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きっと会えるよ
パタ、パタっ……ぱたっ……。
頬に、目蓋に、生温い雫を感じる。
徐々に意識を覚醒させ始めた浩司は、「あ……?」と限りなく濁音に近い唸り声を洩らしながら身じろぎした。
自室のベッドで寝ていて、何故水滴を感じるのか。ようやく疑問を覚えるに至り、もぞもぞと手のひらで顔を撫でるように拭う。
「ゔー……」
遮光カーテンの隙間から射し込む朝日は、目蓋越しにも眩しい。まだ目を開けたくない。だが、水滴はまだ浩司の顔目掛けて降ってくる。
その異常事態を確かめるには、浩司は寝穢さすぎた。要するに寝起きがすこぶる付きでよろしくない。
どうやら先に音を上げたのは水滴の方だったらしい。
「まーじで起きないねぇ……俺が抱いた後は割と普通に起きるのに」
その声に反応して、浩司の目蓋が震えた。
「はぴばー! こーじ」
今年の七夕は月曜日なので、昨夜はウォルターの家にお泊まりしていない。
朝イチで凸られた浩司の意識は、慣れ親しんだのほほんとした挨拶で一気に浮上した。
すっかり辺りが明るくなっているとはいえ、まだ朝の五時だ。体を起こしてベッドに腰掛けた浩司は、紛れもない朝露を浴びて少し湿った髪をかき上げ、盛大な溜め息をついた。
目の前には、里芋の葉っぱを恭しく両手に持っている美丈夫。起こすために使用された分を除いても、まだ墨を磨るための分量は残っていると見える。
(あー……なるほどな……)
一ミリも申し訳ないと思っていなさそうなウォルターに、改めて「はよ」とぼそりと挨拶をした。
これまでの経験から、何をしたいのか多分理解したのだろう。
「材料」
「短冊と笹は用意してきたから、硯と墨貸して」
「おー……ガッコで使ってたやつならある」
日本人ならおそらく全員購入しているであろう習字セット。処分するほど傷んでもいないし、取り敢えずクローゼットの隅に押し込められている。
歳時記は、家族とよりもウォルターとこなす方が多いのでは?などとふと思いながら、浩司は欠伸を噛み殺した。
正座して半紙と筆と格闘しているウォルターを眺める浩司は、パソコン用のデスクにあるゲーミングチェアから見下ろす形になっている。
部屋のほぼ中央にあるガラスのテーブルでは、先程まで朝露で墨を磨っていたウォルターが、小筆で練習しているのである。
こんな日でも朝から開襟シャツにリネンのパンツを合わせているから、墨が飛び散ったら落ちねーぞと気が気じゃない。真っ直ぐに筆を立てて立ち向かう姿勢は本当に惚れ惚れするくらいに美しいのだが、如何せん只でさえ難しい日本語に筆で挑むのだ。難易度が高すぎる。
まだしばらく掛かりそうな気配だが、アイスコーヒーを飲みながら見守りという体で観察するのに見飽きることはないだろう。
小一時間掛けて、ようやく短冊にしたため終えたウォルターは、むふー!という擬音語をあてたくなるほどに御満悦だった。
「見てもいいか?」
「もちろん。浩司も書く?」
「あー……俺は特に……」
言いかけて、浩司は撤回する。
「やっぱ書くわ」
一説には、願いごとの内容により短冊の色が違うという。本来は習い事の上達を願うものであるらしいし、まあ浩司は元々そこまで気にしていない。
先刻までウォルターが使っていた小筆を手に取り、浩司はさらさらと書き付けた。
「なになに?」
ひょいと覗き込んだウォルターが、何ともいえない表情になる。
「世界平和」
幼い子どもが書くような、それでいて多くの無辜の民が希求するような、そんな願い。笑えばいいのか分からなかったのだろう。
紙紐で笹にくくりつけ、それを軸屋邸の縁側に飾り付けてから、ウォルターは帰って行った。また夜に来ると約束してから。
今夜は晴れるに決まっている。晴れ渡る青空の下で風にそよぐ笹の葉と短冊をしばし眺めてから、浩司も踵を返した。
【会いたい人にいつでも会えるようになりますように】
【事故にあいませんように】
【重い病気になりませんように】
遠い遠いふるさとに届けばいいなと願いながら。
了
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