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白のマカンは3月の16時を走っていく。幹線道路を降りて片側一車線の街路へ。しかし主任は街の外側方面にウインカーを切った。
「……あれ?」
窓枠に頬杖を突いていた翠 が顔を上げる。主任の横顔を見る。
「まだ早いから、ちょっとだけ遠回りしよう」
形のいい唇がやさしく口角を上げていた。横顔の向こうに薄い青空、西に傾いてきた明るい陽の光が金色の気配を含めてくる。
「保冷の氷、大丈夫ですか」
「まだまだ保つよ、大丈夫」
コーヒーフラッペはもう飲み終わってドリンクホルダーに。腿に置かれていた主任の手はステアリングに戻っていた。
翠はくりっと目を開いて主任の横顔を見つめて、それからヘッドレストに頭を預けた。
◇
「……展望台?」
街を抜けてマカンは高台に向かう緑の坂道を静かに登っていた。木々が曲がりくねった細い道に身を傾けている。翠の知らない道。
「小さいところだけどね」
そう言って主任はマカンを上に走らせる。すぐに木々の道は開けて、視界は明るい空。あいまいな青と淡い夕陽色が低いところで混じりあって、広がる街並みをまぶしい金色が照らしていた。
高台の頂上が見えてくると、翠は、あ、と小さい声を上げた。
「桜」
せり出した木柵の展望台の手前、こぢんまりした駐車スペースを何本もの桜の木が囲っていた。枝ぶり豊かな花霞が金色の陽の中で淡く光る。
10台ほどの駐車スペースは埋まりかけていて、マカンは間を見つけ、桜の下に静かに滑り込んだ。
「……すごい、こんなところあったんですね」
「穴場でしょ」
助手席からフロントガラス越しに見上げると視界いっぱいに桜の花。真正面は細い道路を挟んでささやかな展望台、広がる街の景色とまぶしい夕空。陽に顔を照らされて、翠は目を細めた。
桜なんて、久しぶりに見た。この季節は毎年忙しくて、いつも気付けば花は散っていた。桜の花というものはあまりにもいのちが短い。
気づかぬうちに終わってしまう。
「ほとんど満開かな。いいタイミングに来られてよかった」
ステアリングに腕を預けて、フロントガラスを見上げる主任。
翠は溶けるように呟いた。
「きれい。すごい、お花見できた」
行きの車の中の会話を思い出す。『桜なんてしばらく、ゆっくり見た記憶ないな』
「ユキさんと見られるなんて、思ってなかったです」
小首を傾げて、目を細める翠。
「どうして。行きたいならお花見、ちゃんと連れて行くよ」
主任はステアリングに掛けた腕に頬を乗せて、翠に微笑みかける。茶色の瞳にやわらかく夕陽が光を透かした。
お花見、行きたいって言ったら、連れてってくれるの?
翠は黙って微笑む。
言いませんよ、そんなこと。
「……いま見られたから、いいです」
「そう。外出てみる?」
主任は身を起こしてドアに手を掛けた。桜の下。その先の展望台には人がいて、親子だったりカップルだったり、逆光の背中がいくつか。
主任がドアを開ける前に、翠は主任の腕のシャツを小さく摘んだ。そっと引っ張る。
「……ここがいい」
見つめて、く、とほんの少し身を近づけた。
光を透かすやわらかい茶色の瞳が、笑う。
いつものユキさんの笑い方。
顔が近づいて、そして唇を舐められた。
「コーヒーフラッペの味がする」
くすりと喉で笑われて、すぐ次に深いキス。奥まで溶かすように角度を変えて舌を絡ませ合って、あっという間にぐちゃぐちゃになる。主任の唇。翠の好きなキスを知っている唇。
注ぎ込まれる唾液の味。じゅ、と舌を吸って、こくりと飲み込む。
身体が熱くなってくる。シャツを摘む指先がふるえるので、きゅっと力を込めた。それは縋るようにも見えるちいさな仕草。
あつくなってくる。ふう、ふう、と息が上がってきた翠に、キスをしながら主任はまた喉で笑った。翠は薄く目を開ける。車窓を桜の花びらが滑っていった。
主任の手がカーゴパンツ越しに股間に触れると、自分が硬く勃起していることに初めて気付く。
「ん、……ぅ、」
強く押し付けるようにそこをこすられて、びくりと腰が跳ねる。シャツを摘む指にもっと力が入った。
きもちいい。
ユキさんの唇、ユキさんの手。
もっとして、まだ離れないで。
こっちを見て。
目を開けてもキスをしていると近すぎて、主任の茶色の瞳は翠に見えない。
主任の向こう、滑り落ちていく桜の花びらと、逆光の背中たちだけが見える。そのうちの誰かが振り向いた、気がする。
でも白のマカンの中には、視線も声も届かない。と翠は思って、腰をゆすって主任の手に勃起をこすり付けた。
甘く噛んでいた翠の下唇を離して、主任は笑う。
「……ねえ、最近、すぐ勃っちゃうね?」
こくり、と翠は頷いた。笑われて、からかわれて、おちんちんがむずむず疼く。
すぐ勃っちゃう。
ユキさん、キスしたら、勃っちゃうよ。
「でももう、帰らなきゃ。
夜まで我慢できる?」
できます。
我慢、できます。ちゃんとするから。
「いい子だね」
やさしい声に翠の淡い瞳が薄く潤んだ。滲んだ視界の端、桜ははらはらと落ちる。ドリンクホルダーには空になったコーヒーフラッペ。
「いい子。翠くん」
欲しかった言葉に溶けていく脳みその中で、矮小な自己欺瞞も不確かな自分の存在も、終わって散っていく桜も、撫でられてなじまされて、なめらかになっていく。
ユキさん。はやくおうちにかえりたい。
どうしようもないしあわせと胸の痛みにため息をついて、翠はしわになってしまった主任のシャツからようやく指を離した。
終
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