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再会

 ネイルコンペティションは、二日間行われるネイルショーの一日目に開催される。  二日目は、競技が行われていた場所が、ネイルグッズの販売エリアになり、世界的に有名なネイリストのオープンクラスの会場に様変わりする。  芸能人のベストネイル賞授賞式が行われたり、ネット配信などでインフルエンサーが来るなど、一日目とは打って変わって賑やかさが増す。  その日の締めくくりに、一日目に行われた全競技の結果発表と表彰式が行われる。  ネイルコンペティション一日目。  競技の受付を済ませたネイルサロン『ロータス』一同は、会場に併設されているカフェテリアで一息つくことにした。  エリカと望が参加する人数は、総勢五百人ほど。基本エントリーすれば誰でも参加可能で、予選や本選といったくくりはない。  実力を知るために来る人、推薦でなんとなく参加する人が、一堂に会する。    蒼の左手に輝くリングを見つけた、望は、一瞬戸惑いながら話しかける。 「あ、蒼さん、その指輪って……そ、そのつまり、パートナー宣言? されたんですか?」  望の戸惑った言い方に、笑いながら答える。 「悠からもらったんだけど、仕事の時は付けないからね。今日も施術の時は外すけど」  ――お守り。つけて行って欲しい。  今朝、出かける前に悠から言われたことを思い出す。 「あと……虫よけ」  照れながら言う悠が、とても可愛くて思い出すと口元が緩む。  友人の結婚披露パーティーをレストラン『雪月花』で行ったときに、控室で悠からもらった。  『悠とずっと一緒にいたい。彼を幸せにしたい』  友人の仲睦まじい姿を目の当たりにして、羨ましかった。  悠が離れていくかもしれない不安と、それでも彼との未来に期待している本音をつい口にした。  それを聞いていた悠から、同じ気持ちだという告白を受け、リングをもらったのだ。  左手のリングに視線を落としている蒼の顔は、幸せに満ちている。  その様子を見て、望は微笑ながら言った。 「なるほど、お守り的な。 きっと、良い仕事ができますね!」  望とエリカは、蒼がゲイで、悠と恋人となったことは知っている。  ――パートナーシップ。住んでいる地域にある制度だが、このことを悠に話していない。  それがあるから、あそこに店を構えた。  それを知ったら、悠は引くかもしれない。  その制度があることは知っているかもしれないけど、自分から言うことが|躊躇《ためら》われた。  今は、このままでいい。一緒に住んでいるだけで十分幸せだ。  リングをもらった後、蒼からも悠に同じリングをプレゼントした。  二人とも仕事柄、手を使うので身に着けることはない。家に並べて留守番していることが多いが、出かけるときは、付けるようにしている。  悠が実家に帰った時は、『付けて行かない方がいい』と蒼にくぎを刺され、肩を落としていた。  でも、リングがなくなっていたので、あとで聞いてみたら、ネックレスにして身に着けたと自慢(?)していた。 『施術中は、ネックレスで身に着けて』と、そのネックレスまで持たせてくれたのだ。  エリカが目ざとくネックレスを見つける。 「蒼さんて、普段アクセサリー付けないから、目立つんですよね。それに……」  周りを眺めて少し小声になる。 「男のネイリストさんて少ないのもあるけど、やっぱり蒼さんて綺麗な顔立ちなんですよね。周りのからの視線が気になりますよ」  そんなことを言われて顔を赤くしながら視線を動かすと、何人かの女性と目が合った。 「……?」  その中に専門学生時代の同級生を見つけた。  目が合ったと思ったが、明らかに、避けるように目をそらされてしまった。  確か、名前は山本といったか。  前の彼氏に付き従っていた男だ。  師弟関係のようだったようで、少しだけ話したことがあった。  たしか、メイクアップのアーティストの方向に進んだはずだと聞いていたが……。  競技開始の時間が迫り、エリカと望は、モデルをお願いした友人とおちあい、会場に向かう。  