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金露を宿す(四)

「旦那様はですね、夜の方がそのぅ、少し……」  言葉を濁す少年の名前は小来(シャオライ)という。(ニン)家の下男で、朝早くから釣り竿のように長い柄杓(ひしゃく)を持ってうろうろと市街を練り歩き、昼頃に無乃(ウーナイ)の姿を見つけてからはいつ手紙を渡そうかと迷いに迷って羅冴流(ルオフーリウ)に掴まるまでこそこそと後をついてきたという。  三人は緑の草が冷たく漂う墓地にいた。無乃はおっとり笑顔を浮かべて小来の訥々とした調子に興味津々な眼差しを投げかけている。 「少しとは、なにが少しなのかな?」  重ねて問うと、小来はぎこちなく微笑んだ。 「ですから、無乃先生には、そのぅ、是非旦那様に……」  というようなことをしどろもどろに話すので、無乃も段々ぼんやりとしてきて、何を言われたかも分からずに適当に相づちを打ってしまった。  夜もすでに遅い。  その中々進まない会話に無乃がふわりとあくびをもらせば、ぎょっとした顔で小来は飛び退き、さらに「うぅん……」と腕を真っ直ぐ空へ向かって背伸びをすると、ぎゃっと木の裏に逃げていく。それがしばしば悪戯心を掻き立てるので、ことあるごとに肩を回したり無駄に息を吐いてみたり、おろおろする小来を翻弄させた。  そうしたあとに、歯切れ悪く小来が「実は……」というのである。 「妾さんが心に、深い傷を負ったほどでして。けれど無乃先生が力を貸してくださるなら心強いことはありません」  ――いつ、力を貸すと言ったかな。無乃はひやりと内心汗をかく。  妾が苦労したほどの病。鼾か、それとも寝相、体臭、歯ぎしり……、もしかしたら夢遊病という可能性もありそうだ。それを、どうして小来は言いにくそうにするのだろう。 「旦那様に一言もなく、出て行ったんです、その妾」  思い切って打ち明けた小来に、無乃は「ほう」とあまり身の入らない息を吐く。  そのときの無乃の脳裏には川に浮いていたあの水死体が過っていた。一言もなく、ということは、誰にも知られずに屋敷を出たということだろうか。水死体とはなにか関係があるかな? 「出て行ったのは、いつ頃のことかな」  小来はへっぴり腰のまま難しい顔をした。 「一週間くらい前だと思いますけど」  一週間――、  ぱちりと、驚いた顔の羅冴流と目があう。  一週間前と言えば、青菊(チンチュイ)が婚約し、赤桃(チータオ)がなりすましたのも丁度そのくらいの時期のはず。  その妾とは青菊のことだろうか? それに、羅冴流のいった青菊の墓というのも気になる。やはり彼女はすでにこの世には……  腕を組んで静かにやり取りを聞いていた羅冴流が、無乃とそんなやり取りを視線で交わした後、「質問は任せるよ」とばかりに瞼を伏せた。譲られてしまったので無乃はごほんと咳払いをした。 「その妾さんはどうなった?」  すると小来が身体を強張らせてちらちらと無乃の様子を伺う。大事なことだと言いたげに真剣な顔をつくるので、無乃もそのつもりで居ずまいをただした。しかしどうやら、小来には別の意図があったらしい。そばかす顔に朱を散らしてようやく切り出した。 「故郷に帰りました。……実は、その妾の侍女とは特別な関係でして、こっそり手紙のやり取りをしているんですけど」  身じろぐ小来が照れくさそうに懐に手を伸ばす。もしや、肌身離さずその手紙を持ち歩いているのではないだろうか。香りを焚きしめた手紙を今に取り出そうとする小来に、無乃は咄嗟に優しく、上から手を重ね、やんわりと頭を振った。玉の花が綻ぶようににこりと微笑んで、誰もがうらやむ美しい声で囁いた。人の恋愛に興味はない。 「後で、羅冴流に聞かせると良い。彼はきっと甘い話しが大好きだから」 「無乃、君も、遠慮することはない」  いつの間にかすぐ後ろまで来ていた羅冴流が頭上で苛立たしげに言う。にっこりと目を細めた羅冴流の若干の呆れ顔がそこにあった。 「おや、てっきり、喜ぶと思ったのだけれど」と穏やかな顔をして無乃はふらりと立ち上がる。「さて、羅冴流、青菊の墓へ案内してくれるかな」  慌てて小来が木に抱きついた。 「無乃先生、私はここで、待ってますから」  墓地の静かで湿った気配にぞわりと肌を粟立たせた小来が、怯えた様子で木の影から様子を見ている。夜の墓地に一人でいる方が恐ろしいのではないだろうか。そう思いながらも無乃は頷いた。「どこかで休んでいるといい」  小来は二人についていきたくてもそれができなかったのだ。恐ろしさで身体が固まって震える膝が言うことを聞かないのだから。ほとんど泣きべそをかきながら、二人が戻ってくるのを闇を漲らせる夜空を眺めながら途方もなく待っていた。

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