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【7】秘密の自分 ~渚side~
『児童養護施設たんぽぽ園』でイベントに出演した翌日の日曜日。
夜、予備校から帰宅すると、リビングで両親が待っていた。
「渚。話があるの」
母親のいつになく神妙な顔を見て、渚は嫌な予感が的中しそうだな、と思う。
『あのことは、聞いている?』
昨日園長にそう聞かれてから、『親』絡みの何かだろうという予感はあった。
「何? どういう話?」
「とりあえず、座って」
促され、両親が並んで座るソファセットの、ローテーブルを挟んだ対面に座った。
「昨日、たんぽぽ園の園長先生と会ったそうだな」
さっそく父親が切り出した。
短く整えた髪。前髪は七三で分け、整髪料できちんと整えている。ソファに座る時でもピンと背筋を伸ばし、話す相手の顔をしっかり見る。高校で数学を教えている、現役教師の父親だ。
「どうしてそれを?」
渚はいかにも驚いた表情を作った。
そういえば園長に、昨日のバイトが親には内緒でしているものだということを話していない。もしそれが伝わっていれば面倒だ。
「先生が連絡をくださったんだ。駅で偶然会って、思わず声をかけたと。成長したおまえの姿を見られたことをとても喜んでおられた」
(ああ、よかった。気遣ってくれたのか)
内心ほっと胸を撫で下ろしながら、渚は「うん、そうなんだよ」と微笑んだ。
(でも、バイトの話じゃないとすればやっぱり……)
おそらく園長は、自分が意味深な問いかけをしてしまったことを心配して、両親に報告するため連絡したのだろう。そしてそれを受けて両親は──
「実は少し前にも、園長先生からは連絡をもらっていたんだ。おまえに伝えるのは時期を見るつもりだったが、やはり今話しておこうと思う」
(はい、来た)
「……なに?」
渚の問いかけに、両親は一度顔を見合わせた。
40代後半の母親は肩より少し長い髪をひとつにまとめている。アクセサリー類は好まず、身に着けているものといえば結婚指輪と眼鏡くらい。父親と同じく教師で、中学校で現国を担当し、クラス担任も務めている。
確認するように互いを見た後、母親のほうがこくりとうなずいて渚に向き合った。
「あなたの本当のお母様が、あなたに会いたいと施設を訪ねてこられたの」
(あー……)
渚は心の中だけでげんなりとため息をつく。
(予想した中でも、ガチでめんどくさいやつだな……)
「園長先生から連絡をいただいて、私たちも先週、お会いしてきたわ」
「え……会ったって、本当の母親と?」
「ええ」
(先週? いつの間に……)
いつも通りの顔で自分に接しながら、ひそかにそんなことが行われていたのか。そこまでは想像していなかった。
(まぁ、素顔を隠してることを責める権利なんてオレにはないけど)
「すでに養子としてうちの子供になっていることは何年も前からご存じで、納得されているの。だから、あなたを引き取りたいという話ではないわ。ただ、会って話がしたいとおっしゃっていて」
「………」
(今さらだろ)
今さら、会って何を話そうというのか。
渚は生まれて間もなく、母親の養育が困難であるという申請のもと児童養護施設たんぽぽ園に預けられた。詳しい事情は知らないが、迎えに来る見込みもないことはわかっていた。
7歳まで施設で育ち、その後、養子としてこの円城寺家に引き取られた。教師夫婦である二人は子が持てず、渚を円城寺家の一人息子として愛情をもって育ててくれた。
この家の息子になってから、すでに11年が経っている。
(引き取るつもりもないっていうなら、会う必要なんてないだろ)
そんな心中を読んだわけではないだろうが、母親の話は続いていた。
「あなたを産んだ後、父親の男性には認知してもらえず、最初は一人で育てていくおつもりだったそうよ。でも思っていた以上に現実は厳しくて、どうしても難しかった。頼れる人もいなくて、泣く泣く施設に預けたとおっしゃっていたわ」
(知らない。そんな事情、オレには関係ない)
「でも今はどうにか持ち直して、人並みの生活をされているんですって。ご家庭は持たずに、お一人で……」
「我が子を手放した自分だけが幸せにはなれないと、独り身を貫いてこられたそうだ。おまえに会いたい思いはあったが、もう親の資格もないのだからと、おまえが成人するまでは連絡しなかったらしい」
母親の言葉を父親が引き継いだ。
「おまえも6月で18歳になった。社会的には一人の大人だ。だから母さんが言ったように、おまえを引き取ることや、おまえと暮らすことを望まれているわけではない。ただ、会って……謝りたいとおっしゃっている」
一度も視線を外すことなく、まっすぐ渚を見ながら父親はそう説明した。その眼差しには、実の母親という女性への哀れみや労りが浮かんでいる。
渚は、自分の中にもやもやと濁った空気が満ちていくのを感じた。澄んだ両親の視線を受ければ受けるほど、自分の中にはこの|瘴気《しょうき》のような感情が淀んでいく。
次の言葉も大体想像がつく。この人たちなら、きっとこう言うだろう。
「お母様にもお母様の事情があったんだ。話していて、おまえを思う気持ちは本物なのだと感じたよ」
「急にこんな話をされても戸惑うでしょうけれど、あなたにとってもたった一人の、血を分けた相手でしょう。だからもしあなたが望むなら、一度私たちも交えて会食の場を持つのはどうかと思っているの」
