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第37話 入場権

朝起きると香ばしい匂いとともにテーブルにはきちんとした朝食とが用意されていた。だ食器にもカップにも使われた形跡はない。 まるで使用人が俺だけのために用意したといった感じの無機質な朝の風景だった。 畳まれた寝具、開け放たれた窓。ついさっきまでそこにいたような整い方に、何ともいえない虚無感を感じる。 スマホにはメールが1通。 [リリズ、すいません、今日は先に出ます] 恋人らしいことはない、事務的な内容だ。 ——2日ほどで帰ります 先週、オーウェンはそう言った。 2日経てばいつもの日常が戻ってくる。 本当にそうだろうか。 俺はオーウェンの家のことを何も知らない。 「信じて」というオーウェンの言葉を信じていないわけじゃない。 ただ、実家に呼ばれただけだ。実家といってもアッシュフォルデ家に俺を関わらせたくないことにも納得がいく。 考えるほど勝手に不信感を募らせているようで自分が嫌になる。 まるで留守番をさせられて拗ねる猫みたいだ。 オーウェンが作っていった朝食に口をつける。簡単なものだが味は悪くない。でもそれを伝える相手は今日はいない。 そもそもなぜ、俺がいちいちオーウェンの顔色を窺わなくちゃいけないんだ。 いつだって煩わしく俺に関わってきたのはあいつなのに。 こんなのは俺らしくないと思いながら、カップのコーヒーを飲み干してリリズは立ち上がる。 「行くか」 夜会に行けるかはわからないが、とりあえずあたれるツテはあたってみるしかない。 それに、服もない… 新しく仕立てる時間もなさそうだ。 盛大に溜息をつく。 オーウェンの実家の前に、まずは俺の実家に帰るしかなさそうだった。 *  *  * 雨季へと向かう空は湿気を含んで、空気は重く身体にまとわりつくようだった。 車から降りどこか他人の家に来たような気分で門を叩くと、ほどなくして足音が近づいてきた。 無駄のない、正確な歩幅。 「リリズ様」 「ケイデ」 門を開け深く一礼するその姿は、記憶と寸分違わない。 踏みしめる音はどこかよそよそしく響き、整いすぎた庭木は風に揺れても乱れもしない。 「珍しいお戻りでございます」 「戻ったつもりはない、ここでいい」 短く返すと、ケイデはそれ以上は触れず、静かに視線を伏せた。 敷地の端の樹木の前に立つ。 「ご用件を」 「明後日開かれるアッシュフォルデの夜会に入りたい、オーウェンが行く」 ケイデは一瞬だけ考え、「承知いたしました」と頷いた。 「夜会は限られた家系、あるいは“後援者”経由での招待制でございます」 「なら、その後援者を教えろ」 「……交渉はご自身で?」 「当然だ」 間髪入れずにそう返すと、ケイデは小さく頷いた。 「承知いたしました。アッシュフォルデ家と関係が深く、かつリリズ様の競技活動に理解のある企業をいくつか選定いたします」 「今回の入場権を持ってるところだけでいい」 「承知いたしました」 余計なことを聞かないケイデに安心する。 「参加枠は“選手”ということでよろしいですか?」 「構わない。それと、着ていく服を用意してくれ」 ケイデは俺の言葉を聞くと礼をしてその場を立ち去った。 デヴロー家の名前を使えば、あるいは夜会に入るこは容易なのかもしれない。だがそれはしたくなかった。父に知れればケイデにも迷惑がかかる。 ただただ俺のわがままでしかないのに。何も言わずに協力してくれるケイデには有難くも申し訳ないとリリズは感じていた。 その時だった。 「……リリズ?」 背後から落ちてきた声に、振り返る。 「カナリア」 振り返るとそこには、見慣れたガタイのいい男が立っていた。 静かな視線が、まっすぐ向けられている。 「どうしてここにいる?」 「用があって来ていた。あなたはしばらくは不在だと聞いていたが…」 声は平坦だったが、奥に何かを含んでいる気がする。 ーー濃い黄色。動揺している? 「俺に用か?」 「あなたじゃない」 「…?」 それ以上は問わない。 だが、カナリアは小さく息を吐いた。 「あなたには謝らなくちゃならない……俺は、あなたの母親に頼まれていた」 肩を落としてカナリアは言う。 「——リリズ、あなたを、スター選手から落とせと」 ……なるほどな。 リリズの中で疑問だったことが繋がっていく。 カナリアが俺の母ロリーズと繋がっていたなら、以前デヴロー家の夜会に招かれていたのも自然なことだ。 「……そうか」 別に驚きはしない、母が俺の邪魔をするのはこれが初めてじゃない。 カナリアは続ける。 「その代わりに援助を受けた、もちろん選手としてだ。ーーすまない。許して貰おうなんて思ってない。だがもう断ってきた、あなたをあんなふうに負かして悪かった…それが言いたかっただけだ」 カナリアの表情にも声色にも罪悪感が滲んでいる。 だがリリズの興味は別のところにあった。 今ままで見えていた色が、変わっていく。 あの時夜会で見た色とは違う。リリズはその姿に目を細める。 復讐心や猜疑心といった黒っぽい感情の色は今のカナリアにはない。 ーー怯えている…? ーー何に、何故? 「待て」 咄嗟に、立ち去ろうとするカナリアを呼び止めていた。 「なぜ母の援助を断った?」 カナリアは貴族でもなければ経済的に余裕があるわけじゃないかもしれない。援助を受けること自体は悪いことじゃないし、俺を選手から落とすといっても試合の上での話で、強引な手段は使っていない。 いったい何がそうさせたのか、何となく気になった。 カナリアは少しの沈黙の後に口を開く。 「それは…怖くなったから、かもな」 「怖いっていうのは、母の要求通りに俺を傷つけるのが怖くなったからか?」 