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第29話 月の雫の御饌
台所に入った晴は、改めて月の雫を見詰めた。瓶の中で揺れながら色を変える。見ているだけで飽きない。
「綺麗だなぁ。本物だぁ」
うっとりと見惚れる。晴の後ろから白瞑が覗きこんだ。
「確かに綺麗な食材だけど、初めて見るよ。晴は知っていたの?」
「本で読んだことがあるんだ。扱いがとっても難しいんだよ」
晴はクスクスと笑った。幻の食材が目の前にあるだけで嬉しい。
「見た目は調味料のようだけど、どういう食材なの?」
「決まった味がないんだけど、とっても美味しいんだって。作る人によっても、食べる人によっても味が変わるらしいよ」
「へぇー……イメージが難しいね。扱うのは大変そうだね」
「そう、大変なの」
キラキラのオーロラが晴の目を照らす。
「それじゃ何を作っても失敗するんじゃないの?」
「そんなことないよ。僕と白瞑が作りたいものを決めれば、失敗しないよ」
晴は、月の雫の小瓶を、チョンと押した。
「僕らが心を籠めて美味しく作ったら、同じ料理でも何倍も美味しくなるんだ。ちょっとコツはあるけどね」
「コツか。照陽と夜見が難しい食材っていうくらいだから、難しいんだろうね」
「大丈夫だよ」
晴は白瞑の手を握った。
「僕らが美味しいを届けたいと思って作れば、失敗しない。食べる人には、きっと伝わるよ」
強張っていた白瞑の顔が緩んだ。
「晴がそういうと、本当に大丈夫な気がするね」
「うん! それにね、僕、白瞑を好きって気持ちで夜見様に負けたくない」
夜見が本気だからこそ、そう思った。
「晴……」
白瞑が目を見開いて固まっている。
「夜見様に納得していただける料理を作りたいんだ。だから、絶対に失敗しないよ」
晴は白瞑の手を握った。
「私も、晴と作る料理で夜見を認めさせたいよ」
白瞑の顔に笑みが上った。いつもの白瞑の笑顔だ。
晴の胸にやっと安堵が降りた。晴は小瓶の蓋を開けた。
オーロラが立ち上り、星屑が流れる。晴は手を翳した。
「僕の手に手を重ねて、白瞑」
晴の手の上に、白瞑が手を重ねる。
「この手と同じように、心を重ねよう。それだけで、月の雫は美味しい料理になってくれるよ」
「うん、そうだね」
「僕たちが作る御饌が、お二人を幸せにしますよに」
月の雫が仄かな光を灯す。握った手から夕焼け色の神力が、月の雫に流れ込む。
二人の願いが、神力に解けて混ざった。
二時間ほど時間をかけて、料理は完成した。
「お待たせしました、照陽様、夜見様」
完成した料理を御饌台に載せて広間に運ぶ。
「もうできたの?」
照陽が驚いた声を上げた。隣の夜見も、同じ顔をしていた
「いつもより時間がかかっちゃいました。月の雫は火加減とか匙加減がデリケートなので」
その加減を考えながら調節するのが楽しかった。
「いつもより慎重だったね」
白瞑が珍しいものを見るような顔をしている。
「いや、早すぎるだろ。僕らだって詳細をわかっていない食材なんだぞ。こんなに早く作り終わるなんて、失敗に決まってる」
吐き捨てる夜見の前に、白瞑が皿を置いた。
「そういうことは、食べてから言ってよ」
晴も同じように照陽の前に皿を置いた。
「まぁ、パイ包みね」
照陽が嬉しそうに手を併せた。
「照陽様のお好きなパイ料理を作ってみました。表面のパイを割って、中のスープに沈めてお楽しみください」
照陽と夜見の前に、同じパイ包みが置かれた。
「お二人の御饌は同じです。どうぞ、お召し上がりください」
照陽が嬉しそうにスプーンでパイを割った。
不機嫌そうな顔をしながらも、夜見も同じようにパイを割る。
中から、ふわりと湯気が上がった。
「美味しそう……いただきます」
照陽が一口含んだ。その顔が、驚きに染まった。
「これ、カボチャの冷静スープだわ。湯気が立っているのに」
「僕のは、温かいクリームシチューだ。同じじゃなかったのか?」
晴は白瞑と顔を見合わせた。
「二人とも、二口目を飲んでみてよ」
白瞑が促す。促されるまま、照陽と夜見が二口目を啜った。二人が目を見開いた。
「私の、ビーフシチューの味がするわ」
「僕のは、コーンの冷製スープだ」
照陽と夜見が無言で三口目、四口目を飲み始めた。
「一口ごとに味が変わるわ。色んな味がする。でも、温かいコーンスープが多いかしら」
「僕のほうは、もうほとんどクリームシチューだ」
晴は月の雫を取り出した。
「それでは、仕上げをしますね」
小瓶から月の雫を一匙、掬う。半分ずつの量を、二人のさらに流し込んだ。
皿の上にオーロラが降りる。光の雫がキラキラとスープに落ちて輝く。
「綺麗だ……」
呟いた夜見が、咳払いして誤魔化した。
「もう一度、飲んでみてください」
晴に促されて、照陽と夜見がスープを啜る。
「これは、クラムチャウダーね」
「僕のも、クラムチャウダーだ」
二人のスプーンが、皿に掛かったオーロラを通り越してスープを掬う。
「僕が作ったのはクラムチャウダーです。どうぞ、続きを召し上がってください」
二人が無心にスープを啜ってる。あっという間にパイ包みのスープを完食した。
「こんなに美味しいスープ、初めてよ。とても、楽しかったわ」
照陽が手放しで褒めてくれた。
