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第19話
その後、オルム様が目覚めたのは夕刻になってからだった。
彼はすっきりとした目で起き上がると、俺の頭をなでてくれた。
「ありがとう。よく寝られたようだ」
俺は思わず赤面する。うつむいてぶっきらぼうに答える。
「よかったです」
彼は俺の顔を覗き込む。
「お前も少しは寝たか? 今日は休みだっただろう?」
「寝ました。そりゃあもう、ぐっすりと」
――嘘だ。まんじりともできなかった。
それも仕方ないだろう。オルム様ときたらいい匂いがするし、無防備にシャツのボタンは外していて目の毒すぎて大変だった。
オルム様が寝てからというもの、ずっと俺の頭の中では理性と欲望がはげしい戦いを繰り広げていた。そして理性が辛勝した。
――ほんと、ここにエラーブルがいなくてよかった。
彼がいたら、間違いなく邪なことを俺にささやいただろう。そしてそのささやきに俺の理性が負けたかもしれない。
――よかった。ほんとうによかった。
俺とオルム様はそのままふたりで並んで城に戻った。
戻った城ではティユルが腰に手を当てて待ち構えていて、ふたりとも長い説教をもらうことになった。
*
「かーっ……。ふつうあそこでほんとうに寝るかね。子どもの遊びではないのだぞ。オルムもとんだ役立たずだ。ほんとうについているのかね。はなはだ疑問だ」
それから部屋に戻ると、予想通りエラーブルが邪な台詞を吐き出していた。彼は森の中にはついてこなかったはずだが、俺とオルム様の森でのやりとりを把握しているようだった。
俺は反駁した。
「別にいいだろ!」
エラーブルはじろりとこちらを見る。そして俺の鼻先に指を突き付ける。
「貴様も貴様だ。 な~にがおやすみなさい、だ。叩き起こして服をはぎ取るくらいの気概はないのか」
「お前ほんとうに森の精か!? 淫魔かなにかの間違いじゃないのか!?」
服をはぎ取ることなどできるわけがないだろう。
「私が淫魔なら貴様はその辺のぺんぺん草だ! 淫の気のかけらもない! この役立たず!」
エラーブルはさめざめと泣きだす。泣き真似だが。
「寝込みを襲えばよかろうに! 森の木々たちにも伝えていたというのに! 人間の交尾がはじまる、見られるぞ、と! とんだ恥をかかされた!」
「おい! なななな!? 何を勝手に!?」
「知っているぞ! 人間は木の陰に隠れてそういうことをいたすのだろう! コンゼンコウショウとやらだ!」
「ひいいい! き、聞きたくない! そんな話は聞きたくない!」
冷や汗が背中を伝う。あぶない。森の木々がこちらをじっと見ていたのか。というか、婚前交渉をみんな森でしているのか。知らなかった。
いや、知りたくなかった。村人たちめ、そんないい思いをしているのか。俺は真面目に純朴に生きているというのに。
俺はぐっと黙る。
正直、隣で無防備に眠るオルム様を見て、ちょっとだけ不埒な考えが頭をよぎったことは認めてもいい。もちろん、その不埒な考えというのはエラーブルが言い募るようなものではない。俺は、彼の美しい鈍色の髪にちょっとだけ触れてみたいと思った。ほんの、ちょっとだっけ。
しかし俺はその欲望を飲み込んだ。飲み込めたのだ。
「よくないよ。なんか、元気なかったし」
そう、相手は森に逃げ込むような出来事に直面して苦しんでいる人間だ。そういうのはよくない、絶対に。
俺が清廉潔白ですという顔をすると、エラーブルが悔し気にこちらを睨んだ。
「意気地なしめ! いつになったら森について領主から聞き出すのだ!」
「そのことだけどさ、ほんっとうにオルム様が森を破壊するのか?」
「くどいぞ! 何度も言っているだろう!」
「でもさ、オルム様は森のことが好きだよ。間違いなく」
オルム様の森を見るやさしい瞳を思い出す。うん。間違いない。
「オルム様はそんなことしないよ」
俺が言うと、エラーブルはふん、と鼻を鳴らした。
「どうだか。人間は変わる。容易くな。それに、あの領主ひとりが森を愛していたとして、そそのかす人間もいるだろう」
「なに、それ」
「領主の甥といったか、あの少年」
「ああ、エートル様?」
「あの者がそそのかす可能性もあるだろう」
俺は首をひねる。
「十歳だよ?」
「だからなんだ。十年後はいまの貴様と同い年だ」
「そうだけど……」
「近しい人物だろう。唯一の肉親だ。頼まれれば断れまい」
唯一の肉親。その言葉が俺の心にひっかかった。
「えっと、オルム様の家族って」
エラーブルがあきれた顔をする。
「両親と兄が死んでいるのだろう。あの甥は兄の忘れ形見ということだ」
「あ、ああ、そういえば……」
「鳥頭め……」
「うっさい!」
昼間に見た少年を思い出す。農民の前で気丈にふるまっていたあの少年。
俺は首をひねる。
「あの子もそんな悪い子には見えなかったよ」
エラーブルはまた鼻を鳴らす。
「どうだか」
「エラーブルは、オルム様が森に逃げ込んでいることを知ってたんだよね? それってさ、つまりオルム様のこと、子どものころからずっと見てたんでしょ?」
「……」
「それで、まだオルム様が悪い人だと思う?」
エラーブルは目を閉じた。そして言った。
「……シャテニエの子は森の子よ。しかし、人は変わる」
まるで痛みをこらえるかのように。
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