モデルは、施術の間、動くことが困難なため、非常に気を遣う。  のどが渇いていないかとか、暑さや寒さの調整など、全てネイリストにゆだねられる。  モデルへの気遣いは、審査の対象ではないが、遠慮があると調子もでないので、仲の良い人に頼むことが多い。 「二人とも、いつも通り落ち着いてやれば大丈夫。がんばって」そう話して、エリカと望を見送った。    自分が施術するモデルは、本番でいきなり顔を合わせることになる。  フリースタイルデザイン部門は、ファイナリスト十人にモデルが、既に準備されている。  どこかのモデル事務所に所属しているような人がほとんどで、やたら見栄えの良い人が集まる。  しかも女性だけではなく、男性もいる。  予選で選ばれたデザインをそのまま流用することも、新しいデザインで勝負することも自由とされており、本番で調整する柔軟な対応も審査の対象となる。  例えば、予選のネット応募で出した作品が、可愛らしさをモチーフにしたデザインだった場合、モデルが大人の色気のある人物だったら、そのデザインをその場で変えてもよい。  色彩や、3Dデザインを変えたり、思い切ってデザインそのもの自体を変えてしまうのも有りだ。  バランスを見る審査でもあるので、全体を通して何が良いかは自分で考えて施術することになる。  六年前、佳作で選ばれた時は、その場でモデルに施術する審査はなかった。  今回新しく導入された競技方法で、テレビやネット配信のカメラが入ることになるので、店や名前の広告になるため、大手の店は応援にも気合が入っており、会場の一部はだいぶ盛り上がっている。  そんな注目されているフリースタイルデザイン部門の競技は、他の競技が終わってから開催されるため、蒼はこの空いた時間で会場内にあるショップを見て回ることにした。    臨時で作られるショップは、イベントに合わせた店が立ち並ぶ。今回は、ネイル専門店、コスメ専門店が多く並んでいる。  いつも仕入れるところとは違う、新しい商品や、見たことのない海外製の物は、刺激になる。店では使わないにしても、お試し用に目新しいもの選ぶことは良くある。  コスメ専門店の並びにメイクブラシだけを取り扱っている店があって、興味を惹かれて覗いてみた。    学生の頃、ヘア・メイクアップの勉強をしていた時期を思い出す。  講師の中でも、卒業生の一人として臨時で来てくれた|立花《たちばな》は、丁寧に指導してくれた。  技術も優れていたが、立ち振る舞いがスマートで、何も知らない田舎少年は、すぐに虜になってしまった。    今から思うと、立花が好きだというより、立花のようになりたい。という方が正しかったかもしれない。  だから、彼をよく見ていた。  その視線に気付いた立花から、『蒼くんは勉強熱心だね』と言われて、他の生徒よりかは目をかけてもらったような気がする。  卒業してから、頻繁に会うようになって――恋人になった。  初めての彼氏だった。    蒼がネイリストの道に進むと話した時も、応援してくれた。  卒業した後、仕事がなかった時も、ヘア・メイクの仕事を回してもらった。  ネイルだけじゃ勿体ないからと、ヘア・メイクの技術は、彼から教えてもらったようなものだ。  立花から、自分の店を持つからスタッフとして働かないかと誘ってもらったが、断った。  ネイリストとしての誘いではなかったというのもあったが、自分の店を持つつもりでいたから。  あと……いつまでも立花に甘えてばかりでは駄目だと思った。  その誘いを断ったあたりから、立花と会う事が自然と減っていった。  会ったら、やることはやっていたので、付き合っていると思い込んでいた。  なんとなく――別れるのかも。と思っていたけど、怖くて確認できなかった。    会場内にアナウンスが流れる。  腕時計を確認した手の先にあるリングを目にして悠の顔を思い浮かべた。  ――お守り。  今朝のやりとりを思い出して、リングをネックレスにして身につける。  1つ大きく息を吐いて、その場を後にした。  蒼の目の前に座っているのは、二十二、三歳の若い男性モデルだった。  