「違う……」 「……?」 カナリアが言葉を詰まらせる。 「俺の父を騙して記憶を奪ったのはあなたの父親だと聞いた」 「……ああ…」 やっと繋がった気がした。オーウェンが言っていた。 オーウェンの実の父、ギデオンは俺の父であるカシアンに記憶を消された。 そして港町に逃げた後ギデオンはカナリアを拾い育てた。 またここにも、デヴロー家に人生を狂わされた人間がいる。 「もう貴族には関わりたくない、普通に暮らしたいんだ。こんなことは言いたくないが、あなた達は得体が知れない」 「…そうか、よくわかった。悪かったな」 カナリアの言葉ははっきりとした拒絶を含んでいた。 これが普通の反応だ。貴族は鼻につくと言われるか、その能力ゆえに不気味がられるか。だいたいはこのどちらかだ。 俺に手を差し伸べる奴がいるとするなら、そいつには俺は金に見えているのだろう。 カナリアは首を振る。 「俺こそ、悪かった。貴族は嫌いだが、あなた自身が嫌いな訳じゃない。選手としてとても尊敬する。それに…」 「何だ」 「オーウェンがあなたを好きになるのはよくわかる」 「まるでオーウェンの友達のような言いっぷりだな」 母と繋がっていたことより、オーウェンを語るその姿が俺をイラつかせる。 「友達というか身内のような存在だと思っているが」 「どうだかな」 そういうとカナリアは少し笑ったようだった。 「リリズ、あなたが思う以上にあなたは周りに気を遣われている。だから俺はロリーズ様があなたの邪魔をするのは、傷つけたくないからだと思っている」 「どういうことだ?」 「俺が得体が知れないと言ったのは、あなたの父親のような貴族階級のためなら何でもやる連中のことだ。ロリーズ様はそれをさせたくないからこんな面倒な手段を取るのだろうな」 「勝手な想像だが」とカナリアは言う。 デヴロー家の跡取りであるべき俺が、普通の職業人として振る舞うことを父が許しているのは、確かに不思議ではあった。俺は、家に戻る気があるように振る舞っては婚約を破断にしてきたから、もういい加減家を継ぐ気がないとわかってもいいだろうと考えてはいた。 だけど、父が俺やオーウェンにしてきたことを知ってから、貴族社会の怖さや、あの人はそんなに甘くはないことも痛いほどわかっていたから、カナリアの想像も案外、的外れではないかも知れないと思った。 でも、まさか母が父を説得して押し留めている……? あの人は強気に見えてもそんなに自己主張の強い女じゃない。主人の意思を汲み自分の立ち振る舞いを考えるだけのつまらない女だと、リリズは内心見下ていた。 どちらにしろ、手段は違くても俺を家に縛ろうとすることに変わりはない。 「おい、カナリア、俺に申し訳ないと思うなら一晩協力するつもりはないか?」 「どういうことだ?」 と、そこへ荷物を携えたケイデが戻ってきた。 カナリアの姿を認め礼をする。 「リリズ様、こちらがアッシュフォルデ家の夜会に招かれている者のリストでございます。それとお召し物も」 「礼を言う、迷惑をかけてすまない」 「滅相もございません」 カナリアは何かを考えたように黙って俺が受け取ったリストに視線を向ける。 「リリズ、アッシュフォルデってまさか、オーウェンの家か?」 「ああ、そうだ」 「何をしに行く?」 「少し様子を見るだけだ。お前には俺と一緒に夜会に参加して欲しい」 「俺が? 何のために?」 「新しいスポンサーでも探したらいい。デブロー家の夜会よりいい面子が揃ってる」 リストをざっと見ただけでも、聞いたことのある大手企業や協会のお偉い方が名を連ねる。国王の名の下に特権階級にいる貴族でありながら、外の企業や協会にまで影響力を持つこの家はやはり異質と言っていい。 「スポンサーを探すつもりはないが、オーウェンも一緒なのか?」 「あいつが一人で行くと言うから、別の方法で参加しようとしている」 俺の話に一瞬ぽかんとした顔をして、カナリアはわかりやすく不審な目を向けてくる。 「……喧嘩でもしたのか?」 「さあな。あいつが浮気でもしていて、あちらに婚約者がいるなら、そうなるだろうな」 「冗談だろ」 カナリアの言葉に俺は鼻を鳴らす。 言葉にすれば何のことはない。俺は外面は聞き分けのいい恋人を演じられても、その実、疑り深い人間だ。誰も信用したこともない。 オーウェンが特別な存在でもそれは変わらない。 むしろ特別だからこそ、不安にもなる。 疑って何が悪い。 一人で行くからそういうことになるんだ。 リリズは半ばヤケクソに自分を正当化していた。 「行くのか行かないのか?」 「護衛ならしてやってもいいぞ」 オーウェンの名が出た途端、俄然行く気のカナリアに溜息が出る。俺の周りの奴らはこういう奴が多い。普段は荒事には関わりたくないくせに、いざとなれば先陣をきっていけるような奴…要はバカだ。 まあ、ただの夜会だから危険はないと思うが。 「護衛? 誰に言ってる。お前が居た方が貴族でなく選手として招かれていると印象付けられるし都合がいい、俺の横に居るだけでいい」 そう、ああいう社交場では誰と居るかが重要だ。俺なら選手であるカナリアと居る方が目立たなくていい。 「決まりだな」 「行けるかは、運次第だけどな」 信用できる人間は少ない。 少なくとも、貴族に関わりたくないというカナリアならば、この先は利用できるかも知れないと思った。 加えて、オーウェンに危害を加える心配もない。 ケイデに見送られ、リリズはリストの人物をあたるために市壁外へと車を走らせた。

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