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第12話

 南月が働き始めて二か月になる頃、天黒不動産コンサルティングオフィスは大忙しになった。 「道路の開発計画資料、指摘されたところを修正してもらえない?」 「分かりました」 「あと、グループホーム建設の打ち合わせを明日、本社の人も一緒にネットでやるから最終資料をメールしておいて」 「了解です。社長の分はプリントしてデスクに置いておきますね」 「それから、ごめん! ちいき新聞に載せる広告の原稿、デザイナーさんから送られてきたのをチェックしておいてもらえない?」 「校正の件ですね。見ておきます」 「よろしく!」  今日は訪問相談を希望する高齢の顧客の要望に応じるべく、永江が外へ出る日だった。天黒も弁護士と共に土地の視察に行っている。 「いってらっしゃい!」 「その笑顔を見ると頑張れるわ! いってきます。あ、そうそう! 今日は戻らないから。お客様のところへ行った後、病院でギブス外してもらって直帰するの」 「それはおめでとうございます!」 「長かったわぁ! 行ってくるわね」  永江を見送ると、本当に独りになった。 「さぁ、ひとつずつやりますよ!」  二か月経てば、できることはそれなりにある。それに、今、進んでいる開発のほとんどは保育園周辺なので、とても身近で頭に入りやすかった。 「誰かが率先して道を示せば、必ず人がついてくる。凄いです」  オフィスにある模型が少しずつ充実していくのを見ながら、天黒のリーダーシップと行動力に感心する日々だった。  頼まれた仕事を先に済ませ、その後は顧客の相談履歴や進捗状況をまとめたり、開発を進める上で必要になってくる手続きの下準備をしたり、できる仕事を丁寧に進めていく。  立て続けにかかった電話の記録を情報共有システムに入力し、メモを永江や天黒のデスクに貼っていると、あっという間に午後だ。やっとひと息吐いた時だった。  オフィスの来客センサーが鳴った。 「いらっしゃいませ!」  反射的に応え、ドアの方へ向かう。今日は相談予約が入っていないから飛び込みだ。笑顔で相談スペースへ出た。 「あ、社長。お帰りなさい……?」  入って来た男を見て「社長」と言ったものの、背筋に寒気が走って硬直してしまった。  違う――。  天黒とよく似た男だが、強烈に嫌な感じがした。 「響牙は居ないのか?」  柔らかな口調で問われた。微笑みかけられたのだが、男の目は笑っていなかった。 「は、はい。社長は外出中です……」  なんとか答えたものの、それ以上言葉が続かない。オフィスに入って来る男の動きを目で追いながらジリッと後退した。 「随分、くだけた雰囲気のオフィスだな」 「え、えぇ……お客様が多くみえるので、入り易いようにカフェ風にした、と聞いています」 「カフェか。それでコーヒーサーバーも置いてあるのか」 「は、はい。あ、ど、どうぞ! おかけください。コーヒーをお持ちしますね!」  慌てて言ったものの、南月の言葉は無視された。男は勝手にオフィスの奥へ入り、無遠慮にあちこち見て回っている。  誰だろう――。  天黒そっくりで、しかも「響牙」と呼び捨てにできる者はそうそう居るものではない。兄弟か親戚か。そのどちらかだろう、と思いながら、コーヒーを淹れた。 「永江も居ないのか?」 「え? は、はい。永江さんもお客様の所へ出ていて、今日は戻りません。お急ぎのご用がありましたら、連絡を取りますが……」 「いや、構わない」 「は、はい……」  奥の部屋までひととおり見て回った男が戻ってきた。そして、相談エリアのテーブルに腰を下ろす。優雅に足を組む自信に満ちあふれた姿は絵になるが、鋭く強い光を宿す目が怖くて南月は近付くのをためらった。 「あ、あの……どうぞ」  そっとテーブルにコーヒーを置いた。すぐに距離を取って男を見る。 「あの……」 「フ……。その様子だと、本社・副社長の顔は覚えていないようだな」 「ふ、ふくしゃ……! し、失礼しました!」  心臓が飛び出るかと思った。慌てて頭を下げて謝罪し、改めて顔を見る。  そういえば、初めて会った時に永江が本社の社長が父で、副社長が兄と言っていた気がする。これが、その兄か。仕事上の接点が無いので気にも留めていなかった。 「まぁ、ここは響牙がトップで独立した会社という形を取っているから無理もない」  男は笑顔で言いながらコーヒーを取ったが、やはり目は笑っていなかった。