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2-追走
廊下の突き当たりまで進んで、上階へと続く階段を探す。
背負っていたリュックから懐中電灯を取り出し、スイッチを押した。ぼんやりと照らし出される、灰色の無機質な空間。黴くさいような、鉄くさいような臭いを鼻腔に感じながら、ひたすら進んだ。
目指すは、上だ。
しばらく歩いて三階まで上った時、また声彼のがした。
「やめときなよ」
まさか追ってくるとは思わなかったので、驚いた。
懐中電灯を持ったまま振り返る。その男は「まぶしっ」と笑いながら、片手で右目を覆った。
一体どういう意味だよと俺は問う。
「どうせ、死ににきたんだろ」
言葉が持つ意味とは裏腹に、緊張感の無い声だった。
「……今でもここで自殺する奴が多いのか」
答える代わりに、俺は尋ね返した。
「どうだろうな。昔はもっと多かったって聞いたけど。でも、たまにお前みたいな人間を見かけるよ」
お前みたいな人間。
それは俺みたいに、このビルの屋上から飛び降りて、自ら命を絶とうとする人間のことだ。
「お前は警備員か?」
学生服を着ている時点で絶対に違うけれど、一応尋ねてみる。
「いや、俺はただの地元の高校生。通学路の近道なんだ、ここ」
「そうか」
気のない反応をしたにも関わらず、俺に対して男は人懐っこそうな笑顔を浮かべた。
「俺は、萱城 って言うんだ。あんたは?」
「お構いなく。放っておいてくれよ」
「何言ってんだよ。どう考えても放ってなんて……あっ、またか、こらっ」
萱城と名乗る男を無視して、再び廃墟の奥へと進む。俺は四階への階段を探していた。
俺は救いも同情も欲していないのに、なぜ誰もそっとしておいてくれないんだろうか。
勝手に後からついてくる萱城が、感嘆の声を上げた。
「まじかよ。お前、すっげえな」
「……は?」
このビルは普通のビルと違って、フロアごとに階段のある場所が違う。崩れたコンクリートや放棄された資材が散らばっているのを避けたり跨いだりしながら、階段の踊り場に辿り着いた時だった。
「ここのビルって迷路みたいだろ」
答えないでいると、萱城が説明を続ける。
「景色にも特徴が無いから、方向わかんなくなって、普通は同じところをグルグル回るんだ。お前みたいに速攻で階段の場所を見つけるなんて、なかなかできねえよ」
確かにここはまるで迷路のようだ。数多くのテナントが入る予定だったのか、仕切りや構造は複雑極まりない。
「もしかしてRPGゲームとか得意?」
「はあ?」
萱城の声は楽しそうに跳ねていた。耳が痛くなるくらいの静寂が包むビルの雰囲気とは不釣り合いだ。
「ゲームの勇者って、こういうダンジョンを攻略するじゃん」
萱城の発言の意味が理解できなかった。悠長にゲームの雑談をするような状況でも無いだろう。
「勇者様、もう諦めなよ。お前が跨いできた入り口のロープにさ、センサー付いてんだ。すぐに警備員が来ると思うよ」
「……っ」
予想していなかったわけじゃない。だからこそ、こんなところで、こんな男に構っている暇は無いのだ。
俺はリュックを萱城に向けて、思い切り投げつけた。萱城は「うわあっ」と間抜けな声を発して、それを顔面で受ける。
目の前に続く階段を俺は一段飛ばしで上る。
否、上ろうとした。
いつの間にか萱城はこちらに一歩踏み込んで、俺の腕を掴んでいた。
「ってーな……落ち着けよ。まずは話そうぜ」
萱城は突然しゃがみ込むと、ごそごそと俺のリュックの中を漁り始めた。あまりの突拍子もない行動に、俺は呆然と立ち尽くす。
リュックから黒い手帳を取り出し、萱城はそれを眺めた後、俺に見せた。
「なあ。沙原 ……南 ?」
萱城が、生徒手帳に書かれている俺の名前を呼んだ。
身元不明のまま死ぬよりも、せめて警察の事後対応が楽だろうと思って持ってきたものだ。余計なことをしてしまった。
萱城が学生手帳を持って、ひらひらと目の前で揺らす。取り戻そうとしてみたが、すぐに避けられ無駄に終わった。
「ふうん、南は俺と同い年か」
「気安く呼ぶな」
「いいじゃん。どうせ死ぬんだろ」
萱城が笑った。
不本意ながらも二人並んで、ただひたすらに最上階を目指して階段を上っていた。シチュエーションの不可解さに頭がくらくらする。
なぜ死ぬ直前だと言うのに、俺はこんな男と話しているんだろう。
「十七年の生涯を終えるのに、こんなところじゃ味気なくね?寂しくね?」
萱城は軽い口調で言う。その上、両手を広げた。
「少年よ大志をいだけ……ってな!」
「うるさい。だまれ」
「そんなに死に急いでどうすんだよ。悩みなら俺が聞くから。な?」
ひょいと顔を覗き込んでくる萱城。俺は全力で無視することに徹した。
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