予選を通った作品は、花の模様をモチーフにした淡い色合いを幾重にも重ねたもので、男性的ではない。  しかし、このモデルは中性的なルックスをしていて、柔らかな印象があるので、デザインの調整に悩んでしまう。  指はキレイだが、やはり男性の手で、淡い色合いより、原色系を取り入れるほうが良さそうだ。  爪の先は細くせず、スクエア型にて、少し短めにカットしよう。  施術前に、モデルの手と全体的な雰囲気を見て、決めていく。  機材を鞄から出して、机に並べていると、その男性モデルが前かがみで話しかけてきた。 「ねえ、徳永さん?」  机の端には店名と個人名が書かれている。  端正な顔が近寄る。 「実は、ここの席じゃなかったんだけどさ、他のモデルの子に変えてもらったんだ。これ終わった後、ごはん食べにいかない? 徳永さん、すごくタイプなんだけど」  まさか、ここでナンパかよ……。  呆れて、固まっている蒼をよそに、そのモデルはガンガン話しかけてくる。  これから施術なのに、集中したいのに、困った。  断ろうとした時だった、端正な顔立ちの眉間に皴が寄り、目を細めて、蒼のネックレスを見つめている。 「なに。恋人いるのね?」  さっきまで、にこにこ微笑んでいた顔が真顔になり、大きな溜息をついた。  ――虫よけになっている。  モデルの様変わりにも驚いたが、リングにそんな効果があるとおもわず、吹き出して笑ってしまった。  その様子に少しムッとした表情をしていたが、すぐに通常通りの表情に戻して、「お願いしまーす」と手を出してきた。  それから、そのモデルが静かになったのかというと、そうではなく、自らの好きなタイプを語りだしていた。 「クール美人が好きなのよ。だから、徳永さん見て自然と体が動いちゃってさ、気づいたらここに座ってしまったの。変わってもらった子には悪いけど、しょうがないのよ。こういう場合は。出会いがないんだから。ガンガンいかないとさ」  おねえっぽい話し方に、こちらの緊張も溶けていき、蒼も応える。 「ありがとう。嬉しいですよ。現役のモデルさんにアプローチされるなんて自信になります」 「ふん。営業トークね。腹が立つけど……ま、笑顔が可愛かったから許すわ。それに既に誰かのものには興味ないし」  モデルは、溜息を零しながらも、ここ最近の恋愛話を永遠にしゃべり続けて、蒼を楽しませてくれた。  集中できないおしゃべりではなく、いつものお店で客に施術するような感覚でリラックスできた。  リラックスし過ぎたのではないかというくらい。あっという間に時間が過ぎた。  終了のブザーが鳴り、モデルの手から離れて待つ。  審査員が、それぞれのモデルの手を見て回り、カメラマンがネイルのみの写真を撮っていく。  次に、モデルが指定の場所で、ネイルを見せるようにポーズをとり、写真に納まっていく。  流石に、どこのモデルも自分を表現するのが上手で、ネイルを引き立たせるようにポーズを軽やかに決めていく。  ネイルも、皆上手だ。どれもモデルと一致しているデザインだ。  ここまでこれたのだから、もう満足かなと一瞬心をよぎったが、自分のネイルを|纏《まと》ったモデルと目が合い、――もっと欲張ってもいいかも。と思えた。  それくらい自信のある作品に仕上がったし、このモデルが、とてもいい表現をしてくれるのだ。  周りも|見惚《みと》れるほどの視線を集めて、余裕のある表情で、蒼にウインクをしてきたのには、度肝を抜かれた。  撮影が終わり、片付けし終わった机にネイルチップを外すためにモデルが戻ってきた。 「おつかれさまでした」  ネイルチップは、ジェルネイルのように硬化させていないので、割と簡単に外せる。  モデルから外したネイルチップは、明日まで審査員の預かりになり、明日の結果まで展示するために運ばれていった。 「終わった」  思わず、つぶやいた言葉に、モデルをやってくれた子が握手を求め差し出してきた。 「徳永さん、いい線いくんじゃないかな。とてもいいデザインだったよ。それに、ネイルって楽しいね。今度、店行っていい?」  微笑ながら頷き、握手した。  