カップを傾けながらも南月をじっと見詰めていて、視線を外さない。 「英語が堪能な優秀な社員が入社し、本社業務の一部を助けてくれている、と聞いていたが、君のことか」 「ゆ、優秀だなんて……」 「停滞していた案件が一気に進み始めたのは、君が作ってくれた英訳のお陰だと聞いている。礼を言わないといけないな」 「お、お役に立てて、よかったです」 「これからも力になってくれると助かる」  本社の副社長に誉められるなんて、そうあることではない。だが、素直に喜べない空気を感じていた。  このアルファは怖い――。  南月の本能は警鐘を鳴らし続けていた。 「いや……」  男がカップをテーブルに置いた。  そして、スッと音もなく立ち上がる。 「こんな所に置いておくのは惜しい。本社の事務員、いや、俺の秘書として働かないか? 給料は今の倍を約束しよう」 「え?」  男が真っ直ぐ近付いて来た。  その目が鮮やかな青に変わっていた。全身から炎のような圧を放っている。 「会長秘書まで勤めた永江が居てくれればいい、と言っていた響牙が雇った者に興味はあったが……、随分と酷いオメガの匂いだ。とても耐えられないぞ」  間近で言い放たれた言葉に体が硬直した。  尊大な態度。  見下してくる冷たい視線。 (酷い……オメガの、匂い……)  音を立てて血の気が引いていく。  古い記憶が無理矢理引き摺り出され、頭の中でスパークした。 「響牙の気を惹くとは、ただ者ではないだろうと思っていたが、これほど派手にフェロモンを振りまく輩だとは思わなかった。響牙の奴、よく正気を保っていられるな」  冷たく抑揚のない声で言いながら距離を詰めて来た。  後ろに退いたが、すぐに壁に阻まれた。  そんな南月の様子を男は余裕の笑みで見下ろしてくる。  ドンッ!  男が壁に腕を突いた。グッと距離を詰め、肘を壁に当てて上から顔を近付けてくる。 「いやです!」  逃げたい!  咄嗟に男の横を駆け抜けた。  抜け出せた! そう思った瞬間、グッと腕を引かれた。  手首を掴まれた、と認識すると同時、体が回転した。 「!」  天井が見えたのも束の間、再び視界が暗くなった。 「捕まえるのは得意だ」  ニタッと男が笑った。  デスクの上に仰向けに押し倒されていた。下半身が密着していて、今度は逃げようがない。 「や、やめて……やめて!」  両手を突き出した。覆い被さってくる体を押し返そうとしても、男はそれを全く意に介さない。わざとか。ゆっくりと体重を掛けてきて、髪の毛を鼻先で掻き分けた後、耳の輪郭を舌先でなぞってきた。 「いや!」 「随分と嫌われたものだ。兄弟、目元や雰囲気がよく似ていると言われていたが、響牙でなければダメな体になっているという訳か」  耳元で囁かれた。鳥肌が立ち、背筋に虫酸が走る。 「は、離して!」 「副社長が相手でも抵抗するとは、よく躾けられている。そんなにアイツがイイか? 『純真無垢で何も知らない』という顔をしながらフェロモンで相手を狂わせるようなオメガは、俺も嫌いじゃない。かわいく喘ぐなら、優しくしてやるぞ」  男の囁きと、唾液に濡れた舌の音が鼓膜を揺する。チュプッと音を立てて耳朶を吸われた。 「一体、どんな風に響牙を誘った? 服の下にあるのは、きれいな顔からは想像もできないほど淫らで淫靡な『オメガの体』なのだろう? 今、ココで俺にそれを見せれば特別手当をくれてやるぞ」  顎を掴まれた。首を絞められているようにも感じる。  その手を叩き、掴み、無茶苦茶に身を捩ったが、男を喜ばせただけだった。 「んんんっ!」  唇がぬめった。生温かいものがそこを這い、歯列を割って入り込んでくる。 「んんっ! んんんん――!」  もう、パニックだ。  見開いた目が乾く。  空を切る手がそこかしこを叩くが状況は変わるどころか、更に悪化していく。服の上から体をなぞられる不快感で、おぞましい記憶が鮮明に思い出され、激しい目眩や頭痛に襲われた。  あの時と同じだ。この男は、南月の尊厳を踏みにじるアルファだ。 「んっ! ぁぁぁっ! いや、いや! 離して! 離してぇ!」  息を継ぐために唇が離れた瞬間、必死に両手で口元を隠し、いやいや、と首を振る。だが、あっという間に両腕を片手で掴まれ、頭の上で押さえられた。 「そうだな。響牙のイスはどれだ? アイツのイスに座って抱かれれば、アイツとヤッているように感じていつも以上に興奮するかもしれん。それも面白い」

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