「もちろん渚の気持ちが最優先だから、強制するつもりはない。しかし今のおまえがいるのは、生みの親である彼女がいるからこそだ。そういったことをよく考えて、どう返事をするか決めてほしい」
(……予想通り)
こう言うだろうと推測したのと大体同じことを、両親は口にした。実の母親の苦労を思い、胸を痛めている顔で。
(わかってたけどね。相変わらず、この人たちは……)
「……考えてみるから、少し時間をちょうだい」
平坦な口調で言って、渚は立ち上がった。
あまりよくない反応をしているという自覚はあったが、今はこれが精いっぱい。これ以上の余裕がない。
「あっ、渚……」
母親が腰を浮かせ引き止める素振りを見せる。だが、無視してリビングを出て廊下の先にある自室へと直行した。
ドアを閉めるとバッグも持ったまま、ベッドへ仰向けに倒れ込む。
「……いや。キツイでしょ、これは……」
額に手を置き、目を閉じた。体の内側を渦巻く瘴気と共に、かすれた声がこぼれ落ちる。
「『お母さんも大変だったのよ』って? 知らないし」
(親の事情なんて子供には関係ない。ただ捨てられて、施設に放り込まれた。それだけだ)
物心ついた時から施設が自分の家だったので、最初はこれが普通なのだと思っていた。しかし、すぐに気づく。自分は施設の外で会う、他の子供たちとは違うのだと。
施設から小学校に通った期間はさして長くなかったが、その期間で充分に自分は異端児だという扱いを受けた。円城寺家に引き取られると同時に転校したが、転校先でもどこからか、自分が養子だという情報は広まった。
ありがちなからかいや軽いいじめは、もれなく自分にも降りかかった。疎外感、みじめさ、寂しさ。施設にいる時も円城寺家に来てからも、様々な感情をやり過ごして生きてきた。
本当の母親はどうして自分を捨てたのか。どうして施設にいるうちに迎えに来てくれなかったのか。どうして自分には、ちゃんと血のつながった両親やきょうだいが与えられなかったのか。
幼い心にそんな恨み言が芽生えるのだって、仕方のないことだろう。
「でも、オレももう大人なんだから、事情を察してやれって?」
(……違う。普通にできると思ってるんだよな、あの人たちは)
なぜならあの人たちは、ごく自然とそうできるだろうから。だから息子の渚もできるだろうと、疑いもなく信じている。
(今度は、『自分を捨てた親を許すいい子』にならないといけないのか……)
「……勘弁して。さすがにエグいでしょ……」
義父と義母は完ぺきな人間だ。正しく、美しく、思慮深く、慈悲深い。教師というよりむしろ人間の鑑といったほうがいいくらい清廉で、立派な人たちだ。
彼らの心や言葉には、いつだって一切穢れがない。すべての言動が彼らの誠実さや真面目さや優しさ、愛情深さから生み出されている。
尊敬すべき、素晴らしい両親だ。
──だが、尊敬していても、自分は同じようにはなれない。
この家にいると、時々息ができなくなる。
だから部活やバイトで息継ぎをしてきた。そうして家では『いい息子』であり続けてきた。だが今回は……
(今さら会って、言い訳を聞けって? 遅いよ。そんな贖罪、そっちの自己満足でしかないでしょ。なんで顔も知らない親の罪悪感を減らしてやるだけのことに、オレが協力しないといけないの)
閉じたまぶたにギュッと力を込めた時、ドアをノックする音が響いた。「……渚?」と、控えめに呼びかけが続く。母親だ。
ますます辟易しながらも、渚は起き上がり「はい」と返事をした。ドアが開き、母親が2歩分だけ中に入ってくる。
「混乱させてしまったわよね、ごめんなさい。受験前だし、いつ話したらいいかというのをお父さんと相談していたところだったんだけど……」
「それは別にいいよ。いつ聞いても変わらないし」
これは本心なのでスッと言葉が出た。いつ聞いたって最悪なことに変わりはない。
「……そう」
母親は思案するように目を伏せる。だがやがて、意を決めたように再び渚を見た。
「あのね。私にもシングルマザーのお友達は何人かいるから、お母さまの苦労もわかるのよ。本当に、断腸の思いでの選択だったと思うの」
(ああ、まだ続けるの。だからホント、キツイんだけど)
「今回の申し出だって、悩んだうえで勇気を奮い起こして施設に連絡されたのだと思うわ。実際にお会いして、私もお父さんもそう感じたから──」
「わかってるって!」
パチンと自分の中で何かが弾ける音がして、気づくと鋭い声で母親を遮っていた。
まずい、と頭の片隅で思うが、言葉は止まらない。
「言われなくてもわかってるんだよ、そんなこと! 考えさせてって言ったでしょ!」
どす黒い瘴気を一気に吐き出すように、言葉を叩きつけていた。母親が呆然とした顔で自分を見ている。
無理もない。こんなふうに声を荒げるのは、この家に来てからの11年間で初めてのことだ。
「渚……」
信じられないものを見るような眼差しが、またチリッと肌を逆なでする。
(ダメだ。今日は、無理だ)
すべてを抑え込んでいい子に戻ることは、できそうにない。
「……ごめん。しばらく一人になりたい」
ベッドの上のバッグをつかむと、渚は母親の横をすり抜け、家を飛び出した。
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