去り際に、とんでもない言葉を置き土産にしてきたのには、苦笑いをするしかなかった……。 「指輪の彼? 彼よね? きっと……嫉妬深いわね。その指輪からムンムンと欲が出てるわ。僕ねそういうのわかっちゃう人なの。フフまたね。」  競技を終えて、エリカと望を連れた蒼は、レストラン『雪月花』で、お疲れ様会を開いていた。  雪月花のテーブル席がいっぱいだったので、バーカウンターに三人並んで座ることにした。  明日は、結果発表があるが、エリカ、望が出た部門では、ある程度の情報がその日中に入る。  望は残念だったが、エリカは二十位以内に入ったようで、二日目の表彰式に顔を出すように連絡がきていた。  ――電話してくれたら、お席の用意できたのに。と受付スタッフの夢に言われたが、今日は、本当なら真っ直ぐ帰るつもりだったけど、悠に直ぐに会いたくて来てしまったのだ。  同級生の山本を見かけ、立花のことを思い出したこと、モデルの子にアプローチされたこと。  ただでさえコンテストで疲れた一日なのに、達成感のそれより、なにか心に残ることがあって、落ち着かない。  今回のネイルデザイン自体には後悔は残っていない。楽しく集中して施術できたのは、あのモデルのおかげだ。  それよりも、なぜ山本があの場所にいたのだろう。それが気になっていた。明らかに自分を見て避けた。  もしかしたら、明日のネイルショーに誰かのヘアメイク担当で、来るのかもしれない。  ――そこに立花も来るのかもしれない。  なんとなく、もやもやしている気持ちが、形となって出てきた時に、悠が隣に来た。 「蒼さん、お疲れ様。大丈夫? 明日もあるんでしょ?」  いつもの優しさに触れて、口元が緩む。  蒼の手元のリングを見つめる悠の視線を感じて、「虫よけになったよ」と話すと、目を大きく見開いて迫ってきた。 「え? 何かあったの? 誰に? 何かされたの?」 『――嫉妬深いわね』という言葉を思い出して、可笑しくなる。 「あとで話すよ」と笑ってごまかした。  ネイルショー二日目、登壇の予定があるので、スーツにネクタイまで締めて小綺麗にしてきた。  エリカと望は、既に会場入りしていて、どこか見て回っていると連絡があった。  インターネット配信用のブースに、テレビでもみたことのあるインフルエンサーに、メイクをしている山本を見つけた。  やっぱり、彼はその道に進んでいた。昨日は、荷物でも置きにきたのかもしれないが、避けることはないのに……。  あれが、妙な胸騒ぎをした原因だ。  他をみても山本しか知った顔はいない。  ――立花はいない。  ほっとした次の瞬間、ステージの方で大きな歓声が上がった。  CM女王、ドラマの主役をやるような女優、ダンスユニットで大活躍中のアイドルといった、メディアに出ずっぱりの有名人が次々に登壇している。  今年のベストネイル賞に選ばれたようで、キレイなネイルを見せて微笑んでいた。  この芸能人のベストネイル賞の登壇が終わったら、自分たちの競技の結果発表となるため、エリカと望とはステージの近くに集まることとなっていた。 「やっぱり、芸能人てオーラが違いますよね」  望が目を輝かせてステージを見つめて言う。  昨日のモデルも、さっき見たインフルエンサーも、一般人とは違うオーラを纏っているが、一流芸能人は格別な違いを感じる。  ネイルを愛し、ネイルをかっこよく身に着けている芸能人に贈られるのがベストネイル賞だが、ネイルショーというイベントを広く知ってもらうためにあるイベントの1つの為、どちらかというとネイルはおまけみたいなものだ。 「確かに、オーラに圧倒されて、どんなネイルか忘れちゃったわね」  エリカがステージを降りていく、後ろ姿を眺めながら言った。  芸能人の登壇後に行われる、競技の結果発表は、興味のある人しか残らないため、さっきまでの温度差を感じながら、静かな雰囲気で授賞式が進む。  毎年、この温度差がある中の授賞式だが、最後にこれを持ってくるのは、ネイルコンペティションを重要なイベントと思っている運営側の意図が感じられる。  ――プロフェッショナル部門結果発表。  