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第15話

 冷や汗が止まらなかった。  布団に入っても眠ることができず、一晩中、後悔の念と恥ずかしさに身を焼かれた。  汗で濡れた体が気持ち悪くてシャワーを浴びたが、全身に残る痕が鏡を通して見えてしまい余計に胸が痛んだ。  天黒とセックス――。  予期せぬ発情のせいとはいえ、上司と一線を越えた関係になったのは事実だ。しかも、本能的な欲求が満たされた充足感は脳の隅々まで染みついていた。そこに強い自己嫌悪を感じてしまう。  フラフラと浴室から出てキッチンに向かった。  冷たい水を飲み、気持ちを落ち着けようと目を閉じる。だが、目を閉じれば、自分の名を呼ぶ天黒の低く甘い声が頭の中で何度も再現されてしまうのだ。 「僕……、なんてことを……」  アルファの体液を身に収めることで発情は驚くほど簡単に治まった。  もし、天黒が抱いてくれなかったら一週間は欲情し続け、満たされることのない強烈な性的衝動にもがき苦しむことになっただろう。当然、その間は仕事も育児もできず、セックスの相手を探し求めて鳴き続ける獣と化していたはずだ。そうならずに済んだのは天黒のお陰だった。  だが――。 「……!」  ふ、と視線を感じて南月は顔を上げた。 「護さん……!」  遺影の中で微笑む護と目が合った。思わず顔を背け、目を閉じて唇を噛んだ。  早足で進み、横を向いたまま手を伸ばすとそっと遺影を伏せた。とても正視できる状況ではなかった。 「……」  逃げるようにその場を離れたものの、眠ることもできず、上の空のまま出勤時間を迎えてしまった。救いだったのは、早紀と早保がいつもどおり明るく、元気に手を繋ぎ合って園に駆けて行ったことだ。 「今日も、お願いします」  作り笑いを保育士に向けてから車に戻ったが、南月の動きは鈍かった。 「出勤……しないと駄目ですよ、ね」  心が重い。  どんな顔をすればいいのだろう。  天黒はどんな顔をするだろう。  同じ空間に居られるだろうか。  鮮やかな青い目――。  熱のこもった吐息――。  消せない記憶が南月の心を乱した。 「……駄目。もう……でも、駄目」  なんとか車を走らせ、駐車場に入ったものの、しばらく車内で迷い続けた。 「でも、仕事……行かないと……」  ゆっくりと外へ出た。  エントランスの総合案内所に挨拶を向けたものの、顔は強ばっていた。二階へ上がる足がこの上なく重く、いつもの倍の時間がかかった。 「おはよう! 今日はちょっと遅かったわね。双子ちゃんのご機嫌が悪かったかしら?」  松葉杖のない永江がコーヒー片手に出迎えてくれた。 「お、おはようございます。え、えぇ。ま、まぁ、そんな感じで……」  誤魔化すように頷いた後、自分の席に移動する。途中、チラリとパーティションに囲まれたエリアを見た。 「ん? 社長? さっきまで居たんだけど、弁護士と行政書士と話をしてくる、って出て行っちゃったのよ」 「そ、そうですか……」  妙にホッとしながら席に着いた南月は、不思議なものを見付けた。 「あの……、永江さん。……これは?」  コーヒーカップの隣に小皿があり、見たことがない物体があった。 「あぁ、それ? なんだと思う?」 「え? ……だ、団子……ですか?」 「惜しい! それ、お饅頭なのよ!」 「こんな真っ黒で……炭みたいなのが……?」  そっと摘まみ上げてしげしげと見詰めていると、永江が何度も頷いた。 「社長も面白いものを買ってきてくれたわよね! 源六だったかしら? そんな名前のお店の名物みたいよ。見た目は凄いけど、ブラックのコーヒーによく合うわ」  軽いショックとコーヒーの苦味のお陰で少し気持ちが落ち着いた。そんな南月を尻目に、永江が仕事に取りかかる。 「さて、今日の予約は何人だったかしら」  社長不在のまま一日が始まった。  顔を合わさなくていい安堵感があったが、なんとも落ち着かなかった。  電話が鳴ったり来客センサーが鳴ったりするたび、南月の肩がビクッと震えた。天黒かもしれない、と異様に緊張してしまうのだ。 「……」  永江の視線を感じ、なんとか作り笑いを見せたものの、人生経験が長い彼女が異変を感じない訳はないだろう。ただ、そこは大人の女性だ。なにも言わず、いつも通りに接してくれるのが嬉しかった。  だが、そんな風に気を遣わせてしまうことが申し訳なくて、南月の足取りは鈍くなってしまうのだった。  そんな迷い惑う日々が続くこと二週間――。  心が不安定でも仕事は待ってくれない。保育園周辺の開発計画は着々と進み、それ以外の相談も毎日のように舞い込んできた。相談の件数が増えれば当然、南月の仕事も増える。悩みながらも、解決の糸口が見付からないまま時間だけが過ぎていった。 「……今日も……社長、来ませんね」  南月が事務所にいる時間、天黒は顔を出さなかった。本社の呼び出しだの、弁護士との打ち合わせだの、毎日予定が入っていて不在の日々が続いていた。これが偶然なのか、意図的なのか。南月には分からなかった。 「……」  避けられている……。  そんな不安が強くなっていた。  南月と顔は合わせないが、システムに入力された仕事は着実に進んでいるし、決裁も降りている。南月のパソコンにメモが貼られていることもあるし、「いつものお菓子」もデスクにあった。それなのに、会わない。 「……僕に会いたくない?」  嫌われた――。

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