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第7話
次の日、目を覚ますと外は快晴だった。窓の外では、水夫たちがあわただしく甲板を走り回っている。ルーカスは運ばれてきたパンにたっぷりのジャムを塗って食べ、着替えをして船のタラップを降りた。予定通りカルヴァに到着したのだ。
カルヴァの港はイレのそれよりずっとにぎわっていた。行き交う人のほとんどがダン帝国の軍服を着ている。金色の目に、青い瞳、陽気な笑い声。積まれた木箱には酒や煙草という文言が目立った。
ダン帝国の貴族服を着たルーカスは使用人たちに周囲をぐるりとかこまれて、喧噪の間を縫うようにして進んだ。ルーカスは物珍しくてあたりをきょろきょろと見回しながらふらふらと歩き、たびたび使用人たちに腕をひかれた。
ふと、港の隅にカントット人の子どもを見つけた。ルーカスより幼く、12、3歳くらいだ。ルーカスは立ち止まる。少年はダン帝国軍人相手に靴磨きの商売をしていた。ルーカスはその少年から目が離せなかった。少年は軍人の足元に跪いて懸命に手を動かしている。
「どうかなさいましたか」
立ち止まったルーカスにロイが怪訝そうな声をかける。ルーカスは思わず俯いた。すると、磨かれた革靴が目に入った。それはいま自分が履いているものだった。
「あの」とルーカスは言った。
「僕の、荷物って……どこに……」
言葉の途中で、後ろから歓声があがった。振りむくと、2人の軍人が酒瓶を持ちながら踊っていた。周りの軍人は円になってそれを囃し立てている。
ロイはルーカスの耳元で言った。
「お荷物は我々があずかっております。さあ、急ぎましょう。お父君がお待ちです」
使用人たちは有無を言わせずにルーカスの背中を押した。ルーカスはそれに従わざるを得なかった。彼は横目に靴磨きの少年をまた盗み見した。少年は軍人が投げた小銭を拾っていた。
港の外では車が待っていた。車は丸い屋根に、まるで眼鏡をかけているような大きいライトがついている。ルーカスはその後部座席に座った。
運転手と、ロイがルーカスの右隣りに乗り込むと、車は発進した。ここで軍人の二人とは別れるようだった。
ルーカスは遠くなっていくトニーとグレンヴィルを見つめた。彼らは港の喧噪の中に消えていく。
「大変な混雑で……おどろかれたでしょう」とロイは優しく言った。
「え、あ、はい……」ルーカスはうまく言葉が出てこなかった。
ロイは穏やかな目をこちらに向けている。ルーカスにとっては目が回るほどの喧噪であるが、彼には慣れたもののようだった。彼は言葉を続ける。
「今日は軍の給料日なのですよ。それで、ああやって船から下したばかりの荷物を買うために軍人が来ているのです。軍では酒や煙草などの嗜好品は支給されませんからね。あれくれ者もおりますので……急がせて大変申し訳ありません」
「そうなんですね……」
ルーカスの返事に元気がないのを察すると、ロイは話題を変えた。
「カルヴァは初めてですか」
「はい」
ルーカスは外に目を向ける。しかし、そこに広がるのは見知った景色であった。カルヴァ郊外はイレと同じく激しい攻撃により焦土と化していた。建物は焼けおち、ブリキと木の枝で作った家が目立った。
「このまま、お父君の邸宅へ向かいます」
ロイは外にちらりと目をやって、それから笑った。
「ご安心ください。カルヴァの中心地はもう少し栄えていますよ」
その言葉通り、煤けた土地を進むと、やがて舗装された道路に出た。そのころには道の両側に煉瓦や石づくりの建物が立ち並んでいた。街を歩く人の身なりは整い、ステッキを持って歩く紳士や日傘をさす淑女の姿もあった。街路樹の葉が初夏の風を受けておだやかに揺れている。
さらに進むと路上に車が現れはじめた。車はガラスのショーウィンドウを持つデパートや映画館の前に停車している。ちょうどその一台からご婦人が降りてきていた。彼女は右手に小さな犬を抱き、左手に大きな財布を持っている。手袋と帽子はどちらもレースがふんだんに使われていた。そのご婦人がこちらを見た気がした。ルーカスは慌てて外から目線を外して俯いた。
「て、邸宅って、どこにあるんですか」
ルーカスは尋ねた。耳元で鼓動の音がした。見たことないほど立派な街、そしてそこを歩く別世界の人々。彼はここが現実であるかどうか不安になっていた。平静を保つために誰かと話をしていたかった。
ロイは「もう間もなく到着します」と答えた。
ルーカスはさらに尋ねる。
「カルヴァの真ん中に、あるんですか」
「ええ。確か、接収前は……大統領邸宅だったはずです」
「大統領!?」
ルーカスは頓狂な声を上げた。「セッシュウ」という言葉の意味をルーカスは知らなかった。しかし「大統領」という言葉は知っていた。使用人は平然と続けた。
「ですが、いまはダン帝国の保護政府総司令官邸宅――あなたのお父君のものです」
ルーカスは押し黙った。左の手の甲に爪を立てる。「セッシュウ」の言葉の意味を彼は理解した。使用人は優しく言った。
「緊張なさる必要はありません。お優しい方です。そしてすばらしい方です」
彼は手を伸ばして、ルーカスの右手に添えた。そして左手に食い込んだ指を一本ずつ外しながらまた言った。
「あなたの父君は、バートン・ハヴォック様とおっしゃいます。38歳になられますが、伴侶はいらっしゃいません。ずっと探されていたお子様が見つかったことをきっと喜ばれます」
彼は優しくルーカスの手を包んだ。
邸宅に着いたのはそのあとすぐだった。
立派な建物の群れを抜けると、急に緑が生い茂る場所に出て、その奥に鉄の門が現れた。ルーカスを乗せた車はイノシシの叫び声のようなクラクションを鳴らした。すると使用人が鉄の門を開けに来た。鉄の門にはもとはカントット国大統領を示す獅子の彫り物が飾られていたが、いまその箇所は削り取られ、代わりにカントット帝国の旗が掲げられていた。
車はゆっくりと敷地内に進んだ。そこには南国のハカスの花、北国のサボン、カントット帝国のゼフィサスが植えられていた。ルーカスにとっては見たことがない植物ばかりである。ルーカスは身を乗り出してそれを見た。彼は自身の人生がとんでもないことになったと感じていた。
車は12段の階段の前に停まった。運転手は車から降りて、車のドアを開けた。
「待っていたよ」
ルーカスを出迎えた男はわかく見えた。彼はダン帝国人らしく金色の髪に青い瞳をしている。鼻筋は高く、目は切れ長だ。その造形は誰が見ても美しいと形容するだろう。事実、彼はルーカスがいままで見てきた中でもっとも美しい顔立ちをしていた。それだけでなく、彼は他のダン人よりもずっと背が高く、そして立派な肩幅とすらりと伸びた足をしていた。
ルーカスは神がかったその男の容姿にしばしあっけにとられた。
その男が美しかったから、というのも理由のひとつだ。
しかし、それ以上にルーカスを驚愕させたのは、その男が、ルーカスが大事に持っている例の「運命の人」の写真にそっくりだったからだ。
驚愕するルーカスをよそに、男はふわりと笑うと、ゆっくりとルーカスを抱きしめた。そしてそのままルーカスを肩の上に抱き上げると、少年の顔を下から見上げて言った。
「会えてうれしいよ、私のかわいい子」
ルーカスはまっすぐにそう言った男に対して、赤面し、それから青くなった。
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