エリカは、十二位という結果になった。  賞金やトロフィーは無いが、店名と名前が入ったプレートを授賞式にもらった。  ネイル関連のインターネットや雑誌にも、顔写真入りで名前が載る。 「二十位内に入ったといっても、どうせ二十位なのかと思ってたから、思ってたより上位で嬉しい。うれじいでず……」  最後は泣き声で、何言ってるのかわからなかったが、望と抱き合って喜んでいた。  次は、フリースタイルデザイン部門。  今回、新しく競技方法変えたこともあって、注目度が高い。  十人の中のほとんどが、有名な大手のサロンからの出場者で、経験、実力共に申し分のない人ばかりだ。  全員がステージに登壇し、ステージ上のモニターにデザインしたネイルとモデルが一緒に写っている写真が映され、司会者がネイルのテーマを読み上げ、ネイリストを紹介する。  思っている以上に、派手な演出で、気後れしてしまった。  しかし、そんな気後れをよそに、どんどん順位を読み上げられる。  胸が張り裂けそうなくらい、ドキドキしている。  十位から四位まで読みあげられたところで、自分が呼ばれなかったことに唖然とする。  三位か、二位か、優秀賞は取れなくれも……もう十分。  僅かな自信と期待が、優秀賞を望んでいる。でも、でも、それは……無理だよ……。心の中で言う。  心臓の音が、うるさい。  ――徳永蒼さん。  自分の名前が呼ばれたことに、気が付かなくて、2回目で現実に引き戻されるように声が聞こえた。 「優秀賞、ネイルサロン、ロータス、徳永蒼さん」 「――――っ」  エリカと望が抱き合って「やったー」と泣いている姿が、ステージの上から見えた。 「やった……」  ほんの小さく呟いて、泣きそうになるのを必死で抑えた。    ステージから降りた後、いろんなメディアから取材の依頼があり、その対応が終わった頃には、会場は片付けが始まっていた。  エリカと望は先に帰して、また今度ゆっくりお祝い会をすることにした。  悠に結果をメールした後、夢心地のまま会場を後にする。  会場から出てすぐ、懐かしい声と顔に会った。 「蒼、おめでとう」 「立花さん……」  夕方の五時過ぎなのに、日中とほぼ変わらない初夏のむせかえるような熱気で、一瞬|立《た》ち|眩《くら》み起こし、目の前の人も夢なのかと思った。――思いたかった。  |立花英隆《たちばなひでたか》は、蒼の前の彼氏で、専門学生時代の臨時講師だった男だ。  田舎少年が惹かれた大人の男。  昔と変わらない、自信のある大人の雰囲気のまま。 「優秀賞、なんてすごいな。やっぱりネイルの世界にいって正解だったのかな……俺を捨てて……」  笑顔を崩しながら、口の端をへの字に曲げて話す癖は、嫌みなことを言う時のもので、これも変わっていない。 「……捨ててなんて、変なこと言わないでください。それは、それは……」  ――あんたでしょ。という言葉を飲み込んだ。 「失礼します」  帰ろうとした時に、立花は蒼の腕を捕まえ、手のリングを見て、「へぇー」と嫌な笑い方をした。 「あそこに住んでんだろ? 結婚? いやパートナーシップだっけ? したの?」 「……いえ」 「ふーん。黙って、一緒に住んでるとか? 相変わらず、ずるい奴だな……」  怒りが胃の底から湧き上がる。むかむかして気持ち悪い。  ぐっと唾を飲み込んで、立花を睨んだ。  うすら笑いを浮かべている顔に、昔はこれが余裕のある大人の顔だと思っていたのだろう……それが魅力的に見えていたのだろう。  言い返したくても言い返せない。――黙って、一緒に住んでいる。  一緒に住むことを誘ったのは自分で……。  蒼の後ろから、立花を呼ぶ声が聞こえて、立花は蒼の腕を放した。  声の主は、山本だった。 「じゃ、蒼、また今度ね」  立花はそう言うと、さっさと歩き出してしまった。  山本は立花を追いかけていく。  二人の背中を見つめて、胸の奥がズキズキと痛くなってくいくのをいつまでも感じていた。

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