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第20話
夕刻、屋敷に戻るとバートンが門扉の前に立っていた。
「あれ、どうしたんですか」
ルーカスが車から顔を出して尋ねると、バートンは笑って答えた。
「帰ってくるのを待っていたんだよ」
「え? 急用ですか?」
「ちがうちがう」
バートンはその美しい唇で弧を描く。
「かわいいルーカスの顔を見たかったんだよ」
ルーカスは赤面しそうになって、それから首を慌てて振って誤魔化す。
バートンはそんなルーカスの動揺には気が付かずに、ルーカスがもっていたカバンをちらと見た。
「必要なものはそろったかい?」
「あ、はい……お金、ありがとうございます」
「よしてくれ。他人行儀だ」
バートンは明るく言う。ルーカスは車から降りて、バートンと並んで邸宅に入っていく。
バートンの邸宅ははじめて見たときから季節が変わり、咲き誇る花も変わっている。しかし、変わらず作り物のように完璧に整えられている。
歩いていると、ルーカスの鼻孔に芳しい花の香りが届いた。その匂いも変わっている。
もうすぐ秋だ。きっと、秋にはこの庭はまた違う景色を見せるのだろう。そしてまた、そのときも隣にはバートンがいて……。
ルーカスは妄想をした。妄想の中で、彼らは二人で手をつないで歩いていた。
ルーカスは隣を歩くバートンを見上げた。
彼の横顔は美術館に並ぶ彫刻のように美しい。彼に「手をつなぎたい」と言ったら、どんな顔をするだろうか。きっと、彼は頷いて手を差し伸べてくれるだろう。――そして、その手がもつ意味はルーカスが求めるものとは違う。
「そんなに見つめられると照れるな」
ふいにバートンがこちらを向いて、そう言った。青い目がルーカスを捉えて、ルーカスは弾かれるように俯いた。
いま顔を見られたくなかった。きっといまはよくない顔をしている。
何か誤魔化さないと、と思って、カバンの中にあるものの存在を思い出す。
「あの、バートンさんに、これ……」
それはあの店で見つけたハンケチーフである。紫色のそれはやはりバートンによく似合う。
「バートンさんの色かなって思って」
そう言って、彼に手渡す。手渡してから、その贈り物にリボンも包装もないことに気が付く。物資不足の世の中とはいえ、相手はダン帝国軍占領軍の総司令官だ。
ルーカスは慌てて言い添える。
「いっぱい持ってるかもしれないですし、いらないかもしれないんですけど、その、何か渡したくて……!」
両手を振ってわたわたして、それからおずおずと目を挙げた。
視線の先で、バートンは目を丸くしてその小さな織布を見ていた。
「あの……」
ルーカスが次に言うべき言葉を見つけるより先に、バートンが動いた。
彼はゆっくりとそのハンケチーフに唇を落とすと、大事そうに胸に抱いた。
「ありがとう。大切にするよ」
ルーカスは優美なその所作から目が離せなかった。
縫いとめられたようにその場に立ち尽くす。
そんなルーカスの肩を抱き寄せて、バートンが言った。
「私からも贈り物があるよ」
そうして、バートンの使用人であるマトックスが小さな直方体の箱を差し出した。バートンはその箱をとると、ルーカスの掌に乗せた。それはきれいな紙に包まれ、艶やかな茶色いリボンが巻かれている。
「これ……」
「ペンだよ。筆記具はいいものを使わないといけない」
「あ、ありがとう……ございます」
ルーカスはそれをぎゅっと胸に抱いた。
リボンが巻かれた贈り物をもらうのは初めてだった。もったいなくて、リボンをほどくことができなかった。
バートンは一度ルーカスの頭を撫でたあとでルーカスを誘った。
「ルーカス、今日は風が気持ちいいから、いっしょに庭を散歩しないかい。疲れているだろうけど、少しだけ」
「……はい」
良い日だった。
ルーカスは右手に貰ったばかりの小さな箱を大事に持って歩く。
叫びたいような、手足をばたばたさせたいような、むずがゆい感情がルーカスの胸にあふれた。
しかし、それを言葉にすることができなくて、ルーカスは黙ってバートンの後ろを歩く。
バートンは迷いなく進んでいく。その後ろをルーカスが歩き、さらに後ろにマトックスとロイが歩いた。
濃厚な花の香りが漂っている。
「なんの花の匂いでしょうか」
ルーカスが尋ねると、バートンは首を傾げた。代わりに使用人のマトックスが答える。
「ゼラの花です」
示された先を見ると、門の傍に植えられた木が白い大輪の花をつけていた。庭のランプに照らされたそれは、子どもの手のひらほどもある。ルーカスはそのような花を初めて見た。彼はもの珍しげにその白い花弁に鼻を近づけた。
「わ、いい匂いですね」
ルーカスが言うと、バートンはあいまいに笑った。
そしてバートンもゼラの木に近づくと、そのひと枝を手折った。彼はその枝をルーカスに渡して「部屋の花瓶に活けるといいよ」と言った。
「バートンさんは?」
「私はいいよ。……そんなに好きじゃないんだ」
「そうですか」
白い大輪の花を背に立つバートンは優美だった。ルーカスは神がつくったような美しい光景を目を細めて眺めた。
ふいに、バートンがルーカスに向き直った。
「大学で友達もできて、安心したよ」
見とれていたルーカスはその言葉に反応するのが遅れた。
「あ……え、あ、はい」
バートンがルーカスに近づく。ゼラの甘い香りがルーカスを包む。
「君に言った言葉を撤回するつもりはないのだけれど、形だけでも、私の子どもになってくれないかい」
「え?」
バートンはルーカスの肩に手を置いた。
「私の家には爵位があってね」
「爵位?」
「そう。本国の私の父が体調を崩していてね。私が爵位を継ぎたいのだけれど、爵位継承の条件は子どもがいることなんだ。父から手紙が来て、君のことを伝えたら、急いで手続きを、と」
「あ……」
カルヴァに来るまでの船で盗み聞きした会話が脳内に蘇る。
――「跡取りがいないことを心配なさっていましたからね」
――「そこにきて18歳の男児だ。いやめでたい」
――「これでバートン様も爵位を継げます」
ルーカスは手の甲に爪を立ててバートンを見上げる。彼は静かにルーカスの返事を待っている。
「バートンさんは……父さんが好きでしたか?」
「ああ」
「いまも?」
風が吹いた。ルーカスは「もちろん」という返事を半分だけ期待した。もしバートンがそう答えてくれたなら、ルーカスは胸の奥に灯ったばかりの小さな火をなかったことにして、バートンの子どもになろうと思っていた。
バートンは答えた。
「いまは、ルーカスのことが一番だよ。私の子だもの」
ルーカスは奥歯を噛んだ。それはもう半分の期待をかすめた言葉だった。
――僕のことが一番。
バートンの一番になれたことが嬉しい。しかし、バートンの子どもだから得られた一番でもある。ルーカスは喜ぶべきか悲しむべきかわからなかった。
ルーカスはゆっくりと息を吐いた。
「ちょっと……考えてもいいですか。そんなにお待たせしませんから」
「もちろんだとも」
バートンは花がほころぶように笑った。
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