくなる。「着替えてね」と言われて、はぁい、と返事しながらクローゼットへパタパタ駆けていった。
◇
「ねえ、コーヒーできたよ」
翠がなかなかリビングに帰ってこないので、主任はクローゼットがある寝室までやってきて声をかけた。ドアを開けるとベッドにボトムスが並んでいる。それを見下ろしながら翠はうんうん唸っているところだった。
「ユキさん、」
白いパーカーを着た翠が顔を上げる。肩が落ちて袖は長めのオーバーサイズなのに着丈が短いパーカー。少し艶のある白地もあいまって垢抜けた印象のデザイン。でもその下はパンツが丸出し。ローライズのボクサーパンツ、そこからのびる白くてまっすぐな腿が昼の寝室の中でぼんやり光る。
「ユキさん、カーゴとジョガーどっちがいいと思う?」
困って眉を下げて聞いてくる翠に、
「……スーパー行くだけだよ?」
主任は素直に呟いた。
「そうですけど。……そうなんですけど、Tシャツじゃちょっと……」
小さい声になる。小首を傾げて困って、照れている。週末を主任の家で過ごす翠、ほとんど外に出ることはないけれど、着替え用にいくつか外出着を置いている。寝室のウォークインクローゼットの一角は翠用スペース。少ないバリエーションを引っ張り出してきているのがいまの状況。
「このパーカー、丈短めだから、ハイウエストがいいんですけど、太いシルエットよりスッキリしたほうがいいですか? でもジョガーパンツだとジム行くみたいに見えちゃうかな、」
独り言に近い呟きも混じりながら、下がったままの眉。主任はしょうがない子だな、と苦く笑いながら、
「カーゴのほうが似合うかな。ほら、ワイドでもそれ、素材が軽いからストンとして見えるし。おしゃれだよ」
翠はパッと破顔して、そうですか、と声を弾ませた。すぐカーゴパンツを穿いて、黒いベルトで締める。
クローゼットの扉の裏側に貼り付けてある姿見で、後ろを向いたり横に向いたり、シルエットを確認する翠。主任は後ろから、抱き留めるように肩を両手でそっと包んだ。
「かっこいい。大丈夫」
鏡越しに笑ってあげると、翠は安心したように笑い返す。
そしてそのまま首輪を外してあげた。
翠が目をくりっと開いて、鏡越しに主任を見つめる。
主任は首輪の痕に唇を寄せて、
「……ふつうの男の子みたいだね?」
首筋にキスを落としながら、呟いた。
穏やかな呟き。
パーカーの襟元には、何もない。ズボンも穿いている。
翠は首筋にキスされながら、少しだけ目を伏せた。
◇◇◇
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