「まぁ、悪くはなかったな。まさか、こんな仕掛けが可能だとは。月の雫のお陰だな」
夜見も素直ではないながらも、褒めてくれた。
「次は、デザートをどうぞ」
晴は次の皿を出した。
「二品も作ったのか?」
夜見が本気で驚いている。
白瞑が夜見に、晴が照陽の前にデザート皿を置いた。
「蜜イチゴと氷結ベリーで作ったムースケーキのアイス添えです。綺麗なデザートがお好きな夜見様に、夜空のイメージのデザートを作りました」
青のムースとココアスポンジの二層のケーキの隣に、生クリームをトッピングしたベリーアイスが載っている。
「綺麗だし、可愛いわねぇ」
照陽が嬉しそうにデザートに見入った。
「まぁ……悪くはない。けど、まだまだ地味だな」
夜見がチラチラと皿の上を気にしている。気に入ってくれたらしい。
「今回は最初から、月の雫を使いますね」
小瓶から一匙、掬う。月の雫を皿の周囲に回しかけた。
ふわり、とオーロラが皿の上に浮き上がった。七色の光が線になって、橋になる。照陽と夜見の皿を繋ぐように虹が掛かった。
「まぁ、素敵」
感嘆した照陽の皿の虹の端から、雫が零れ落ちた。夜見の更にも虹から雫が零れる。
零れた雫が金平糖になって、デザートを彩った。
「虹色飴の橋と星屑金平糖が輝くイチゴベリーのムースケーキ、アイス添えです」
夜見が呆気にとられている。
輝美がムースケーキをパクリとした。
「美味しいわ。金平糖と一緒に食べるとシャリシャリして、とても美味しい。夜見も食べてみなさいな」
「こんなに美しい菓子、すぐに食べたら勿体ない」
夜見がうっとりとデザートを眺める。
「アイスは溶けるから、食べたほうがいいよ。虹飴と一緒に食べるのがオススメ」
白瞑に囁かれて、夜見が我に返った。
虹飴を割ってアイスと一緒にスプーンで掬うと、思い切ってパクリとした。
「美味い……こんなアイス、食べたことがない」
戸惑っていたのが嘘のように、夜見がデザートをパクパク食べ始めた。
二人の皿は、あっという間に空になった。
「ごちそうさまでした」
照陽が満足な笑みをくれた。隣の夜見も、悪くない顔をしている。
「二人とも凄いわ。月の雫を使うのは、初めてなのでしょう?」
照陽が感心した声を出した。
「凄いのは、晴だよ。初めてとは思えないほど使いこなしていた」
白瞑にも褒められて、晴は照れながら頬を掻いた。
「憧れの食材だったから、よく調べていました。白瞑と二人で、美味しく食べて欲しいって気持ちを月の雫に流し込んだから。美味しくできたんです」
作る人の気持ちが同じ方向を向かないと上手くいかない。調理は問題なく進行した。
「スープの味が変わるのも、月の雫のせいなのか?」
夜見はいまだに信じられない顔をしている。
「味が変わるのも、飴や金平糖ができるのも、月の雫の効果です。月の雫は作る人や食べる人のイメージを実現できる食材なんです」
夜見と照陽が只々感心している。
「作り手の気持ちが揺れると料理も揺れちゃうらしいので、上手くできて良かったです」
晴は白瞑と顔を合わせた。白瞑が微笑んでくれたので、晴も笑った。
「ふふ……こんなに完璧に月の雫を使いこなされたのでは、反対する要素がなくなっちゃったわね、夜見」
照陽が夜見を振り返る。夜見が顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「御厨守としての腕前も、美しい御饌を作る才も、白瞑との絆も、全部証明されちゃったわ」
「はっきり言うな、照陽!」
夜見が悔しそうに空の皿を眺めた。
「確かにデザートは美しかった。月の雫の力があったとはいえ、それは認める。だが、白瞑との関係まで認めたわけではないからな」
夜見が晴を睨んだ。その目に、最初ほどの悪意は感じない。
「それは、晴が神世で御厨守をするのに合意をくれるってことで、いいのかな」
白瞑がダメ押しの確認をした。
「御厨守の合意なら、仕方ないからしてやる」
夜見の言葉に、晴は胸を撫で下ろした。
「これで御厨守の合意は全員からもらえたかしら」
照陽がニコニコと問い掛ける。
「はい、いただけました。ありがとうございます!」
晴は照陽と夜見に向かい、深々と頭を下げた。
「ありがとう、照陽、夜見」
白瞑が晴の隣で同じように頭を下げた。
「……これから、もっと大変だぞ」
夜見が、ぽそりと呟いた。
「時の神の試験は、こんなもんじゃない。覚悟しておけよ」
夜見の言葉に、白瞑が目を見開いた。
「夜見、それって……晴を認めてくれたってこと?」
白瞑が驚いた顔で問う。
「そうじゃない。どうせ、時の神の大社で認められずに帰ってくる羽目になるって言っているんだ」
夜見の顔は心なしか赤かった。
(最初より、夜見様も白瞑も雰囲気が柔らかくなった)
きっとまだまだ、夜見に認めてもらうには時間がかかる。最初の一歩にも満たないかもしれないけれど、夜見とも仲良くなれたらいいと思った。
「夜見の言う通り、伴侶の試験は、人や獣人には辛いものよ。覚悟を持ってね」
照陽の顔から笑みが消えた。本気の助言なんだと思った。
「わかりました」
照陽に向かい、晴は頷いた。
自分の中にその覚悟があるのか、まだわからなかった。
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